第10話 ひとつぶ

 イベントが終わった翌日、学校に行って授業中はずっとイベントの時のことを考えていた。

 イベントで見掛けて欲しいと思った本はいっぱいあったけれど、残念ながらお金が無くて買えなかった。手に入ったのは、手作りの本をいっぱい並べてる人が無料で配っていた折り本一冊だけ。

 欲しい本は買えなかったし、俺が売った本も海老名先生が買ってくれた一冊だけ。それでも、もらった折り本は自分のもののようにかわいかったし、海老名先生が払ってくれた百円玉は、金メダルよりも立派なものに見えた。

 これを父さんに話したら、無駄なことをしたってバカにされるんだと思う。でも、俺は無駄じゃなかったと思ってる。俺はあのイベントに出て、どこに向かってるのかはわからないけれど、確実に一歩を踏み出せたんだ。

 昼休みになって、購買に寄ってから職員室に行く。

「海老名先生いますか?」

 そう声を掛けると、いつものように海老名先生が手を振る。

 お弁当を食べている海老名先生の所へ行くと、海老名先生がこう訊ねてきた。

「昨日はどうでしたか?」

 俺は笑って頭を振る。

「……そうでしたか」

 これだけで本が売れてないのは伝わったようだ。でも、俺はまだ海老名先生に伝えなきゃいけないことがある。

「でも、俺、まだ続けたいです」

 海老名先生はすこし驚いた顔をしてから、うれしそうに笑う。

「そうですか、良かったです」

「だって、SNSで企画もあるし」

「そうですね。その時はまたチェックします」

 それを聞いていたのか、向かいの席に座っている船堀先生が覗き込んで口を挟んでくる。

「え~、なにやってるの? 俺にも教えて」

「いやです」

「え~……」

 本当は船堀先生にも教えてもいいかなと思ったけど、船堀先生に教えるのはもうちょっと覚悟が決まってからにしたい。なんだかんだで俺は、作品を知ってる人の前に出すのがまだ少しこわいのだ。

 船堀先生と俺のやりとりを見た海老名先生がくすくすと笑って、それから、いつもの優しい声で俺に言う。

「東大島君。あなたは、大きな文化の山の裾野です」

「え? どういうことです?」

 文化の山の裾野なんて、そんなものになれてる気がしなかったので驚いた。だって、俺のやってることなんて、まだまだ文化なんて言えるようなものじゃないと思ったのだ。

 そんな俺の気持ちをよそに、海老名先生は言葉を続ける。

「あなたは、大きな文化を支える、大切なひとつぶになったのです」

 大切なひとつぶ。たったひとつぶがそんなに大切なものなのだろうか。そもそも俺は、そのひとつぶになれているのだろうか。

「でも、俺なんかじゃすごい作家にはなれないだろうし」

 顔が熱くなるのを誤魔化すように俯きながら海老名先生の声を聞く。

「すごい作家でなくても、たとえ些細な作品であっても、それは大切なものなのです。

裾野が大きくなければ山は大きくならない。

だから、あなたのようにまだ小さなひとつぶでも、それはとても大切なのです」

 ああ、海老名先生は、俺がやってることが無駄なことなんかじゃないって認めてくれてるんだ。

「あなたが続けたい限り、続けて下さい。私も応援しています」

「うん……」

 誰かひとりでも応援してくれるなら、どこまでも走れる気がした。これから走りだして、いつか支えがなくても走れるようになりたい。

 大切なひとつぶだって自信を持てるようになりたい。

 うれしいような恥ずかしいような、何ともいえない気持ちでいると、海老名先生が、手帳を内ポケットから取り出して開いて言う。

「そしてできたら、私に見せて欲しいです」

 手帳には、俺が今までに作った折り本が挟まれていた。

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ひとつぶ 藤和 @towa49666

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