第36話

 ヌウスは、タエとともに保護室にいた50番捕虜を訪ねた経緯と、その一部始終をナナカたちへ話した。

「ああ私、何してんだろ……。49番のときも、50番も……ね。どんだけの因縁を掘り起こしてるのかな、私のGウェブって」

 ナナカは溜め息をついて、テーブルに突っ伏す。49番の捕虜はここで力尽きて死んだユタカ、50番はあろうことかリリコだったのだ。

「いやナナカのせいじゃねえって。愚痴るなよ、文句だったらDEEPに言えばいい」

 ユージの口からDEEPの名を聞き、ナナカは忽ちしょげた表情になる。

「DEEPの戦闘員、いや、幹部かも……そんな風になってたんだね、リリコちゃん。二度と会えないって言われた意味が分からなかったけど、そっか……これで分かった。本当に、もう会えなくなったんだ……」

「そうとは限らないと思うよ、ナナカちゃん」

 その声にナナカは顔を上げると、微笑むヌウスの姿があった。

「そうかな……ヌウスには、それがわかる?」

「推測だけどね。彼女はさ、多分ハイブリッドじゃないんだ……僕と同じで。生物学的な種でいえば、タエちゃんやイブキとも同じだよ」

「人間とハイブリッドの狭間の存在……ってやつ?」

「そう。DEEPがもつ能力的特性を持ち合わせていながら、性格的なものは人間と変わりない。ただ、僕とあの子は人として生きてた頃の記憶を封じられてる。タエちゃんやイブキとは、そこが違ってる」

 49番ことユタカは、命を失う直前に一瞬だけ過去の自分の人格を取り戻していた。ハイブリッドになると、たぶんDEEPとしての新たな性格特性が脳に上書きされるのだろう。ただし過去の人格も完全には消滅せず、霊魂のように残存していたのかもしれない。

 その反面、ヌウスやリリコの性格特性自体は人間のままなのだ。そして過去の記憶にモザイクやゴーストのような加工が施され、単にマスキングされた状態であるに過ぎないのだろう。

「それじゃリリコちゃんだけじゃなくて、あなたも──『元の人格』に戻れる可能性があるの?」

「ジョシュアが、理論上はできるはずだって言ってた」

 そこまでヌウスが話し終えたタイミングで、背後からジョシュア本人が現れた。

「その通り。パシフィサイトの磁性を、反力的に利用すればできる。ただし合金ではだめだ。純度がおそろしく高い精製金属が必要になってくる」

「ジョシュア!」ナナカが驚いて振り向き、呼びかける。その後ろにはタエとイブキ、そして彼らを呼びに行ったシュウの姿もあった。

「ナナカ、きみにも話したはずだ。タエちゃんや744は、パシフィサイトの磁性に個の人格を護られた存在だと。──おそらくは、50番捕虜に関しても同じなのだろう」

「ねえジョシュア、リリコちゃん……いえ、50番捕虜は、本来ならば元の人格のまま生きられたということ? それなのに、DEEPに無理やり記憶を改変されたと考えていいの?」

 ナナカの問いに、黙ってジョシュアは頷いた。そこに被せるように、ジョシュアの後ろにいるタエがやにわに口を開く。

「ナナカちゃん……。私、行こうと思うの。イブキと一緒に、DEEPの巣へ」

「それ、攻められる前に攻め込むってこと? だとしたら、防衛班の職務の範疇から逸脱する行為なんじゃないの?」

 ナナカが真剣な表情でそう言うと、イブキが溜め息交じりに少し目を細めて微笑む。

「おいおい1番機、この前も釘を刺しただろう? きみは本当にクソみたいに真面目で、ついでに頭が堅いな」

 イブキの言葉に不満そうな表情になり、口を尖らすナナカを窘めるようにジョシュアが言葉を挟む。

「まあまあ。僕にも勇み足があってな。実はタエちゃんが、DEEP憎しで独断専行することを危惧してた。──イブキ、きみも不安に思っていたんだろ?」

 言い終えて、ジョシュアがイブキの方をちらりと見る。微かに頷くイブキを、タエは苦笑いしながら肘で小突いた。

「でも、この子は……タエちゃんは、イブキと2人できちんと僕のもとへ相談に来てくれたんだよ。DEEPの巣で何が起こっているのか知りたい、そして744や50番捕虜の心を救う手立てを知りたいと」

 ジョシュアがそこまで言ったところで、ヌウスがすっと前に出てイブキたちの隣に立つ。

「僕も行く。ただし僕はレディバグS0.5ではなく、1-0に搭乗する」

 そう言い放ったヌウスの顔を、ジョシュアが目を丸くして見た。既にヌウスはジョシュアの背丈を追い越し、その目線は自然と見上げるような格好になっている。

「ねえジョシュア。僕と1-0のどっちも、存在そのものがスーパーレギュレーションなんだろ? つまり、超規矩司令を出すまでもないってことだよね」

「しかし744、1-0ときみがLAGできるのか? きみが心の内にさまざまな感情を秘めているのは、僕も知っている。だがそうは言っても、あくまで16歳の少年だ」

「大丈夫、絶対に乗れる。僕に賭けてよ、ジョシュア。タエちゃんが奇跡を起こしたように、僕だってやれると思うんだ」

 ヌウスは真っ直ぐな強い目で、ジョシュアを見つめた。ジョシュアはその表情に浮かんだ迷いをすぐに振り切り、力強く頷く。

「……わかった、1-0なら調整済みだ。きみがLAGさえ可能なら、すぐに出撃できる」

 ヌウスがたちまち無邪気な笑みを浮かべたそのとき、オンボード・ステーションのセキュリティゲートが静かに開いた。そこから現れた人影に向かって、真っ先に声を上げたのはナナカだ。

「カズヤ!」

 カズヤはナナカにそう呼ばれ、黙って彼女へ微笑みかける。既に2人の事情をよく知っているイブキとタエ、そしてリオナがニヤリと笑った。

「ジョシュアに呼ばれて来た。遅くなったのは、おまえたちに会わせたい人物をもう1人連れてきたからだ」

 言い終えたカズヤは背後を振り返ると、開いたままのゲートの向こうを見て手招きした。入室してきたのは、長身痩躯でとても美しい顔立ちの男だ。

「岸川くん!?」と、またナナカが声を上げる。男は当然のように、そう呼ばれても心当たりがなく所在なさげな表情のままだった。

「彼が、ナナカによって捕捉された51番捕虜だ。いったん逃走を図ったが、ここへ戻って駐機ドックのバックヤードに隠れていたところを私が見つけた」

 バックヤードと聞き、イブキとタエは顔を見合わせ頬を赤らめる。かつて片思いしていたイブキが、よく偶然を装いタエを待った場所だったからだ。

「その男、何故戻ってきたんスかね?」

 ユージのその問いに、カズヤは少し得意げな表情になって答える。

「彼もハイブリッドの振りをしていたが、本当は744たちのように人間に近い存在だ。ゆえに、言葉が通じる。ここで感じた50番捕虜の気配が訳もなく気がかりになって、逃げ帰れなかったと話してくれた」

 かつての岸川とリリコをよく知っているナナカが、それを聞きパッと笑顔になった。

「リリコちゃ……いえ、50番捕虜も、その人も……。きっと、人間界に置き忘れた何らかの感情に薄々勘づいているの。たぶん、お互いに関する──。ねえカズヤ、その人を50番捕虜に会わせてあげて」

 カズヤは頷き、また得意そうな笑顔を見せる。

「その算段は整っている。──あとはジョシュアが、彼らを元の人格へ戻す手立てを解明できれば、2人の捕虜はかつての2人に戻れる」

 それを聞いたシュウとリオナは、思わず手を取り合って笑い合ったあと、我に返って互いの手を払う。その様子を見ていたタエが、いつもはリオナがするようにヒュッと口笛を吹いた。


「なぜ、1-0を武装主体のアイコンブレイバーに改悪してまでブラッシュアップと調整を?」

 若いクルーたちがステーションから持ち場へ帰っていった後、カズヤがそうジョシュアに訊く。ジョシュアは窓の外に目を遣り、遠い視線を向けながら薄笑いを浮かべた。

「ミヅホが再びあれに乗る日を、ずっと夢見ていた。それが僕にとって、世界で1番美しい光景だと信じていたからさ……。そして僕が想いを寄せたのは図らずも、あいつを愛している眼をした彼女だったんだ」

「でも、ミヅホが育てた子が乗るんです。あなたの恋は理不尽なものだったかもしれないけれど、素晴らしい巡り合わせを齎してくれました」

「気恥ずかしくなるようなことを、サラッと言うんだな。……ナナカをこの組織に連れてきて良かった。彼女がきみを見る眼は、あいつを見ていたミヅホの眼にそっくりだ」

 ジョシュアの言葉にカズヤは少し黙り、そして幾分声を抑えながら答える。

「ナナカは、私にとってもやはりアイドルなんですよ。どんなに魅力的でも、軽率に自分のものにしようとはちょっと思えません」

「何を言うと思ったら。彼女をあんなに綺麗にしたのは、きみだぞ。カズヤ、きみは無自覚が過ぎる……薄々思っていたが、そういうのを『天然』って言うんじゃないか」

「え、ええ……?」

 戸惑うカズヤの顔を覗き込み、ジョシュアは満面の嫌らしい笑顔を大袈裟に作って向ける。

「タエちゃんは、よく出来た妹だな……。このスットコドッコイな兄貴を、よく許してるもんだ」

「何とでも言ってください」




43.  水面 (Surface)


 朝焼けの色に染まりつつある太平洋の海面を掠めるように翔ぶ97番機の、すぐ後方をヴィオラが追う。

「タエ、緊張していないか」

「大丈夫。今のところは……。でも、私に何か不穏な兆候を感じたら、あなたがすぐに止めて」

 2人と2機は、“DEEPの巣”と呼んでいる敵の本拠に向かっている。そして、タエが通信に載せた言葉の本当の意味を、イブキは分かっていた。DEEPへの憎しみで感情を抑えられなくなったときは、命を奪ってでも阻止してほしいということなのだろう。イブキは返答せず、黙って前方に広がる地球上で最も大きな海原を見つめた。

 匂いを嗅ぐようにDEEPの巣の在処を察知できるのは、敵の気配を感じられるタエ、イブキ、ヌウスの3人だけだ。クルー以外を含めるなら、漂着者として保護されているリリコと岸川の2人もそうだろう。

「ヌウスは、後から追ってくるのか?」イブキがそう訊く。

「うん、その予定。1-0にLAGできれば、の話だけど」タエが答える。イブキがフッと笑みを漏らすときの吐息が、通信を介してタエの耳をくすぐった。

「あいつなら、余裕でやるだろ」


「リリコと岸川……あの2人に、レディバグS0.5を!?」

 シュウが、素っ頓狂な声をあげる。目の前のリオナは、ただただニコニコして動揺すらしない。

「うん。ヌウスが1-0に乗るなら、空いた機体になるからね。2名が横並びで搭乗できるのはレディバグだけだし、ヌウスとタエちゃんが2人で動かせたんだよ。リリコと岸川も、理論上は同じことができるはず」

「しかし、彼らは敵兵だろ。自由にしたら、向こうへ逃げ帰るんじゃないか」

「ジョシュアはその可能性も織り込んでるよ。それも含めて、2人に選択を任せたんじゃないかな」

 リオナはあっけらかんとそう言った。シュウは、腑に落ちたような落ちないような複雑な表情のまま言葉を返す。

「……まあ、27エキップの登録機体は味方機を攻撃できないからな。逃げるか、ここに残るかの選択しかないわけだ」

 シュウがそう言うとおり、27エキップの登録機体には友軍相撃を回避するための安全装置が実装される。搭乗者トークンに内蔵されたチップをセンサーで読み取り、攻撃目標として認識させない仕組みになっているのだ。

 ちなみに味方機同士でも、Gウェブでの捕捉だけは可能となっている。現にナナカの初戦において、またカズヤとヌウスのペア出撃でも味方機の捕捉が行われた。

「ううん、選択肢はそれだけじゃないよ」

 リオナは得意げに言って、ニヤリと笑う。

「……他にもあると?」

「彼らが、あたしたちと共闘すんの」

「出来すぎだろ」

「そうでもないよ。──これ見て」

 リオナはオンボードスーツのポケットからクルー・タリスマンを取り出すと、映像データを呼び出して廊下の壁に投影する。

「──皆見莉々子……」

 皆見莉々子=リリコが、アイドルとして握手会やミニライブを行っていたころの映像だった。

「そう。カズヤがさっき、トップの3人にこのデータを共有してくれた。これ、51番捕虜の……岸川の所持品から出てきたんだって。ここまで言ったら納得する?」

「これを? 岸川が持ってたのか?」

 リオナは満面の笑顔で、大きく頷いた。

「岸川はDEEPの兵士になって記憶を消されてからは、この映像を見ることってなかったんだと思う。向こうには、多分再生デバイスもないし。でも、人間だった頃の持ち物のなかで、これだけは強制廃棄から逃れるべく今まで隠し持ってた、ってことでしょ」

「すべて忘れてしまったのに、記憶の痕跡を匂わすものだけは訳もなく大切に持ってた……。そういうことか」

 大きく目を見開いたリオナが、シュウに目一杯顔を近づけて言う。

「彼らがこれからどう動くのかは、さしずめジョシュアの頑張りしだい……ってとこじゃない?」

「ち、近いよ、リオナちゃん」

「あ、ごめん。さ、あたしたちも行かないとね。タエちゃんたちから先方の状況の連絡がありしだい、総員で後方支援でしょ?」

 リオナがそう言って振り返ると、シュウは少し離れたところからオンボードスーツ姿のリオナにまじまじと見入っていた。

「──ちょっと、なに?」

「いや、……スタイルいいな、って思って」

「そりゃどうも。──ま、あたしの取り柄なんて外見くらいだし。そこを認めてもらえなきゃ、あたしなんて居場所すらなくなっちゃうものね」

 半ば自嘲的にリオナがそう答えると、シュウは少し口を噤んで俄に不満げな表情になった。

「──今度はなによ」

 リオナが尋ねたが、シュウはすぐに言葉を返さずまた口を尖らせる。そして少しだけ間を置き、尖らせたままの口を小さくゆっくりと開いた。

「僕は、──きみのこと、最高の仲間だと思ってる」

 思いがけないシュウの言葉にリオナは驚いて一歩引くと、動揺を隠せない様子で言い返す。

「あんたね、お世辞にしても白々しいと思わないの!? 子供の頃からずっと男子にも怖がられてて、妹をいじめる奴と喧嘩すれば負けたことなくて……。そのうえ今だって、女の子のことばかり好きになる──あたし、そんな変な子だよ!?」

「変じゃないよ!!」

 豆鉄砲を食らったような顔になったリオナを、シュウはただただ真っ直ぐな目で見つめている。リオナは首を何度もぶるぶると横に振り、両手を拳にして下に向けながら言葉を搾り出す。

「ああ、……もう、やりにくい!! やりにくいけど、話してると楽なんだよシュウは! ちょっと、もう、意味わかんなくてウケるんだけど!」

 シュウは上目遣いになって、してやったりという表情をみせつつニヤッと笑顔になる。

「何があったって、僕がちゃんときみをフォローしてやるよ。異性の『好き』同士になるのは無理でも、誰よりも強い味方にはなれるだろ?」

 リオナは顔を真っ赤にしながら、下を向いて小声で答える。

「……あたし、たぶん細々したミスしちゃうよ。こんなあたしのために、あんま無茶すんじゃないわよ」

 シュウは答えず、黙って笑顔で右手の親指を立てて見せた。

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