その瞳はどこを向く
間川 レイ
第1話
1.
私が、あの子に初めて会ったのは一体いつ頃だっただろうか。あれは、念願かなって私立の中学に入り、体験入部の部活を探していた時のこと。体験入部で訪れた剣道部の道場であの子に出会った。
あの子の最初の印象は、他人が苦手そうな子だった。切れ長の目から放たれる眼光は鋭いのに、人と話す時は露骨に目線が彷徨う。話しかけるたびに肩をびくつかせていた。ついでにいつ見ても中途半端に長い髪の毛はボサボサで、なんとも言い難い髪型をしていた。
それでも話しかけ続けたのは同期に女子があの子しかいなかったこと、私がもとより人と話すのが嫌いではなかったと言うこともあるだろう。
だがそれだけではない。私はあの子の瞳に惹かれたのだ。切れ長で、三白眼気味の、覗き込むと吸い込まれそうなぐらい真っ黒な瞳に。
そうやって話しかけている内に、次第に共通の話題とは見つかるものだ。授業が本格的に始まり出したと言う事もあるかもしれない。安藤先生の数学難しいよね、この間の英語の宿題できた?だが本格的に会話が弾むようになったのがお互いが読書が好きで、中でもミステリが好きだとわかってからだろう。綾辻行人の十角館の殺人をはじめとする館シリーズ、米澤穂信の氷菓に代表される古典部シリーズに、今村昌弘の魔眼の匣の殺人、アガサ・クリスティのそして誰もいなくなった。
様々なミステリ談義に花を咲かせた。最初はどことなく怯えたように雑談に応じてくれていたあの子だったけれど、次第に自分からも話しかけてくれるようになった。じきに、お昼ご飯も一緒に食べる様になった。話すのはもっぱらミステリの話が中心だったけれど、それ以外にもいろんな話をした。好きな映画の話、ミステリ以外の趣味の話。意外だったのはミステリ以外にも共通の趣味があったことだろう。
あの子も私も読書好きが高じて自ら小説を書く様になった人間だった。最初にお互いが小説を書いてると知った時の興奮といったら!思わず物理的にぴょんと飛び跳ねてしまうほどだった。なにせ、今まで自分以外に小説を書いている人なんて見たこともなかったから。趣味は小説を書くことです、なんて言ったって趣味が合致することなんてなかったから。せいぜい、凄いね!と口では言っては貰えても、向けられるのは珍獣を眺める様な眼差し。それぐらいならまだ可愛いもので、酷い時など小説なんか書いてるの、ウケると小馬鹿にさえされる始末。
だからこそ小説は人前で書かない様にしていたし、小説を書くのが好きなことも内緒にしていたのに、まさか同好の士が現れるなんて。私は嬉しかった。凄い凄いとぴょんぴょん飛び跳ねるほどに。あの子は飛び跳ねこそしなかったけれど、その切れ長の目をかつて見たことがないぐらいキラキラさせていて。本当に嬉しそうだったことをよく覚えている。
そんな私達はいつでもつるむ様になった。部活だけは結局あの子はそのまま剣道部に入り、私は硬式テニス部に入ったものだから別々になってしまったけれど、それ以外はずっと一緒にいた。体育の授業で組むのはいつだってあの子だったし、移動教室だって一緒に向かった。お昼はいつだって一緒に食べたし、席替えの時は近くの席になった時など手を取り合って喜んだものだ。私達はずっと一緒にいた。それこそお手洗いに向かう時でさえ。
そんな私達の関係は学年が上がってからも変わらなかった。私達の学校は中高一貫校で、継続した指導のためということでクラス替えなどはなかったけれど、それでも長期休み明けなどで久々の再会を果たした時など飛び上がるぐらい嬉しかった。変わらぬあの子の切れ長の瞳を見つけた時など、それはそれは嬉しかったものだ。
私達は次第に、お互いの小説を見せ合うようになった。お互いに小説を見せ合う事で表現としてわかりにくいところはないか、言いたいことがうまく伝わっているかなど様々意見を交わし合ったりもした。時には意見の食い違いから口論みたいになることもあったけれど、それでもあの子と一緒にいるのは居心地が良かった。あの子のそばでなら、私は自分を隠さずにいられた。ミステリが死ぬほど好きなことも、本を読むのが大好きなことも、小説を書いていることも。
あの子のそばでなら、私は自然体でいられた。他の子達といる時みたいにつまらなくても笑わなくていいし、話を聞いてることを示すために大仰な反応をしなくてもいい。興味のない話に付き合わなくていいし、興味のあることだけ話していられる。それでいて喋りたくない気分のときは喋らなくていいし、二人でいる時お互い無言でも気まずくならなかった。私はあの子のそばにいるのが好きだった。あの子が切れ長の目をキラキラさせながら小説について語るのが好きだった。髪の毛は相変わらずボサボサだったけれど。
3学年にあがっても、私たちの関係は変わらなかった。私達はいつだって一緒にいた。文化祭や体育祭、委員会だって。一緒にいないのは部活の時ぐらいだったけれど、夏の大会で部活を引退してからは、放課後の空き教室で延々と小説についての話をしていた。米澤穂信の春季限定いちごタルト事件が面白い、綾辻行人の暗黒館の殺人はシリーズ最高傑作だ、小説のその表現じゃ何がいいたいのかわからないよ。様々な話をした。ずっと私達は一緒にいた。
私達は以前よりずっと踏み込んだ話をするようになった。家族のこと、他人との距離感のこと。私達は家族と上手くいっていないという共通項があることも分かった。私は親と。あの子は兄妹と。家族だから分かり合えるって幻想だよねという話で盛り上がった。他人って怖いよねという話で盛り上がった。
他人は怖い。何を考えてるのかわからない。腹の底で何を考えてるのか気になって仕方がない。他人と話すことが嫌いというわけではないけれど、腹の底が読めない人と話すのは苦手だという話をした。上っ面だけで話を合わせ、微笑みあう関係が大嫌いだという話をした。表面上の仲良しこよしなんてクソ喰らえだという話をした。その点あの子は話してて楽だという話をした。なにせ、お互いに隠し事なんてなにもなかったから。お互いについて、知らないことなんてなかったから。心を許せる、唯一の子だったから。私もあなたと話すのは楽だよ。あの子もそう言ってくれたことが本当に嬉しくて。
髪、切った方がいいんじゃない。そんな話もした。折角顔立ちがいいのに、髪の毛がボサボサなのはもったいないよ。そうかな。照れくさそうに笑ったあの子の横顔。とても印象的だった。
次の日あの子は中途半端に長かった髪の毛をバッサリ切って現れた。サラサラのショートボブにして。初めて会った時から惹かれていた、切れ長の目と相まって、とてもかっこよかった。鼻筋はすっと通っていて、口は小ぶりで。顎もすっと引き締まっている。そして吸い込まれそうなぐらい真っ黒な切れ長で涼しげな目。そしてスレンダーな肢体に雪の様に真っ白な肌。とてもかっこよかった。想像を遥かに超えて。そんなあの子に、どうかな、似合ってる?と聞かれた時。不覚にも、心臓が小さく跳ねた気がした。
2.
無事にあの子がイメージチェンジを図ってから、あの子は私以外の人からも話しかけられるようになっていた。何せ、私以外殆ど話しているところを見たことがない様な子が、ある日突然イメージチェンジしてきて。それがまた似合っているのだから、何があったのかと話しかけたくなる周囲の気持ちはわかる。逆の立場なら私も気になっていただろうから。そしてあの子も私と話すことで人馴れしたのか、初めて私と会った時の様な怯えた様子を見せることなく、楽しげに会話に応じていた。
それはあたかも微笑ましげな光景。かつて私に話しかけられるだけで肩をびくつかせ、吃っていたあの子が普通に人の輪の中にいる。それは一友人としては喜ぶべきなんだろう。他人にあれだけ苦手意識を持っていた子が普通に話ができる所まで来たのだから。喜ぶべきだってことはわかっている。
でも、みんなの輪の中で楽しげに笑うあの子を見るとモヤモヤするのだ。心がキュッと締め付けられた様な気になるのだ。かつてその微笑みは私だけに向けられていたのに。その笑顔は私だけのものだったのに。これまで私達を陰で陰キャと嘲ってきた子たちにまで向けられている。それは堪らなく不愉快であり、同時にあの子を盗られたという思いに繋がってしまう。そう思うべきじゃないことなんて分かっている。それでもどうしても思ってしまうのだ。あの微笑みは、あの笑顔は、私だけのものだったのに、なんて。
みんなの輪の中で楽しげにしているあの子を見ていると、無性に腕を引っ張って輪から引き剥がしたくなる。私だけを見て、私だけと一緒にいて、私だけとお話しして、私だけに微笑みかけて欲しい。私だけのあの子でいて欲しかった。
でも、それはもう叶わないのだ。あの子の世界は広がってしまった。あの子の世界は私だけじゃなくなってしまったのだ。私が余計なことを言ったから。髪切ったら、なんて言ってしまったから。世界があの子に興味を持つきっかけを与えてしまった。あの子が世界に興味を持つきっかけを与えてしまった。あの子は私だけのものじゃなくなってしまったのだ。私が余計なことをしたせいで。
あーあ。失敗したなあ。内心呟く。あの子の魅力は私だけが知っていればそれでよかったのに。きっと、これからもあの子の世界は広がって行く。私は沢山いる友達の一人になってしまうのかもしれない。なんなら、彼氏なんかもできて、私が遊びに誘っても、彼氏との約束があるからと振られてしまう。そんな未来も遠くないのかもしれない。
そんな未来を想像すると無性に胸がざわつくのだ。ぞわぞわとして、氷水を心の中に流し込まれているかの様に心が冷え冷えと冷えて行く。あの子は私のものだったのに。私だけのものだったのに。あの子の切れ長の瞳に私だけが映ることはもうないのだ。いっそ、彼氏なんてできなければいい。友達なんてあの子にできなければいい。そう思ってしまう。そう思うべきじゃ無いってわかっているのに、そう思ってしまう、私自身が酷く汚く穢らわしいものの様に思える。こんな穢らわしい人間があの子の横に立つ資格なんてないってわかってる。
だけど。だけど思ってしまうのだ。私だけを見てよと。昔みたいに二人きりでいよう。そう思ってしまう。
また同時に思うのだ。私を置いていかないで、見捨てないで。私をひとりぼっちにしないで。だけど現に私は蚊帳の外。そのうち一人寂しくお昼を食べる日もそう遠く無いのかも知れない。ただのよくある友人の一人に落ちぶれて、私だけを見つめてくれる日はもう来ないのかも知れない。そう思うと無性に鼻の奥がツンとなって。ころりと水滴が目からこぼれ落ちる。
滲む世界で、人の輪の隙間から見えるあの子の横顔。やっぱりどこまでも格好良くて。もう一度だけでいいから、あの切れ長の瞳を独り占めしたかった。
その瞳はどこを向く 間川 レイ @tsuyomasu0418
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