後編 集中力持続ボックス

 受験生のくせに勉強をしない俺の前に現れた集中力持続ボックス。集中を妨げる物を封印すると目標を達成するまでこのボックスは開かず、代わりに集中を促すBGMが流れるという素晴らしい代物だ。しかし、どうやらボックスからじいちゃんの声が聞こえてしまったらしい。

 このボックスのAIがひょっとして俺の声を老けさせているのかもしれない。俺はゲームを一旦やめ、もう一度説明書を読むが音声が変わるなどとは一文字も書かれていなかった。


「あのー、ボックスさんってじいちゃんだったりします?」

「音声を認識できませんでした。もう一度お試しください」


 音声アナウンスは通常通りで、何度呼びかけても認識できないの一点張りだった。では、さっきのは聞き間違いということか。俺はしばらくベッドに寝そべり、天井を眺める。


 ゲームを始めてからちょうど30分が経過した。外はまだ明るい。


「情報を音声入力してください」


 再びボックスがアナウンスを始める。じいちゃんの口癖の30分後。これは偶然だろうか。

 再びスマホを封印し、化学のワーク35ページを目標に設定する。これは本来ならば2週間かけて終わらせる量だが、こいつの実力を試してやろう。


 ボックスを閉じ、椅子に座りペンを持つ。ここまでは順調だ。そしてワークを開くと、部屋に涼し気な水の音が響き渡る。川の音らしく、サーと言う音が鳴り続けている。本当に川の水が足に触れそうで、耳をよく澄ますと釣りをする人達の声がする。

「あっ、魚だ」

「釣れないね」

「もっと集中すればいけるさ」

「おっ、掛かった」

 楽しそうなやり取りに耳が心地よい。その光景が目で見えるようだ。いや、実際に見たことがあるのかもしれない。ふと、田舎で魚釣りをした記憶と、懐かしいじいちゃんの横顔が蘇る。純粋に楽しかった、終わることを知らない夏休みの記憶。


 遠くで何かが鳴っている。どうやらボックスの音声案内らしい。

「目標を達成しました。ボックスを解錠します」 

 ガチャリ。その音とともに俺は現実世界へと引き戻された。手元を見ると閉じられた化学のワークが置いてあり、ちょうど35ページだけ進められていた。いつの間にこの量を終わらせていたのかと思うと怖い気もするが、このボックスの効果は本物だったらしい。


 ――じいちゃんに会いたい。いつしか俺はそんな目的でこのボックスを使うようになった。勉強も進むが、そんなことはどうでも良かった。少しでも、音声だけでも、AIの見せる夢だとしても――。


 集中力持続ボックスを手に入れてから2週間が経とうとしていた。最近では寝食以外ずっと机に向かっている状態だ。俺の異常な姿を見て、母さんは出かけるように勧めてきた。もちろんまずいという自覚は俺自身にもあったので、近くのコンビニでアイスを買ってくることにした。


 焼けるような日差し。恐ろしくムシムシとする大気。サウナに入ったことはないが、これで十分だろう。逃げるようにコンビニに駆け込むと、見慣れた友達、草太の姿があった。


「よっ草太、久しぶり」

「夏期講習ぶりじゃん。とんでもなく暑いよなぁ」

「ホントだよ。アイス買いに来たけどこれじゃすぐ溶けるよな」

「じゃあ隣の公園でアイス食おーぜ」


 俺はバニラ味のカップアイスを、草太はフルーツ味のアイスバーを急いで購入し、公園へ向かった。


「やべっ、溶ける溶ける」

「棒のアイスは早いもんな」


 蒼汰はアイスバーにかぶりつき、ボロボロこぼしながら食べ進める。俺は溶けることを見越しカップにしたからゆっくり味わうことができるのだ。


「最近ゲームばっかでさ、全然勉強してないんだよなあ」

「俺もそうだったわ。そういえばさ――」


 俺は集中力持続ボックスのことを草太に話した。そしてじいちゃんとのことも。羨ましがるかと少々期待したが、草太は真剣な顔をして俺を見つめている。もしかしたらとうとう俺がおかしくなったと思われたのだろうか。話し終わると草太は口を開いた。


「そのボックス、手放したほうがいいんじゃないか」

「……」


 そうだよな。俺だって薄々気づいていたさ。背中に、嫌な汗が浮かぶのがわかる。


「なあ、俺で良ければ明日から一緒に勉強しないか? だからボックスに、おじいちゃんに、ちゃんと言ったほうがいいと思う」

「そうだよな。明日、フードコート集合な。絶対行くからさ」


 行きの2倍のスピードで自分の家に戻る。静まり返った室内。俺はボックスの前に座り語りかけた。


「じいちゃん。俺はじいちゃんが大好きだけど自分の力で頑張りたいからさ、しばらく見守ってくれないかな」


 ボックスは何も言わない。それでも俺は続ける。


「それでさ、ばあちゃんの家にボックス預けることにしたから。俺、受験終わったらばあちゃん家行くからさ」

「認識できませんでした」

「じいちゃんをこのボックスに封印するから。目標は大学合格。だから、達成したらちゃんとボックス開けてね」

「目標を設定しました」

「大丈夫。俺絶対行くから」


 待ってるからな。確かに、そう聞こえた。


 AIの搭載された集中力持続ボックスはほんのりと温かく、秋らしい蝉の声と線香花火をする音が微かに流れ始めた。

 

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集中力持続ボックス 如月風斗 @kisaragihuuto

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