Episode.Ⅰ-Ⅵ:呼吸する石

それは液体のように流動的で、液体と呼ぶには半濁としていた。手を伸ばそうとしたアンナをミライが制止する。


「触るな。危ないものかもしれない。」


そのまま右手を挙げてジョーを呼ぶと、三人は並んで正体不明の物質をのぞき込んだ。


「何かの生き物だったりする?」


「ありえない話じゃないが、こんな生き物みたことねぇぞ。」


「じゃあ、やっぱり珍しい鉱物とか?」


「…これがそんな風に見えるか?」


集まって話し合っても、文殊の知恵とはならないようだ。ジョーは不満げにため息をついた。


「…アシタカに聞くしかねえか。俺たちじゃ一晩中頭抱えても答えは浮かびそうにない。だけど、これがもしお宝で、今日を見過ごして逃すようなことはしたくない。」


「それが一番だね。」


それが仲直りのきっかけになればいい。

心の中で浮かんだ言葉をアンナは飲み込んだ。


「お前ら、二人ともここでちょっと待ってろ。外に出てアイツと連絡を付けてくる。いいか?くれぐれの勝手に触ったりするんじゃないぞ?」


「分かってるよ、過保護だな。」


「それから――――」


「落盤の危険もあるから、何か異変を感じたらすぐに外に出ること、でしょ?」


ジョーが教会の孤児院にやってきて二人と知り合ってからもうずいぶんと長くなる。ミライとアンナには、彼がどんなことを言うのか何となくわかっていた。


「…分かってるなら、いい。じゃあ後でな!」


視線で背中を見送り、アンナはその場にしゃがみこんだ。


「私はここでコレを見てるから、ミライはもう少し採掘する?」


「ん…いや、今日はもういいや。コレが一攫千金のアイテムであることに賭ける。」


落盤で炭鉱が崩れ去る、四〇分ほど前だった。






あのあとに協会に足を運んだが、

そこにはジョーはおろか、ミライとアンナ二人の姿もなかった。骨折り損になったことにため息をついて、ヒロトは傘を広げた。


ヒロトと彼らの関係は意外にも深い。

昔から地下の抵抗軍と商いを行ってきた彼は、その過程で各地の孤児院に立ち寄ることが少なくなかった。


身よりのない、戸籍もない孤児たちは、

革命活動を行う抵抗軍にとって都合のいい存在だった。

僅かな銭で買い取ることができ、使いつぶしの効く命。

孤児院と謳いながら、実際は人身売買を生業としていることが地下では常識だった。


そんな中、教会の孤児院は純粋に、身寄りのない子供たちを拾ってきては無償で食事と寝床を提供した。常に赤字で生活はままならないが、それでもシスターはそれをやめようとはしなかった。柄にもなく感動したヒロトは、それからというもの教会への援助を行うようになった。三人と知り合ったのも、その過程である。


「十中八九、旧炭鉱に行ってやがるな。ったく、ここから結構歩くぞ…」


連絡の通知が鳴って、もしやジョーからの返信かと確認する。が、すぐにそうでないことがわかりさらにうんざりする。


『アシタカ、兵士の調達はどうなってる?』


「…そう急かさんでくれよ。いまどき抵抗軍に入りたいなんて奴、早々いない。」


『適当な孤児を金で釣ればいい。それくらいの蓄えはある。』


「つい先週も、地上でのテロ掃討があっただろ?命を懸けるに割に合わないってんで、全然取り合ってくれねぇよ。いいからもうしばらく待っててくれ。」


アシタカというニックネームを、なるべく素性を隠したい仕事の上でも使うほどには、ヒロトは気に入っていた。だが最近では、彼らにその名を呼ばれることがどうしようもなく癪に障ることがある。つい数年前まで、今でさえ同じ穴の狢だというのに、虫のいい話であると本人も自覚があった。


黒い雨は絶え間なく降り続いている。

地下の地面に落ちた雨は、油や汚れが混じり合い何ともいえぬ悪臭を放っていた。余計なことを考えないように、シルクハットを深く被り、たばこに火をつけ旧炭鉱へと進んだ。


どれくらい歩き続いていただろうか。

再び通知音がなっていることに気づき舌打ちをした。


「俺だが。」


『…おじさん、俺だ。ジョー。』


意外だった声の主に驚いたが、それと同時にアシタカはにやりと笑った。


「おいおい、俺とは絶交するんじゃなかったのかよ、ジョー?」


『うるせぇよ!』


「ハッハッ、やっぱまだまだガキだねぇ。」


『約束破ったやつがよく言うぜ!』


指で挟んでいた煙草を靴底で擦り消した。


「あのなぁジョー、大人は子供のいたずらや隠し事なんてお見通しなんだぞ?」


『何を――――――』


「あの銅貨、死んだ隊員のものだ。お前死体からコインをったろ?」


電話口の向こうが無言になった。息を吞んでいるのがすぐに分かった。


「先月地下で死んだ隊員のモンだ。死体についてる物資の回収と換金を任されててな。コインが見当たらないんでまさかと思ったが、その直後すぐにお前から連絡がきたもんだから、すーぐにピンときたよ。」


『う、うるせぇよ!だいたい万年人手不足なんだから、ホントはこんなことしなくてもすんなり入れるんだろーが!抵抗軍はよ!』


「使いつぶしの兵隊になりたいのならな。正式な隊員になりたいなら、ちゃんとした手順は踏めってこと。まあその話はいいや。今炭鉱の方にいるんだよな?」


『ああ、まあね…そのことで連絡したんだった。』


話が逸れたことを都合よしと思っているようだ。

手に取るように感情が伝わってくるのだから、アシタカにとってジョーは文字通り子供である。


『炭鉱の中で、アンナが妙なものを見つけた。見たことのないものだから、もしかしたら金になるかもしれない。ただ、危険なものかどうか俺たちじゃ判別がつかない。』


「とりあえず採掘しちまえばいいじゃねえか。」


『鉱物かどうかもわかんないんだよ。金属にも見えるんだけど、なんか幼虫みたいな、生きてるみたいにも見えるし、動いてたし――――』


「動く鉱物だぁ?なんだそりゃ。」


『いいから、こっちに向かってるんならさっさと来いよ、おじさん!今日のことはそれでチャラにしてやるから!』


「生意気いってやがる…」


アシタカは既に炭鉱の一帯にまで足を運んでいた。

土が黒い雨を吸い込んで、街の中よりもさらに嫌な悪臭が漂う。


「いまそこまで――――」


言いかけたとき、プツリと通話が途切れた。

その意味を理解するよりも早く、視界の端からジョーが駆け寄ってきているのが見えた。


「はぁ…はぁ…おせーよ、おじさん。」


「あのな、俺はお前らの保護者じゃないの。ここまで来てやっただけでもありがたく思えって―――」


「いいから、こっち。」


再び走ろうとしたジョーの肩をポンポンと叩いて、

アシタカはゆっくり歩を進めた。「からくり」武装を使えばもっと簡単だろうが、生身のジョーにとっては走り通しは体力がもたないだろう。


「さっき教会へ行ってきたよ。シスターの薬は渡してきたから、まあひとまずは安心だ。」


「あ、そう。…そりゃどうも。」


バツが悪そうにしているジョーは、迷っていたようだがそのまま続けた。


「このまま薬を飲ませてたら、シスターの身体は良くなるのかよ?」


「厳しいだろうな、地下ここで暮らしてる限りは。」


打ちひしがれたようなジョーの顔を見なかった。

隠しているほうが残酷なことだとアシタカは判断した。


「シスターの身体は、地下での灰や汚れた空気を日常的に吸い込んでいるのが原因だ。地下住民の死因の三割がこれで、平均寿命が地上と比べて二十歳も若いのもこれが原因だ。生まれつきの丈夫さや鍛え方で差異はあるが…薬じゃ根本的な治療は出来ない。」


「それじゃあ―――」


「だから、抵抗軍に入って地上政府から地上の永住権を勝ち取るって?」


ジョーは口を噤んだ。


「ジョー、俺から言わせればお前はまだまだガキだ。だけど、それはお前がバカだとか、知恵不足だって言ってるんじゃない。だから今度はガキみたいに怒ったりせずにちゃんと聞けよ。」


「お前、それが本当に現実的だと思うか?今の戦力差で、本当に抵抗軍が地上政府に勝てると思うか?仮にフォーテと共謀してそれに成功して、フォーテが本当に俺たちジェパーニの民にとって都合のいい環境を用意してくれると思うか?」


その問いにジョーは答えることが出来なかった。諭すようにアシタカは続ける。


「今の抵抗軍はフォーテが横流しにしてる物資や軍資金で持ってる。根本は連中に利用されてるに過ぎないし、もしすべてがうまくいっても恩恵を受けられるのは本当に一部の人間。戦争に勝てば全部うまくいって、地下の住民たち全員が幸せになんてなるはずないんだ。」


「けど、そうでもしないと―――」


「ジョー、世の中にはどうしようもならないことってのがある。ある日突然、すべてをひっくり返せるような英雄が現れるわけでも、兵器が生まれることもない。俺たち人間は、俺たちの身の丈に合った生き方をするしかないのさ。」


アシタカの言葉に、ジョーは俯いて何も答えなかった。その姿も本当の子供のように思えて、アシタカは再びポンポンと肩を叩いた。


「―――さあ、じゃあそのお宝候補ってのを見てみようか…」


その瞬間だった。

大きな衝撃音とともに土煙が周囲に漂ったと認識した瞬間、目の前に迫っていた炭鉱の入り口が崩れていった。






持参したライトを除いて、炭鉱内に明かりはない。

シンとした空間と薄暗さに睡魔が見え隠れしたが、ミライは大あくびとともに自分の顔をつねってそれと格闘した。


「ねえミライ。これ、本当になんなんだろうね?」


「うーん、そうだなぁ…見ただけじゃ何にも分からないけど、やっぱり何かの生き物なのかな?」


「そう思う?」


「ミミズみたいに見えないか?アンナは?」


「うーん、確かに、鉱物って感じじゃないよね。どう見ても堅そうに見えないし。」


「だろ?」


「でも、生き物なら目も鼻も口もなくない?」


「だからミミズみたいなんじゃないか。」


二人は話しながらそれを一瞥した。

炭鉱の壁から染み出しているかのような細長いそれは、ぬらぬらと輝きながらその場に滞留し続けている。


「生き物だとしたら、高く売れるのかな?」


「どうだろ…でも、採掘作業をし始めてから二年以上、こんなの見たこともなかったから、相当珍しいものだと思うぜ?」


「せめてちょっとだけ触れたらね。」


「おい、ダメだぞ。ジョーも言ってただろ?毒でも持ってたら大変だ。」


「それはそうだけど…スコップでつついてみるのもダメ?」


「ダメダメ。俺が怒られるじゃんか。それに、逃げられでもしたら最悪だし。」


そう言いながらも、ミライも目の前の物体に対しての疑問は絶えなかった。そもそも生き物だとして、それは逃げる素振りも見せなければそこから動こうともしない。相変わらず脈打つような動きはしているものの、こちらのことを認識しているのかは果たして疑問である。


「それじゃあ、もう少し近くで見てもいい?」


「絶対触るんじゃないぞ。」


「うん、分かってる。」


アンナは心配性に見えて、根は好奇心旺盛で肝が据わっている。ジョーやミライに対しては危険なことをすることを咎めるが、彼女自身も自制すべきことが多い。


「…特に、へんな匂いとかはしないね。」


「そりゃそうだろ。犬か、お前は。」


「…これ、本当に生きてるのかな?息を吸う音も、吐く音もしない。心臓の音もしない。」


耳を近づけながらアンナは怪訝な表情をした。


「虫だとしたらみんなそんなもんだよ。なあ、もういいだろ?大人しくジョーがアシタカおじさん連れてくるの待ってようぜ――――」



瞬きをした間の、一瞬の出来事だった。

無害なようにその場で脈動していた物質は、突如意思を持ったように収縮すると、生き物のように跳ね上がりアンナの耳の中へと飛び込んだ。


「きゃっ!?」


「アンナ!!!」


反射的に顔を背け耳を抑えたアンナだったが、

既に壁から漏れ出ていたそれはアンナの体内へとほとんどが入り込んでいた。


「コイツ――――」


僅かに残っていた銀の物体を掴もうと手を伸ばす。

今度は同じ質量であることを疑うほどに伸び上がったそれは糸のようにミライの伸ばした腕に絡みつく。そうして腕にあった真新しい切り傷へと伸びると、そのまま体内へと吸い込まれていく。


「いてっ!!」


刺すような鋭い痛みが一瞬走り、すぐにおさまった。

何が起きたのか理解が追い付かなかったが、やがてミライは顔を青くしてアンナの顔を両手でつかんだ。


「アンナ、大丈夫か!?」


「う、痛い…大丈夫、大丈夫…ちょっと頭が重いだけ――――」


想像よりもずっと顔色のいいアンナを見てホッと胸をなでおろす。しかしそれもつかの間、嫌な考えがミライの頭の中をよぎった。


「何なんだ、これ…!?まさか寄生生物とか――――」


間を置くことなく起こった地響きが、

思考させることを許してはくれなかった。先ほどとは違う悪寒が背中を走り、二人の中で共通の言葉が浮かんできた。


「落盤…!?」


「なんで!だって、俺たち以外にここにはいないし、さっきから採掘作業は何も―――」


言いかけて、先ほどの物質が埋まっていた小さな穴が視界に飛び込んできた。ミライは地面に転がっていたシャベルを掴むと、思いきり壁に向かって突き刺した。


「ミライ、どうしたの!?早く逃げないと―――――」


すっかり脆くなっていたのであろう壁の表面が崩れたかと思うと、そこに巨大な空洞が現れた。先ほどの流動物がここに埋まっていた。脳がそう認識するのにしばらく時間がかかった。


「アンナ、逃げるぞ!」


腕を引いて走り出したが、頭のどこかで「手遅れ」という言葉が響き続けていた。出口までの距離は一〇〇メートルほど。舞い上がる土煙と剥がれ落ち続けている土壁の光景が、それを物語っていた。


「ミライ…」


自然に足が止まった。逃げようとして蹴り飛ばしたライトが虚しく点滅し、二人の姿を照らしていた。


「え…?」


死を覚悟して家族の顔を見たとき、ミライは目の前のアンナに違和感を覚えた。


「お前、それどうした――――」


頭上の土が崩れ落ちてきて、二人は瓦礫に包まれた。






走り出そうとしたジョーの腕を掴んで制止した。

驚くほどに強い力でそれを振り払おうとして、ジョーは思いきりアシタカの顔を殴った。


「放せ!!二人が!中にいる!!!」


「間に合わない!今行けばお前も巻き込まれる!!」


「関係…ない!俺は兄貴だ!!!」


アシタカはジョーを羽交い絞めにした。

抵抗する彼の肘や拳が身体の至る所に刺さったが、アシタカは力を緩めることはしなかった。


「あ…ああっ…!!」


先に力が抜けたのはジョーの方だった。

入り口が完全に崩れ落ちた炭鉱の穴は、事態が既に手遅れであることを認識するには十分すぎた。


「俺のせいだ…俺が、中で待ってろって、二人に言ったから―――」


「…炭鉱での作業は命がけだ。不測の事態はいつでも起こりうる。例えどれだけ警戒していたって、一〇〇パーセントなんてことは――――」


慰めにもならないことを悟ったのか、それとも既に地響きが収まり安全であると判断したのか。アシタカの力がようやく緩み、ジョーを自由にした。よろよろと立ち上がり、ジョーは崩壊した瓦礫の山へと向かう。


「―――おい、ジョー…」


「探さないと。」


「人力じゃとても無理だ。俺に任せろ。可能な限りすぐに、人員を手配してここを―――」


「俺が探してやらなきゃダメなんだよ。」


がりがりと土を削り、砂利のこびりついた瓦礫を押しのける。すぐに両手は血だらけになったが、ジョーに痛みはなかった。


「…あれ?」


「チッ――――」


煙草に手を伸ばしたが、アシタカは思いなおしそれをポケットにしまった。腕まくりをして、呆然としているジョーへと歩み寄っていく。


「ジョー、気持ちはわかるがこればかりは――――」


「おじさん。これ。」


かけた言葉に返答はなく、ジョーは視線を下に落としていた。怪訝に思い視線の先に目をやった時、アシタカは言葉を失って目を見開いた。


「これ…なんなんだ?」


茶色い土と岩の間。銀色に光る鉱物が弧を描き、

その一部を瓦礫の中から顔を覗かせていた。


呼吸する石ケミカルアース―――――」


アシタカの呟きは、ジョーには聞こえていなかった。

頭に被っていたシルクハットが地面におちた。

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機械仕掛けの国 たけもとピアニスト @fawkes12345

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