青の回想
なんだかほっとする。そんなふうにからだがゆれる。
心地よい浮遊感がときどきおとずれる。
天井近くの小窓から淡い光がさしこみ、涼しい風が吹き込む。
ランタンが床に置かれて、二人の子供を照らしていた。
一人は目をつむり、乗り物に身をゆだねている。
「ふふ、心地よさそうだね」
そう言って笑うのと一緒に少女の癖のない赤茶色の髪がゆれる。
少女の声に前に座っていた少年は目を開けた。
「この馬車ふしぎだよね。空飛んでるみたい」
琥珀色の瞳を少女は楽しそうにゆらす。そんな少女がぼんやりとした青い瞳にうつる。
さわり心地の良い弾力性のあるクッションがあるわけではないのが残念だが、木の板でできた床に座っていても不思議と激しい振動がやってくるわけでなく穏やかな揺れで意外と快適だ。
小窓が少女の背面の壁にあるからだろうか、小窓から見える今にも入り込んできそうな雲、山の頂上、目線の高さで輝く星、そのどれもが少女の瞳に映らない。
「今日会ったばかりだよね。私がくるの知ってた?」
少年は首を振る。
「そっか。わたし孤児院から来たんだ。今日から私もあの人たちの子供。よろしくね」
少女は笑顔を作る。
「せっかくだから新しいお父さんとお母さんについて知りたいな。教えてよ」
「だれのこと」
少年の無垢な瞳に、少女は急に緊張した。
「え、と、だから……この馬車に乗せられるまで手を引いてもらってたでしょ、わたしたち。あの人たちの子供にわたしもなったの。だからわたしもあの人たちをお父さん、お母さんって呼ぶの」
血のつながった本当の子供は急に新しくやってくる子供をよく思わないというのを、少女は知らないわけではなかった。
「そう」
「今日から家族だから教えてほしいな、お父さんとお母さんのことを」
「むりだ」
少女は笑顔を引きつらせる。歩み寄ろうとしただけなのにと心の中で愚痴をこぼす。短い一言で拒否された事実はなかなかに心にダメージを与えるものだ。
「わたしがお父さん、お母さんって呼んで怒ってる?」
「おこる?なんで?」
「あったばかりの私と家族とか無理だよね。わたしにあの人たちについて知ってほしくないから、教えたくないんでしょ」
少女は少年の青い瞳がすごく冷たく感じた。その冷たさに対抗するように少女は言葉を強めた。
「あの人たちも、きみも、きょうあったばかりだ。おしえられない」
少年はそう言って俯いた。
その言葉に少女が目を見開き驚いて言葉に詰まる。その間も少年は微動だにせず下を向いている。
薄明りで分かりにくいが、少年の髪は真っ黒で瞳は青かったことに気が付いた。親になるあの人たちの髪や瞳の色との遺伝的な関係がみえない。
少女は自分の間違いを謝る。
「……ごめん。てっきりあの人たちの子供なんだとおもって。その、ごめん。あなたも孤児院の子だったんだね」
なんとなく少年の方を向くのをためらってしまい、少女も目を伏せる。
「……そっか、これから家族になるのに、わたしのことも、お父さんとお母さんのこともわからないことばかりだね」
言い終わって少女ははっとした。自分で言っておきながら、言ってから気が付いた。少年は自分が思っているよりもずっと不安の渦の中にいるのかもしれないと。
伏せていた目を上げ、ちらりと見ると少年はうつむいたまま顔が見えず、自分の言葉を拒絶しているように見える。
それでも少女は思い切って少年の正面から移動し横に座る。
「ごめん。一緒にいたのにわかってなかった。こわいよね。不安だよね。……今日あったばかりなら、なおさらだよ」
少女は少年の手を握る。自分の手よりもずっと冷たい手に、少女はよりいっそう力を込めて握った。
少年は真っ青な瞳を瞬くだけだ。少女を見向きもしない。
「でもね、不安で、いっぱいいっぱいにならなくても大丈夫だよ。私もまだ会ったばかりだけど、良い人たちだと思うよ。私の父の友達らしいんだ。」
少女はいったん息を整える。ゆっくりと吸って、ゆっくりと吐いた。少年の方をみると静かにうつむいたままで、自分の声が届いているかどうかわからない。すこし心配で、少し悲しい。だけど少女の口はもう止まることができなくなっていた。
「わたし、ほんとうのお父さん、お母さん、どっちのことも覚えてないの。ものごころつく前から孤児院にいる。あなたは覚えてる?」
少年はうつむいたまま答えない。
それでも少女は話し続ける。少年を励ましたい気持ちだけじゃない。自分のことを聞いてほしいのだ。
「……覚えてる子はいつも苦しそうだった。迎えに来てくれるのを待ってるの。わたし、あの子の気持ちわかってあげられなかった。……わたしはお父さんとお母さんがどんなものか知らない。いいお父さんとか、いいお母さんとか、わかんない。家族にができるってまだ不思議な感じ。でもきっと素敵だって思う」
自分の記憶をたどっても父の記憶は少女にはない。孤児院で育った。誰かの子供になる、家族になるという感覚はわからない。どんな家族なら幸せの条件を満たせるかも知らない。いや、知らないのは少女だけではない。だから少女の言葉には何の根拠もないかもしれない。それでも話し続ける。
「学校に通わしてくれるし、本をいっぱい買ってくれるんだって。好きなもの買ってくれるよ。それに孤児院の友達も聞いてくれなかった私の話たくさん聞いてくれた。いくら話してもずっとにこにこうなずいてくれるの。ずっとだよ。そんなのはじめて。それに孤児院においてあったどんな本にも書いてないこと教えてくれる。国の外の世界のこと。とっても面白いの。いくらでも聞いていられる。だからね、きっと大丈夫なんだ。あの人たちと家族になるのはすごく楽しいよ。わたしも一緒にいて楽しいって…」
「ねえ」
え、と驚きの声が小さくもれる。
ずっとしゃべらなかった少年が口を開いた。幻聴じゃない。つないだ手を何度も少年が引っ張ってくる。
「これなんだと思う」
少年がうつむいたままで、少女は少年の視線の先を追った。少年の指先には小さな虫が止まっていた
「えっと、これ、……アルクスホタルだね」
小さな虫のお尻が青色に光る。
その青の光は今までに見たことない神秘的な光だった。とても深い青色で底が見えない。そこに心がうっかり沈んでいきそうだ。
「初めて見た、珍しい……すごくきれいな青だね」
「……そうだね」
少女は思わずみとれる。
少年は小さく口角を持ち上げる。
光が青から黄色になった。
「……笑ってる」
少女は静かにつぶやいた。
さっきまで話しかけてたのになかなか反応を示してくれなかったのに、虫のことなら少年の方から話しかけてくれて、しかも笑っている。
少女の口は止まらなくなった。
「青色だけじゃなくていろんな色に光るんだよ。名前のとおりね、アルクス川に生息してるんだ。その川も不思議でね、虹色にきらきら光るんだって。上質な魔力が含まれているから、その川の水を飲むと一時的にいつもより強力な魔術や魔法を使えるようになるんだって」
少女は今まで読んできた本の内容からアルクスホタルについての知識を引っ張り出す。
「アルクスホタルはアルクス川の上質な魔力を栄養にしていてね、ほかの川で生きていくのは難しいの。魔力を与えてあげれば生きていくこともできるらしいんだけど、光らなくなったり、単色になって、虹色にじゃなくなったりするの。だけど一人の魔法使いが虹色に光るアルクスホタルの飼育に成功したことがあるんだって」
少女の言葉を、少年は初めて目を見て聞いている。少年の真っ青な目がはじめてきらりと光ったのを少女はとらえた。
「すごい、いっぱい知ってるんだね」
うれしい気持ちがぶわっと広がって、少女の耳が熱くなる。
「あと、上質な魔力を持っているものによって来ることが多いらしくて、あ、あなたの魔力は上質なものなのかも。魔術師とか魔法使いの才能があるんだよ!」
「そうなのかな?」
「きっとそうだよ!そうだ!わたしまだ名前教えてなかったね。私はシロエ。あなたの名前は?」
「ぼく?」
「うん」
少年の視線が宙をみる。少しの沈黙の後、少年はひとこと。
「なまえ、わすれたかも」
「え……」
「なんだっけ、いちどしか聞いてないからおもいだせない」
「いやいや、さすがに意味わかんない。どうして名前教えてくれないの」
「どうして……?べつに、わすれたんだよね」
こんなに素直に名前をわすれたというものは少女の人生の中でも少年一人だけだろう。
「なまえってだいじ?」
「大事だよ!」
シロエの大きな声で名前の重要性を感じ取ったのだろう。少年は大きくうなずいた。
「そっか、でもわすれちゃった。あ、……きみの、なまえなんだっけ……」
「シロエよ!さっき言ったばかりなのに。もう忘れないでよ。それに自分の名前が分からないとか、天然とか通り越しすぎてるよ」
シロエは少し拗ねてしまうが、怒りよりもあきれが勝っていた。
「わかった。おぼえたよ。それで、このあるくすほたるはあるくすがわにいなくちゃいけないの?」
少年の言葉にシロエはため息が出る。
少年に悪意は感じられず、調子がくるってしまう。覚えたよと、純粋な目をして伝えられれば、シロエはしぶしぶ質問に答えることしかできなかった。
「……アルクス川以外で育てるのはできないわけではないと思う。でも、アルクス川がいるべき場所だと思う。どうしていっぴきだけとんできちゃったのかな」
「ひとりぼっちだ」
少年は淡泊にひとことつぶやく。それでも自分の右手のたしかなぬくもりを感じていた。
「小さい。どうしてあるけるの?ほら、あしがほそい」
「私たちよりもずっとずっと体が軽いからだよ」
「どうしてひかるの?」
「ひかりでお話してるんだよ。わたしを見て、わたしはここにいるって」
「どうして」
「家族になって、子供をつくるためだよ」
「ぼくと?」
「ふふ、そうかもね」
シロエは小さく笑う。
少年の指の上を歩いていたホタルは飛び立っていった。
「どこにとんでいくの?」
「……自分のいえじゃないかな」
「かえれるのかな」
「……」
外の世界、自分の家、知らない二人は帰り方も知らない。
そのとき、少しの違和感で馬車が止まったことに二人は気が付く。
馬車後方から光が急に差し込んだ。両開きの戸が少しずつ開いていく。
オレンジの暖かい色の灯りをもった二人の大人が立っていた。
「あら、かわいい」
女性が穏やかに目を細めている。
どうやら子供たちが横並びで座り手をつないでいる様子に、思わず頬が緩んだようだ。
もう一人の男も同じような顔で微笑んでいる。
「もう仲良くなったのかい?シロエ、ルリ」
青の魔法使い @tan_shin_
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