第9話 晴れ舞台に立つ

 家に帰ってから、スマホで海老名先生に教えて貰ったイベントについて調べた。イベントのホームページはすぐに出てきたけれども、参加費を見て驚いた。結構な金額だ。

 今まで煙草を買ったりしないで貯金してれば払えたかもしれない。そう思うと、なんてバカなことをしてたんだろうと気が重くなる。

 でも、落ち込んでばかりはいられない。お金が無いなら稼げばいい。そう思って、父さんと母さんがいる時にバイトをしたいと言った。

 すると、父さんはにやにやしながら、給料を家に入れるならやってもいいと言った。


 その日のうちに俺は動きはじめた。スマホで近所のアルバイト募集を探していくつかピックアップして、翌日学校に遅刻するのを覚悟した上で百円均一に寄って履歴書を買って、学校に着いてから図書室で履歴書を何枚も書いた。証明写真は、帰りに駅にある写真機で撮った。

 履歴書の準備を整えてから、バイトの面接を受けたい店に片っ端から電話をかけて、面接の予定を調整もした。一日まるまる学校をサボることになった日もあったけど、その甲斐あって、なんとか雇ってくれる店を見つけられた。

 雇われたのは、時給九八五円のコンビニ。家と学校の中間くらいにある駅で降りて、そこから更に五分くらい歩いたところにある。

 どの店で働いてるだとか、そういうことは父さんと母さんには言わなかったし、友人達にはバイトしてること自体話さなかった。

 バイト先の店長の意向で、高校生のうちはちゃんと学校に通わないといけないとのことで、シフトが入っているのは学校がはじまる前の早朝か、終わった後の夕方頃だ。

 本当は深夜にシフトを入れてもらえれば時給が上がるのだけれど、俺みたいな子供をそんな深夜に働かせられないと店長は言っていた。

 子供扱いされるのはすこしむかついたけれど、なんとなく、父さんよりはまともな大人なんだなと思った。

 バイトをはじめてからはじめての給料日。給料は手渡しで渡されて、中に入っていたのは数千円。

 この中からいくら父さんに持って行かれるんだろう。それを考えると気が重かったけれど、いくら入っているかの明細は封筒の中に入っていなかったし、外にも書いていない。

 これなら、あらかじめ千円くらい抜いて渡してもわからないかな。そう判断して、封筒から一枚だけお札を抜いて、折り本を作るためのらくがき帳に挟んだ。


 バイトをはじめて数ヶ月、なんとかイベントの出店料を貯めることができたので、緊張しながら申し込んだ。運のいいことに、貯まった時期と申し込み開始の時期が重なっていたので、確実に参加出来る先着枠に滑り込めた。

 ああ、これでひと安心だ。父さんにも母さんにもバレずに申し込めた。

 イベントに出店する時に必要になる書類が封書で送られてくるとあらかじめ海老名先生から聞いていたので、頼み込んで書類の送り先は海老名先生の家にさせてもらった。俺の家にそんな封書が届いたら、母さんが勝手に捨てるに決まってるからだ。

 その事情がすぐにわかったのか、海老名先生はすんなりと、代わりに封書を受け取ってくれると言ってくれた。

 申し込みをしてしばらく。SNSでイベントの情報をチェックしながら、落ち着かない日々を送っていた。

 落ち着かないながらにも授業には出たし、バイトも続けた。ここで下手に今までの行動を変えると、友人達や父さんや母さんにイベントのことが知られるかもと思ったのだ。

 俺がイベントに出ることは、知られたくない。隠し通したい。やっと見つけたやりたいことをやるために積み上げたものを崩されたくなかった。

 そんなある日の昼休み、突然校内放送が鳴った。なにかと思って聞いていると、船堀先生の声で、至急職員室に来るようにと、俺を名指しで呼んでいた。

 なんで船堀先生が? もしかして、バイトしてるのがまずいって言いたいのだろうか。

 不安と焦りを感じながら職員室に行くと、船堀先生が俺に手招きをする。

「東大島、話がある」

「なんですか?」

 船堀先生の所へ行くと、向かいの席に座っている海老名先生をちらりと見てから、船堀先生が水色の封筒を俺に渡してきた。

「例のものだよ」

 封筒をよく見ると、イベントの名前が書かれていて、中に海老名先生の住所が書かれている。

 なにも言えないまま、勢いよく海老名先生の方を向く。海老名先生はにこりと笑って、人差し指を口の前に当てた。

 なるほど、俺に住所を貸したのが他の先生にバレるとまずいから、話が通じそうな船堀先生経由で渡してきたのか。

 そっと職員室を見渡すと、すこし不審そうにこちらを見ている先生がいる。それに気づいたのか、船堀先生がにっと笑って俺に言う。

「それじゃあ、前に約束したとおり、一緒に図書館に数学の本を見に行こうか」

「あっ、そうですね」

 約束なんてした覚えはないけれど、こう言えば船堀先生が俺に用事があるという体裁を保てるし、怪しまれずに職員室を出られるだろうのでそう言ったのだろう。

 他の先生にバレないかどうか緊張しながら、船堀先生と職員室を出る。船堀先生がドアを閉める直前に、倫理の先生の声が聞こえた。

「東大島はどうしたんでしょうね。急に真面目になって」

 真面目になった覚えはないけれど、これで怪しまれてないならそれに越したことはない。船堀先生が早足で歩いて行くので付いていくと、着いた先は誰もいない地学室。

「図書館だと誰かいるかもしれないだろ」

 そう言って、船堀先生は中に入って手招きをする。俺もまわりを伺ってから中に入る。

 船堀先生が席について、俺もその向かいに座ると、船堀先生がポケットからなにかのメモを出して俺に手渡してくる。

「海老名先生から、これも渡してくれって言われた」

「海老名先生から?」

 渡されたメモを広げると、中にはイベントに出店するにあたって準備するべきものの一覧が書かれていた。マーカーが引かれているのは絶対に必要なものだろう。

 俺がじっとメモを見ていると、船堀先生がいつものようににっと笑って言う。

「おまえらがなにを企んでるのかは知らないけど、がんばれ」

 俺は黙って頷いた。


 そしてイベント当日。海老名先生に言われたとおりのもの全部は準備出来なかったけれど、売るための折り本と、最低限のお釣り銭を持って俺は会場にいた。

 ショッピングモールみたいに広いのに、ホールの中には机が並んでいるばかりで、しかもその机の上に、色々な人が布を敷いたり棚を置いたりして、本を乗せている。

 みんなすごい大荷物で、しっかりした本を並べていて、ポスターなんかを飾ってる人もいる。そんな人達に囲まれながら、俺は机の上の決められたスペースに、持ってきた折り本とお釣り銭の入ったコインケースを置く。俺が折り本を売るためにする準備はこれだけだ。

 周りを見ていると、たしかに海老名先生が言ったとおりに机の上に布を敷いた方がぱっとするなとは思ったけれど、どこで布を買えばいいのかがわからなかったし、なくてもいいかと思ったので買ってきていなかった。でも、やっぱりあった方がいいな。今度海老名先生にどこで布を買うのか訊いてみよう。

 そうしているうちに両隣の人が来たので挨拶をする。すごく緊張したけれど、どちらの人も愛想良く返事をしてくれて安心した。

 でも、それと同時に気持ちが落ち込んでくる。両隣の人はすごく立派な本を並べていて、それと比べると、俺は本当にこの折り本だけでここに来てよかったのかわからなくなってしまったのだ。

 うれしい気持ちと不安な気持ちと、すこし落ち込む気持ちを抱えたまま開場の時間を迎える。本を買いに来た人が目の前の通路を通り過ぎていって、時々両隣の前で足を止める。けれど、俺の前で足を止める人はいなかった。

 どんどん時間だけが過ぎて行く。誰の目にも留まらないで、ただここにいるだけ。正直言えば、かなりしんどい。

 やっぱり、俺がこのイベントに出店するなんて無謀だったんじゃないか。そんなことを考えて、机の上の折り本を見る。

 きっと無謀だったんだ。でも、無謀だけど……

 気持ちが沈んで頭がぼんやりする。そこに、誰かが声を掛けてきた。

「拝見してもよろしいですか?」

「え? どうぞ!」

 やっと見てくれる人がいた。そう思って顔を上げると、そこにいたのは海老名先生だった。

「え……? なんでここに……?」

 たしかに、海老名先生はこのイベントによく来ているとは言っていたけれど、まさか俺のところにわざわざ来てくれるなんて思ってなかった。いや、でも、もしかして。

「俺が出るから、わざわざ来てくれたんですか?」

 俺がそう訊ねると、海老名先生は片手を振ってこう返す。

「いえ、webカタログをチェックしていたら折り本とあったので、巡回サークルリストに入れていただけです。

ここがあなたのスペースだとは知りませんでした」

「あ、ああ、そうなんですね」

 海老名先生がくれたメモに、webカタログには絶対に本の情報を載せた方がいいと書いてあったのでその通りにしたんだけど、なるほど、こうやってチェックしてくる人がいるのか。

 納得すると同時に、俺がここにいるということを度外視して、本の情報を見て来てくれたというのがうれしかった。

 もうすっかり耳に馴染んだピアスをいじりながら、海老名先生が折り本を見るのを眺める。そうしていると、海老名先生は折り本を一冊俺に差し出してこう言った。

「では、こちらを一冊いただけますか?」

 海老名先生は、この折り本も欲しいと思ってくれたんだ。

 そのことがどうしようもないほどうれしくて、はにかみながら返す。

「じゃあ、それ一冊あげますよ」

 すると、海老名先生は鞄から財布を出して、にこりと笑う。

「いえ、この本は買います。

たとえ小額であったとしても、制作者が設定したお代を払うのは敬意と感謝の証です。それをぜひ、受け取って下さい」

 一瞬、その言葉がうまく飲み込めなかった。それで、ついこう言ってしまった。

「でも、俺は生徒で先生は先生だし」

 顔がすごく熱い。本当は、海老名先生の言葉がすごくうれしいのに、うまく受け取れない。受け取れない理由を立場の差だと思い込もうとしたら、海老名先生は優しくこう言う。

「この場にいる間は、私とあなたは教師と生徒ではなく、対等な立場の参加者です」

 海老名先生は、自分の意思でここまで来た俺に敬意を示そうとしてくれている。そのことがうまく受け止められなくて、思わず泣きそうになった。

「……一冊百円です」

「はい、ではこちらを」

 震える手で海老名先生からお金を受け取って、コインケースに入れる。コインケースの中で一枚だけ所在なさそうにしている百円玉が誇らしかった。

 視界が滲んで俯いていると、海老名先生がなにか細長い袋を差し出してくる。

「これは差し入れです。今日は少し暑いですし、冷たい濡れタオルで顔を拭くとさっぱりしますよ」

「あ、ありがとうございます……」

 袋を受け取って開けると、中に入っていたのはウェットティッシュだった。ひんやりしているウェットティッシュで顔を拭いてから、もう一度海老名先生を見る。

「では、私は他にも回りたいところがあるのでそろそろ失礼しますね」

「はい、ありがとうございました」

 俺が頭を下げると、海老名先生は去り際にこう残していった。

「あなたも、他のところを回ってみるといいですよ。

きっといい出会いがあります」

 海老名先生が人波に紛れるのを見送って、しばらくの間ぼんやりしていた。そうだな、せっかく来たんだから、他の人の本も見てみよう。

 コインケースを肩から掛けていたサコッシュに入れて机の外に出る。広い会場をぐるぐると回っていると、きっちりとした本だけじゃなくて、なんだか手作り感のある本もちらほらあったし、きっと海老名先生もチェックしているのだろうなという折り本もあった。

 ああ、本当に折り本でもよかったんだとほっとした。

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