枯れ木に水を
あれ以来文芸部には顔を出していないし、
ただ毎日登校して、そして帰るだけ。
先輩と私は完全に関わりを絶っていた。
(……まあ、それでも別にいいか)
なんて、半ば
私は否応なく、あの日と向き合う事となった。
***
「それじゃあ。自己紹介お願いね」
ある朝のホームルーム。クラスの担任が一人の女子生徒を連れてきた。時期外れの転校生で、かつてこの辺りに住んでいたそうだが、衝撃のあまり彼女の言葉は一切入ってこなかった。
けれど、自己紹介の言葉を聞かずとも分かる。
だって私は、彼女を知っているのだから。
「……
一年ぶりに見る陽葵ちゃんの顔は、記憶の中のそれとはかけ離れたものだった。
快活そうな雰囲気は影を潜め、代わりに目の下の真っ黒い隈が青白い肌によく目立っている。自信に満ちていた瞳は陰っていて、まるで何かに怯えているようにも見えた。
彼女はぐるりとクラスを見渡して、そして、私と目があった。
「…………ぅあ」
小さな呻き声のような、喉から漏れ出たような声。私の声か陽葵ちゃんの声か、どちらかは分からない。
「どうした?神田、大丈夫か?」
「……は、はい。大丈夫です」
担任が心配そうに声をかけ、やっとといった風に返事をする。
どうやら席はもう決まっていたようで、自己紹介が終わると陽葵ちゃんは私から少し離れた机に向かっていった。
私はしばらく硬直していたが、ようやっと頭が回るようになってきた。向こうが私の事を覚えていないという事はおそらく無いだろう。目が合った時の反応でそれは察せられた。
焦燥と後悔に蓋をした穏やかな日々は今日で終わってしまった。
***
そして、その日の放課後。
私は体育倉庫の裏側に向かっていた。とは言っても、何も好き好んでそんな場所に行く訳では無い。
呼び出されたのだ。
『今日の放課後、体育倉庫裏にて待つ』
と書かれた紙が、私の下駄箱に入っていた。まるで果たし状みたいだな、と思って裏を見ると、
『なお、武器の持ち込み・部外者の見物は禁止とする。一対一で臨むべし』
マジで果たし状だった。昭和の不良マンガかよと思ったけれど、それでも無視する事はできなかった。なぜなら、私はその筆跡に見覚えがあったからである。
そして、しばらく歩いて指定された場所に着くと。
「……や。久しぶり」
やはりと言うか、何と言うか。そこには陽葵ちゃんがいた。
「どうしたの?そんなとこで突っ立ってないで、早くこっち来てよ」
「……は、はい」
「敬語は禁止ね」
「……分かりまし……分かった、いいよ」
陽葵ちゃんはまるで昔のような気安さで話しかけてきた。恐る恐る隣に立ち、続く言葉を待つ。
「…………」
「…………」
けれど私たちはお互いに何も言えなかった。それほど、今までの年月は長かったらしい。
「……今日カナちゃんを呼んだのはね。いっこ、言いたい事があったんだよ」
カナちゃん━━━━カナ。
その呼び方に誰かの影が脳裏を過ぎり、ブンブンと頭を振ってそれを振り払う。
「?どうしたの、そんな変な動きして?」
「な、何でもない。気にしないで」
ふうん、と訝しげにしながらも、どうやら陽葵ちゃんは気にしない事にしたらしい。こういう時には、サッパリした陽葵ちゃんの性格がありがたい。
そして、そこから暫くの間沈黙が過ぎたけれど、
「……ねえ」「……あの」
同時に喋り出し、私たちは思わず顔を見合わせた。
「ん、カナちゃんの方からいいよ」
「あ、ありがとう━━━━━それじゃあ、」
譲られて陽葵ちゃんに向き直り口を開く。
ずっと言えなくて溜め込んでいた言葉。固く蓋をしていたその気持ちが溢れた理由は、もう言うまでもない。誰かに語る事で気が楽になるとはよく言う話だが、今回に限ってはそうではなかったらしい。
緊張で喉が乾き、声が掠れる。いっその事逃げ出してしまおうか。そんな思いが首をもたげるが意志の力で無理やりねじ伏せる。
だって。
「……あの時助けてあげられなくて、本当にごめんなさい。許して欲しいとは言わないし、私だって自分を許したくない━━━━━━━でも」
これだけは言いたかった。言わなきゃいけなかった。
頭を深く下げ、陽葵ちゃんの言葉を待つ。
少し間を置いて、震えた声が降ってきた。
「わたし、ずっと考えてたんだ」
ぽつりぽつりと、呟くように言葉が続く。
「どうしてああなっちゃったんだろう、って。わたしがこうなっちゃう前に、あの子がああなっちゃう前に何があったんだろう、って。」
いじめの原因について言っている━━━━━━という訳ではないだろう。
もっと下の、根深い所について言っているのだろう。
「わたしってさ。あの頃、何でもできるって思ってたんだ」
あくまでも静かに、淡々と。
「まるで漫画のヒーローみたいに困ってる皆を助けられて、悪い奴らは懲らしめられる。ちょっと失敗することはあっても、最後には大団円で終わる。そんな風に思ってたんだ」
「…………」
「悪い奴は根っこまで悪い奴で、良い人はいつまでも良い人で。そういう、子供みたいな思い込みで生きてた」
私に言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのか。
雨粒のような声だった。
「傲慢っていうのかな、こういうの。ねえ、カナちゃん。あの時私が庇った子、なんで嫌がらせを━━━━いじめを受けてたか、知ってる?」
「いや。知らない、けど……」
「……あの子ね、南雲さんのお父さんの事を酷く言ってたみたいなの」
お父さん?
ここでその言葉が出てくる意味がよく分からなかったけれど、陽葵ちゃんはその反応を予想していたように続けた。
「南雲さんって、父子家庭らしいの。小さい頃にお母さんが病気で亡くなって、それ以来ずっとお父さんと二人で暮らしてきたんだって」
「……初めて聞いたよ、そんなこと」
「うん。私も、こうなってから……不登校になってから、人づてに聞いたんだけどさ」
私も陽葵ちゃんも、ただじっと俯いたままだった。
「まあ、自分の家族を、ましてやたった一人でここまで育ててきてくれた親を馬鹿にされたらそりゃ怒るよね」
「で、でも!だからといって、それがいじめていい理由にはならないんじゃ……」
「うん、ならないよ。でもさ━━━━」
そこで、陽葵ちゃんは一つ息を置いて続けた。
「私はもう、南雲さんを無邪気に責められなくなっちゃった。悪人はどこまでも悪人であって欲しかったし、良い人は常に良い人であって欲しかった」
そこまで言うと、私の方を向いて。
「悪人の事情なんて知りたくなかったし、良い人の悪い所は聞きたくなかった━━━━そんな、自分勝手な正義を振り翳してたんだよ」
そして、悲しそうに。呟くように零した。
「ねえ。私って、なんでこんなに馬鹿なんだろうね?」
困ったような笑顔。次の瞬間には崩れてしまいそうなほど脆く感じられたその表情に、何故だか先輩の顔が重なった。
「……カナちゃんには、私みたいになってほしくないんだよ」
続けて言う陽葵ちゃんの顔は、白音先輩とよく似ていた。
白音先輩の家で見た、別れる直前のあの酷く傷付いたような顔。自分で自分を傷付けた陽葵ちゃんの表情と、私が傷付けた先輩の顔。どうしてかそれが同じものに思えてしまった。
「……馬鹿じゃない。陽葵ちゃんは馬鹿なんかじゃないよ。立派で、かっこよくて、優しくて━━━━━私の、憧れだった」
憧れ『だった』。
過去形にしたのはわざとだ。
だって、私は陽葵ちゃんを想えないから。好き勝手憧れて背負わせて、その
必ずどこかで、陽葵ちゃんを裏切った昔の私が顔を出す。昔の私が、今の私の間違いを正しにくる。
━━━━━━━━━━だから。
私は今日、私の思いを終わらせに来た。
「私、陽葵ちゃんのこと好きだったよ」
ロング・ガールズ!~ボッチな私と小さなお姫様が世界を救って本を作るまでの顛末、あるいは人が人を信じる話~ 波岡 蓮 @HaokaRen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ロング・ガールズ!~ボッチな私と小さなお姫様が世界を救って本を作るまでの顛末、あるいは人が人を信じる話~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます