ヺル -おおかみ少年-
むかしむかし、あるところに羊飼いの少年がおりました。
来る日も来る日も、毎日羊の世話ばかり。彼は飽き飽きして、ひとついたずらをすることにしました。
「おおかみが来たぞーっ!」
大きな声で叫ぶと、村中のおとなたちが集まってきました。
男の子はそれを見て大笑いし、満足しました。
しかし、それから何日かするとやはり飽きてきたので、男の子は前よりも大げさに叫んでみました。
「オオカミが来たぞーーーっ!」
大きな声で叫ぶと、村中の大人たちが集まってきましたが、前と少しだけ様子が違いました。前のときはクワやカマを持っていただけでしたが、それに加えて鍋をかぶっていたり、斧を持ってきた人もいました。
男の子はそれを見てを大笑いし、とても満足しました。
それから、男の子は何日かに一回は「おおかみが来た」と叫んで遊ぶようになりました。その度に言い方を変えてみて、大人たちの反応の微妙な違いを楽しんでいました。
そんなことをしているものだから、男の子は村人からおおかみ少年と呼ばれるようになっていました。
🐏
大人たちは、おおかみ少年に困っていました。
遊びたいざかりの子どもには羊飼いの仕事がつまらないのはわかっていたので、しばらくは遊びに付き合っていました。しかし、あまりに仕事の邪魔になってしまうため、この遊びをやめさせようと考えました。
大人たちはおおかみ少年にたずねます。
「どうしておおかみが来たと嘘をつくんだい」
「毎日毎日羊の世話ばかりで飽き飽きしているからさ」
「みんなの仕事の邪魔になっているからやめてくれないかい」
「嫌だね。せっかくおもしろいことを見つけたんだ」
大人たちはやめるよう頼みましたが、やはりおおかみ少年は納得してくれませんでした。
そこで、大人たちはもう少し詳しくたずねてみることにしました。
「嘘をつくのがおもしろいのかい」
「大人たちが集まってくるのがおもしろいんだ」
「それの何がおもしろいんだい」
「叫び方をかえると、集まってくるときの様子が変わるのがおもしろいんだ」
おおかみ少年がただ大人をからかって面白がっていると思っていた大人たちは、おおかみ少年が大人たちを観察していたことに感心しました。
この子は学者みたいだと思いました。
しかし、困っていることにはかわりありません。大人たちはもう一度頼んでみることにします。
「お願いだから、おおかみが来たと叫ぶのをやめてくれないかい」
「嫌だね。おもしろいことなんてなにもないし、名前だってないじゃないか。おおかみが来たと言うようになってはじめて、おおかみ少年と呼んでもらえるようになったんだ。また名無しに逆戻りなんていやだもの」
大人たちは、男の子の悩みにようやく気づき、そして深く反省しました。おおかみ少年の男の子には、名前がなかったのです。
男の子は、羊の群れの一匹と同じ、名前もないひとりの男の子としてしか扱われていませんでした。それが、おおかみが来たと叫ぶことではじめて、おおかみ少年という名前を手に入れたのです。それがたとえ悪名であっても、ただの男の子よりは幾分かマシでした。
大人たちは相談して、このおおかみ少年に名前をつけることにしました。
そして、退屈を紛らわせる方法も考えました。ヺルは大人たちの反応を観察していました。それはまぎれもなくヺルの個性でした。
だから、大人たちはこう言いました。
「今日から君は羊学者のヺルだ。ヺル、君は羊を観察して、だれよりも羊に詳しい羊学者になるんだ」
🐏
それからヺルは、毎日羊の世話をしながら羊たちを観察し、名前をつけ、記録をしました。羊たちに共通する習性、それぞれの羊にも個性や性格があること、それぞれに適した世話のやりかたなど、多くのことを学びました。
ヺルは、立派な羊学者です。
あれ以来、おおかみが来たと叫ぶこともなくなり、大人たちは仕事に集中できるようになりました。そして、ときどきヺルに研究成果を教えてもらい、たいへん驚き感心しました。村のみんなが羊に詳しくなりました。
🐏
「おおかみが来たぞーっ!」
ある日、ヺルがそう叫びました。
それを聞いた大人たちは、本当におおかみが来たのだと理解し、みんなで協力しておおかみを撃退しました。
それからも、ヺルと大人たちと羊たちは、ずっと仲良く暮らしました。
🐏
とある街にはこんな噂があります。
なんでも、どこかの村にヺルという少年が住んでいて、その少年はとても羊にくわしい羊学者だというのです。
それを聞きつけた旅人たちが、ヺルに会うために村を訪れるようになるのは、もう少し先のことになります。
村にはときどきおおかみがやってきます。そんなとき、ヺルは羊学者ではなくおおかみ少年として叫びます。
「おおかみが来たぞーっ!」
おしまい
少し変な童話集 zakuro @zakuro9715
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