森の中の幻
口羽龍
森の中の幻
ここは相松(あいまつ)村。長野県の山間の村だ。ここは古くから林業で栄え、ここで伐採された檜は一級品だ。江戸時代の頃から、ここの檜はとても知られていたが、鉄道が開通すると、木材輸送が活発になり、その檜の質の素晴らしさが全国的に知られるようになった。
夏休み、小学生の渡(わたる)は悩んでいた。自由研究がなかなか進まない。他の宿題は順調に進んでいるが、自由研究が思いつかない。何を題材にしようか。研究して恥ずかしいものであってはならない。そんなプレッシャーもある。
「うーん、自由研究、なかなか進まないなー」
渡は鉛筆を口でくわえ、窓から外を見ていた。窓からの景色は美しい。流れる川が見える。その対岸に、川に並行して道路や鉄道が走っている。とても涼しげな光景だ。これを見てると、夏の暑さをわずかではあるが、忘れる事ができる。
「みんなは進んでるだろうなー」
「渡、どう?」
その声に気づき、渡は振り向いた。母、若菜(わかな)だ。若菜はかき氷を持っている。かき氷には苺のシロップがかかっている。
「なかなか進まないんだよ」
渡は心配げな表情をしている。若菜にはその気持ちがわかる。自由研究はいつの時代も夏休みの宿題の最大の難関だ。自分もなかなか苦労した。
「そっか。大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ」
渡はかき氷を食べ始めた。暑さが一気に吹っ飛ぶ。
と、若菜は何かを思いついた。この辺りに面白い場所があるようだ。そこを進めるようだ。
「じゃあ、檜沢(ひのきさわ)リゾートに行かない?」
檜沢リゾートは、この近くにあるリゾートホテルで、日帰りで楽しめる施設もあるという。相松で生まれ育ったが、渡はその施設の事を全く知らなかった。
「えっ、ここ? 自由研究なのに?」
渡は戸惑った。自由研究なのに、どうしてリゾートに行くんだろう。勉強が第一なのに。
「うん。気晴らしにいいじゃないの?」
「うーん・・・」
渡は戸惑った。このまま勉強を続けるか、それともリゾートに行くか。
と、母が渡の肩を叩いた。突然叩かれて、渡は驚いた。
「疲れてるのよ。行ってみようよ。連れてってやるわ」
「あ、ありがとう・・・」
渡はまだ戸惑っている。本当にいいんだろうか? 自由研究の続きをしなければならないのに。
翌日、2人はバスで檜沢村に向かっていた。檜沢は相松の隣の村だが、ここには鉄道が通っていない。バスで連絡する。年々、ここで暮らす人々は少なくなってきて、現在は高齢者ばかりだ。この村も相松同様、檜で栄えた村で、相松よりも檜の伐採が盛んだという。
「ねぇ、檜沢ってどんな所?」
「ここは古くから林業が盛んで、ここで伐採される檜も相松同様に一級品だと言われているのよ」
若菜は檜沢の出身で、村の事をよく知っている。今でも年末年始になると、檜沢にある実家に帰省するという。その時には、渡も一緒だ。
「そうなんだ」
「今でも林業が盛んなんだけど、やる人が少なくなったの。でも、そこの檜はこの村の誇りなのよ」
昔も今も、檜沢の林業は町の大きな財力だ。だが、高齢化が進み、後継者が現れず、林業を営む人々が少なくなってきたという。
「ふーん」
と、渡はその途中で見つけたトンネルが気になった。そのトンネルは道路用よりも鉄道用よりも小さい。今はもう使われておらず、夏草に埋もれている。何に使われたんだろう。渡は気になった。
「あれ?」
「どうしたの?」
若菜は渡の様子が気になった。あのトンネルを見て、どうしたんだろう。
「何でもないよ」
「そう」
数十分かけて、2人は檜沢リゾートに着いた。山奥だが、そこそこ人がいる。彼らのほとんどは、マイカーでやって来た人々だ。バスでやって来たのは2人だけだ。
「着いたわ」
渡は檜沢リゾートを見渡した。山奥の中に、こんなリゾートがあるなんて、信じられない。だけど、こんな山奥に人が集まっているとは。
「ここ?」
「うん。以前は貯木場だった場所にあるの」
この檜沢リゾートは、檜沢貯木場があった場所に建てられたという。建物の一部は解体されたが、一部の建物は当時をしのばせる資料館などとして保存されている。
「そうなんだ」
「あっち行ってみようよ」
「うん」
2人は檜林の中に入った。檜沢リゾートから少し入ると、このような森林に入る。入ると、なぜか癒される。どうしてだろう。ここの空気で癒されるんだろうか?
「これが檜林?」
「そう」
若菜は森を見渡した。檜はとても高い。空がよく見えないぐらいだ。
「なんだか癒されるねー」
「これが森林浴っていうのよ」
「ふーん」
と、渡は汽笛を聞いた。渡は振り向いたが、何もない。何の汽笛だろう。
「あれ?」
渡は首をかしげた。幻でも見たんだろうか?
「どうしたの?」
「なんか、あっちから汽笛が」
それを聞いて、若菜は何かを思い出した。この道に関する何かを知っているようだ。
「そんなわけないよ。ここには昔、鉄道が走ってたんだけどね」
「えっ、そうなの?」
「うん」
渡は驚いた。渡は森林鉄道の事を全く知らなかった。鉄道には興味がないし、そんなに詳しくない。そんな鉄道があったんだな。だとすると、行く途中で見たトンネルはその跡だろうか?
「資料館があるらしいから、行ってみない?」
「うん」
2人は歩き出した。この辺りはクマが出没するという。2人はクマよけの鈴を鳴らしながら進んでいく。幻を見たのなら、ここは廃線跡だろうか?
「ここをもう少し進むと、機関車が放置されてるのよ」
「本当?」
「うん」
しばらく進むと、そこには機関車がある。その機関車は朽ち果てていて、さびている。何とか原形をとどめているが、もう走ることはないだろう。
「これ?」
「そう。走らなくなってから、ずっとここに放置されてるのよ」
その機関車は、半世紀ぐらい前に廃線になった時に廃車になった。そして、ここにずっと放置されているという。それを見て、若菜は寂しくなった。もう一度、活用できなかったんだろうか?
「そうなんだ」
もうしばらく歩いていると、檜沢リゾートに戻ってきた。その横には、古い建物がある。これが、檜沢森林鉄道資料館だ。ここには、檜沢森林鉄道の歴史や、使われていた鉄道部品が展示してある。
「これが、資料館?」
「うん」
その横には、復元された機関車がある。その機関車は、木材を運ぶ貨車を連結している。機関車も貨車も、JRの機関車より小さい。
「これが、鉄道?」
「うん。小さいでしょ? これは、森林鉄道といって、木材を運ぶための鉄道だったの」
森林鉄道は、木材を運ぶための小さな鉄道で、それを国鉄に運ぶための鉄道だ。旅客輸送もしていたけど、本数は少なく、客車は簡素なものだったという。
「そうなんだ」
渡はその機関車にしばらく見入っていた。鉄道に全く興味がないのに、どうしてこんなに見とれてしまうんだろう。
「渡が見た幻って、これじゃない?」
「そうかもしれない」
と、渡はその奥にある蒸気機関車が気になった。その蒸気機関車は、まるで玉ねぎのような煙突だ。
「これは?」
「開業時に走っていた蒸気機関車」
渡はその蒸気機関車の前にやって来た。その蒸気機関車は、100年以上前に作られたという。
「面白い煙突の形だね」
「火の粉が飛ばないようにこうなってるのよ」
「そうなんだ」
言われてみればそうだ。この辺りは無人の山林だ。こんなところで火の粉が飛んで山火事になったら、消火活動がなかなかできずに、大変だろうな。
と、若菜が指をさした。その先には、トロッコ列車がある。放置されていた機関車とよく似た機関車が屋根付きのトロッコを牽いている。
「ここからトロッコ列車が走ってるんだけど、見ない?」
「うん」
2人はお金を払って、トロッコ列車に乗った。座席は簡易的なもので、全体的にとても素朴な造りだ。
「これが、トロッコ列車?」
「うん。すごいでしょ?」
しばらくすると、トロッコ列車は走り出した。スピードはとてもゆっくりで、景色がよく見える。トロッコ列車は小川に沿って走っていて、とてもいい景色だ。所々にある木の通路を観光客が歩いている。彼らはみんな、楽しそうだ。
「こんな風に走ってたのかな?」
「うん」
渡は思った。こんな風景の中を、森林鉄道は走っていたんだろうか? どんな感じで走っていたんだろう。生で見たかったな。だけど、森林鉄道はもうない。
「いい景色だね」
「そうでしょ?」
トロッコ列車に乗り終えた2人は、檜沢リゾートを後にした。ここに行く予定はなかったけど、とても楽しめた。そして、自由研究のネタも見つかったようだ。
「楽しかった?」
「うん」
渡は決意した。ここを走っていた、檜沢森林鉄道の歴史を自由研究のネタにしてみようかな? そうすれば、みんなに褒められるかもしれない。
森の中の幻 口羽龍 @ryo_kuchiba
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