死ぬための理由を下さい
御厨カイト
死ぬための理由を下さい
人生は無情だと思った。
何故にこの世は救いが無いのか。
……今更、そんな事を思ってもどうしようもないのに。
暗闇の中、ただ一人で歩く僕はそんな事を考えていた。
「ハァ」と吐き出した溜め息が夜の静かな空気にサラッと流れるように消えていく。
昼間はうるさかった蝉の鳴き声が今では鳴りを静め、逆に蛾が街灯にぶつかるバチッバチッという音が辺りには響いていた。
ふと空を見上げると、月明かりが僕を照らす。
その光は優しくて、どこか温かく感じた。
まるで今の僕に引導を渡すかのように。
虫の音を聞きながら、死に場所を探すように一人寂しく歩く僕。
こんな時間ともなると外を歩く人影はなく本当に一人だ。
普段なら賑やかなはずの商店街もシャッター通りになり、開いている店すらも殆ど無い。
あるとすればコンビニぐらいか。
いつも通る道のはずなのに今日に限って初めて見る景色のように感じる。
そんな淡い感慨とも言えるような気持ちに浸っていると、目の前に人影があるのを見つける。
灰色の塀を背にしながら地べたに座り、白色の街灯にぽーっと照らされたまま動かない人影。
「酔っ払いか何かか?」と思い少し警戒しながら近づいていくと……その人は女性だった。
僕よりかは少し年上そうな彼女は日本人には珍しい春雨のように長くたおやかな銀髪で黒のだぼっとしたパーカーに身を包んでいる。
俯き加減な彼女の表情はここからでは窺い知る事は出来ない。
ただ、時折吹く風に揺れる前髪から覗く透き通った紅玉のような瞳が凄く印象的だった。
ここだけ、この空間だけまるで現世では無い……そんな空気を感じた。
……だが、ここでこの人に干渉するほど僕はお人好しでは無い。
目的地は決まってないが、目的は決まっている僕はそのまま彼女の前を静かに通り過ぎようとする。
――が、目の前を通り過ぎ、そのまま真っすぐ向かおうとしたその時、僕の足音に気づいたのかさっきまで伏せていた顔を上げ彼女がこちらを見てきた。
ルビーのように綺麗な目を少し潤わせながらまるでこちらに縋るような乞うような目線で見てくる彼女。
何か言いたいのか口を軽く開けながらも逡巡している様子だったが、すぐに自分がした行動に気づいたのかハッとした表情を浮かべ、すぐさま彼女は顔を伏せてしまう。
たった数秒の出来事。
それでも、人の気を引くのには十分だった。
正直このまま無視してもいいが、何故かそれが憚られる雰囲気を感じる。
面倒臭そうな匂いもぷんぷんとしているのだが、興味もあった。
今度は僕が彼女に視線を向けると、彼女は顔を伏せたまま何も喋らない。
「ふぅ」と軽く息を吐いて、膝を曲げ彼女に近づき声を掛ける。
「……大丈夫ですか?何かありましたか?」
返答は無い。動きも無い。
「まぁ、そうだよな」と心の中で呟きながら立ち上がり、仕方なくその場を後にしようと思った時、どこからか「ぐぅ~」という音が聞こえてきた。
その音の発信源を探るべく周りを見てみるが、ここには僕らしかいない。
当たり前だが僕でもないため、残るのは目の前にいる彼女という事になるのだが……まさかね。
恐る恐るもう一度彼女に近づきよく見てみると、伏せた中で唯一見える耳がほんのりと赤くなっていた。
あっ、これ確定ですね。
こんな張り詰めたような空気の中でそんな可愛らしい音が鳴った事に思わず笑みが零れそうになるのを必死に抑えつつ、なるべく平静を装いながら再度声をかける。
「お腹空いたんですか?何か買ってきましょうか?」
相変わらず返答は無い。
だが、先程とは違い僅かに首を横に振る動作をする彼女。
そして、それを見た瞬間にまたもや盛大に鳴り響く空腹を知らせる音。
「……どうしたものか」と少し考えたのち、僕は結局コンビニへと向かう事にした。
別に下心とかそういうのではなく、ただ単に僕も小腹が減ったのでついでだ。
それにこの場に留まる理由もないし、何より彼女をここに放置しておくわけにもいかないだろう。
再び立ち上がり、近くにコンビニが無いか探そうと歩き出したその時、僕の腕を強く引く力があった。
後ろに踏鞴を踏む形となった僕は驚きのあまり勢い良く振り返ると、そこには僕の腕を掴みながら慌てた表情を浮かべる彼女の姿があった。
紅い瞳は不安げに揺れており、今にも泣き出してしまいそうな様子。
そんな彼女の並々ならぬ雰囲気を感じた僕は取り敢えず、彼女の事を安心させようと出来る限り優しく声を掛けようと口を開く。
しかし、それよりも先に彼女が言葉を発した。
「……大丈夫……大丈夫ですから」
俺の腕を掴みながら、鈴のような透き通った声でそう言う彼女。
頭のどこかで「綺麗な声だな」なんて考えながらも僕の大部分は戸惑っていた。
「えっ、で、でも……」
どうしたらいいのか分からず、狼狽えたような返事しか出来ない情けない僕。
そんな僕の様子を見て彼女は少しだけ困ったように微笑むと、そのまま言葉を紡いだ。
「……私には人間の食べ物なんて意味ないですから」
「……それってどういう……?」
彼女の言っている事が理解できなかった僕は頭に疑問符を浮かべながらそう返す。
どうやら彼女も彼女で僕の腕を離しながらどう説明したらよいのか悩んでいる様だった。
そんな僕らの間に沈黙が流れる。
聞こえるのは虫の鳴き声と風で揺れる木の葉の音。
暫くして、ようやく彼女は自分から言い出したにも関わらず、その答えを口にした。
それも僕の予想を裏切る形で。
「あ、あの、私……実は吸血鬼なんです。……だから、人間のご飯は食べれなくて……すいません」
「……えっ?」
彼女の口から出てきた突拍子もない単語に思考が停止する。
―――吸血鬼。
それは御伽噺に出て来る空想上の生き物。
日が沈んだ夜に血を求めて彷徨い歩く化け物。
そんな存在が目の前にいると言われても「はい、そうですか」とはならない。
僕は困惑したまま彼女の顔を見る。
嘘をついている様には見えないが、それでも簡単に信じる事は出来ない。
仮に信じたとしても……何故そんな彼女がこんな所にいるのだろうか?
そもそもどうやってここまでやって来た?
疑問は絶え間なく浮かんでは消えて行く。
僕が固まっている間も申し訳なさそうな表情をしながらチラッチラッと上目遣いでこちらを見てくる彼女。
「と、取り敢えず、ここじゃなんですから場所を変えませんか?」
僕は一旦考える事を止め、とりあえずここから離れるために彼女に提案した。
女性をずっと地べたに座らせたまま話をするのも何だか気が引けたからだ。
「肩貸しますから」彼女もそれに賛成してくれたようでこくりと首肯した。
こうして僕たちは、彼女の話を聞くために近くの公園へと場所を移すことにした。
夜の静かな公園のベンチに二人で座る。
虫の音だけが辺りには響き、僕達の間には沈黙が流れる。
夜風で涼しいはずなのに、何故か汗が出る。
……僕は一体何をしているんだろう。
こんなはずじゃなかったのに。
だけど……もう、しょうがない。乗り掛かった船だ。
最後まで付き合おうじゃないか。
意を決し、僕は隣の彼女に声を掛ける。
因みにその間彼女は俯いたままだったが、僕が声を掛けるタイミングに合わせてパッと顔を上げてきたためバッチリ目があってしまった。
ちょっとした気まずさに顔を逸らすが、彼女はそれを気にした様子もなく僕の方をジッと見つめて来て居心地が悪い。
少し経ってから気を取り直し、再度彼女に向き直る。
改めて見た彼女……銀髪の女性はとても整った綺麗な顔をしていた。
肌は白く透き通っており、まるで作り物の人形のようだ。
身長は僕と大体同じぐらいで百六十センチ後半と言ったところか。
服装は見たところ黒色のだぼっとしたパーカー一枚だけ。と言っても、オーバーサイズだからかほぼコートのような感じになっている。
とてもシンプルな装いではあるが、逆にそれが彼女の美貌をより引き立てており凄く似合っていた。
そして、やはりと言うべきか彼女のその目は普通の人間とは違っていて紅く輝いている。
目を奪われたままに彼女を観察し終わったところで、流石にそろそろ本題へ。
一番疑問で気になっている事について聞く。
「えっと……それで、結局貴方は吸血鬼、なんですか?」
彼女はその質問に小さく首を縦に振る。
「……そうです。と言っても、もうそろそろ死んでしまうので証明は出来ないのですが……」
まだどこか半信半疑ではあったが、彼女が嘘を言ってるようにも見えない。
だが、それ以上に彼女の発言に引っかかった。
彼女は先程自分が"もうすぐ死ぬ"と言っていた。これは一体どういうことなのか。
「もうすぐ死ぬって一体どういう事ですか?吸血鬼って不死身なんじゃ……」
ゲームや漫画で得た知識だと吸血鬼は大抵不死身で、太陽の光を浴びるか心臓を杭で貫かれるかしなければ死なないはずだ。
そんな僕の反応は予想通りだと言わんばかりに、彼女は苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「……多分、そういう情報はゲームや漫画などから得られたと思うのですが、実際は大分違います。まず、私たち吸血鬼は別に日光を浴びたって灰になりませんし、十字架を見たって動けなくなるなんて事もありません」
「えっ、なら――」
「だからと言って不死身という訳でもありません。確かに吸血鬼は不老長寿ではありますが、不死では無いのでちゃんと死にます。なので、実は人間と吸血鬼は特徴的にはあまり違いが無く、強いて言えば人間は食物を、吸血鬼は血を摂取して生きている。ただそれだけです」
「な、なるほど……」
僕はあまりの情報量に頭がパンクしそうになる。
今までの知識が殆ど覆されたことで混乱してきた。
少し整理すると、どうやら本当の吸血鬼は今まで僕らが作り上げてきた『吸血鬼像』とは大きく異なった存在らしい。
……正直、まだ完全には信じ切れていない。それに話の核心にも触れていない。
もう少し話を掘り下げようと僕は口を開いた。
「……その、『吸血鬼』というものに関しては分かったのですが、貴方……あっ、えっと……」
「あぁ……すいません。自己紹介がまだでしたね。私はシオンと言います」
「シオンさん、ですね。……えっと、でシオンさんが言っていた"もうすぐ死ぬ"という意味がイマイチよく分かってないんですが」
「……あー、それは――」
そこで彼女は一瞬言葉を詰まらせる。
しかし、すぐに覚悟を決めたように真っ直ぐ僕の目を見つめてきた。
「……先ほど吸血鬼は不死では無いと言いました。ですが、これは半分嘘で半分本当です」
「それは……つまり……?」
「確かに吸血鬼は死にます……が、死ぬ条件が非常に限られているのです。よく言われる弱点である日光や十字架は効きませんし、ある程度の怪我なら自己再生します。ですが、それでも逃れることが出来ないのが寿命と……飢えです」
「飢え?」
「はい。人間は一定期間水や食料が食べられなければ死んでしまいますが、私たち吸血鬼も同じで主食である人間の血を一定期間吸えないと死んでしまうのです」
「……という事は、この話の流れ的に今、シオンさんはその状況にあるって事になるんですが……」
「えぇ、その通りです。私には今、血が足りていません。予想ではあと二,三時間したら私は死んでしまうでしょう。まぁ、死ぬと言っても吸血鬼は人間のように死体は残らず、まるで煙のようにサラーっと静かに消えていくような感じですが」
そう言う彼女の顔には悲壮感はなく、寧ろどこか他人事の様に捉えているようだった。
不思議だ。彼女と話していたら次から次へと疑問が溢れ出してくる。
何故に彼女はそんなに落ち着いているのか?
自分の死が近づいているのだから普通ならばもっと焦ったりするものだと思うのだが……
「……どうしてシオンさんはそんなに達観しているんですか?自分の死が近づいているというのに」
何か彼女にも理由があるのかもしれない。
そう思っての質問だったが、彼女は困った様に頬を掻く。
そして、少し考える素振りを見せた後、ポツリと話し始めた。
「……私、人間の血を吸うのが苦手なんです」
予想外の答えに困惑しながらも、彼女の話の続きに耳を傾ける。
「人間と同じように吸血鬼にもコミュニティが存在するんですが、大体の吸血鬼はそこでの暮らしを通して吸血鬼としての生き方を学んでいきます。そこでは、もちろん人間から血を吸う方法も学ぶんですが……」
「……それってやっぱり人を襲って?」
「いえいえ、今の時代はそんな非効率な事しませんよ。実際はもっと複雑で……人間の『恋心』を利用します」
「恋心?」
「はい。まず、異性を己の魅力で誘惑して、仲を親密にしていきます。そして、相手が自分に対して信頼しきって油断したところをチクッと頂くのです。もちろん、一回に吸う量はほんの少量ですがそれでも全然生きて行けますし、それにそうする事で、相手も自分が吸血鬼に襲われていた事に気が付きにくくなります」
……何とも大胆なやり方だが、確かに理にかなっているし合理的でもある。
もしそんな日々が続いたとしても一回に吸う量が少量であれば殆ど気付かないだろうし、まさか好きな相手が吸血鬼だとは露にも思わないだろう。
「……ですが、ここで発生してしまうのが『認識の違い』です。人間側からしたら当たり前ですが相手を『恋仲』として認識していますが、吸血鬼側からしたらただの『食料』です。それに加え、吸血鬼は飽きたら突如その相手の前から姿を消し、また別の相手を探すのです。だから、ある日突然恋人に裏切られた様な気持ちになって、酷ければそのまま自殺してしまう人までいます」
確かにそれは辛い。
例え吸血鬼が飽きて捨てただけだったとしても、好きになった人から見捨てられたと感じる人は大勢いることは間違い無いだろう。
だが、その行動は彼女が言っているように『認識の違い』から起こってしまう事なのだから仕方がないと言えば仕方がない。
ここで一旦お互い一息入れ、少し間を開けて再び彼女は話し始めた。
「そんな人間の恋心を
俯きながら、そう自嘲気味に笑う彼女を見て僕は胸が締め付けられるような思いに襲われる。
今は端的に説明してくれたが、その端折られた内容の中にも色々な大変なことがあったに違いない。
あまりの衝撃に僕が黙り込んでいると彼女はこちらをチラッと見た後に小さく溜め息をつき、さらに呆れた……いや、諦めたように笑った。
「……でも、もういいんです。私は、その……しょうがないと思っています」
「しょうがないって、そんな……」
「吸血鬼として生を受けながらもこの世界のルールを理解できず、どうなるか分かっていたのにその道から逸脱した行動をとってしまった。だから……しょうがないんです。死ぬのは」
彼女はそう淡々と言葉を口にする。
まるで、これから起こることについて再確認しているかのように冷静に。
その姿は、まるで死を受け入れているように見え、僕の中で言い知れぬ不安感が押し寄せてくる。
「……じゃあ、シオンさんはそんな世界に満足しているんですか?」
気づいたらそんな言葉が僕の口から飛び出していた。
別に彼女を責めたい訳じゃない。
ただ、このまま死ぬのを待っているだけの彼女にどうにかしてあげたいと思っただけだ。
そんな僕の問い掛けに彼女は一瞬キョトンとした表情を浮かべるが、すぐにフッと微笑み、口を開く。
「満足は……してないですよ、別に。でも、それは貴方も同じじゃないですか?」
口角を少し上げたまま目をスッと細め、鋭い目線でこちらを見てくる彼女。
その瞳には、先程までの穏やかな雰囲気は無く、まるで獲物を狙う獣のような鋭さがあった。
思わず、ゾクっと背筋が凍るような感覚が襲ってくる。
「そ、それってどういう……」
動揺しながらも何とか声を絞り出す。
すると、彼女はふぅっと息を吐き、まるで諭す様にゆっくりと話し出した。
「吸血鬼は人間の気持ちや考えというものを利用して繁栄してきたという性質上、その人間がどのようなモノを心に抱えているのかがある程度分かるんですよ。だからきっと私たちは似た者同士。……折角ですからどうでしょう。私も話したんです。なので、貴方も話してくれませんか。そのポケットに入っているナイフと共に」
そう言って、シオンさんは僕のズボンの右ポケットを指差す。
……この様子だと恐らく、彼女は初めから気付いていたのだろう。
僕は「ふぅ」と諦めたように息を吐くと、ポケットの中から一本のサバイバルナイフを取り出した。
そして、それをシオンさんに見せつける様に目の前に掲げる。
「……最初から分かってて話しかけたんですか?」
少し非難の意味を込めて睨む様に視線を向けるが、当の本人はどこ吹く風と言った感じで平然としている。
寧ろ、どこか楽しそうにクスリと笑ってすらいる。
「いえいえ、流石にそんな事はありませんよ。最初は本当に偶然でした。ただ……やはり一人で死ぬのは心細いので仲間が欲しいなと」
彼女の答えに嘘は無いと思う。
現に、彼女の目は真っ直ぐに僕を捉えており、それが彼女の本心である事を物語っている様だった。
まぁ、確かに彼女の言う通り、いくら吸血鬼と言えど一人ぼっちで最期を迎えるのは嫌な事なのかもしれない。
それ……僕だって同じだ。
誰かと一緒に居られるのならそれに越したことは無い。
「凄くキレ味が良さそう……人間っていいな」と僕が持っていたナイフをまじまじと観察していた彼女だったが、僕と目が合うと「こほん」と気を取り直すように小さく咳払いをした。
「……如何でしょう。ここには人間はおろか、もうすぐ死にゆく吸血鬼しかいません。心の内に押し込んできたものを話して、少しでも楽になりませんか?」
「……面白い話じゃないですよ?」
「構いません。私もそうでしたから」
僕がポツリと呟くと、彼女はニコッと優しく笑いかけてきた。
その笑顔を見て、僕も覚悟を決めるように深く息を吐きながら座っていたベンチの背もたれにもたれかかり、もう一度ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせると自分の身の上話を始めた。
「僕は元々、会社員の父と専業主婦の母と三人で暮らしていたんです。中学校での成績も中の上ぐらいで、至って平凡な日々を送っていました。ですが、僕が高校一年生になった年の夏、突如として僕の人生の歯車を大きく狂わす出来事が起きたんです」
ここで一旦話を切り、一息入れる。
横にいるシオンさんの様子をちらっと見てみると、どうやら真剣に僕の話を聞いてくれている様だった。
ただそれだけでも幾許か救われている気がした僕は、続きの光景を思い出しながら話を続ける。
「……あれは丁度、楽しかった家族旅行から車で帰っている時でした。高速道路を走っている最中に、突如としてトラックがこちらに向かって突っ込んで来たんです。突然の出来事に、父は咄嵯にブレーキを踏むことが出来ず、そのままハンドルを切って避けようとしましたが……結局間に合いませんでした。それによって、車は大破。僕は奇跡的に助かりましたが、両親はこの事故の所為でこの世を去りました」
ここまで話したところで、僕は手に持っていたサバイバルナイフをギュッと握りしめながら更に続ける。
今でも鮮明に覚えているあの時の光景を。まるで走馬灯のように流れていく。
「そうして、一人になった僕は親戚に引き取られたのですが、元々両親とその親戚の仲が悪かったという事もあって中々受け入れてもらえず……数年間いじめられながら過ごしてきました。そんな生活に流石に嫌気が差した僕は大学進学に合わせて一人暮らしを始めたんです。引っ越した当初は『ここから新しい人生が始まる』と思っていたのですが……現実は甘くなく、結局、大学で出会った彼女やバイトで頑張って貯めたお金を信頼していた友人に騙し取られてしまい……もう、何もかもが嫌になってしまって……」
……自分で言うのもなんだが改めて言葉にするとホント酷い人生だな。
不幸がまるでドミノ倒しのように襲ってきやがる。
いつの間にか前のめりになっていた姿勢を伸ばし、力を込めすぎたからか赤くなっていた手をゆっくり開きながら、俺はそう心の中で独りごちる。
すると、僕の話が一段落ついたと察してくれたのか、シオンさんは優しく僕の肩に手を置いてきた。
その行動に思わずハッと顔を横に向けると、そこには慈愛に満ちた表情を浮かべる彼女がいた。
「……大変でしたね」
彼女は一言、そう呟く。
その言葉を聞いた瞬間、今まで張り詰めていた何かが切れてしまったのか目頭が熱くなり、思わず涙が出そうになった。
だが、それを必死に耐え、代わりに僕はコクリと小さく首肯する。
それからしばらくの間、僕らの間には沈黙が流れた。
しかし、それは決して気まずいものではなく、寧ろ心地の良いものだった。
まるで、二人だけしかこの世界にはいないかのような錯覚に陥る。
そんな中で不意にシオンさんが口を開いた。
「そういえば、先ほど貴方は私に対して『この世界に満足しているんですか?』と質問しましたよね?」
「……あー、確かにしましたね」
「折角なので貴方の回答も聞いてみたいのですが」
「僕の回答ですか?……うーん、そうですね……僕もシオンさんと同じように満足はしていないです。だからこそ『自殺』という道を選んだと思うんですが……」
「……ですが?」
「……実はここまで言っておいてまだ踏ん切りがついていないんです。こんなに簡単に人生から逃げていいのかなって……ずっと心の中で引っかかってて」
少し自嘲気味に答える僕。
勿論、本心からでた回答ではあるのだが、聞いてきた彼女は些か納得していない様子だった。
「……どうかしましたか?」
何か気に触った事を言ったかと心配になっていると彼女は少し考えるような素振りを見せた後、僕の目を真っ直ぐに見つめ、こう切り出した。
「『逃げる』事はそんなにも悪い事でしょうか?」
「……えっ?」
「よく人間は『逃げ』というものを悪いものとして考えています。私……いや、私達のような吸血鬼には全くもってその考えが分からないのです。吸血鬼は人間からその正体がバレないように生きてきたからか、都合の悪いことがあったら直ぐに目の前から姿を消し、逃げます。なので、吸血鬼にとって『逃げる』というのはごく当たり前の行動、なんだったら『生きる』のに大切な行動でもあるんですよ。だから私は思うんです。別に逃げたとしてもそれは決して悪くはないんじゃないかなと」
彼女の意見に、僕は呆然としてしまう。
まさか、そんな考え方があるとは思いもしなかったからだ。
そして、同時に彼女の言葉を噛み締めるようにして頭の中に入れ込む。
正直まだ死ぬことは怖いが、それでも心の引っ掛かりは取れた様な気がした。
話してくれた彼女はというと、自分の考えがちゃんと僕に伝わっているか心配そうな顔をしていたが、僕が理解したのを表すように微笑みながら軽く頷くと安心した様子で口元に笑みを浮かべながら、また視線を前に向ける。
こうして、またしても僕らの間には幾許かの沈黙が流れる。
しかし、その時間は不思議と苦痛ではなかった。
ふと空を見上げるといつの間にか月が高く登っており、それはここに座って結構な時間が経っている事を表していた。
「そろそろ、ですかね」
ポツリと呟かれた彼女からの突然の言葉。
その言葉の意味を瞬時に悟った僕は、あえて黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「……最初は本当に一人で死ぬつもりだったんです。ですが、最期に貴方に出会えて良かった。お陰様で、とても楽しい時間を過ごせました」
「……そう言ってもらえて嬉しいです」
僕は静かにそう返す。
まだ気づいていなそうな彼女の横顔からゆっくりと目線を外しながら。
「……最後に一つだけ質問いいですか?」
「えぇ、なんでしょう」
「シオンさんは……死ぬのが怖くないんですか?」
ずっと頭の中にあった疑問。
それを僕は意を決してこのタイミングに彼女にぶつける。
すると、彼女は暫くの間沈黙した後、こちらに顔を向け、ニコッとした笑顔で答えた。
「死ぬのは勿論怖いですが……それ以上この世界で生きる方が怖いですから。もうこの世に未練もありませんし……」
「……そう、ですか。……それならどうして、シオンさんは今――」
「泣いているんですか」
「へっ……?」
シオンさんは驚きのあまり、ゆっくりと自らの頬を手で触れる。
そこには確かに生暖かい液体が伝っていた。
彼女もまた、自分ですら気がついていなかったようで戸惑いを隠せない様に「えっ、うそ……」と呟きながらその涙を必死に拭っている。
「な、なんで、私……」
「……シオンさん」
「だ、大丈夫です!これくらい……」
強がりを見せようとするも次から次に溢れ出てくるそれに彼女自身もどうしようもないのか、その瞳からは未だにポロポロと大粒の雫が流れ落ちている。
「……シオンさん、貴方は本当は死にたくないんじゃないですか?」
「そ、そんなことはっ……」
「……僕にはシオンさんが心の奥底にある本当の気持ちを『しょうがない』という言葉で隠しているようにしか思えないのです」
僕の言葉を受け、彼女はハッと目を見開き、そのまま俯いてしまう。
……もう既に死を受け入れていた筈の彼女には残酷な言葉だったかもしれないが、それでも僕は彼女が心の底から思っていることを引き出したかったのだ。
少しの間、彼女の鼻を啜る音だけが辺りに響く。
……やがて彼女は静かに口を開いた。
「……確かに、貴方の言う通りかもしれません。『吸血鬼』として生を受け『吸血鬼』の生き方を否定し『吸血鬼』の仲間から拒絶された私ですが……まだ『吸血鬼』として生きることを諦めたくない……。私は、もっと……生きていたい、です」
そこまで言い終えると、彼女は堰を切ったかのように声を上げて泣き始めた。
今までずっと溜め込んでいたものを全て吐き出すように。
……やっと彼女の本心が分かった気がした。
否定し否定される人生を送ってきた彼女だが、それでも諦めず自分が生きれる道を模索してきた。
しかし、それを邪魔するのが己の『吸血鬼』としての本能。
純粋に……悔しいのだろう。このまま命を落としてしまうのが。
……なんて彼女は強いのだろうか。
僕は彼女が落ち着くまで彼女の背中をゆっくりとさすり続けた。
少しずつ涙が引いてきて、呼吸も一定のリズムに戻ってきたが以前彼女の顔色は暗いまま。
この状態の彼女に何と声を掛けたらいいのか逡巡する僕だったが、僕が口火を切るよりも先に彼女が言葉を紡いだ。
「……でも、残念ながらこの願いはもう叶いそうにありませんね。今更足搔いたところで何も変わらないでしょうし……来世に期待ですね」
ベンチの背もたれに深くもたれかかりながら、そう諦めたように笑う彼女。
そんな彼女の表情を見た瞬間、僕の中である決心がついた。
一度深呼吸をして、着ていたシャツの袖をまくり、持ってきたナイフを握る。
そして、露になった左の手首にナイフを当てようとしたその時、横で一連の流れを見ていたシオンさんがガシッと僕の右腕を掴んだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください!貴方がそこまでする必要は無いんですよ!?」
動揺しているからか彼女は上ずった声でそう言ってくる。
僕の意図をしっかりと理解した上で彼女は止めてきたようだ。
それでも、僕は焦った様子の彼女に自分の決意を伝えるべく、真っ直ぐに彼女の目を捉える。
「シオンさん、貴方はまだ『生きたい』という意思がある。それなら、まだこの世界で生きるべきだ。丁度、ここには貴方の事を生かせられる存在もいるのだから」
「で、でも……」
まだ僕の意見を受け入れられないのか、目を泳がせながら反論しようとするシオンさん。
こうなるのは分かっていた。
だからこそ、僕も心から本音で彼女へ訴える。
「……実はまだ死ぬのが怖いんです。だから、どうか僕の『死ぬ理由』になってくれませんか?」
僕の真っすぐな言葉を聞いた途端、シオンさんの表情がこの世の時間が全て止まってしまったかのように固まってしまう。
しかし、それは一瞬ですぐにくしゃっと顔を歪め、また涙を零し始めたが、どうやら僕が言ったことは理解してくれたようで涙声で一言、
「……分かり、ました」
ぼそりとそう呟いた。
その言葉を聞いた僕はナイフを握っていた右手にグッと力を入れて、勢いよく左手首をナイフで横一文字に引く。
すぐに途轍もない痛みが僕を襲うが、彼女の手前「グゥッ」と歯を食いしばり、ぎこちない笑みを浮かべた。
そして、血がダラダラと流れている左腕をそっと彼女の目の前に差し出す。
シオンさんは躊躇しながらその腕を掴み、ポロポロと涙を零しながら傷口に口を近づけてペロリと舌を這わせ、血を吸っていった。
「……ありがとう……本当にありがとう」
彼女は何度もそう呟きながら涙を流し続ける。
最初の方は僕も涙が出そうになるぐらいの痛みがあったのだが、彼女に吸われ始めてからその痛みはポワポワとした多幸感へと変わっていった。
もしかしたら吸血鬼にはそういう能力でもあるのかもしれない。
だが、体内の血が少なくなってきた事で流石に体がフラフラとしてくる。
すると、彼女はそんな僕の体を自分の膝の上へゆっくり引き寄せてきた。
これで僕は彼女に膝枕されている体勢になる。
僕の目線の先にあるシオンさんは、泣きながらではあるが優しさに満ちた笑みを浮かべ、僕の頭を撫でながら口を開いた。
「私がちゃんと最期まで看取ってあげますから……だから……安心して……逝ってくださいね……」
その言葉で僕の瞼は限界を迎えたようで段々と視界が暗くなっていく。
もうほぼ何も見えなくなってきた時、僕の頬にポタポタと温かい液体が数滴落ちてきた。
あぁ、僕の死を悲しんでくれる人がいる。
ただ、それだけで十分だった。
起きているのか寝ているのか自分でも分からない曖昧な意識の中、彼女の優しい声が耳元で聞こえてくる。
――お疲れ様でした。そして、おやすみなさい。
そんな言葉を最後に、僕は深い眠りへと飛び立ったのだった。
死ぬための理由を下さい 御厨カイト @mikuriya777
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます