【短編】陰キャって何故かすぐに告白する

夏目くちびる

第1話

 001



「付き合ってください!」



 それは、彼からすれば本当に突然のことだった。



 活動中のサークルのメンバーが買い出しに出て、ほんの僅かな時間だけ部室に二人で取り残されたとある日の放課後。



 静寂の中で、提出する論文のテーマとなっている書籍を何となく捲っていた貴島爽きじまさわに、同じ三年生である東堂薫子とうどうかおるこが告白をした。



「……ん? 何に?」



 爽は、イマイチ要領を得ない様子で尋ねる。



 目線を向けると、薫子は真っ赤な顔をして真っ直ぐに爽を見ている。その尋常ではない姿に、爽はようやく自分が何を言われているのかに気がついた。



「あ、あの。だから、好きだから付き合ってほしくて……」



 そして、同時にこう思った。



 なぜ、今?



 002



「……前髪、乱れてるよ」



 爽は、どう返せばいいのか分からなかったから、とりあえず薫子の前髪を指先で整えながらそういった。



「ほぇ」

「告白するときくらい、ちゃんとかわいい方がいいんじゃない? ほら、ブラウスのリボンも曲がってる」



 薫子は、典型的なオタクちゃんであった。ややゴシック風な服装にもっさりした長い黒髪。化粧をしてない割に顔は悪くはないが、どこか表情に乏しくて暗い印象がある。



 爽は、そんな彼女を見て小さくため息をついた。



「なんで、急に告白したの?」

「えっと。だって、ようやく二人になれたから……」

「二人になりたかったら、別日に約束して出かけたあとでもよかったんじゃない? 急に言われたら、俺だってびっくりしちゃうよ」



 そんなこと言ったって、抑えられないくらい好きになってしまったんだもん。



 盲目的な言葉が思い浮かんだが、辛うじて今の自分の状況を俯瞰することで冷静さを取り戻す。思い描いていた結末と目の前のギャップに、無理やり気付かされたといったほうが正しいかもしれない。



 ……これ、明らかに成功してなくない?



「君が男で俺が女だったら、ちょっとした問題になってたかもよ」

「そう、かも」

「そもそも、俺たちって特別な接点とかないでしょ。どうして好きになったの?」

「こ、講義のとき、一緒に受けたりとかしてるし。凄く優しくしてくれるし」



 あと、背が高くて顔もかっこいい。



「講義は席が限られてるからだし、特別優しくしてるつもりもないよ」

「あぅ……っ」

「普通、告白ってもっとちゃんと相手を落とす準備をしてからするモノだよ。俺、君の好きなアニメも知らないのに」



 それは、薫子にとって余りにも衝撃的な返事であった。何故なら、彼女の常識であるアニメではサプライズも上手にいくことがテンプレだったからだ。



 何より、『積み上げる』という当たり前のファクターすら思いつかなかった自分が、どれだけ実際の恋愛を知らないのかを認識させられたようで恥ずかしかった。



「欲しかったらさ、デートとかして自分のことを意識させないとダメだよ。そんな雑に告白したら、言いなりにさせられて捨てられるかもしれない」

「さ、ささ、爽君はそういうことするの?」

「しないよ。だから、イエスって言ってない」



 断ってる。



 辛い言葉が、薫子の頭にリフレインした。



「だ、だって、私には爽君を好きって気持ちしかないから」



 段々と、目の奥が熱くなって視界が潤んでくる。



「どうすれば、い、いいか、わ、わかんなかったんだもん〜……っ。ひぐ……っ」



 ついに、薫子は泣き始めてしまった。



 フラレた現実もさることながら、何より悔しかったのは優しくしてくれる爽も絶対に自分のことを好きだと勘違いしていた不甲斐なさだ。



 爽は、何だかやるせない気持ちになって彼女の手を引くと部室を出ていった。他の部員たちが帰ってきて、今の薫子を見られないようにしたのだろう。



 そんなふうに優しくするから惚れられているのに、彼も彼で少しズレた感覚を持っているようだった。



 003



「落ち着いた?」

「……うん」



 買ってもらった冷たい茶を握りしめ、どうすればいいのか考えを巡らせる薫子。



 しかし、すぐに自分はフラレていて、この恋を諦めなければならないことを思い出した。再び溢れそうになった涙を堪えることしかできない。



「今まで、誰かと付き合ったことは?」

「ないよ」



 理想の高さからか、はたまた女子校出身のせいか。彼女は、今まで恋をしたことがなかった。



 だからこそ、爽に惚れたのは一瞬だった。



 ずっと抱いていた理想の男をひと目見てから、ついストーカー紛いのことまでして調べのめり込むように好きになっていたのだ。



 もちろん、講義室や食堂で見かけても声をかける勇気はなんてなかった。彼からの軽い挨拶や部室での会話だけが関わりの全てであり、自分が惚れさせるための行動など一度もしていない。



 ただ。



 爽を好きな気持ちだけは誰にも負けない。それだけは、薫子の中で唯一確かなことだった。



 暴走気味な好意を、爽も同じなんだと思いこんで疑えないくらいに。



「か、帰るね。急に告白してごめん」

「いや、待って」



 引き留めて、目を見る。恥ずかしさで未だに熱を帯びている薫子の頬が、今度は高揚で更に赤く染まった。



「なに?」

「保留するよ、君のこと知りたい」

「えぇ? だって、さっき断るって」

「イエスって言ってないだけ、ちゃんと話は聞いたほうがいい」



 言われてみれば確かに。



 短絡的で目的へ近道で到達しようとして、しっかりと注意を払えない悪い癖を何とかしたいと思う薫子であった。



「……それも、別に優しくしてるワケじゃないんでしょ?」

「いや、今度は違う」

「どういうこと?」

「嬉しかったんだよ。俺のこと、凄く好きでいてくれてるのが分かったから」



 それも、薫子にとっては意外な発言であった。どう考えたって、自分とは余裕のあり方が違うではないか。



「なんで? 爽君、どうせ他の人にもいっぱい告白されてるでしょ?」



 私が焦ってしまった理由の、半分くらいはそれなのに。



「そんなことないよ、こんなに面と向かって告白されたのは初めて」



 確か、金持ちが金のことを話さないように、本当にモテる人間は自分の恋愛について話さないのだとどこかで聞いたことがある。



 あまりにも慣れたように言葉を放つ彼のミステリアスな雰囲気が、妙な色気を醸し出しているようで薫子は変な気持ちになった。



「んんっ。そ、それで、保留って?」

「君の好きな場所とか、君の好きな歌とか。そういうのを知ってから答えを言いたい」

「まだ、好きでいていいってこと?」



 爽は、薫子のあまりにもラブコメチックなセリフに思わず笑ってしまった。



 今日までずっと、彼女からどこか冷笑気味で寂しそうな空気を感じていたが、実は恋愛に憧れて斜に構えているのだと彼が気が付いたのはこの時だった。



「いいよ。でも、今度は急に告白したりしないでね」



 薫子が素直になれば、一体どんな態度を取るのだろうか。爽は、彼女への興味の本質はきっと恋心なのだと気がついている。気がついていて尚、彼は落ち着いているのだ。



 こういった小慣れ感とやらが、恋愛強者の資格なのかもしれない。



「だ、大丈夫。頑張る」



 照れているのか蕩けているのか、自分の顔に手を当てて弛緩した表情を確認しても、やっぱり表情が戻ってくれない。



 意地悪な事を言われているだろうに、それでも喜んでしまう自分はもうどうしようもないくらい彼が好きなんだと思い知らされて。



「うん、よろしくね」



 薫子は、優しく頭を撫でられる感覚に身を任せて目を閉じた。



 004



 翌日。



 サークル活動の会議に勤しむメンバーの中で、薫子はハートマークの目を爽に向けながら呆けていた。



 彼女は、普段はあまり口を開かずメンバーの会話を何となく聞いてところどころで愛想笑いをしたり相槌を打つことが多い。



 本人はクールぶっているつもりだが、客観的な印象として陰キャが上手に話せていないだけである。



 そして、実際そうである。本当は、妄想しているように上手く話したいのだ。



 しかし、今日は違う。



「我慢、我慢……っ」



 もはや嘘をつけなくなった恋心が、雰囲気オーラとなり彼女から放たれている。黙っているのは、むしろこの上なく真剣だからなのだ。



 そのフェロモンだかホルモンだかよく分からない何かが彼女をやたらといい女に見せたのか、同じようにモブに徹しているメンズがチラチラと見ていた。



 中心になって話す部長、彼女の話を上手いこと噛み砕き纏めてメンバーに伝える爽、彼をメロメロになって見つめる薫子、更に薫子が気になって見てしまう数人の男子たち。



 クルリと渦を巻く視線の一番後ろにいた冷静な女子メンバーが、何かおかしいと思って小さく首を傾げていた。



「それじゃあ今日は解散ね。最後の人、部屋の鍵ちゃんと閉めてよ〜」



 会議が終わって部長が部室を出ていくと、引き寄せられるように男子たちは薫子の元へ向かう。

 昨日まではしてなかったハズなのに、マスカラを塗っている。唇がうっすら色付いている。髪も心做しかツヤが増えている。



 そして、気が付く。



 この女、昨日より明らかにかわいくなっている。



 と。



「ねぇ、東堂さん。なんかいいことあった?」

「いや、ないけど」

「よかったらさ、このあと俺らと飯でも行かない?」

「いや、行かないけど」



 客観的な様子を知らない彼女からすれば、『急に何だよコイツら』という話なのだが。



 いつも通りの冷笑的でクソ可愛くない反応なのに、何故かグサリとM心を刺されたような気がする。群がる男子は、いつの間にか夢中になって口説いていた。



「いいじゃん、行こうよ」



 一方で、資料を添削し終わった爽の元へ数人の女子が寄っていた。話しているのは簡単な事務のことだが、それだけでもモヤモヤして仕方ない。



 やがて、会話が盛り上がったのか。



 反対側にいた女子が、ふと座っている爽の肩に手を置いてそのまま話し始める。馴れ馴れしい態度にムカつき過ぎて、薫子は脳内でハンカチを「イーッ!」と噛んだ。



「爽君、今日は私たちで新しい映画を見に行くんだけど一緒に行かない?」



 爽のサークルは映画研究だ。新しい映画を見てトレンドを勉強するのもメンバーのれっきとした活動である。



「いや、今日は先に約束があるんだ。ごめんね」

「えーっ? もしかして、カノジョとか出来たの?」



 モヤモヤは瞬時に息を潜め、周囲の男子を置き去りに聞き耳を立てる薫子。



 彼女は、同じ女として質問した彼女が爽を探っているのがわかった。間違いなく、あの子も私と同じ気持ちを抱いている。



 というか、爽君にカノジョって。



 いや、いないよね?もしもいるなら、私の事を知りたいとか言うハズないもんね?昨日あれだけ優しくしてくれたのに、やっぱり恋人いますとかありえないよね?



 ……そ、そういうモノだよね?



「違うよ」



 端的なセリフで、一気に女子の緊張が緩んだ。かくいう薫子も、ホッと息をついて頭を振る。



「なら、なんの用事?」



 食い下がる彼女を見て、爽は少しだけ顔色を曇らせる。気が付いたのは、誰よりも彼の顔を見つめていた薫子だけなくらいに些細な変化だった。



「結果が出たら分かるよ」



 果たして、結果とは。



 何か、没頭しているモノでもあるのだろうか。それとも、昨日に見ていた資料の論文のことか。いずれにせよ、薫子には少しだって察しがつかない。



 出来れば手伝ってあげたいなぁと、密かに思ったその時だった。



「それじゃ、また明日。行こう、薫子ちゃん」

「……あう?」 



 群がる男子たちを割って目の前へ来ると、爽は薫子に人差し指を「おいで」と折り曲げる。



 しかし、誘われても何が起きたのかさっぱり理解できない彼女は、感情よりも早く満たされた幸せの気持ちと、追いつくように火照った顔の熱い感覚に苛まれてポツリと呟くことしか出来なかった。



「ひゃ、ひゃくそくしてまひたっけぇ?」



 約束してましたっけ?



 もちろん、そんなことはしていない。前日の夜はラインのやり取りだって無かった。悲しくって、ちょっと泣いたくらい何もなかったのだ。



 どうやら、貴島爽という男はただの優男ではないらしい。



「してたでしょ、忘れたの?」

「……えっと、うん。思い出しました、ごめんなさい。うへへ、はい」



 いいえ、絶対にしてないです。



 だって、してたら忘れるワケがないもん。昨日の夜、呑気に寝てられたワケがないもん。昼の間、真面目に講義を受けてられたワケがないもん。



 けれど、そんなことはどうでもよかった。



「それじゃ、お疲れ様です」



 そして、少し先に部室を出た爽へ追いつくため、薫子は机の上に置きっぱなしにしていた活動用の手帳とボールペンを鞄に放り込んで彼の後を追ったのだった。



 005



「な、なんで誘ってくれたの?」

「だって、困ってたでしょ」



 これは、どう受け取ればいいのだろうか。



 助けてくれた優しさは嬉しいけど、つまるところ爽にはそれ以上の感情はないワケで。求められたのではなく、助けられたのならここでサヨナラが彼の考えなワケで。



 ……あぁ、なんて残酷。



 そんなことを考えながら、大学前の参道。彼らの大学には神社が併設されているため、帰りはいつも神の通り道を歩くことになる。



 神様、お願いだからなんとかしてよって。



 少しだけ地面を強く蹴って、ため息をつくと薫子は熱の冷めた顔を爽へ向けてこう言った。



「そ、それじゃあ。私はこれで……」



 相変わらずの陰キャっぷり。事なかれ主義。興味のないフリ。



 ここで、『せっかくだからどこか行こうよ』と、誘えたならどれだけ良かっただろう。

 しかし、今日まで暗く影を生きてきて、おまけに積み重なった冷笑主義は簡単には変わらない。



 告白したにも関わらず、媚びてない姿を見せて『言いなりなんてダメ』だと自分へ言い聞かす。これまで見下してきたバカ女と自分が同類だなんて、絶対に認められないからだった。



「なんでよ、せっかくなんだから薫子ちゃんの好きな店に連れてってよ」

「……にゃう」



 しかし、抵抗など無意味だった。



 自分でも猫なで声で媚びてしまったのが分かったが、もう止められない。あっさりと瓦解したポリシーの欠片には見向きもせず、薫子はニッコニコで爽の隣に立つ。



 この男は、欲しい言葉を



 きっと、やめたくてもやめられない麻薬常習者もこんな気持ちなのだろうと、彼女はフワフワ思った。



「普段、どこよって帰るの?」

「め、メイトとか」



 ということで、爽が連れているのか薫子が連れているのかよく分からない位置関係で電車に乗り繁華街のアニメイトまでやってきた。



 グッズを眺め、円盤を確認し、書籍を漁る。



 その間、爽は何だか興味深そうに近場のアイテムを手に取っていたが、薫子はいつものように下品に見漁ることが出来なくてヤキモキしていた。



「遠慮してる?」



 ふと言われ、薫子は立ち止まる。



 周囲の女オタクが爽のルックスに目を奪われ気まずそうにしているのが、手に取るように分かって何だか申し訳なかった。



 前に、イケメンの男を連れた女を見て同じような気持ちになったのだろう。



「遠慮って、なんで?」

「好きなモノを語ってる時の薫子ちゃん、いつもはもっと楽しそうだから」



 それは、ひょんな話題で思わず早口になってしまう油断の瞬間を切り取った言葉だった。掲示板発祥の煽りコピペを思い出して、顔を真っ赤にしたのは彼女が生粋のオタクだからである。



「そ、そんな早口になってた?」

「うん」

「え、ASMRとか好きそうって思ってた?」

「なにそれ、環境音が好きなの?」

「ひぅ……っ」



 勝手に墓穴を掘って、勝手に傷付く薫子。こんなことなら、背伸びしないでアニ研にでも入っておくんだったと後悔。



 何を隠そう、薫子は爽に一目惚れしたから映研に入部したのだ。映画など、未だに有名作を何本か見ただけである。



「だって、好きな男の前で趣味を曝け出して嫌われるのも嫌わせるのも嫌だもん。ナンパしてくるアホ男と同じは絶対にイヤ」



 それを口にして恥ずかしくないのが、やっぱり普通の女子とは感覚が違ってて面白いと爽は思った。



「気持ちは分かるけど、付き合った後も隠し続けるのはシンドくて疲れるよ」



 ……付き合ったあと?



 はーん。



 私がそんな思わせぶりな言葉で喜ぶような女だと思ってるんだ。そんなこと言っておいて、本当の私を知ったらどうせ引くくせにもっと好きにさせようとするんだ。



 ナメないでよね。



 私は、百戦錬磨の非モテ女なんだから。負け方だけはたくさん学んでるの。甘いこと言って騙されたって泣いたって、男が知らんぷりしてどこかに行っちゃう事くらい分かってるの。



 惚れてるからって甘く見ないで。



「つ、つつ、付き合ったあととか言われても。困る。ます。うぇへへ……」



 もちろん、頭の中に思い浮かんだ卑屈でかわいくもない言葉は口まで届かず、薫子は指先で爽の二の腕をツンツンと突っつく謎の行動で抵抗する事しか出来なかった。



「詰めるところで詰めないと、ほしいモノって手に入らないよ」



 ふと、爽が呟く。他人事みたいに言い放った彼に、実は人じゃないのではないかと薫子は仄かに思った



「……今って、その詰める時なの?」

「うん、楽しいから何でも受け入れてあげられる」



 まるで、攻略サイト見ながら好きなキャラを攻略している気分だ。ゲームと違うのは、私がキャラを支配しているのではなく、爽君が私を支配していること。



 初恋でこんな経験したら、絶対にネジ曲がっちゃうと思った。



「……実は、こういうのが好きで」



 薫子が手に取ったのは、一冊のエロ同人紙だった。



 やたらと端正で強気な顔付きをした男が、地味な女に優しく頭を撫でられている。男は甘える表情が恥ずかしげで、対象的に女は余裕のある笑顔だ。



「なるほど、自分が優位でいたいんだ」

「え、えへへ。優しくリードして、絶対に離れられないくらい好きにさせるのが好き。メンヘラっぽくても受け入れてあげられると思う」



 言って、すぐに気がつく。



 それって、爽君が私にやってることだ。



 なら、私が感情移入してたのって男の方じゃないか。



 ……これマジ?



「ふふ、いい趣味してるよ」



 プライドの責任転嫁に気が付くと、途端に強がっていたすべてがアホらしく思えてきた。



 本当にやりたいことは甘えまくって盲目的に信じることだったのに、自分を受け入れられなくて逆側を好きだと思い込んでいたなんて。



 私は、裏切られたくないんじゃない。



 私が、絶対に裏切りたくなかったんだ。



「爽君は、甘えられるの好き?」

「カノジョが幸せなのが好き」



 こんなの、どの角度から受け取っても幸せでズル過ぎる。ゲームのシナリオだって、ここまで直感的に自分を喜ばせる言葉は無かった。



 捻くれた薫子を、すべて包むような優しさ。いつもなら『逃げられないように絡め取られている』と皮肉的に表現するが、今日の彼女にはそんな余裕などない。



「わ、私が幸せだと嬉しいの?」



 だから、最大限、精一杯に甘えたつもりだ。



 否定しないと言ってくれなければ、こんな大言壮語は怖くて吐けなかった。自分が彼女面したって許してくれるって、教えてもらえなければ吐露出来なかった。



「うん、嬉しいよ」



 なるほど、これが駆け引きか。



 ならば、自分には一生無理なんだろうな、と。妄想を遥かに超えてくるだなんて、考えても見なかった、と。



 薫子は、諦めたように笑って爽の長い人差し指を自分の小指と薬指で握った。



 彼は、優しく微笑むだけだった。



 006



 そんな何気ない非日常が、既に二ヶ月以上続いていた。



 服はいつの間にかにシンプルになり、髪をやや短くして清潔になり、言葉も選んで知的な爽に合うよう心掛けている。



 薫子は、これほどまでに男と時間を共有したことがなかった。しかし、不思議なモノで最初は驚くくらいの幸せに上手くお喋りも出来なかったのだが。



「爽君、今日は朝に焼いた目玉焼きが双子だったんだよ。お得な気分だった」

「へぇ、あれって育てたら双子のひよこが生まれるのかな」

「あ、それ知ってる。一匹分の栄養しかないから卵の中で死んじゃうんだって」

「そうなんだ、薫子ちゃんって雑学が豊富だね」

「んふふ」



 慣れは、人を適応させてくれる。もう既に、彼女はなんの違和感もなく目を見て何でもない話が出来るようになっていた。



 ただし、やはり陰キャな薫子。



 最初は手に入れるハズだった志が、次いで心ゆくまで好きでいられることになり、今ではこの平和な日常さえ続けばいいと思っている。



 根本的なところで、彼女は自分を卑下している。極論をいえば、自分なら自分のようなズボラで性格の悪い女なんて選ばないと考えているのだ。



 だから、寂しささえ埋めてくれればそれでよかったのかもしれない。もしかすると、誰にでも優しい爽が自分を見ていてくれれば恋人なんてステータスは必要なかったのかもしれない。



 男との関わりが無さすぎて、男女には恋人しかないと思いこんでいたのかもしれない。別の在り方でだって、自分は幸せになれるのかもしれない。



 そんなふうに、今の関係に甘えてしまったある日。



「……あ、ヤバい」



 爽が、謎の超絶美女と手を繋いで歩いているのを発見してしまったのだ。



 恨みや嫉妬よりも先に、浮かんできたのは涙だった。



 どうやら、彼女は自分で思っているよりも爽を大切だと思ってしまっていたらしい。この『大切』という感情が、恋よりも先行した愛ゆえの賜物であると気が付くのに時間は掛からなかった。



「やだよぉ……っ」



 夜。



 薫子は、ベッドの中で震えていた。



 失うことの恐ろしさが、寒気にも似た何かに姿を変えて彼女へ襲いかかったからだ。



 ラインのアプリを起動しても、なんと言えばいいのか分からずトークルームを眺めることしかできない。最後に『分かった』と不器用に返した文字に、既読がついているだけでやり取りは終わっている。



 だから、自分から送ることができない。



 これは、しょうもないプライドのせいか。それとも、彼に迷惑をかけたくないからか。恐らくどっちもなのだろうが、薫子はこの期に及んでまだ開き直れなくて泣いている。



「一緒にいた人はだれ?」



 目の前にいないから、素直な気持ちは口から溢れる。ただ、答えを知って絶望するくらいなら、知らずに逃げた方が楽なのは人生の経験則でよく知っていた。



 ……薫子は、逃げた。



 スマホをサイドボードに投げ置くと、枕をキツく抱きしめて切なさの中に眠った。



 007



「あたしと付き合ってよ」



 翌日。



 部室に行く前、生徒が屯する広場にて爽が去年の学祭でミスコンクイーンを獲得した上級生に告白されているのを薫子は目撃した。



 自分に自信のある人間は羨ましい。わざわざこんなに人がいる場所を選んで、あんなにもドラマチックに告白してしまうなんて。



 普通の人間には、絶対に真似出来ないことだ。



 きっと、フラれる未来なんて考えたこともないのだろう。いや、むしろフラれないように、他の女が彼に手を出さないように、狡猾な作戦を以てここでドラマを巻き起こしているのかだろうか。



 薫子は、『昨日一緒にいた女性の方が綺麗だな』と呑気に思った。



「ごめん、他に好きな人がいるんだ」



 瞬間、固唾を呑んで見守っていたヤジウマたちが顔を青くさせてクイーンを見た。彼女は、対象的に顔を真っ赤にしてプルプルと震えている。



 フラレた惨めさのせいか、今生まれた新鮮な怒りが沸騰するまでの数秒間を経て。爽は、いよいよ前へ一歩踏み出したクイーンの手を彼女が叫ぶ前に取った。



「ごめんね」



 ……あれ?



「な、なによ。そんな顔したって――」



 私の時と違う。



「ごめんね。もう少し早ければ、きっと君を好きになってた」



 それだけ言い残し、彼は飄々とした姿で部室へと向かった。



 薫子は、一抹の疑問を脳内で反芻しながら、周囲に慰められながら純粋な涙を流すクイーンを通り過ぎ爽を追った。



「あれ、薫子ちゃん。君もサークル行くの?」



 途中、視線を感じたからか爽が振り返って柔らかく言った。考え事のせいでぼんやりしていて薫子は、急にポッと頬を赤らめ小さく頷いた。



「そっか、一緒に行こう」



 渦巻くのは、爽が昨日の女性を愛しているであろうこと。そして、なぜ自分はフラレなかったのかということ。



 疑問が交錯し、薫子は何も言うことができない。そんな彼女に、爽は自分の小指と薬指を彼女の人差し指に繋いで笑った。



「元気ないね、どうしたの?」



 もしかして、自分が今強く思っているように、爽も自分を『かわいい』と思ってくれていたのだろうかとニヤけてしまう。



 感情はグチャグチャだ。どこから決着をつけ、何を解決すればいいのか最早サッパリである。



 むしろ、だからだったのだろう。



「昨日、一緒にいた女の人は誰?」



 いつもの深い思考と皮肉を巡らせられず、あっさりと本音を言ってしまえたのは。



「さぁ、俺も用事があったから名前は聞きそびれちゃったよ」

「……はぇ?」

「彼女、盲目だったんだ。道に迷ってたから、お節介で交番まで連れてってた」

「そ……っ」



 そんなのありかよぉ……。ラブコメアニメでも見たことねぇよぉ……。



「いや、でも楽しそうに話してたじゃん」

「初対面で目も見えない男なんて怖いと思ったから気を遣ってさ、安心させるためにちょっとした小話をしてたんだ」



 女慣れし過ぎなんだよ!このヤロー!



「小話ってなに!?」

「薫子ちゃんのこと」



 ……にゃあ?



「俺、背ぇ高いでしょ? だから、あの人に持ちやすいところをって言ったら手を握られたんだけど。俺の好きな子も、同じくらいちゃんと握ってくれたら嬉しいって惚気けたんだ」

「しゅ、しゅき?」

「惚気けとけば、下心なんてないって思ってくれるんじゃないかって。まぁ、聞かされる方はちょっとウザかったかなって今になって思ってる」



 しゅきって。



「安心してくれた?」



 だから、さっきの人も断ったの?



「あぅ……」



 薫子の脳を支配していた悩みが一挙に吹き飛び、そこに嬉しさと恥ずかしさが洪水のように流れ込んできたから大変だ。思考回路は完全にショートして、肌に触れる彼と同じ空気すらも心地よく感じた。



「告白、したい?」



 振り返って半歩近づくと、爽は妖しく微笑んだ。髪を耳にかけられ、思いが素直に口を出る。



「したい」

「そっか。でも、まだダメ」

「なんでぇ?」



 気持ちが良くて、猫なで声が元に戻らない。



 なるほど。



 発情した女が見せる『メスの顔』ってのは、きっと今の私の表情のことを言うのだろう。



 恥ずかしいけど、もっと見て欲しいと思った。



「先にすること、あるでしょ」



 言うと、薫子はおっかなびっくり繋がれている小指と薬指を引き寄せて、爽の手に他の指を被せるとぎこちなく握った。



 盲目の彼女への嫉妬まで、しっかりとケリがついてよかったと薫子は心から思った。



「このまま部室行く?」

「……うん」



 部室へ入っても、他には誰もいなかった。



 運がいいのか悪いのか、見せつけたい独占欲と陰キャ特有の気恥ずかしさで葛藤して、その日もメンバーと話す爽から目が離せなかった。



 008



 爽は、告白した女にハメられて学校中から笑われ、後ろ指をさされ続けた過去がある。



 牛乳瓶の蓋のようなレンズのメガネをかけ、細過ぎる体に頭でっかちで理屈っぽいガリ勉。高校生までの貴島爽という人間は、モテる男からは最も遠いタイプであった。



 そんな彼だが、受験勉強と並行して自分の外見と思考を徹底的に磨き、一流大学へ入学して成り上がった結果としてモテるようになったのだ。



 だからこそ、最初からモテる人間には興味がわかない。



 不自由のない青春を送っている人間とは分かり会えない。



 きっと、高校時代に同じクラスだったとしたら、後ろ指をさしたであろう人間には靡かない。



 何故なら、そんな連中を見下すためにカッコよくなったのだから。



 昔には見向きもしなかったであろう上辺だけの付き合いを求める連中には、爽やかな切なさで自分を引きずるように仕向けてきた。



 どれだけ多くの女と体を重ねても、決して心だけは許さなかった。女を上手に扱うための術を学び続け、やがて成人式で昔の同級生と再会し、自分をは笑い者にした女を抱いた夜。



「……はは」



 彼は、何もかもが虚しくなり一人で泣いた。



 初恋だったその女が、こんなにも薄っぺらかっただなんて。あれだけ酷い青春を送るハメになった理由を担う女が、他の女と同じようにあっさりと股を開くだなんて。



 ずっと、理想の女だと思っていたのに。歪んでいたけれど、ずっと本当に好きだったのに。



 どうして。



 ……。



 ――付き合ってください!



 そんな彼の目には、過去の自分と同じ瞳を向けて不器用な告白をした薫子の姿がどう映っただろう。



 冷笑的で、理屈っぽくて、いつも卑屈に笑っている彼女がなんの前触れもなく告白したのを見て、果たしてどう思っただろう。



 ……この世界で最も敗者に厳しいのは、生まれながらの勝者ではない。



 どん底から這い上がり、血反吐を吐くほどの努力を積み上げた元敗者だ。



 だが、同時にこうでもある。



「ふふ」



 這い上がった元敗者ほど、必死に這い上がろうとする敗者に優しい者もいない。 



 爽は、薫子に嘗ての自分を重ねている。きっと、彼女なら自分のどんな悩みでも曝け出せる。心の奥底にある劣等感を共有出来る。



 誰かに必要とされたくて、あの第一歩を踏み出すための勇気を捻り出すのにどれだけ葛藤したのかを痛いくらいに知っている。



 だから、何よりも、誰よりも。



「俺が、薫子ちゃんを一番分かってあげられる」



 それが、爽がこの2ヶ月で抱いた薫子への恋心の正体だ。



 あまりにも歪な愛情が、そこにはあった。



 009



 更に一ヶ月ほど経ったある日、薫子は爽と二人で夏祭りに来ていた。



 縁日を見て回り、遠くに打ち上がった多くの花火を高い丘の上から眺めた。慣れない浴衣で足の指が痛くなって、ゆっくりと歩く自分に合わせてくれる爽が愛おしくて仕方ない。



 更に、二本の缶チューハイを開けてすっかりほろ酔い気分。薫子は、人々が帰りの駅へ向かう喧騒の中、彼の肩により掛かるようにして寂しさも隠さずに訊いた。



「今日、楽しかったね」

「そうだね」

「明日、バイトないんだよね」

「そうだよ、なんで?」

「……まだ、ちょっと帰りたくないなって」



 彼の言う『急でない告白』をするなら、きっと今日なんだと薫子は思った。



 というか、流石にもう我慢が出来ない。これだけロマンチックな雰囲気なのだから、許してくれなかったら気が狂ってしまう気がしている。



 ……ふと、遠くから船の汽笛の残響が聞こえた。



 薫子は、深く息を吸い込むともう少しだけ強く爽の腕を抱いた。



「私、爽君の理想の女になれたかな」



 心臓が跳ねたのは、爽だ。



「どういう意味?」

「ずっと考えてたんだ。どうして、爽君が告白に拘るんだろうって。きっと、エッチなことだって困らないハズなのに。なんで、わざわざ私みたいな女を誂うんだろうって」



 薫子の頬から伝わる熱が、いつもより心地よい。



「地味で何も知らない私なら、爽君の好きな色に染められる。あなたは、あなたの理想の子に告白してもらえる。だから、あなたは私を選んだんじゃないかって思ったの」



 ……寸分の狂いもない、完璧な答えだった。



 あぁ、どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったんだろうか。



 俺が薫子ちゃんを一番分かってあげられるなら、薫子ちゃんだって俺のことを誰よりも分かるのが当たり前じゃないか。



「私、嬉しかったよ」



 しかし、薫子の想いは爽の予想を遥かに超えていた。



「勉強だって、知ってる人から教えてもらうのが効率的でしょう? だから、爽君みたいにたくさん恋愛を知ってる男の人にイチから教えてもらえて、他の子に申し訳ないくらい嬉しかった」

「……そっか」

「私も、爽君と同じ。他の子を出し抜いて、あなたみたいな素敵な人の女にしてほしかった。見返してやりたかった。羨ましいって見上げられたかった」



 ゴクリと、ツバを呑む。



「でも、そんな事を考えてたのは最初だけ。今は、他の事がどうでもよくなるくらい純粋に爽君が好き。楽しくって、ずっとこのまま一緒に居たいって思ってる」



 そして、薫子は少し背を丸める爽を見上げた。



「私なら、あなたのことを幸せにしてあげられる。もう二度と、寂しい思いをしないようにしてあげられる」



 頬を伝う涙を、薫子が人差し指で拭う。



「だから、付き合ってください」



 冷え切っていた心の氷が溶けていたのは、果たしていつからだったのだろうか。



 爽は、薫子の小さな体を抱き締めた。甘えるように、縋るように。ただ、心を近づけるために。



「ありがとう、よろしくお願いします」



 もう、虚しさは消えていた。



 あの日に空いた穴の中を、薫子が埋めてくれたからだった。



 010



 当然といえば当然なのだが、モテる爽の理想の女となった薫子は、それはもう鬼のようにモテていた。



 しかし、そこはやはり経験の差なのか。爽は薫子の周りを何事もなく受け流すのに、一人の男しか知らない薫子は彼が他の女と話すたびにモヤモヤしてしまう。



 『絶対に裏切らない』と分かっていても、不器用に彼を攫ってしまう。その度に、優しく慰められて負けるのが彼女のお決まりになっていた。



「……他の女に嫉妬しながらするキス、いっぱい気持ちいい」



 おまけに、爽よりも長い間抑圧されていた薫子の変態っぷりは彼を軽く凌駕していた。どんな角度からでも欲望を発散出来るのは、知識豊富なオタクならではの特技なのだろうと爽は思った。



「なんで嫉妬しないの?」

「してるよ、本当はずっと一緒にいて欲しいと思ってる」

「じゃあ、もっと」



 きっと、もう一年もすれば薫子は俺よりも強かになるだろう。俺の方がもっと好きになって、逆に彼女は落ち着いて。やがて、俺が彼女を強く求めるようになるのだろう。



 だから、今だけ。



「仕方ないなぁ」



 今だけは、俺が彼女を甘えさせてあげようと思って。



「えへへ、しゅき」



 結婚のプロポーズは、彼女の告白に負けないくらいドラマチックにしてみせようと誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】陰キャって何故かすぐに告白する 夏目くちびる @kuchiviru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ