選択科目 〈自然A〉

逢沢 今日助

選択科目〈自然A〉

私は自然が好きだ。

教室の窓から見える林、その横を流れる細い川、木々から聞こえる蝉の声だって、授業で教わる事よりずっと大切な事を教えてくれる気がする。

だから私は、さっきからこの素晴らしい自然という授業を、教室の窓から遠く眺めている。決して、今やっている数学の授業が分からないからとかではない。決して。


「おい渡辺ぇ!」


急に数学の先生に怒鳴られた。

慌てて先生を見ると、


「お前また外眺めてやがったなぁ〜!」


と、きつくお叱りを受けた。

まぁ、今日の授業もこれで最後だし、真面目に受けてやるか。




――――授業の終わりを告げるチャイムと共に、 私は持っていたシャーペンを宙に投げ出し、大きく伸びをした。


「終わったぁ〜!!」


今日は木曜日。

部活に入っていない私からすれば、あと一日で2連休である。


「なっちゃん、また佐藤先生に怒られたね…」


そう苦笑いをしてくるのは、席が隣になったことから仲良くなった伊藤円華まどか

私は親しみを込めてまどかちゃんと呼んでいる。


「まぁ私成績優秀者だし?ちょっと位良いと思わない?」


そう冗談を言うといつも


「あはは、確かに!」


と合わせてくれる。


しばらくまどかちゃんと話していると、急に後ろから何かがぶつかってきた。


「痛ッた!!」


思わず叫ぶと、


「あ、悪い悪い笑」


と、永田 颯太そうたが、悪びれもせずに言ってきた。


1発怒鳴ってやろうと後ろを振り向いたら、颯太はそこにはおらず、教室の後ろにいる男子のグループをなぜか追いかけ回していた。

あいつとは昔からの幼馴染で、嫌いでは無いが、少し幼稚なのである。しかも、さっきみたいな事がしょっちゅうあるのだ。


「全く、高2にもなって追いかけっことか、恥ずかしいよ…」


ため息混じりに言うと、


「元気でいい事じゃん!」


と、まどかちゃんが珍しく否定してきた。


「えぇそうかなぁ?」

「私はあんなに元気があるの羨ましいよ!」

「それはそうと、なっちゃん時間大丈夫なの?」

「時間?」


スマホを取り出して時間を確認すると、16時を回っていた。


「あ、やばい!!!」


私は急いでカバンを持ち、教室を出た。

何故私がこんなに急いでいるのかというと、木曜日に習い事を1つ入れているからである。

それは茶道だ。

半年前に近くの林を歩いていた時、偶然見つけた小さな小屋の中で茶道教室を開いているのを見つけた。

当時の私は特に趣味もなく、ただ時間を持て余す生活を続けていたし、何より林、自然の中で茶道をするという行為に憧れてしまい、申し込んだのである。

学校からその教室まではさほど離れていない。私は走り続けて何とか授業開始に間に合った。

この教室はそこまで大きくなく、6畳ほどの部屋に私を含めた5人が、70歳ほどの女性の先生の元で学んでいる。


「あら、夏海なつみさん随分遅かったわね?」

「すみません、少し授業が長引いてしまって…」


そう言いながら自分の座布団に座ると、隣にいた瀬谷せや君が


「あともう少しで遅刻だったね」


と、ささやいてきた。


「うん、危なかった!」

「本当に授業が長引いたの?」

「いや、実は友達と話してた笑」

「やっぱり〜笑」


瀬谷君は笑いながら水指みずさしに水を注ぎ始めた。

私もそれをみて水指を取り出す。

彼は瀬谷君と言って、別の高校に通う同級生である。

瀬谷君はこんな私によく話しかけて来てくれるし、笑顔もかわいいのに、お茶を注ぐ時は動きに無駄がなくて先生にも褒められる事もしばしば。私は今度の夏休みに瀬谷君を遊びに誘う計画を、密かに立てているのだ。

すると先生が、


「さぁ、それでは早速お点前おてまえを初めて下さい。」


お点前とは、茶道の基本的な儀式で、お茶を入れる手順の事を言う。

これにはいくつもの工程があり、それぞれの細かい動作や心構えが重要となってくる。

この細かい動作は持ち前の頭で覚えることが出来たが、心構えと言うのが中々に難しい。

ただ何も考えずにやっても、


「夏海さん、もう少し自然と心を通わせて、集中してみてください。」


と、障子の開いた縁側を指さしながら、意味不明なことを言われる。

自然は見て、聞いて、触れるものなのに「心」を通わせるとはどういう事なのだろうか。

私はそれが分からずに、いつも誰よりも早くお茶を淹れ終わって縁側から見える庭をぼーっと眺めている。




――――「さて、今日はこの辺で終わりましょうか。」


先生がそう言って立ち上がり、


「そうそう、明日からはこの小屋の鍵を常に開けておくようにしたから、使いたい時に自由に使って頂いて構いません。勿論、茶道以外の目的でも結構です。」


と皆に呼びかけながら奥の部屋に消えた。

この茶道教室に通っている5人の中で、私と瀬谷君以外の3人は小学生なので、終わった瞬間に外に遊びに行ってしまった。

この部屋には、私と瀬谷くんの2人しかいない。


「…」


沈黙に耐えきれず


「じ、じゃあ私もう帰るね!」


と立ち上がろうとしたら、


「渡辺さん、もし良かったら次の土曜日一緒に遊んでくれないかな?」


と、いきなり言ってきてくれた。


「え、行く行く行く!!」

「良かった〜笑」

「実は私も瀬谷君の事誘おうと思ってたんだ!笑」

「そうなの?」

「うん!どこか行きたい所でもあるの?」

「そう、ここのカフェが最近オープンしたらしくて…」


と、瀬谷君がカフェの情報が乗ったスマホを見せてくれた時、偶然瀬谷くんのスマホが鳴り、LINEが来た。

瀬谷君のスマホに、遥と言う人からの〈何で彼女がいるのに浮気ばっかりするの?〉と言う通知が表示された。


「え、瀬谷君彼女が居るの…?それに浮気って…」


私が困惑して瀬谷君を見ると、瀬谷君はあ〜、バレたかと独り言を言い、いつも私に向けてくるあのかわいい笑顔で


「うん、でも次はバレないようにやるから、いいでしょ?遊びに行こうよ」


と、いつもと変わらないトーンで話しかけてきた。


「え…」

「てか、正直遥、今の彼女とは別れようと思ってるんだよね笑何か束縛?とかしてくるし」

「渡辺さんの方がかわいいからさ笑」


と、私の肩を掴んで、一気に顔を近づけてきた。

私は急に怖くなり、瀬谷君の手を振り払って玄関を走り抜けた。



――あれから何事もなく家に帰ることが出来たが、あの時の恐怖とショックで、その日は眠れなかった。


翌日、私が登校し、教室に入った瞬間、颯太が近寄ってきて


「夏海、クマがひどいけど何かあったか?」


と、目の当たりを指さして言った。

心配してくれたことは嬉しいけど、今は男の人に来て欲しくないのと、あの事をあまり思い出したくない一心で


「大丈夫だから。」


と、つい冷たい口調で言ってしまった。

颯太は、びっくりしたような悲しいような顔で席に向かう私を見ていた。

授業の準備をしようと引き出しを見ると、中に小さな紙切れが入っていた。

それには〈放課後、屋上に来てください〉とだけ書かれていた。

名前は無かったが、この汚い字を見るに、恐らく颯太だろう。

まさか…と思いながら、その紙切れをポケットにしまった。



――授業が終わり、屋上に向かうと案の定颯太が待っていた。


内容はやはり、告白だった。

どうやら颯太は中学校に入る前から私の事が気になっていた様で、ことある事にちょっかいをかけるのは、気にして欲しかっただけらしい。


「夏海、俺は本当に夏海が好きなんだ。後悔なんてさせないから。」

「そんなこと言ったって、もう誰も信じられないよ…」

「やっぱり昨日何かあったんだな。」

「教えてくれよ。」


と、颯太が私の肩を掴んできた。

昨日の事を思い出し、私は咄嗟とっさ


「触らないで!!」


と言い放ち、颯太を押しのけて屋上を飛び出した。



 

瀬谷君に騙されかけた事、颯太にいきなり告白されたこと。

色々なことで頭がいっぱいになり、ついに私も走りながら泣き出してしまった。




――気づくと、私はあの茶道教室の小屋の前にいた。

私は何となく中に入り、誰もいない部屋で1人お茶を立て始めた。

茶筅ちゃせんで茶葉を混ぜていると、ふと周りの音が全て消える感覚がした。

さっきまでうるさかった蝉の鳴き声も、木々を揺らす風の音も、全てが無になり、ただ茶筅でかき混ぜる音だけが響いた。


「これが、先生が言ってた自然と心を通わせて集中するってこと?」


そんな独り言を言っている内に、とうとう茶筅の音すら聴こえなくなってきた。茶道の精神はけいせいじゃく

一切の邪念を無くし、集中することで茶道は上達する。

逆に言うと、集中することで悩みは解消されるのだ。

出来上がった茶を3口飲み呟く。


「……不味い。」


後ろを見ると、いつの間にか先生が立っていて拍手を送ってくれた。


「完全に集中出来ていましたね。私の声が聴こえなくなるほど。」

「ありがとうございます。」

「悩みは解決出来ましたか?」


先生は私が悩んでいることを見抜いていた。


「はい、お陰様で。」

「それは良かったです。これからは、毎週木曜日ではなく自由に来てくれて構いません。」


先生はニッコリと笑うと、瀬谷君の事を知ってから知らずか、そう言って奥の部屋に消えていった。

気づけば、外は暗くなっており、薄暗い月の光だけが、部屋を照らしていた。



――私は帰り道、颯太に電話をした。


「もしもし?」

「あぁ。」

「さっきはごめんね、急に逃げたりしちゃって。」

「いいんだよ、俺は…夏海が1番大切だから。」

「告白の答えだけど、私は彼氏とか出来たことないから、色々教えてくれる?」

「え、じゃあ付き合ってくれるってこと?」

「うん、よろしくお願いします。」

「良かったぁぁ、断られるかと思ったわ!」

「直前まで悩んでたけどね笑」

「じゃあ、今外だから切るね!」

「うん、また後で電話してもいいか?」

「うん。じゃあね。」

「あぁ。夏海、愛してる。」


やっぱり、私は自然が好きだ。

家々の隙間から見える白い月、電柱の灯りに群がる虫たち、私の周り360度を囲む鈴虫の音だって、普通に生きる事よりずっと大切な事を教えてくれる気がする。

だから私は、この素晴らしい自然という授業を、茶道を通して、間近で受けている。

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