第7話 若い葉

 執行官が到着したのは、その次の日だった。


 入れ替えに騎士隊は帰り支度を始め、ラファエルも同時に連行される。


 見送りはできなかったが、隊員の方々から早く良くなるようにと花束をもらった。一緒にいたのはわずかな間であったけれど、皆気のいい人達だった。


 新たに来た執行官も挨拶に来たが、やはり寝たままの体勢で挨拶しなくてはならなかった。


「ああ、お話伺っております。ご災難でしたね。ぎっくり腰辛いですよね。実は僕も数年前にやったんですよ。あの時ほど、妻に感謝したことはなかったですねえ」


 四十代半ばの執行官は悪い人ではなさそうだが、よくしゃべる人だった。


「ぎっくり腰は癖になるから気をつけてくださいね。ああ、そうだ。あなた、結婚したらどうですか?」


 いきなり何の話を始めたのかと思ったが、彼は至極真面目だった。


 エステルはまだ男爵令嬢の称号を持っている。


 この屋敷は国に一旦接収されるが、領主を新たに迎えなくてはならないので、その人と婚姻を結べば具合がいいとのことだった。


 領主は貴族の誰かが割り振られる。

 なんならいっそのこと、政略結婚をしてしまえば領民もすんなり納得するだろう、とのことだった。


「私は出戻りなのですが」

「でもあなた、まだ若いんだし、まだまだいけますよ」


 何がいけるのだろうか。疑問に思っても、敢えて口にはしなかった。


「まあ無理にとは言いませんけど、時間もあるし、そういう選択肢が一つあるってくらいで構いませんのでゆっくり考えてみてください」


 執行官はへらへらと軽く言い、脇に控えているパスカルが怖い顔をしていたのが何となく目についた。



 数日後、何とか一人で起き上がれるまで回復したエステルは、自室の前の廊下を歩いていた。


 医師は帰還する前に、少しでも動けるようになったら運動するようにと言い置いていたので、長い廊下を杖を使って行ったり来たりしている。


 階段を上がってくる足音がした。


「こんにちは、エステル様。頑張っていますね」

 パスカルの顔には優しい笑みが浮かんでいる。


 話があるので時間がほしいと言い、彼は杖を取り上げ代わりに自らの肘を突き出した。


 もう幾度となく同じことをしているのでエステルは手を掛け、部屋までエスコートされた。


「明日、王都に帰ります」

 引継ぎは終了し、部隊の後を追うとのことだった。


「そうですか。寂しくなりますね」


 ソファに座るように促されたが、立っている方が今は楽だった。


 パスカルはエステルの手を取った。


「執行官から今後についてお話があると思いますが、是非前向きに検討してください」


 提案というのは、政略結婚のことだろう。

 それが役割ならば受け入れるしかないのだから仕方ないはずなのに、パスカルにまで言われると胸がずきりとする。


「それが私の役割ならば」


 エステルの手を握る彼の手に少しだけ力が込められた。


「あなたを幸せにします」


 脈絡がなかったので、彼の言葉がよくわからなかった。なんと言っていいのかわからず固まっていると、柔らかい笑顔を向けてきた。


「ご自身も大変なのに、周りの者に気を遣い、どんな身分であっても分け隔てなく接することのできるあなたはきっとよい領主夫人になれます。役割などと思わずにあなたらしく生きてください」

 

 エステルの胸の奥に何かが染み入り、そして、自分でも気づかなかったひびに入り込んで埋めていくような感覚がした。


 人に押し付けられたのではなく、自分で選んでここまできたと思っていた。だからせめて迷惑をかけないように役割を果たすことに注力していた。


 なので、自分らしく生きるようにと言われて、激しく動揺する。


 そんなことを言う人は誰もいなかった。


 パスカルの腕がそっと、壊れものでも扱うかのように背中に回り抱き締められた。

 彼の匂いに包まれて、なぜか安心することに驚いた。


「ずっと、あなたを見ていました。だから、これだけは信じてください。あなたはとても優しい人です。もう誰にも傷つけさせません」


 そう言って、静かに体を離し、出て行った。


 彼の言っていることはよくわからなかった。


 その理由は後日判明するのだが、今は当惑ばかりで顔に熱が集まる。


 胸の奥がじわじわする。

 固まってひび割れていた心に、甘く温かいものが染み込んでいくのを感じた。



   ☆

 パスカル達引継ぎ班も王都に帰って、三ヶ月が過ぎた。


 日は大分伸びて、吹き抜ける風も心地よく、庭の木々もさらさらと若い葉を揺らす。


「ああ、エステル様。ご準備はよろしいですか」

 執行官に聞かれて、エステルは頷いた。


 腰も回復し、今日はおめかしをして来客を迎える。


 今日、領地の新しい領主が屋敷に正式に到着するのだ。

 エステル達は玄関ホールでそれを待っている。


 新領主が内定してから何度もここへ足を運んできたこともあり初お目通りではない。


 だが、この日のために執行官は予算を組んで、エステルやマリーのドレス、居残った使用人のお仕着せも新調してくれた。


 新しい領主は南部に領地を持っている伯爵の三男で、伯父は公爵だという名門の出だ。


 上に兄が二人いるので早々に騎士として仕官し、王都の騎士隊で活躍していた。


 国も公爵家の後押しがあってか、新領主に彼を任命することを異例の速さで承認したと、執行官が話して聞かせてくれた。


 馬蹄の音が近づいてくる。


 エステルはマリーと顔を見合わせて微笑んだ。


 馬車が到着し、御者が踏み台を用意する。


 出てきたのはポールだった。彼は騎士隊の制服ではなかった。

 マリーが駆け出し、彼の首に腕を回して抱きついた。


 挨拶もまだなのに、と執行官は苦い顔をしたが、久方ぶりに再会した恋人同士を嗜めるような無粋はしなかった。


 続いて、新領主が降りてきた。


 爽やかな風が彼の金色の髪を揺らし、青い目を細めてこめかみを押さえる。


「遠路はるばるようこそお越しくださいました、ジャック・パスカル・ラグランジュ様」


 執行官が儀礼的に挨拶をする。


 彼もにこやかに挨拶を交わした。


 そして、エステルを見る。彼の頬がゆっくり緩む。


 エステルは彼の元に走り寄った。


 もうぎゅっと抱き締めても大丈夫。自分らしく、彼に示した。


 彼もそっとではなく、固く抱き締め返してくれた。


                 End.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

終わりの椿は春を告げる 大甘桂箜 @moccakrapfen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ