第37話

「現場付近からの音声を受信。機種はアイコンブレイバー3番機、搭乗者はサイファ:TAE。みんな、タエちゃんから通信よ!」

 オンボード・ステーションに、コーディの声でアナウンスが響き渡った。出撃に備え待機していたナナカが思わず、隣にいるカズヤの幹部スーツの袖をぐっと掴む。

『こちら3番機。伊豆小笠原海溝付近上空を順調に巡航中です。本隊は97番機先行のうえ、間もなく目標地点に到達の見込み……イブキが先に行く。わたしは、その後を追います』

「タエ、私たちも行っていいか」

 タエの報告を聞き終え、カズヤが通信経由で訊ねる。

『うん。あのね、……不思議なくらい、海が静かなの。敵も現れる様子がなくて、逆に警戒してる』

「わかった。潜るときはどうする?」

『機体はGバリケードを張ったまま、海上に停泊させます。私たち2人はね、……実は海の中で呼吸できるし、水圧も平気なの。だから潜水装甲服だけで向かうけど、みんなはちゃんと装備して』

 タエとイブキ、そしてヌウスはDEEPの能力を身につけている。水中での呼吸能力や耐圧など、所謂ハイブリッドが持つ身体特性を彼らも備えているのだ。

「了解だ。そろそろ私たちも向かう。──安全にな」

 カズヤはそう答えると、ほんの少しの間目を伏せた。

 カズヤがあの事故現場で初めてタエと出会ったとき、彼女は通常ならば即死して当然と思しき負傷状況だった。そんなタエの身体へ潜り込み生命を繋いだのは、他ならぬ起源種DEEPの体細胞だったのだ。

 彼ら起源種は、その意思に反して人間界への攻撃に駆り出されていたに違いない。穏やかに暮らし続けたいという望みを人間たちに絶たれ、人間の命令で人間界を破壊する理不尽な行為に加担させられていたのだろう。

 生態系を人間に侵された起源種たちが託した祈りを、おそらく彼女は無意識に背負っている。タエを死なせてはならないという起源種の強い思念が、私はやられない、という彼女の口癖そのものなのだ。

 タエは彼女自身の強い意志と、本来平穏を望む起源種たちの願いの融合体のような存在なのだろう。──ゆえに、彼女は次の世代にその祈りを継ぐときまでは、何が起ころうと死ぬことはない。その彼女と愛し合い、新たな種の創世を叶えるイブキも然りだ。

「タエ」通信の向こうにいるタエに向け、カズヤは万感の心情で呼びかける。

『──はい』

「何ものに出会っても、毅然と対峙しろ。きみが向かう先には、われわれと志を同じくする者も大勢いる」

 タエは少し黙り、幾分安堵を含む口調で答えた。

『──分かっています』




44.  愛の深海(Love, the deep sea)


 薄ら恐ろしさを感じるほど、海は凪いでいる。Gバリケードを張った97番機とヴィオラを洋上に停泊させ、タエとイブキは脱出用の小型艇で海へ下りた。

「私ね、……敵は私たちを潜らせない気がするの」

 タエは水平線に向かい、幾分遠い目をしてそう言う。

「どちらかが有利になる条件は、課さないということか」

 イブキの問いに、タエは頷いて答える。

「そう。私とあなた、そしてヌウスは海底でも生身で戦えるけれど、他のメンバーはそうはいかないでしょ。そんな戦い方は、これまでも敵からは仕掛けて来なかった」

「つまり僕らが潜って行かずとも、やつらは現れる……って言うのか」

「そうよ。私たちが不利になる状況下に誘き寄せるとか、姑息な手で勝とうとする人でなしではないの。私たちの敵は、──やっぱり『人』なんだと思う」

タエの言葉を聞いたイブキは、船上から海底を見下ろす。敵襲の前兆として見える濃い藍色の濁りは見えず、細かな泡も浮かび上がらない。何より、DEEPの気配がないのだ。

「しかし、向こうからは当分来そうにないぞ」

「待っていたほうがいいかも。匂いを感じたら、もう一度乗りましょう」

 2人は辛うじて、自機とのLAGを保っている。搭乗しなければLAGコンプリートには至れないとはいえ、バイザーオンボード且つDEEPの能力を持つ2人だ。自機から数十メートルの距離まで離れなければ、機体との接続を維持することだけは可能になっていた。

「ね、イブキ」

「どうした?」

「私たち、もう人ではなくなったって思っていたの。でも、きっとね。これから、またこの星の『人』になるんだよ。──ゆっくり、ゆっくり時間をかけて」

 タエは言うと、朝陽が反射してキラキラと光る海面を遠くにふと望んだあと、イブキに向け微笑んだ。その笑みに、イブキはこれまでタエが見せたことのない表情を垣間見、思わずドキッとする。

「──タエ」

「ん?」

「綺麗だ」

 タエは、黙ってイブキにまた微笑みかける。そのあとひと息置いてから、イブキの褒め言葉に対し幾分照れた表情に変わった。

「ありがと」

 笑顔が、女神のようだった。タエはこの星の生命を護り、次のフェーズへ踏み出させるための運命を託された、ただ1人の女なのだ。その女神……いや、女王蜂を迷うことなく選んでしまった自分……。イブキは、万感の思いでタエの横顔を言葉もなく見つめた。

「わかるでしょう? ね、だからあなたも……私も決して、やられてはいけないの」

 タエの眼差しに、朝陽よりも強い光が差す。イブキは力強く頷き、タエの手を取った。

「お護りします、われわれの女王……ってとこか」

 そう照れ気味に呟くと、イブキはいつもするようにフッと小さく笑った。そして握ったタエの手を引き、少しだけ強引にその身体を寄せた。

 互いの唇が軽く触れ合い、それぞれの鼓動の高鳴りを感じる。

「愛してる」

「大好きだよ、イブキ」

 朝陽の眩しさに2人が目を細めると同時に、周囲の空気が徐々に変化するのをタエは察知した。

「……イブキ、来る」

「わかった。機体へ急ごう」


 B2ドックのシーフロントゲートを開放するのは、何年ぶりのことだろう。ジョシュアは感慨深げな表情で、朝の光を浴びる1-0の姿を見つめている。

 1-0には、ヌウスとミヅホの2名が乗る。ヌウスは目を閉じ、心を鎮めて1-0とのLAGに備えていた。

「ぶっつけ本番でいいのか、744」ジョシュアが訊く。

「その方がいいよ。沢山訓練したからって、上手く乗っかれるようなものでもない。この子は、初対面の印象も最高だ。いける、大丈夫」ヌウスがそう答える。

「カズヤたちが一足先に、現場へ向かってる。きみが飛んでいくのを、心待ちにしているはずだ」

「ナナカちゃんと一緒かな……」

「いや。ナナカはユージと前衛を組んでる。カズヤはシュウとリオナのさらに後方で指揮モードに着いているよ」

「わかった、ありがとう」ヌウスは目を開けると、視線を前に向けた。

 生まれて初めて、愛しい、好きだ、優しくしたいと思ったあの子の笑顔を思い描く。その笑顔が綻び、輝きに包まれていったその次の瞬間。

 ヌウスの目の前に、光の河のような回路の束が出現した。

「ジョシュア、母さん。──乗れる!」

 力強く言うヌウスの後ろで、ミヅホが息を呑んだ。ガタンと音を立て、純白の美しい機体の両脚部が駐機ベースを蹴る。機体頭部のEヴィサージュに浮かび上がった貌の造形に、ジョシュアは目を見張った。

「ミヅホ……!」

 この機体に繰り返し乗っていた若き日のミヅホの容貌が、そのまま投影されている。その焦茶の瞳は艶かしい輝きを帯び、めざす一点を真っ直ぐに見つめていた。

「あいつを、……大楠のことを愛している眼……」

 ジョシュアはそう独り言ちると、飛び立つ1-0を見上げたまま硬く冷たい床に座り込んだ。

──きみは往くんだな、ミヅホ。愛した男のもとへ、還らぬ覚悟で……。


「S2および1番機。3番機たちの状況はどうだ?」

 カズヤの声で通信が入った。タエたちが先行する現場へ向かうユージとナナカは、ようやく彼らの姿を目にできる場所まで到達したところだ。先にタエたちの戦いぶりを見たユージが、思わず声をあげる。

「こちらS2、前方正面に3番機と97番機を確認。──あいつら、めちゃ強えっす!」

 イブキの97番機が前方でGバリケードを駆使し、相手の攻めをブロックする。その攻防の間隙を衝き、タエのヴィオラが火器武装で敵機を怯ませ、リバースGハープーンで止めを刺し攻め墜す。初めて見る彼らの超絶的なコンビネーションに、ナナカは驚いていた。

「こちら1番機。……びっくりです。タエちゃんたち、あんなに鮮やかに攻撃に出られるなんて」

 ナナカが感慨深げに言うと、カズヤは少し間を置いて答える。

「私は訓練で今の彼らの強さは確認しているが、……2人があのテンションで戦い続けるとなると、長時間は持たない。援護も必要だ、できるだけ早く助けに入ってやれ」

「了解っす!」ユージが応答し、一気に加速してタエたちのもとへ向かう。ナナカも、躊躇なくそれを追った。その後方から更に追う、リオナとシュウも続く。

「さ。僕らも、いいとこ見せなくちゃ」シュウが、少し茶目っ気混じりに言う。リオナは普段のシュウなら言いそうにない、その一言に思わず笑いを堪えた。

「どーしちゃったの? シュウ。それ、本来あたしが言う台詞じゃない?」

「一度、言ってみたかったんだよね。リオナちゃんが、よくこんなこと言っててかっこよかったから」

「へ〜。こんな気忙しいときに上手いこと言ったって、何も出ないんだからね!」

「別にいーよ。さ、数撃つのが僕らの役目だ! 遊撃戦に備えて、ユージたちの後方を張っておこう」

 リオナは前のめりにならないシュウに、初めて物足りなさではなく頼もしさを感じていた。ユージやイブキに対し、つねに参謀役に徹する彼のスタンスを自身も学びたいと、素直に思ったのだ。


 味方たちの援護を得られれば、まだまだ戦える。イブキはそんな手応えを得られつつあったが、ひとつだけうっすらとした不安を感じていた。

 先頭で脇目も振らずに敵と相対し続けている、タエのことだ。

 どんな戦闘でも、いちばん前に立つ者がもっとも不利になるものだ。タエは率先してその役目を引き受け、十二分な働きを見せてくれてはいる。

 ただ、──。

 イブキは、3番機ヴィオラのEヴィサージュを注意深く目で追う。投影され続ける美しい眼差しの奥深くに、あの鋭い紫の光が時折差しているのだった。

 あれは彼女に潜む、とても真っ直ぐで純粋な怒りと憎悪の炎なのだろう。思えばDEEPに捕われた彼女が怒りの感情を極限まで現したとき、全身は鈍い色に包まれ、瞳はあの紫色に染められていた。

 タエのあの姿を目の当たりにしたのは、現状イブキただ1人しか居ない。彼女自身すら気づいていない、その内面の激しさを他に誰かが察しているなら、ジョシュアくらいだろう。

 彼女に宿ったDEEPのミームらしきものは、人為的に進化を強いられる以前の起源種のそれだ。この戦闘でタエの心が憎悪に傾いてしまったら、そのときのタエを自分は制御できるのだろうか。

 ひと呼吸置いて、先頭で気鋭を吐くタエを追う。彼女を愛したことで、イブキ自身にも起源種DEEPの遺れる意思が分かたれたとしたら──。

 イブキは思う。妻で相棒でもあり、そして宇宙でただ1人の同胞となった女。彼女を救うべきときが来たら、そのときは愛にのみ従おうと。

 たとえその答えが、共に闇の底へ墜ちる道を選ぶことだったとしても。

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