踏まれたい男

月見 夕

怪しいDMは即ブロに限る

 全然縁もゆかりも無い田舎の路線バスには、あたしを除いて誰も乗ってはいなかった。降り立った無人駅を出て、もうかれこれ1時間は経ったろう。ペラッペラのシートがおしりに響く。

 地図アプリを表示した画面の、現在地を示す青い丸を睨む。それは細い一本道以外何も無い土地を滑るように進むが、誇張なしに山と刈り終えた田んぼしか見えない牧歌的な風景に、あたしは早々に興味を失くしてタブレットを仕舞った。



 大学サボって何やってんだか。

 薄く溜息を吐いて、ガタガタと不規則に揺れる天井を睨む。

 事の発端はインスタに届いたDMだった。

 インスタにはたまに全身コーデを載せていた。理由?特にないでしょ。女子大生なんて皆やってんだよそんなの。

 露出高めの服が好きだから普段から変なDMもよく届いた。

 開いて、面白い内容はスクショして友達に見せてた。その後は基本即ブロだけど。

 そのDMもなかなか強火の面白DMだった。

「踏んでくれませんか。ぜひ貴女に踏まれたい。金は出すので」

 やっべー人来ちゃったよ。『ぜひ貴女に踏まれたい』って……もうキモいを通り越して清々しい。

 気づいたら半笑いで返信を打ってた。

「いくらでも?」

「ええ、言い値で結構です」

 絶対危ないやつじゃん。ヤラせてくださいの方がまだ分かりやすいけど、踏んで下さいって。性癖前のめり過ぎんだろ。

 さてブロックしようかと指を画面上に彷徨わせていると、追加のメッセージが届いた。

「踏む意外のことは要求しません……あ、少しだけ写真は撮りたい……です。でもそれ以外には何も変なことはしません。本当です」

 余計に怪しさが跳ね上がった欲求に、思わず噴き出してしまった。これは強者だ。行って何されるか分かったもんじゃない。誰が行くんだよこんなの。

 そうは思ったが、一瞬だけ遊び心が胸をかすめた。行って冷やかしてやっても面白そうだ。一部始終を動画に撮ってやってもいいかも。

 思い立ってから返信を打ち終わるまで、ものの数秒もかからなかった。

「分かりました。いつにします?」



 ようやく辿り着いたバス停は山の中で、あたしはもう帰りたくなっていた。向かいに立ってたバス停の時刻表も一応見たが、1日3本しかなかった。朝昼昼の3本。逆に誰が乗るんだ。好奇心に駆られた一時の自分を助走つけて殴りたい。

 引き返そうにも帰りのバスは3時間待ち。もう腹を括って目的地に行く以外に選択肢はなかった。

 インスタを開いてDMで「着きましたけど」と送ると、程なくして返事が来た。

『そこであと20分待っててください』

 何もない山の中で20分はダルいて。トトロでサツキとメイがお父さんを待ってたバス停を想像して欲しい。鬱蒼とした木々に囲まれ、未舗装の道が森の奥へ続いてるだけの風景。今いるのはそんな感じの場所だ。タブレットを取り出してみたけど案の定圏外だった。

 仕方ないので心を無にして突っ立っていると、ブロロロプスンプスンと音を立ててオンボロの軽トラが道の向こうから走ってきた。

「お待たせしました……いやあ、今日は遠くからありがとうございます!」

 運転席から顔を出したのは、気の弱そうなおじさんだった。この人か、踏んでほしい人は。

「……どうも」

「さあ隣でも後ろでも、乗って乗って!」

 後ろって、この雨ざらしの荷台のことか。乗り方がよく分からないので意を決して助手席に乗り込むことにする。

 軽トラはおっさんとあたしを乗せ、Uターンして来た道を戻り始めた。



 道幅ギリギリの農道を走り、急な坂をしばらく上がると少し開けた場所に出て、止まった。辺りは何やら目線くらいの高さの木が生い茂っている。ここで踏めということだろうか。

 さっさと終わらせたいあたしは助手席から飛び降りるなり、

「……で、どこ踏んだらいっすか」

 靴も脱ぐ?というジェスチャー込みで問いかけた。さすがにヒールで踏まれたら痛いだろう。いや、その痛み込みでお願いしますと言われたら返す言葉もないけど。

「お、やる気充分で助かります。こちらも準備がありますので、ひとまずこちらに着替えてて貰っていいですか。着替えはほら、あそこの小屋を使っていいので」

 踏むのと写真を撮る以外の要求はしないんじゃなかったか。

 微妙な顔をしておっさんから受け取った衣装は、丁寧に畳まれていたので何なのかは分からなかった。けど布面積の小さいエロいコスプレとかではなさそうなので、素直に着替え小屋に向かうことにする。もうヤケクソだ。

 十数分後。

「これで……いいすか」

 渡された服はくすみ色の南仏風メイドというのか、露出の控えめな農村風ワンピースだった。いわゆるメイドカフェのあれみたいに派手でも短くもないやつ。

 着替えながら、あーそういうのが趣味の人か……と気落ちしたが時すでに遅し。もう着てしまった。

「おーいいね、似合ってるよ。特に裾なんか丁度いいんじゃないかな」

 裾て。膝下丈のメイド服に踏まれたいという願望が何だかリアルで引く。

 何が楽しくて古のメイド服を着、見知らぬおっさんを踏まねばならないのだろう。全てはあたしの出来心のせいだ。あの時断っていれば――

 そこまで過去の自分を呪ったところで、おっさんが用意していた代物の存在に気がついた。

 1mはあろうかという大きな木桶に、黒い何かが盛ってある。そしてその上からラップをかけるように透明のシートがかけられていた。

 何これ。目一杯の疑問符を隠さず顔に出していると、おっさんがにこにこして口を開いた。

「ああ、これはね――」

 摘んで見せたのは、たわわに実った立派なブドウだった。

「実はうちの農園では『乙女が踏んだブドウ酒』という名前でワインを作っていてね。この名前に恥じないように、とびっきり足がキレイな方にお願いして毎年ブドウを踏んでもらってるんだよ。ワインに使うからブドウにシートをかけてゴミやら何やらが入らないようにして。撮った写真は販促で使ってるんだよ。ポスター作って、物産展で貼ったりね。この名前にしてから本当に売れ行きが良くて……ん?どうかした?」

 穴があったら入りたい。てっきり目の前の性癖丸出しのおっさんを踏むんだと思って、意気込み充分でこんな田舎まで来たあたしを殴りたかった。あちらが大真面目な分、余計キツい。

 平静を装ってブドウ桶に入り、シート越しにブドウを踏み潰す。スカートの裾を少したくし上げ、リズミカルに踏む様子をおっさんはスマホでパシパシ写真に収めていた。主に膝から下を。

 数分後、おっさんはカメラロールを眺めて満足気に頷き、笑顔で傍に置いていた紙袋をあたしに差し出した。

「いやあ本当に、今日はありがとうございました!いいポスターが出来そうです。あ、これは日当とお土産です。どうぞ」

 おっさんの差し出す山盛りの採れたてブドウの紙袋を受け取るあたしは、どんな顔をしていただろう。もしかしたら耳まで真っ赤だったかもしれない。


 おっさんに最寄り駅まで送ってもらい、手を振って別れた。大量のブドウの重さが腕に沈み込む。たったひとりの無人駅で、クソデカ溜息を吐いた。


 怪しいDMは今度から断固として無視しようと、あたしは心に固く誓った。

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踏まれたい男 月見 夕 @tsukimi0518

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