第5話 お前の匂いが大好きじゃ

 ■正面近距離


「これで満足したじゃろう。里に戻るといい。うん、さっきは思わず尻尾を振ってしまったがな、やはり人の子は人の里に戻るべきじゃ」


「戻らぬ? さっきもそんなことを言っておったが、なぜだ?」


「それで妾がどうなるかって? そんなこと、お前が気にすることではない。妾を気にせずに、どこへとでも行けばいいのじゃ」


「同情はいらぬ。いいのじゃ、耳かきとやらも、楽しかったぞ。いい思い出になった。最後にお前に会えて、未練はない」


「それに、お前が居てくれたとしても妾はもうすぐ消える運命さだめじゃ。あの祠はもう持たぬよ」


「なにをしておるのだ? 紙とペンを取り出して、すけっちをしようと言うのか? しかしそのすけっち、狐を吸い込んだ幻術ではないか」


「『いちかばちか』? ちょ、まて、描くな! 妾の運命を勝手にいちかばちかに賭けるでない! 妾は静かに朽ちればそれでよい! 狐に食い荒らされないで済んだだけで、感謝しているのじゃ」


 //SE ペンを走らせる軽快な音


「……もう止めろ。お前のその力、どんなものか分からぬのだぞ。もしお前になにかあったらどうするのじゃ。お前を巻き込んで、これ以上お前に何かあったら、妾は……」


 //SE ペンを走らせる音は止まらない。紙をめくり、ぺりぺりと剥がす音。


「出来たのか? これは、祠? だが、今ある祠と随分違うぞ。ずっと立派で、美しい……。すけっちとは、今ある姿を写し取るものじゃろ?」

 

「すけっちではないと? 想像で、妾にふさわしい祠を描いた? ふふ、優しいの。お前は変な奴だが、優しい。この絵は妾の宝物になる」


 ■右側から音声


「ん? よいではないか。少し肩を貸してくれ。ふふ、安心する匂いがする」


「いや? 臭くなどないぞ。妾のだーいすきな、匂いじゃ」(スンスン、と嗅ぐ音。吐息混じりで耳元で囁かれる)


「ふふ、こんなに心が温かくなるのは初めてだ。もう、妾はこれで満足じゃ。ありがとう。本当に……」


 //SE 紙がはためく、パラパラという音

 

「なんじゃ? 紙が動いておる。なにが起こっておる?」


「こ、怖くなどない! 妾の尻尾が足の間に入っておるのは、えーとあれだ、寒いからだ! 抱きついているのも寒いからだ! ひゃん!」


 //SE しゅるしゅると蛇が這うような音


「か、紙から線が飛び出しておるぞ! 線が……形を作っておる。これは……」


「祠、じゃ」


「お前が描いた通りの祠が、生まれたぞ。中に入ってみよう! はやく手を取るが良い! 足元に気をつけるのじゃぞ。妾は夜目がきく。妾から離れるでないぞ」


 //SE 草を踏んで上っていく足音

 //SE ドアが開く音


「なんと広い。それに、明るい」


「妾の知っている祠と随分違うのう。この機械はなんじゃ? つまみのようなものがあるが。なに? 押し回して見ろと? 大丈夫なんじゃろうな?」


 //SE カチッ、チチチ、というコンロの着火音


「キャン! 火! 火が出たぞ! なにを笑っておる。狼とて動物じゃ、目の前にいきなり火が現れたら驚くに決まっておろう」


「これは『こんろ』というのか? 人間が料理をするときに使う? これは『れいぞうこ』? わふ! 冷たいぞ!」


「風呂トイレ別にーえるでぃーけー? とはどういうことだ? なに? 妾と住むための理想の屋敷とな?」


「お前、この山の中に住むつもりなのか? 待っている人など……居ない……のか」


「悪いことを聞いた。そうか、それは、妾と一緒じゃの」

 

「妾と一緒に暮らそうだなどと、おかしなやつじゃ。なに? 今度は妾に耳かきのお返しもしたいと? 確かに耳かきは、気持ちよさそうじゃったの……」


「祠が立派になって、妾の命も少しは伸びた。だが、人の子が妾を忘れたら、結局は同じことじゃ。妾の力は消えていき、やがて妾も消える。悪いとこは言わぬ、去るが良いよ」


「『げすとはうす』? なんじゃそれは、また不思議な言葉を使いおって」


「なに、この祠に旅人を泊めると? 山に入ったものが、ここで体を休めるのか。ふむ、それなら、詣でているようなものだが……」


「なぜお前は妾にそこまでしてくれるのだ? 妾は、お前になにも返してやれぬぞ。情けないが、力がないのだ……」


「わ、妾、を、好いている、からだというのか?」


「違うのだ、嬉しい……嬉しいが、妾でいいのか?」(涙声)


「そうか。妾を。本気で好いているというのだな。妾も……お前の匂いは好きだ。大好きだ」


「に、匂い以外はどうかって、狼的には最上級の愛の告白じゃったんじゃ! ぜんぶ、す、好きに、決まっておる……」(どんどん小さくなる声)


「聞こえなかったか? それじゃあ、耳元で言ってやる。来い」


 ■正面近距離


「狼は嫉妬深いぞ。他の者に目移りなどしたら、引き裂いて食ってやるんだからな」


「うん。妾も……絶対によそ見などせぬ。誓うぞ。ほれ、もっと近くに」(ささやき声)

 

「……好きじゃ。お前の本当の名を、聞かせておくれ」

 

 (頬に口づけする) 


  了

 

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山の神の狼むすめ〜寂しがり屋でドジっ子のロリ神様とずーっと一緒〜 髙 文緒 @tkfmio_ikura

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