エピローグ――そして真相
季節はめぐり、四月を過ぎたころ。
雪上は九曜とかねてから来てみたかった、八重本町に現存した、監獄の歴史が詰め込まれた場所である八重本町博物館に来ていた。
訪れたくても来ることが出来なかったのは、冬の間は休業していたからだ。桜の花はもう散り散りになっている。いつもならまだ咲いているころだろうと思ったが、今年はずいぶん早いらしかった。
ようやく、春を迎え開館となり、二人で予定を合わせ博物館を訪れていた。
待ち合わせた時間に来た九曜はいつもと変りなく、今日は安定の作務衣姿だったが、口数が少ないのでどうもペースが惑わされる。
月澄圭祐が亡くなったのだ。
彼は自らの動画アカウントでライブ配信をしながらマンション如月から飛び降り自殺を図った。
現在、動画は見られない様になっており、雪上も九曜も実際の動画は見ていないが、センセーショナルな話題となり、ニュースでも大々的に取り上げられた。そこで月澄圭祐の名前が出ていたので、そこから彼の死について知ったのだ。
彼の自殺の原因については様々な憶測が飛び交っていた。彼はそのライブ配信の中で『自らが殺人鬼である』と叫んでいたらしいのだが、その裏付けや根拠は一切ない。
警察では、家族や近しいの人の死が重なり、彼の精神が破綻。なかば発狂した状態で死に至ったのではないかと、見解を述べている。
――自分たちの行動が彼を追い詰め死を自殺と言う行動を選択させてしまったのではないか。
そんな考えが脳裏をよぎる。いや、九曜と雪上はただ、富本司のノートを見つけただけで、それについて月澄圭祐に意見を求めていただけだ。
――それだけでも、彼を死に追いやる理由は十分じゃないか。
そんな声が聞こえてきそうなもので、雪上は固く両耳を塞ぐ。
九曜とは、月澄圭祐の事について、ただ彼が亡くなったという事実を共有するだけで、それ以上の話はしなかった。そもそも二回生になり、シラバスや授業選択の申請やらで、バタバタと忙しかった。
授業後に顔を合わせることはもちろんあったが、ほとんどが今年度のフィールドワークの予定の打ち合わせとか、資料を検索したり、長い休み明けの様々な対応に追われていたので、気にする余裕がなかったというのは言い訳だろうか。いや、多分、思いだしたくなかった。
忙しさに気持ちを紛らわせたかっただけなのだと思う。それでも自分の中でこの一連の事についてどこかで幕引きをする必要があって、それで、九曜と二人で今日、八重本町博物館に来た。
ここに来ると否応なしに、どうしても色々な事がフラッシュバックする。
月澄圭祐が自殺を図ったというマンションも目と鼻の先にある。
雪上は、ネットで月澄圭祐の自殺について言及しているページを見たのだが、気になることがあった。どのWEBページでも彼が死ぬ直前、赤い文字で『さようなら』とテロップが画面に一瞬現れたらしい。嘘かほんとうか、今となってはわからないが、そのコメントを見た時に、背筋がぞっと凍った。
「この建物は当時からある建物の様だ」
九曜の言葉に現実に引き戻される。こげ茶色の、木造建築。入り口の間口は大きく開かれているが、経年劣化によるものか、階段の石は歪み崩れている箇所が見られる。柱には”旧監獄本庁舎”と看板がある。口数が少ないながらも、九曜は興味を惹かれると言った具合にまじまじと博物館の建物外観を眺めている。
「そうなんですね」
雪上はスマホを取り出して、気の向くままに建物を撮影した。
今回この博物館を訪れた目的の一つが、富本司が敬愛したという神園直宮の画を見ることである。
彼は監獄に収監された後も絵を描き続けており、描いた絵は地元の住民に配り、その地元住民の方が、この博物館に寄贈したという経緯があるようだ。
彼が生きていたのは明治の時代。当時の資料は大戦もあったことからほとんど残っていない。
残っているのは、当時の人々が証言した記録を集めた資料と残された彼の絵のみである。
『神園直宮さんは優しい人で、あんな人がどうして監獄なんかに入っているのか全く理解できない』
なんの資料だったか忘れたが、他の資料を集めていた時にたまたたま目に止まった資料からひろったものだ。
年季ですり減った石段を上がり、中の木製の開き戸を開ける。
心なしか陰鬱で肌寒い印象だ。
入ってすぐ右手に受付があって、年配の女性がちょこんと座っており、目が合おうとどちらともなく小さく会釈をした。
「大人、二人」
九曜がそう言うと、入館料は一人五百円だと言った。
普段現金を持ち歩かない雪上だが、今日は小銭を備えてきている。バックパックの小さなポケットに手を忍ばせ、コインケースを取り出すと、自分の分の入館料を支払った。
「どうぞ」
受付の女性は入場券と博物館の簡単なパンフレットを差し出すと、
「あちらからまわってください。ごゆっくり」
女性の後ろ側を指示した。その辺りには順路とかかれた矢印を見つけたので、九曜と雪上は礼を言って、その通りに進んだ。
受付の後ろ、奥の方に進み小さな部屋に入る。板張りの床は歩く度にきしむ音を響かせる。
部屋は先程の受付よりも薄暗くなっていた。
壁にはパネルで当時の監獄が出来た経緯などが書かれており、部屋の真ん中にはジオラマで、監獄の全容がしめされていた。雪上は、くまなくそのジオラマを見ていたが、処刑所と書かれるような場所は見当たらない。
館内は撮影禁止とあり、残念に思いながら、ゆらゆらと眺めていたが、いまいち内容が頭の中に入ってこなかい。それよりも、神園直宮の本物の絵は一体どんなものなのだろうか。そちらの期待感の方が胸を閉めている。
九曜は雪上とは異なるらしく、ずいぶん熱心にパネルと眺めていた。
そんな九曜を待ちながら、次の展示室に向かう。
当時執務室として使われていた部屋のようで、窓があり、他に比べて明るい印象を持った。応接室のソファーや、執務机が展示されている。
そこはさらりと見て、次の部屋に進むと、ようやく当日の監獄で実際に使用されていた道具や囚人服などが展示されている。
二階へ続く階段があり、もしかしたら二階にも展示品があるのだろうかと上ってみる。石で出来たらせん階段に、明るいステンドグラスが輝く。階段を上がると、長い廊下が左右に横たわり、部屋の前に展示室と書かれそれぞれ部屋に番号が振られている。
覗いてみると、フリーの展示スペースとして活用されているようで、様々なアーティストの絵や作品の個展が開かれていた。歴史を伝える博物館としてだけではなく、現代の若いアーティストの応援も行っているらしい。
手前の部屋では風景を撮影した写真が展示されており、その次の部屋では書と花が飾られている。部屋の真ん中で、老人と若い男性が差し向いに座ってなにやら話込んでいる。
次の部屋では、住宅街の一角など、何も変哲もない風景を油彩画で描いた作品たちが展示されており、可愛らしいと思ったのは、その風景の中に居ぬと子供が登場人物として描かれていることだ。作者の意図だろう。とても微笑ましくほっとした気持ちになる。
しかし、雪上が探しているのはこの絵ではない。気を取り直し、二階には無さそうだと言うことで、再度らせん階段で一階に降りる。
先ほどは気が付かなったが、階段の壁にはこの博物館に至る経緯の説明書きがあり、軽快に階段を下りながら、横目にそれを見た。
建物の入り口には、当時の日本政府の威厳を示した、紋が飾られているのだそう。先ほどは見忘れてしまったので、建物を出る時に確認できればと思う。
一階の順路に戻ると、なにかに引き寄せられるように足が進み、ガラスの向こうに飾られた掛け軸に向かう。
「ああ、これが」
思わずそう声が漏れてしまったのは仕方がないだろう。
下にある説明書きを読まなくともすぐにわかった。
これが神園直宮の描いた絵。
富本司がスケッチブックに模写をしていた、その原画である。
ガツンと頭を殴られ、ずきずきと痛みがともなうような強い衝撃があった。
美しいが怖い。
幻想的だが妙なリアルがある。
描かれているのは天女なのだが、表情の輪郭や所々、節々に人としての生々しさがある。
誰かをモデルにして描いたのかもしれない。そう思った。
神園直宮の作品はそれだけではなく、他にも一輪の菊や、竹などの植物と合わせて漢文を描いたものがあった。
非常に学びが深い人だったのだろう。作品から神園直宮という人物の人柄が伝わって来る。
そして、その作品の並びの一番最後になぜか『芹と女性』と、赤い文字で描かれ、髪の長い女性の後ろ姿が描かれている。
後ろから人の気配がして思わず振り返ると、九曜だった。
「神園直宮という人にももしかしたら、誰か想う女性がいたのかもしれない」
「そうですね」
自身は獄中にいる身分で、その女性との未来は絶たれてしまったも同然。
想いを秘めながら、それでもあふれた感情を絵に表現して、そのままひっそりと死を迎えたのだろうか。
「富本司氏は自殺だったのですね」
雪上は九曜に、自分自身に念を押すようにそう言葉しにした。
圭祐は、自身が死を迎える直前、ライブ配信の動画の中で、自身の母親と昔の恋人を死に追いやったのは自分だと叫んでいたのだという。しかし、富本司については何も言わなかった。
「恐らく。富本氏の母親もきっとそうなのだろう」
そう言っても、マンション如月でそう立て続けに人の死が起こるのやはり不可解だと思わずにはいられない。
「確かに自殺なのだ。だけど、白根ゆりさんの死、以外はとある外的要因がある」
「え?」
重々しい九曜の言葉に、疑問をなげかけようとする前に九曜が話を続けた。
「つまり、月澄圭祐さん、お母様の洋子さん、そして富本司氏と彼の母親の死は、自殺であって自殺ではない。そうですね? 白根さん――」
九曜は廊下の突き当りの方を見た。反射的に雪上もそちらを見る。誰もいないと思っていたのだが、そこにいたのは、
「貴女はあの時の」
初めてマンション如月に行った時に、マンションのことを細々と説明してくれたあの老婦人だ。
見知らぬ雪上達にコーヒーをごちそうしてくれた。あの優しそうな表情はどこへ行ったのか。突き当りの壁に設置されたベンチに座り、むっとした表情を浮かべている。
「アンタかね? 私をこんな忌々しい手紙で呼び出したのは」
老婦人はいらいらとした様子でぐしゃりと手紙を握りしめる。
「初めてお会いした時に、どちらのお部屋にお住まいか、目視で確認させていただいたので。ポストにお手紙を投函させていただいたのです。月澄圭祐氏が亡くなって良かったと思っていますか? 白根節子さん」
九曜は老婦人の事を”白根”と呼んでいる。つまり……
「あの子を死に追いやった。あの男。憎んでも憎みきれないね。なんであの子が死ななければならなかったのか」
地獄の底から湧き出た様な低くしわがれた声が響く。
「貴女が、月澄圭祐さんを含め、皆を死に追いやったのでは?」
九曜の冷静な言葉に、白根老婦人は「はっ」と、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「死に追いやったもなにも、私みたいな高齢者に何が出来るって言うんだい」
「月澄圭祐さんと、取っ組み合いのやり合いになれば、確かに年齢、体格差でもちろん敵わないでしょう。しかし、彼を精神的に追い詰めることは、貴女にも出来たことです」
「アンタは、何から何まで知った様な口を聞いているけど、一体何を?」
「貴女は、自分の気に入らない事があると、匿名でその人に手紙を書いていました。赤インキを使って」
九曜はバックの中から、一通の手紙を取り出す。
便箋には『私は知っている。お前があの子を死に追いやったんだ』と、おどろおどろしい文字で書かれていた。
白根老婦人は、ふいっと顔を背ける。
「これは、月澄圭祐さんのマンションのクローゼットの中で見つけました。月澄洋子さんが亡くなった時も、自宅のゴミ箱からくしゃくしゃになった赤インキでかかれた【死ぬべきだ】とかかれた文章が見つかったと聞いています。それも貴女が書いたものだ。貴女は、こうやって赤インキで書いた手紙を気に入らない住人のポストにどんどん押し込んで行った。こんな手紙を何通をもらって、精神的におかしくならない人がいないと思いますか? 誰だってノイローゼになります」
つまり、九曜が言っているのは、現在WEBで問題になっている、匿名の誹謗中傷の書き込みの、原始的なやり口だと。そう指摘しているのだろうと雪上は理解する。九曜はさらに言葉を続けた。
「最初、このマンションのエントランスでお見掛けした時、とても優しくておしゃべり好きで人のいい、ご婦人だとそんな印象を持ちました。でも貴女は本当は、非常に好き嫌いのはっきりとした、女性だ。自分が嫌いだと思った、人やモノにはとことん攻撃していく。しかし、一見誰にもわからない。温厚が白根さんがそんな事をしていたなんて普通なら気が付かないだろう」
白根老婦人はにっと笑みを強めた。
「簡単だった。最近の人は、とても繊細な部分があるみたいでね。ちょっと、悪口をかいた手紙をポストに数通入れておくだけで、数日たつとみるみるうちに様相が変わっていくんだ。でも、私は何も悪いことなんかしちゃいないよ。ただ、その人が悪いと思った点に関して、指摘の意味をこめてちょっと手紙を送ってやるだけさ。最初は、隣人トラブルだった。あまりにも、うるさいから、ちょっと大きい声で話していた内容をそのまま、手紙に書き綴って、ポストに入れてやったんだ。そしたら、逆に私の方に助けを求めてくる始末。なんて情けないんだと思ったね。その、月澄圭祐も一緒。私の孫と恋人関係になって、孫は真剣に彼のことを愛していた。でも彼にとっては孫は大勢の内の一人だったんだろう。だから、納得がいかなくてね、思ったことを綴って、ポストに投函してやった。孫が死んだのはアンタのせいだと。そしたら、月澄圭祐の部屋には、もう一人、画家が住んでいたらしくて、そいつが自殺した。あたしは知らんよ。その画家宛に送った訳じゃないからね。でも、月澄圭祐はぴんぴんしてる。だから永遠と手紙を送り続けた。そしたら、次に、画家の母親が死んだ。そして、ようやく……でも、アタシはなんにもしていない。ただ、赤い文字で書かれた手紙を送っていただけなんだからね。それでアンタは私をこんな手紙で呼び出して、一体なんの罪をきせようと言うんだい」
白根夫人は、ぷいっと顔を背ける
「僕らが貴女を罪に問う事は出来ません。貴女がしたことは、ただ、赤いインキで書いた紙を、僕が知る限り、富本司、月澄圭祐。この二人が住んでいた家のポストに投函し続けただけだ。だけど、彼らの母親がその家に出入りしていたので、赤い文字で書かれた手紙を」
「じゃあ、名誉棄損で訴えるかい? そんなの無理だね。別に私は悪口や嘘を言っている訳じゃない。事実をそのまま書いているだけなんだから。それに、なんだい。あんたが私を告訴しようって言うのかい?」
「この赤い文字で書くアイディアを思いついたのは、八重本町に伝わる、赤い文字と言う民話からですか?」
九曜がいきなり話題を切り替えたので、白根老婦人は訝し気に、人睨みした後、警戒心を緩めない口調で、
「ああ、そうだよ。そう言った話は死んだ亭主から時々聞いてね」
「白根ゆりさんとは、一緒に住まわれていたのですか?」
「ああ。彼女の両親は、あの子が小さい時に不幸な事故で……両親の愛情を知らずに育って来たんだ。でもあの子にはお母さんとお父さんはあの子のことをちゃんと愛していたという事実を伝えたいと思ってね。二人はゆりのことを聖女の様に愛していたと。そう伝えて言い聞かせて、育てた。それなのに、……あんなにあっけなく逝ってしまうとはね。もう用事は済んだかい? それから、言っておくけど、確かにあの男が住んでいた家に手紙を匿名で投函したのは認めるよ。でも私もさすがにここ十年ずっとしちていた訳じゃない。画家とその母親が亡くなって、流石に思うことがあった。それからは前をみようと思っていたのだが、先日、お二人が尋ねてきて。ゆりの名前を聞いたときにやっぱり許せないとそう思ってしまってね。だから、最近二人が自殺を図ったきっかけを作ったのはあんたたちだよ」
その言葉に、雪上は声が出なかった。九曜も何も言わなかった。
白根老婦人は二人の反応に満足したのか、ニッと人の悪い笑みを浮かべ、
「私は行くよ」
「はい。お忙しいなか来ていただきありがとうございます」
九曜はそう言って頭を軽く下げたので、雪上もそれにならう。
よたよたと歩く、白根老婦人の後ろ姿を見送って、もう一度、神園直宮の描いた絵を見る。
天女は微笑むでもなく、悲しむでもなく、ただ現実ではない世界で揺蕩っていた。
「九曜さん、どうしてあの人が赤い文字の手紙を送っていたと分かったのです?」
「白根ゆりさんの死で、一番恨みを抱いているのは誰かと考えたとき、あの人しかいなかったから」
九曜は静かにそう言った。
「じゃあ、行きましょうか」
雪上は、もう一度天女を振り返る。それから真っ直ぐに前を向いて歩き出す。
赤い文字 沙波 @nanashi_zyx
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます