社会人が追求すべき倫理(モラル)と現実主義(リアリズム)

 書き手さんご自身がキャッチコピーに書かれているように、本作は他人や社会を非難して攻撃する剣ではなく、読者それぞれが自らを導くための羅針盤です。

 本作の「品質管理」がどんな製品を扱っている仕事かは諸事情により明かされず、話の具体的な部分はぼかされています。そのため、本作は職業人(プロフェッショナル)に求められる倫理(モラル)と現実主義(リアリズム)についての議論に徹しているわけですが、だからこそ、特定の職業に留まらず、あらゆる職業に当てはまる普遍的なお話になっています。
 本作を読んだ人の中には、本作のお話をよくある理想論だと思う人もいるでしょう。そんなことはどこの自己啓発本にも書いてあることだ、それが出来れば苦労はない、と。ですが、『論語』の中で孔子が述べているように、理想は実現されにくいからこそ、実現のために奮闘することが肝要になるものです(微子第十八)。理想を実現することが困難だという事実は、その理想を追い求めなくていいという自暴自棄な判断を正当化するものではありません。人間が不完全であり社会に理不尽が溢れているという事実は、それを黙って受け入れざるを得ない、文句を言わずに受け入れる人が大人だ、と考える無気力な態度の免罪符にはなりません。自分(自分たち)が楽をする言い訳を倫理(モラル)と混同すべきではありませんし、所与の現実を無批判に追認するだけの態度を現実主義(リアリズム)とは呼ぶべきではないのです。このことは、近年の日本では忘れられつつあるように思います。
 我々はいつの間にか、ローリスクでハイリターン、低コストで高パフォーマンスを追い求める価値観を当たり前だと思っていないでしょうか。より少ない出費でより良い製品を買いたい、同じ製品なら1円でも安く買いたい。市場原理の中で生存競争を強いられている消費者としては、そう思うのが当然かもしれません。ですが、それが行き過ぎると、自分が仕事をするときも、より楽をしてより多くの報酬を得たい、給金が同じならできるだけ手を抜きたい、と考えてしまいかねません。果たしてそれで良いのだろうか、いや、良いはずがない、というのが、本作が提示する倫理(モラル)と現実主義(リアリズム)です。
 「社会人」という言葉が奇しくも示唆しているように、我々が仕事をするということは、単に報酬を得るだけでなく、同じ社会に生きる他者と共に生きていくということです。本作でくり返される、仕事において最も大切なのは信用であってお金ではないというテーゼは、決してただの理想論ではありません。それは、我々が仕事をして生きていくのは、会社の中で与えられる金銭やそれに依存した刹那的な快楽のためではなく、血の通った人間関係やその中で実現される社会的な幸福のためであるという堅実な人生観です。そして、我々の幸福にとって“価値がある”のは、短期的に、即時的に得られる金銭の多さよりも、中長期的に通用する信頼関係の方だという合理的な倫理観です。
 もちろん、人間は美しいばかりの存在ではありませんし、社会の仕組みは必ずしも公平ではなく、個人に優しいばかりでもありません。ですが、その現実を一旦受け止めた上で、我々はどうすれば理想に近づき幸福になれるのか、どのような姿勢で仕事と向き合うべきなのかを考えるのが本書です。書き手さん自身の経験を踏まえた等身大の観点から、辛抱づよく真摯に考え、1つひとつ言葉にしていきます。そして、他人が変わるのを待つのではなく、他人は変わらないものと腐るのでもなく、私たち自身が理想への出発点となって、目の前の仕事に誠実であることの“合理性”を説きます。これこそが、本作が一貫して示す、我々社会人が追求すべき倫理(モラル)と現実主義(リアリズム)です。

 書き手のこのはりとさんの姿勢は、カクヨムで公開されている文芸でも実践され、作品性に反映されています。このはりとさんの文章にはいつも、他者への慈しみがあり、人間存在に対する信頼があります。本作はその精神性が厳格なまでのストイックさに支えられていることを窺い知る点でも、カクヨムユーザーの皆さんにとって特に読む価値のあるものだと思います。