08 引き揚げられた実機(特攻機)は撮影可でした

 大刀洗の平和記念館も同様に実機がありまして、そちらでも撮影可だったんですけれどもね……。

 歴史的資料として観ればいいのか、名前も知らない少年が乗っていたものとして感じとればいいのか……果たして「正しい」閲覧の仕様などあるものなのか。様々な感情がよぎる。

 ずーっと海の底に眠っていた特攻機が語り掛けてくるものは、あまりにも重くて切ない。もちろん、すべての特攻機が海底に沈められたなどということはない。米国の艦船へと辿り着き散華された御霊みたまも少なくはない(あえて、こう書きたい……)。

 わたしは「つい、母の感情で遺影や遺書を見てしまう」と書いた。たぶん、その視点も間違ってはいないのだろう。特攻隊員の数だけ肉親がおり、兄弟姉妹が存在するのだ。かなしみも絶望も悔し涙も、御遺族の数より多く存在することを後世の我々は感じとらなければならないと考える。

 安直に「反戦」を唱えるつもりはない。

 けれども海の底で錆びた鉄や計器の類いを見せていただける機会に恵まれると、どうしても「もう、これ以上のかなしみを増やしてはいけないな……」と、シンプルに思いが至る。広島原爆資料館なども閲覧させていただけているので、わたしの感情は間違っていないと思う。たぶん、だけど……。



 今、とある美術館で「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」が開催されている。たまたまだけれども行くことができた。

 イタリアやドイツなど世界中の絵本作家の原画が間近で閲覧することができる。油絵もあれば水彩画もあり、国によって色彩感覚なども違うようで興味深かった。

 数多くの絵の中で、ひときわ印象に残った絵画があった。

 ウクライナのユリア・ツヴェリチナと仰る女性が描かれた、五点の絵は「戦争日記」という。

 一枚一枚の絵に、タイトルが付けられている。

 1、車の墓場 2、爆発 3、マウリポリ 4、地下鉄のシェルター 5、駅

 これらの絵の前で、動けなくなった。

 記憶にのこることを、そのまま書きたい。図録を購入したわけではないので、違いがあっても寛恕を請いたい。

「爆発」

 キャンパスは大きくて(号数などは、無知なのでわからないが……)暗い赤とオレンジが入り混じった黄昏ときに見える空を背景に、真っ黒な煙を勢いよく噴き上げて燃えさかるのは車だろうか、戦車だろうか……それを隔てる柵がある。柵から、こちら側。ひとりの青年がスマートフォンを高く掲げて炎上する車を撮影している。彼の顔は見えない。わたしたちに見えるのは、カラフルなシャツの後ろ姿だから。炎を受けて赤茶けた色の、少し長く伸びた髪くらいしか。

 もうもうと吹き上がる黒煙が黄昏れている空いっぱいに広がっていく。

 その光景を、ギリギリに安全が確保されたなところからスマートフォンを掲げて撮影している若い人の後ろ姿。


 今のことも昔のことも、すべて含めて……。

 戦場の生々しい光景から、目を背けていくのが正しいことなのか。彼のようにカメラの画面越しに見ていくのが正しいことなのか。以前に目撃したJA京都の人たちのように率直に「やだー! きっしょー!!」と騒ぎ立てることが正しいことなのか。正しさは時代によって簡単に姿を変えるものなのか。

 その場になってみないとわからないと日和っていることが正しいことなのか。

 人生には限りがある。







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知覧特攻平和記念館を拝観いたしました 優美香 @yumika75

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