Breakfast on the Monday【am8:30-9:15】
「新興宗教を作ろう」
湿度が残る10月の朝のこと。この世の何もかもに絶望したような顔で、先輩は世迷い事を口にした。死神のような暗さを纏いながら、眼だけは爛々と血走っているところを見るに、また司法書士試験に落ちたらしい。
もはや夏の終わりの風物詩となりつつあるそれは、4年目にして彼を狂気へと突き落としたようだ。
「社会実験として新興宗教を作ろう。馬鹿で無知な学生たちを騙くらかして、一山当てようぜ」
「壮大で荒唐で無稽な野望ですね。試験に落ちたからってヤケになったんですか」
昨晩の寝不足を引きずってグロッキーに陥っていた私は、深呼吸するかのように煙草を吸いこみ、ふぅーーっと思いっきり先輩の顔に吹きかけてやった。
後期が始まったばかりの大学の喫煙所は、魂を夏休みに置いてきた連中で満員御礼だ。どいつもこいつも私も、生気を失った表情をしている。
それでも慣れない早起きをして這って登校しているのは、「第一回目くらいちゃんと出席しよう」という謎の使命感や、「オリエンテーションさえ出ておけば、テストと出席の対策ができる」といった堕落の極みゆえだろう。
「ヤケになんてなっていない」
先輩が「心外だ」と言わんばかりの声で反論した。
「中身がなさすぎるやろ。びっくりしたわ」
「なおっさんは教祖な。俺がブレーンをやる」
私の名前に促音を入れるのは、学内でも彼だけ。響きが“おっさん"と同じなんだよなぁ、と思いながら、「なんで私が教祖なの」と返す。
「人誑しの素質がある。黙っていれば見た目もいい。口さえ開かなければ、男をいくらでも騙せる」
「褒められている気がしないんやけど。朝からディスるのやめてくれませんか」
向かいに立っていた男が、ぶふっと煙を噴き出した。大学構内の端っこに追いやられた灰皿を囲むように、男女が数人、亡霊のように佇んでいる。少なくとも、ここにいる人間は騙せそうにない。
「筆記の点数、どれくらいだったんですか」
現役から2年遅れで法学部に入った先輩は、今年で卒業を迎える。入学当時から司法書士を目指していたらしいが、毎回筆記試験で不合格を食らい続けていた。
勉強ができない人じゃない。浪人したのだって家庭の事情が絡んでいたせいだし、地頭の賢さだけでいうなら、そこら辺の学生よりも高い。
それなのに4年経っても合格できないのは、何か悪いモノでも憑いているとしか思えなかった。
「……あと一問正解なら合格だった」
「お祓い行きますか。付き合いますよ」
「行かない。行かないけど、教祖になって」
「なんでやねん。ならんて」
短くなった煙草を水の中に落とし、買ったばかりのパッケージから新しい一本を取り出す。腕時計を見ると、長針が9に触れようとしていた。これを吸ったら、教室に移動しなければ。
学部も年齢も違う先輩と仲良くなったきっかけは、名物教授と名高い先生が主催する勉強会だった。
『君たちのような学生がカルトに騙されるんだ!』
気まぐれにとった心理学の講義で、声高々に発せられた一言。面食らっている私たち学生に向かって、先生はこう続けた。
『騙されたくない奴は勉強会に来い。駅横の喫茶店で毎週水曜18時から。参加費は飲み物代だけ』
カルトだってマルチだってもっと上手くやるであろう勧誘に、中二病心を刺激された私はまんまと引っかかり、そのよく分からない勉強会で先輩と出会った。
打倒カルトを志す教授による、崇高な勉強会。そこに4年間出席し続けた先輩は今、カルトを作ろうとしている。
「私が教祖、先輩はブレーン、それは分かった。で、教義はなに?」
「法治国家からの救済」
「テロリストじゃねぇか」
法治国家の規定に見放され続けてしまった彼は、あわれ、壊れてしまったか。
こういう人がいるから法は大事なのだ、としみじみ思っていると、「俺も吸おう……」と先輩が懐から緑の箱を取り出した。北米の英雄がプリントされたそれは、今の状況を皮肉っているみたいだ。
先輩がやりたいのはきっと、救済でも詐欺でもなくて、革命なんだろう。
長針が12を指した。リーンゴーンとお決まりのチャイムの代わりに、我が校独特のメロディーが流れる。精神不安定にさせられる仏歌は、憂鬱な月曜にぴったりかもしれない。
「講義、行かへんの?」
足止めした張本人が悪びれもなくそう言った。途端に面倒くさくなった私は、二つ折りのケータイを開き、連絡帳を眺める。誰か、代返してくれる人。ポチポチとスクロールさせていくも、快く引き受けてくれそうな名前は見当たらない。
何が人誑しの素養がある、だ。あったら、とっくにケータイを仕舞っている。
唯一頼まれてくれそうな子は、今日は絶対に来ていない。彼女が心酔する作家の、新しい傑作集の発売日だから。
「なおっさん、今週の土曜、空いてる? 奢るから飲みに行こう。俺らの宗教の計画を進めようや」
「その話、終わったかと思っていたんですが。飲みに行くだけなら賛成。でも急ですね」
「親父の選挙の手伝いで、しばらく忙しくなるから。その前に計画を……」
「ああはいはい、わかったわかった。ちゃんと奢ってくださいよね」
そういえば、もうすぐ選挙だったか。一度も投票したことがないくらいには、興味がなかった。
長年地元で議員をしている先輩の父は、とんでもなく厳しい人らしい。選挙前には一家総出でサポートし、その間はろくに大学に来れない。いつだったか聞かされた愚痴を思い出す。
「じゃあ、18時に深草駅で」
お互い何本目になるか分からない煙草を同時に捨てて別れた。ああ、くそ、講義だるいな。
約束の土曜日、先輩は待ち合わせ場所に現れなかった。
前日の夜、酒に飲まれた勢いで街頭の選挙ポスターを破った彼は、支離滅裂な罵詈雑言を吐きながら連行されていったらしい。器物破壊で現行犯逮捕。破ったポスターに映っていたのは、父親の政敵だった。
すっぽかしたことへの謝罪電話が入ったのは、そろそろ紅葉も終わろうとする頃だ。
「革命、起こせましたね」
「馬鹿言うな。こんな革命があってたまるか」
腹を抱えて笑いながら拍手喝采を送ると、スピーカーの向こうから心底げんなりした声が返ってきた。この一件で父親は息子の尻ぬぐいに奔走し、見事に落選したそうだ。
家名に泥を塗りまくった本人は、実家に軟禁状態だという。
「救済はご入用ですか?」
「とりあえず、脱出を手伝って」
「お布施は?」
「行きたい店のメニュー、隅から隅まで頼んでええよ。必要経費はなんぼでも」
ゲラゲラと声を上げながら通話を切った。哀れなブレーン様を助けに行ってあげるとしよう。
郊外にある彼の実家まで、車で1時間。一度だけ行った道を思い出しながら、最寄りのレンタカー屋へと足を向けた。
了
From dusk till dawn S. @candystripper
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