32 白々しい対面

 スヴェトラーナとアナスタシアが学園に復帰する日がついに来た。

 既定の制服――臙脂えんじ色のブレザーと膝丈のスカート――に身を包んだ二人は、学園の歴史を感じさせる壮麗な門の前で想定外の出来事に遭遇していた。

 まるで来る時間が分かっていたかのように大勢の人間に待ち伏せされていたのだ。


 その多くが単なる物見遊山のギャラリーに過ぎず、ゴシップな話題が好きないわゆるミーハーな学生だった。

 彼らはほぼ一過性の熱で動くだけの無害な者と言ってもいい。


 二人にとって、障害と成り得るのは良く見知った男とそれを取り巻く羽音がうるさい虫どもだった。


「ああ。心配していたのだよ、ツェツァスヴェトラーナ


 スヴェトラーナは「何とも空々しいことで」と心中で毒づきながらも目の前で取ってつけたような作られた笑みを浮かべた男と同じく、自分も取ってつけたと言わんばかりの笑顔を見せる。

 両者ともに仮面の如き、白々しい笑顔の裏で互いの隙を窺っている。

 傍目にはそれが分からない。


 外面だけを見れば、見目麗しい父親と娘の感動の再会といったところだろうか。

 中年の域に差し掛かかろうとも衰えぬ美丈夫であるプラトン。

 意識不明の重体から、奇跡的に生還した姉と献身的に看病した妹。


 二人の美しき公女姉妹と父プラトンの久し振りの邂逅ほどマスメディアが好む材料はなかった。

 マスメディアは既にプラトン一派が意のままに操る手先である。

 彼らの御用聞きのように捏造された記事がばら撒かれていた。


 学園で公女を心配し、プラトンが毎日のように病室を訪れていると実しやかに書かれた記事を見て、熊屋敷メドベージェフ邸で三人の女が姦しく、笑ったほどだ。

 それ以外にもありえない記事がさも事実のように報じられていた。

 スヴェトラーナが実際に入院した病院の誰に聞いてもそのような事実はなく、主治医のルスランや看護師カリーナも間違いなく否定するだろう記事だ。


 しかし、緘口令が布かれており、誰も真実を口にすることは出来なかった。

 ルスランは大伯母がリュドミラなだけに敏いところがあり、カリーナを含め周囲の者にも迂闊なことを漏らさないよう注意していた為、難を逃れたが中にはそうでない者もいた。

 酒の席でうっかり零した男は翌日、川で溺死した姿となって発見された。

 川と言っても小川のようなもので腹が膨れるほどに水を飲むほどの水量などない。

 それにもかかわらず、男の死体は別人のように膨れ上がり、まるで見せしめの為とでも言わんばかりに酷い有様だった。


「ええ、ありがとうございます」


 と付け加えないのはせめてものスヴェトラーナの抵抗だった。

 愛称で呼ばれたこともなければ、言葉を交わしたことすらいつのことだったか、覚えてない程度の付き合いしかない。

 その時、「さすがはお優しい」「イケメンはさすが絵になる」といったニュアンスの声が耳に入った。

 スヴェトラーナは危うく舌打ちをしかけ、どうにか心を静める。


 『魔王』だった頃の名残と言うべき冷静さは未だに健在だったが、『魔王』と『公女』は既に混じり合い溶け合った同一の存在となった。

 以前、目覚めたばかりの頃のように表層に『魔王』が出てくることはなくなっている。


「それでは失礼致しますわ。もう始業時間が近いのでわたくしとナーシャアナスタシアは急がなくてはいけませんから」

「そうか。それは残念だね」


 親娘のやり取りに四方からフラッシュが焚かれた。

 感動的な場面とでも銘打った記事にでもするのだろうと心中で冷笑しつつ、スヴェトラーナはプラトンが握手をしようと差し出した手を無視する。

 そのままアナスタシアの手を引くと騒然とした場を静かに去っていった。


 次第に小さくなる二人の娘の背に向けられたプラトンの顔には未だに張り付いたような奇妙な笑みが浮かんでいる。

 注意深くプラトンの様子を見る者がいたら、気付いたことだろう

 彼の瞳に映し出されるのは娘への愛情ではない。

 殺意と憎悪に満ちた昏く、燃え上がる炎であることに……。


「ナーシャ。気を付けることね。ああいう手に引っかかっては駄目よ?」

「は、はい。分かってます、お姉様」


 アナスタシアは『先読み』で見ていたのだ。

 プラトンが掌に遅効性の毒物を塗布し、ほくそ笑む姿を……。

 この手の暗殺術は東欧地域では常套手段の一つだった。

 あまり見られなくなったのは、より効果的な手が用いられるようになっただけに過ぎなかった。


「いいこと、ナーシャ。時は容赦なく。いいわね?」


 アナスタシアはただ力強く頷き、姉の言を是とした。

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魔王が来たりて全壊す~ドアマットヒロインなたぬき姫、悪役令嬢になる~ 黒幸 @noirneige

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