第6話 笛
ドアは少し開いていた。
彼女達の話し声は廊下にいる二人にも辛うじて聞こえている。
途中で、握り締めて血管の浮き出たジャックの拳が見えた。
いつもは冷静であまり感情を表に出さない男が珍しく激情を持て余している。
ナイフを持ち出したラファエル・オーリックを使用人が止めたというくだりで、あいつの自制のストッパーは振り切れた。
「……オーリックの取り調べの様子を見てきます」
低く告げて、上司の許可も待たずに廊下を渡っていった。
一人取り残されて聞き耳立てているのも、趣味を疑われそうだと思った時だった。
「ねえ、一緒に修道院に行かない? 二人なら嫌なことあっても愚痴を言い合えるわよ」
その言葉を聞いた途端、ポールもまた自制のネジが飛んだ。
ジャックの進んだ道を辿り、半地下にある物置部屋へと向かった。
☆
夕方近くにノックがして、入って来たのはダルマス隊長とパスカル副隊長だった。
二人はこの度のことをまず詫びた。
だが、彼らが謝る必要などないので、頭を上げるように言う。
「全て元夫のせいです。あなた方は私を助けてくださったのですから、私こそお礼を申し上げます」
横になったままで申し訳ありませんが、と付け加えた。
ダルマスはベッドの脇にいるマリーに声を掛けた。
二人で話がしたいらしく、エステルに断りを入れてきたので了承した。
ゆっくり今後のことを話し合う必要があるのだろう。
マリーは修道院に行くことをかなりの割合で決めているが、彼女とてまだ若い身空だ。
ダルマスの情熱に絆されて決意を翻してほしいと、エステルは願っている。
二人は退出した後、パスカルが残った。
彼はベッドの脇に寄り、膝をついて目線を合わせる。
「あなたを守れず怪我を負わせてしまい申し訳ありません」
「パスカル副隊長、先程も申しましたが、あなたのせいではありません」
項垂れているパスカルの眉間にはくっきりと皺が刻まれている。
よく見ると、彼の片手に包帯が巻かれている。その手とは反対の手で、エステルの絆創膏を貼ってある頬に触れようとして躊躇い、拳を握る。
「……痛みますか?」
「大分良くなりましたので、本当にお気になさらないでください」
それでもパスカルの口元が固く結ばれる。
一両日中に、執行官が到着するので、隊長と三分の二の隊員はそれと同時に王都へ帰還し、ラファエルも共に連行すると告げた。
王都で尋問し、裁判にかけることになると。
「あの人の様子はどうですか?」
「大人しくしています」
パスカルは包帯が巻かれている方の手に目を移した。
恐らく彼が大人しくさせたのだろう、とエステルはその眼差しから察することができた。
殴られた頬もお腹もまだ痛いので、ラファエルに同情する気持ちは二割くらいしかない。
「あなたこそ、お怪我の具合はいかがですか」
「大したことはありません」
あなたの痛みに比べたら、と声は抑えていたがはっきり聞こえた。
「私は引継ぎとあなたへの聴取もありますのでここに残ります」
ラファエルは王都で裁かれるが、エステルはこの調子なので移動は難しいため、マリーの証言と共にここで事情聴取される。
ラファエルと顔を合わすことはないと聞いて心の奥底からほっとした。
ふと、サイドテーブルに置いてある笛が目についた。
「そうだ。笛、ありがとうございました」
この笛のお陰で知らせることができたのだ。
取ろうと腕を動かしたが、腰に痛みが走ったのでやめた。
パスカルは笛を取り、慎重にエステルの首に掛けた。
「何かあったら、これで。お辛い時にいつでも呼び出してください」
ありがとう、とお礼を言って笑いかける。
パスカルは横になった体勢なので下ろしてあるエステルの髪を一房摘まみ、そこに口づけを落とした。
「もう二度と、あなたに傷をつけさせない」
決意にも似た言葉だった。
パスカルは騎士道に則ってそう言った可能性もある。
だがその中に何か特別なものを感じて、体の底に凝り固まった何かが音を立てたように感じた。
自分を守ってきた何かが壊れるような不安と彼の力強い言葉の頼もしさが同時に襲いかかってきたようになり、目の奥がじわりと熱くなった。
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