真相

 四人はマンション如月を出ると、借りた鍵を圭祐に返すため、旭の運転する車で斎場に戻っていた。

 そもそも富本司の部屋で見つけたあの手記が、本当のことなのかどうか。まるで白昼夢でも見ている様で、雪上は未だにフワフワと夢でも見ている様な感じで、

「しかしながら、あの富本氏の文章をみつけたからと言って、月澄洋子さんの死に一体、なんの関係があるというのでしょう?」

 隣に座る九曜にだけ、聞こえるようにそう聞いてみたのだが、返って来る言葉はない。ただ難しい表情を浮かべ、一点を凝視していた。

 

 斎場はひんやりと静まり返っている。

 不確定な情報について、わざわざ圭祐に話す必要もないのかもしれない。そもそも九曜は鍵を借りることについても、後学のためだと言っていた。よけなことは何も言うべきではないと思いながらも、あの手記をどんな気持ちで書いたのか、富本司の気持ちを考えるといたたまれなくなる。

 昔から知っている幼馴染の所業について一人胸の内に、葛藤を抱えて生きて来たのだろう。

 もしかしたら、何度か月澄圭佑にその事実を突きつけてみようと考えたのかもしれない。証拠は何もない。雪上たちはただ、富本が残した手記を見ただけだ。だから圭祐に知らない。作り話だと言われてしまえばそれまでなのだけど。でも、富本司が抱えていた葛藤を少しでもわかってほしい。そう言ってやりたいと思う気持ちも生まれる。

「圭祐」

 エレベーターを上がってすぐのロビーに彼はいた。

 まさかそこにいるいると思わなかったので、驚いた。薄暗いロビーにひとり。何をするでもなくただ、ぼうっとソファーに座っていた。

 旭の声にゆっくりとこちらを見る。

 その表情は人とはかけ離れた、人ではない何かに見えた。

 鬼気迫るオーラを纏っており、雪上が気軽に声をかけられない様な凄みが感じられる。

 しかし、そんなオーラにも負けない強さがある九曜は、つかつかと歩みよると「ありがとうございました」そう言って、借りていた鍵を礼をしながら返す。

 あまりにもあっけないやり取りだと、雪上は拍子抜けしながらもその様子を見守った。

 逆に驚いていたのは圭祐の方だったのかもしれない。確実になにかを指摘されると予想していたのだろう。そんな九曜の態度に、

「ああ」

 戸惑った返事とともに、差し出された鍵を片手で受け取ると、彼のもつ空気も少し和らぐ。

「あと、……月澄洋子さんが、亡くなった時。貴方はどこにいらしゃったのか。伺ってもよろしいでしょうか?」

 九曜のその質問で、先ほどまで柔和になった空気が一瞬にして張り詰めた殺伐としたものに変わった。

「それはなに? 尋問?」

 皮肉めいた絵もを浮かべながら、座ったままの姿勢で圭祐は九曜を見上げる。

 有無を言わせない九曜の雰囲気に根負けしたのか、ふっと息を吐き、視線を下に戻すと、

「家で仕事をしていた」

 そうぼそり呟いた。

「そう言えば、お前。仕事は今、何をしているんだ? 結構前のことだったかもしれないが、長年勤めていた会社を辞めたって、その話っきり、それからどうしていたのか聞いていなかった」

 圭祐を心配する色も取れた。何だかんだ言っても、長年関係が続く関係なのかもしれない。

「ネットで動画配信の活動なんかを」

「動画配信? どこかに所属して?」

「いや、個人で」

「もしかして、NAMIHANAと言うアカウントで配信されていませんか? あの――赤い文字について動画見ました」

 ふっと思いついたように九曜はそう言った。

 あたりだったらしく、わかりやすく圭祐は顔を明るくした。雪上は驚きのあまり体が強張った。

「そうです。そうです。まさか視聴者の方にお会いすることがあると思っていなかったので、驚きました。ご視聴くださってありがとうございます。あの動画だけ、やけに再生回数がのびているんですよね。やっぱりああいった怪談めいた話が良いんですかね」

 圭祐はそう言ってふっと笑ったのだが、察した旭が亡くなった友人をだしにして動画を上げいたのかと言ったので、そっぽを向く。

「ともかく、動画の編集だとか撮影には時間がかかるんだ。一人でやっているし……ともかく母が亡くなった時は仕事をしていた」

 つまり、その証言は(母親が亡くなった時に仕事をしていた)というのは、圭祐がそう主張するのみで、誰か他にそのアリバイを保証してくれる人はいないのだと理解する。

 なぜ、こんなことを九曜が聞くのかと、考えてた時に思ってもみなかったまさかが、雪上の脳裏に浮かび、九曜を見た。

「本当は――月澄祥子さんがあのマンションから転落した時、貴方もあのマンションにいたのではないですか?」

「何を根拠にそんなことを?」

 圭祐は噛みつく様に、九曜に言葉の刃を向ける。

「証拠はどこにもありません。ただ、今の月澄さんの発言でそう思いました。失礼とは存じましたが、たまたま部屋のクローゼットを開けると、動画を撮影する機材などが所せましという具合に収納されていました。ですから、仕事をするためにはあの部屋に立ち寄る必要があると思ったからです」

「他人の家の中をあさったのか? 一体、何の権利があって……」

 圭祐は大変立腹の様子だが、鍵を預けてくれたのはそちらである。九曜は勝手がわからずクローゼットを開けたらそう言った状況を見たのだと理由を述べる。

「しかし」

「いえ、別にあさった訳ではないので。マンションの立地や方位などを含めてですね。色々と検証したところ、そのクローゼットがある部屋がちょうど鬼門に当たる包囲でした。それに部屋に入るとクローゼットの扉は開いていましたので」

 九曜はのらりくらりと言葉を続ける。

 方位なんて見ていただろうかと、雪上は疑問に思って、ああ、九曜が出まかせを言っているのだと納得する。

「確かに閉めたはずだ」

 ついに、圭祐を怒らせてしまったと認識する。こじれてしまった関係を修復するのは、ほぼ不可能だろう。これからどうしたらと、あわあわとしていたが、そう思っているのは雪上だけらしい、九曜に至っては、勝ち誇った笑みを浮かべている。

「圭祐さん。確か、先ほどマンションにはほとんど行っていないと仰っていませんでしたか? いつ行ったか覚えてもいない場所なのに、クローゼットを閉めたかどうかどうしてそんな鮮明に覚えていらっしゃるのでしょうか」

「……マンションには行っていないと」

 雪上は思わず言葉がついて出た。自分で口にした言葉を咀嚼して、じゃ、あなぜあのマンション一室に仕事の機材をあれほど入れ込んでいるのだろう。圭祐の言葉に矛盾が生じた。

 圭祐は先ほどまで浮かべていた軽い笑みではなく、見せたこともないような複雑な面持ちで貧乏ゆすりをはじめる。

「圭祐。なにか胸に秘めていることがあるのなら」

 旭の言葉にがたんっと音をたて立ち上がると、

「もうこれ以上、何もないのなら、帰ってくれ」

 荒げた声を上げる。

 九曜はそんなやりとりにも動じることはなかった。つかつかとホールに向かうと、洋子の祭壇の前にたって、線香をあげる。

 九曜に連なって、四人もホールの中に入っていく。その頃には、圭祐が纏っていた”怒”の感情はすっと溶解していた。ここは月澄洋子の死を弔う場所であり、これ以上無用な口論は不要で、用事が住んだならば、ここから立ち去らなければ。そう思っていたのに九曜は、

「月澄さん。まずお詫びを致します。ですが、どうしても、亡くなった月澄洋子さんのためにも、僕自身の心の整理をつけるためにもどうしても話したいとそう思っていることがあります。――僕はあの部屋で富本司氏の残した遺留品から彼が生前書き残したノートを見つけました。そこに書いてあった内容から僕はこう推測しました。

 月澄洋子さんは、先日。僕らと富本司氏について議論をしたあと、ふっと思いついて彼が遺したアトリエに行った。雪上くん私とで話をしていた際に、僕らと議論した際に、雪上くんが”赤い文字”と言った。そこから、月澄さんのお母様の態度は少し変でした。多分、その単語から何か思い当たることがあった――その、思い出したのは、マンションの部屋に富本司氏の遺品で棚に残されていたフクロウのブックエンド。ご存知ですか?」

「いや、司が使っていたものには、なにも手を触れない様にしているから」

「実はそのブックエンド台の下の部分に赤いインキで”梟”と書かれ、からくりがあるのです。僕らは偶然にブックエンドに隠された富本氏が書き残した日記をノートを発見しました。多分お母様もそれを発見され、そこに書かれていた内容を見て驚愕したことでしょう。まさか自分の息子が交際していた女性を転落死させたと。その現場を富本氏が目撃していたのだから」

「……」

 圭祐はだまったまま、九曜を見つめていた。

「月澄さんはお母様はその事実を知って、それを誰にも言わず、自分の胸だけにとどめておこうと最初は思ってたのかもしれない。だが、それが出来なかった。考えて追い詰められて、貴方を呼び出して問いつめた。そして、その事実を公表すること――つまり、自首をすすめたのだと思います。しかし、それは出来ないと突っぱねたのではないでしょうか? それで口論になって……」

 九曜がそこで言葉を切った所で、旭が駄目押しでさらにたたみかける。

「そもそも、その白根ゆりさんの、彼女の死にお前が関わっているのか?」

 圭祐はただ、下を見ていた。微動だにせず。誰もが言葉を発しない。

 薄暗い空間の中で、時がとまってしまったかのように。

 ただ、線香の香りだけが絶えず流れる。

「俺は、あの時の事については、言うと、……よくわからないんだ。彼女とは確かに別れ話をしていて、話は平行線だった。俺は別れたいと言った。しかし、彼女は聞かなかった。疲れていた。色々な事に。それで、あまりにも話が噛み合わなくて、彼女が『別れるなら死んだ方がましだ』と言い出して、廊下の手すりの塀によじ登った。俺はばかな真似はやめろとそう言った。手を伸ばした瞬間に彼女はそのまま落ちた――――――九曜さんでしたか? 貴方の話はほとんど仰る通りです。その日記は実際に見た訳ではないので、俺のことをどう書いていあるのか知りませんが、母はその手記をそのまま受け取って、俺が彼女を殺害したものだと思ったようです。何度か説明したのですが、わかってもらえず、仕舞には相手の親御さんに申し訳が立たないとか、そう言いだして」

「まさか自分の母親を?」

 旭の声に、「まさか」と言ったのは圭祐だ。

「母親と言い合って、埒が明かないから、俺は先に帰った。しかし、その後で入った連絡は母親がマンションから飛び下りて自殺を図ったというものだった。母は赤い文字がまた来るとか何とか。もしかしたら精神的に参っていたのかも知れない……いや、まさかこんなことになるなんて……思っても見なかった。追い詰めたのはきっと俺だ」

 圭祐はすっと祭壇の方に目をやった。

「もう、帰ってくれないか」

 立ち上がるとそのまま、祭壇の方に向かって歩いて行った。

 彼を引き留める術なんて誰も持っていない。もしかしたら、圭佑が言った通りのことだけだったのかもしれない。月澄洋子が亡くなる前に圭祐は帰った。だから彼女の死には全く関わっていない。本当にそれだけだろうか。……

 後味が悪い空気の中、すごすごとエレベーターに引き返す。

 ふと、富本が書いた手記の中で、赤い文字を見たという手記を思い出す。圭佑は先ほど、赤い文字と言っていなかったか。彼は、月澄洋子はそれを見たのだろうか?

 九曜は肩を落とし、

「証拠はなにもないんだ」

 一人事の様に呟いた。

 エレベーターの扉が閉まる直前に見えた薄闇の向こう。圭祐の後ろ姿が、侘しく悲しそうだった。

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