集中力持続ボックス

如月風斗

前編 現実逃避

 図書館まで早く着いても10分。だがこの調子では倍はかかるだろうし、たどり着くことすらできないかもしれない。昨日の俺はあんなに図書館に行きたがったというのに。受験生である俺には、左手の大型ショッピングモールがやけに大きく見えた。


「まあ、フードコートでも勉強は出来るから」


 ただ誰に言うわけでもない。自分のために一言、そうつぶやいた。


 爽やかな風とともに話し声や買い得品のアナウンスを浴びながら、真っ直ぐにフードコートへ進む。自分ではそのつもりであったが、いつの間にか本屋の中へ入っていた。念の為もう一度、決して自分の意思ではないということをここで断っておく。


 罪悪感を紛らわせる為、はじめは参考書のコーナーを、次に漫画、小説と順番に見ていく。そして様々な雑誌の並ぶコーナーをサラサラと眺めていると、ある言葉が目に止まる。

「これであなたもサボり脱却!! 集中力持続ボックス」

 財布やバッグが本屋に売っているのは見るが、こんなものがあるのか。本当にそんなものがあるなら世の中の誰もが勉強も仕事できるサイボーグになっているはずである。だが、このボックスは一度誘惑の根源になるものを入れると目標を達成するまで開かなくなるらしい。しかもAIが搭載されているというのだから驚きだ。そんな宣伝文句に踊らされ、俺は参考書のために取っておいた1000円分の図書カードと500円玉を握り、いつの間にかレジに向かっていた。


 フードコートにも図書館にも寄らず足早に帰宅した。この集中力持続ボックスと俺の怠惰な性格のどちらが勝つのかをぜひこの目で見届けてやりたい。


 集中力持続ボックスは、どちらかと言えば金庫という方が相応しいグレーの箱であった。鍵らしいものは付いておらず、開けると作動するらしい。


「情報を音声入力してください」


 機械によくある無機質な音声ではなく、生の人間のような声に一瞬ドキリとする。最近はAIが進化をしているというが、まさにそのとおりだ。


「本日の目標と、ボックスに入れるものを音声入力してください」


 説明書を読みながら設定を進め、最後にスマホをボックスの中に入れる。カチャンと音を立てて閉まったボックスは何度開けようと試みても開くことは無い。代わりに、このボックスからだろうか、セミや風鈴、波の音、遠くで遊んでいるらしい子供の声が聞こえてくる。


「BGMでやる気にするっていうシステムか。良くできてんな」


 今日の目標は数学のワークを20ページ。正直終わるはずの無い目標だが、こいつを試すいい機会になるだろう。

 ワークを開きペンを持つ。ここからが問題だ。いつもなら問題を見ても全く解法が浮かばず手が止まる。きっと今日も――。何故だ。手が、頭の回路が進んでいく。これまで一度も自力で解けなかった高難度の問題も、面倒な計算も、足し算のミス一つせずにいつの間にか20ページが終了していた。


「ボックスを解除します。お疲れ様でした」


 再びカチャリと音が鳴り、ボックスが開く。スマホを開くと通知が何件か来ている。そして注目すべきは現在の時刻である。ピッタリ11時半。昼食の時間にも間に合ってしまった。


「そういえば今年はおばあちゃん家行く?」

「いい。一応俺受験生だから。それよりさ、これ買ったんだけどめっちゃ良かったわ」

「何これ。集中力持続ボックス? あんたねぇ、こんなので集中できるならお母さんとっくのとうに東大入ってるわよ」


 笑いながら冷やし中華に手をつける母。そうだよな。これで集中できるなら誰でも天才になれるよな。俺はむせそうになるのを我慢しながら麺をすすった。


「目標を音声入力してください」


 今日の勉強は終わったのだが、このボックスはそんなことは関係ないらしい。部屋に戻ると、鳴り止まない音声ガイドをよそに俺はベットに飛び込む。最近は勉強もゲームも中途半端だったが、これでやっとゲームに集中できる。友達に越された分も巻き返さなければと、俺はスマホを開き戦闘系ゲームを始めた。


「勉強しなくていいのか」

「えっ」


 どこからか、確かに聞こえた勉強をすすめる声。お母さんの声ではないし、父さんも仕事だ。久しぶりに勉強をしすぎて幻聴でも聞こえたのだろうか。すぐにゲームに戻り、戦闘を開始する。


「もう一度やったほうがいいんじゃないか」

「えっ」


 今度は間違いなく聞こえたさっきと同じ声。セミの声とともにザワザワと胸が騒ぐのがわかる。


「ゲームやってからじゃだめかな」

「じゃあな、30分だけだぞ。そうじゃないとお母さんに見つかるからな」


 謎の声は少しいたずらにそう言ってゲームを了解すると、部屋は無音に包まれた。なんて懐かしい言い訳だろう。“30分だけ”これは俺の口癖でもあり、俺のじいちゃんの口癖でもあった。

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