若草山カウントダウン

 年末年始、大掃除に年賀状、お節作りと親戚で集まる際の手土産、お年玉の用意などを慌ただしく終わらせて、年越しそばの準備を済ませれば、ようやっと忙しなさから解放されて一息吐ける。

 とはいえ、年々お節は皆が喜んで食べるものだけ作るようになって品数は減ったし、大掃除も障子や襖の張り替えはここ数年しておらず、畳をあげるようなこともしないで、壁や天井はスチーム掃除機でささっと終わらせるようにしている。

 高校を卒業した甥姪はお年玉も卒業してもらっているし、年賀状も半数以上スマホで挨拶を交わすことで終わらせるようになってしまった。

 昔だと1週間から三日かけて行っていた正月準備が2日ほどで終わるようになったのは、楽になった喜びが大半を占めるが少しだけ正月を迎える実感が減って、日常の続きになっているのが寂しいような気持ちになる。

 とはいえ、準備で力尽きることがなくなったので年末行事に参加もしやすく、除夜の鐘をどこにつきに行こうかと、家族で話したりもしていた。

 コロナ禍の数年は除夜の鐘をつくのも一般の参加を断られたり、事前予約の抽選制になったりしていたが、環境客に門戸を開いているような寺は当日並んで整理券を得れば除夜の鐘に参加できることが大半。

 なので我が家ではその年の気温や混み具合を見て、寺を選んで出かけるのが習慣だった。


 ただ、1999年の大晦日は寺ではなく、若草山に出かけていた。

 ミレニアム記念として、若草山でカウントダウンと共に光で人文字を作ろう!というイベントが企画され、それに妹が家族分応募したところ採用され、参加することになったのだ。

 ちなみに当選と当日の案内通知が来てから、家族はそれを知らされた。

 いきなりすぎる、と文句は言ったものの夜に若草山に登るなんて滅多にできる体験ではなかったので、いそいそと参加することになった。

 人文字の点のひとつになるために薄暗いくらいの時間から集合し、誘導されるがままの場所で待機して何度かリハーサルを繰り返した。

 本番は23時30分を過ぎてから。

 徐々に暗さを増す寒空の下、スマホもなかった時代の、5時間以上の待機はなかなかに辛かった。

 等間隔に座った近くの家族が話し相手になってくれていなければ、参加を後悔していたに違いない。

 とは言え、街灯などのない若草山の山頂は、普段街中で暮らしていれば味わうことのない本物の暗闇。

 足元の安全のため、等間隔で座らされている傾斜のところどころに、山頂に向かって工事用ライトが置かれていたものの、すぐ近くにいるはずの人の姿も朧なほどだった。

 代わりに眼下の奈良市の夜景が綺麗だった。

 普段はドライブウェイから行ける展望台で見られる夜景らしい。

 そして近くの人と言葉を交わし合っている人も多かったのか、ざわざわとした人の声は聴こえていたので不安感はさほどなく、東大寺で女性歌手のライブも始まると若草山で待機している人々のテンションも次第に上がってきていた。

 そんな中、私は家族との会話も途切れ、携帯電話で友人たちに若草山カウントダウンに参加していることを伝え、自身では見ることができない人文字の様子を奈良テレビで放映されるはずだから録画してくれと頼んでいた。

 数度のメールをやりとりし、ふと顔を上げると一メートル間隔で座っている人の間を歩く人影を見つけた。

 そろそろ本番に近い時間でもあったので、スタッフが確認作業でもしているのだろうと思い、私も準備として懐中電灯を握りしめた。

 スタッフの合図で光を何度か切り替えていかなくてはいけない。

 上手くできるか途端に不安になって、渡されていた説明の紙をがさごそと探っていると、座っている私のすぐ横に人が立った気配がした。

 さっき歩いていたスタッフさんだろうと、私は顔を上げた。

 横には誰もいなかった。

 あれ?と思って首を巡らせ、前や後ろを確認する。

 家族と、見知らぬ参加者の姿があっただけだった。

 風が吹いたのを勘違いしたのだろうかと思ったが、ザク、と枯れ草を踏む音が座る私のすぐ横から聞こえた。

 人の姿はない。

 ただ私の後ろから前に向かって……山頂から下に向かって何かが歩く音が数歩分、続いた。

 何が、と混乱する頭で考えていた時、「はい、みなさん!準備はいいですか!」というスタッフの声が聞こえた。

 私たちのグループの前方に手を上げたスタッフの姿が見える。

 そこからはミスをすまいと、緊張と寒さに体を震わせながら懐中電灯のスイッチを入れたり消したり。

 約6時間待機して15分の本番を終え、暗闇の中、慎重に一時間ほどかけて下山して1999年のカウントダウンイベントは終わりを告げた。

 ちなみに録画してもらったテレビ放映を確認したが、自分がどの辺りにいたかは全く検討がつかなかった。


 このカウントダウンはミレニアムイベント、つまりは臨時の行事だったが、毎年若草山で行われている行事といえば一月末の山焼きだ。

 子供の頃は奈良の山焼きは京都の大文字焼きのパクリだ、という子供の間の流言飛語を信じていたが、大人になって別の由来があったことを知った。

 若草山の山頂には鶯塚古墳という前方後円墳がある。

 その昔、この古墳から幽霊が出てきて人々を怖がらせることがあった。

 それを阻止するには山を焼かないといけない。翌年の一月までに山を焼かないと良くないことが起きる、と言った迷信が蔓延し、勝手に火を付ける者まで現れた。

 この放火が東大寺にまで迫ることがあり、奉行所が放火を禁じるお触れを出したが効果がなく、ならばいっそ管理して山を焼こう!となったのが江戸末期だったとか。

 それから鶯塚古墳に眠る霊の鎮魂の祭礼として山焼きが行われており、近年では花火も上げられる人気行事になっています。

 さて、あのカウントダウンイベント。

 当然のことながら、1999年から2000年にかけての時間に行われたわけで、1999年の鎮魂は成されていたけれど、2000年に関してはまだ祭礼は行われていない。

 ほんのちょっとフライングして、古墳の方が出歩いていたり……していたわけではないのでしょうが……。

 本番終了後、山から降りていく人々の列の中で

「さっきさあ、スタッフじゃない人が歩いてなかった?」

「トイレ行った人じゃなくて?」

「ちがう、と思うねんけどなぁ……」

 そんな会話が聞こえたので、あの人影や足音に気づいたのは私だけではなかったと思うのですが。

 大晦日のカウントダウンを聞くと記憶が蘇る思い出の一つです。



■奈良市 若草山

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奈良のちょっとした話 秋嶋七月 @akishima

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