こころがとけていくまで

チャーハン

こころがとけていくまで

 十二月十六日。クリスマスが近づく中、真白ましろはいつものようにコンビニでアルバイトをしていた。最低気温が零度を下回り肌寒さが増している。縦のボーダーが入った作業着を着た真白は両手を膝前に当てていた。軽く息を吐くと、白い空気が上がっていく。暖房が上手く稼働していない証拠だった。


「はぁ……心も身体も、寒いなぁ……」


 真白は蛍光灯を眺めながら友人達の動向を思い返す。

 

 一人は七月に彼女が出来たらしい。

 本人曰く美人とのことだった。


 一人は九月に大学内で彼女が出来た。

 同じ学科らしく、話も合うらしい。


「俺も……彼女が欲しいなぁ……」


 真白は両手を前にし暖を取った。かじかんだ手から身体中に温もりが伝わっていく。数分間で両手を普段の状態に戻した真白は時計に目を向ける。夜の八時を迎えていた。シフト通りならばこの時間帯で終える頃だ。


 真白は休憩室に入り交代を伝えに行った。扉を開けると、獣二匹が休憩室で互いの身体を貪っていた。行われる淫らな行為は真白に悪感情を抱かせた。獣達を止める者は誰一人としていない。何故なら、獣の一人が店長の息子だからだ。


 就職先が無く、困りに困った父親が素行不良の駄目息子を入れたらしい。親心と聞けば良い話かもしれないが、綺麗事で済む話はほとんどないようだ。


 真白は目つきの悪い金髪の男に対し話しかけようとしたが、途中で止めた。日焼けした肌と黒いくまが混ざり合った涙袋を半円状にしたからだ。生々しい光景に広がる邪悪な笑みは常識が通用しないことを示していた。


「……失礼しました」


 真白は二匹の獣に頭を下げてから休憩室を出た。

 途端に聞こえてくるのは嘲笑だった。


「彼奴ら何で辞めねぇのかな……場所弁えろよ……」


 真白は下を見つめながらカウンターに入る。

 暗い廊下を抜けると同時に眩しい蛍光灯が瞳を刺激する。


「早く会計してくれない!?」

「こっちは待ってるんだよ!!」


 途端に聞こえてくるのは客からの怒鳴り声だ。罵声や恨みの声を浴びながら、丁寧に謝り機械の様に作業する。一番忙しい時間帯を超えると、気が付いたら夜の十一時を迎えていた。


「どうせ、残業代はくれないんだろうな」


 元々の契約で六時間までしか給料は入れないとなっている。昼の一時から夜七時まで働くのが本来の契約だが、実際の所はサービス残業している始末だ。


 警察に訴えれば勝てるかもしれないが、真白はしなかった。屑息子の報復が怖かったからだ。守る物は無いといっても、命を奪われてはたまらない。


「……帰るか」


 閉店時刻になると同時に、商品売り場の電気がぱたりと消える。カウンター以外明かりがついていない中、真白は目を凝らしつつ薄暗い汚れた廊下を渡り休憩室に入った。


 生臭い液体がばらまかれた休憩室を一人で掃除する。廃棄処分の商品内と一緒にならない様に気を付けつつ迅速に処理を終えた。両手を流しで洗い、持参したハンカチで拭く。一通りやるべきことを済ませた真白はゴミを持って外に出る。


 冷たくなったアスファルトの上を歩きながら周りを見渡す。歓楽街には笑顔の男女が多くいた。楽し気に桃色の会話を弾ませる男女を見た真白は体ごと背を向けてからゴミを捨てた。


「羨ましいなぁ、羨ましいなぁ……」


 休憩室に戻る度に心からそんな感情が沸いてくる。男女の関係。

 それは大人になる証であり、生存本能であり、優生思想である。


「俺も、あんな風に筋肉があれば……見た目が良ければな……」


 背丈164センチ、体重79キロの肥満体系。視力が悪く眼鏡をかけているが、頭は悪い。運動神経も当然無く、社交性もほとんど無かった。無い物ばかりで構成された真白にとって、非童貞である人間は羨ましくあり、妬ましかった。


「俺にも何か、才能があれば……」


 真白は休憩室で着替えをしつつ、才能のある人間を恨んだ。才能無い人間が唯一可能とする対抗手段だった。しかし、いくら他人を恨んだところで感情の穴が塞がることは無い。広がっていくのは空虚な底の見えない穴だけである。


「……帰ろう」


 下を向きながら裏口の扉に手をかける。重い金属音を鳴らし外に出ると、歓楽街の騒がしい音が右から聞こえてくる。使い古した茶色のスニーカーを鳴らし歓楽街に出る。ベージュのズボンと茶色のワイシャツを着た真白は場違いだった。周りから奇異な目線が集まりひそひそ話す声が聞こえてくる。


 贓物の混じった赤い液体がこぽこぽとマンホールから漏れ出そうとしている。真白はそれを必死に塞き止めながら真っすぐ岐路に着いた。


 バイト先から三十分、歓楽街から徒歩二十分の距離に住んでいる建物がある。バラック小屋に近い風貌の建物だ。電気水道は通っており家賃は月四万円だが住み心地は良いと言えなかった。真白は静かに扉を開け、鍵を閉める。スイッチを押し電気をつけると和室が視界に収まった。


 真白は溜息をつきながら和室の角にある布団をしいた。その後、テレビの電源を付け地上波の有名なお笑い番組を流す。静かな家の中で笑い声が響く中、お湯を沸かすだけできる塩ラーメンを作り食べ始める。


 薄い塩味が効いたラーメンは味が全く無かった。美味しくない訳では無いのに味を感じないのは変だと思った真白は何回も強く咀嚼した。


「いてっ……舌嚙んだ」


 舌の痛みと同時に血の味が口いっぱいに広がった。鉄分を含んだ重い味が口内を満たしていく。うがいすると金属の流し台が赤く染まった。綺麗な金属を自身の汚物が穢していく。その様子を観察していると、怒りがわいてくる。


「何で俺は、こんな生活しているんだろう」


 ふと我に返る。大学までは勉強もそこそこできた方だった。

 しかし、大学に入学してから全てが壊れた。

 記録用に保管していた必修の期末レポートを全て模倣されたのだ。

 結果としてその期の授業は全て落とし留年が決まった。


 勿論、模倣した人間も等しく単位を落とした。

 そこから始まったのは、盗んだ人間からの復讐だ。


 様々な手法で精神的、肉体的に傷つけられた真白は大学を辞めた。

 大学を中退した取り柄のない人間が就職できる程、世の中は甘く無い。


「資格試験はなに持ってるの? TOEICの点数は?」

「高校時代励んできたことは? 趣味は一体何なの?」

「うちには合わないかもなぁ。人間関係で問題を起こしそうだし」

「技術が無いと困るなぁ。高校の知識があっても専門性が無きゃねぇ」

「君、もう少しレベル落とした方が良いよ。ここで頑張っても無理だよ」


 会社で個人面接を受ける度に、何故か嫌な事を言われた。変な態度を取った訳でも無ければ問題も起こしていなかった。それでも、反応は変わらなかった。


 不採用、不採用、不採用、不採用。


 時間が経つ度に不採用の山が積まれていった。何にも恵まれなかった男は咽び泣きながら必死に頑張った。それでも、良い就職は出来なかった。


 真白はどれだけ足掻いたとて、結果が伴わない現実に絶望した。家を出て様々な場所を転々と回っている内に、この場所に辿り着いた。事故物件と言われているが真白には関係が無かった。


 事故物件だとしても一人で生きられればいいと考えたからだ。

 それが、童心を持った真白にとって最後の希望だった。


 冷えた風がぼろぼろの窓を吹き抜けていく。シャワーで濡れた身体を容赦無く冷まそうとしてくる風は真白の心を嘲笑っているように感じられた。寝間着に着替えた真白はテレビと電気を消した。


 静寂の中、真白はゆっくりと瞼を閉じる。


「いつか生まれ変わったら、童貞を卒業したいなぁ」


 ボロボロの部屋の中、真白はぽつりと言葉を呟き深い眠りについた。


 彼が卒業できたかどうかは、誰も知らない。

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こころがとけていくまで チャーハン @tya-hantabero

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