02:鷹宮百合香は知っている

 歳の離れた人を相手に金銭のやりとりをする。そんな人間は見える範囲にいないだけで多く存在している。

 援助交際だ、パパ活だ、名称が付いたことで話題となっているだけで、やっていることは自らの時間や身体を売り物とした非合法的な金稼ぎ。アルバイトよりも拘束時間が短く、かつ高時給。故に、そのグレーゾーンに手を出す輩は多い。


 蜂谷も、そんな人間の一人であった。


 毎月数回、真壁と名乗る男から金をもらうために会う。それは蜂谷にとって重要なことだった。

 会ってやることが健全、という前提はあるが、それはそれとして真壁は俗に言う「良い人」と呼べるだろう。蜂谷の嫌がることはしない。あくまでも話し相手としての距離感。そこに不満があるわけはなく、むしろ界隈を考えると珍しいほどホワイト寄りだ。金銭の受け渡しがある以上、グレーから抜け出すことはできないが、同じことをしている人間からすれば羨ましさや妬ましさすら感じる対応だ。

 とはいえ、知り合いが彼女の姿を見つけてしまえば、噂になることは避けられない。有名人の裏の顔は、どこの界隈でもいい食い物だ。蜂谷もバレないよう、私服に着替え、メガネを外し、学校から離れた場所で会っている。バレた時のリスクを考えればこんなことをしない方がいいことくらい理解しているが、どうしてもやめられない理由があった。

 繋ぐものがあるからこそ人は離れられなくなると理解していた。

 なら、繋ぐものがないのに離れたくないと必死になるのは滑稽に映るのだろうか。


 ──そんな蜂谷の思考は、一瞬にして砕け散る。


 何度も瞬きを繰り返し目の前に広がる光景を咀嚼する。が、何度思考しようとも蜂谷の考えは揺らがない。


「こんなところで何をしているんですか?」


 担任に頼まれたノートの山を準備室に運んでいただけだった。何事もなければすぐに終わる用事で、蜂谷にとっての放課後はそれだけの予定だった。

 準備室の扉を開いた先にいた、二人の女子生徒。古くなsり校長室から運ばれた人が三人座っても余裕のあるソファに彼女たちはいた。ただ座って話し込んでいるだけならよかったのだけど、見慣れない女子生徒おそらく後輩はソファに寝転び、制服がはだけていた。後輩は突如現れた蜂谷の姿を認識すると慌てて前を隠す。もう一人はそんな彼女に馬乗りになって見下ろしており、目が合う。「あー……」バツの悪そうな表情で後頭部を掻いた。

 この準備室は校舎最上階の一番奥に位置する。非常階段や渡り廊下などにもつながっていない角部屋だ。不便で移動距離や立地の悪さから今はほとんど使われていない。中もほとんど倉庫としての役割を担っている。今回蜂谷が頼まれたのもしばらく授業で使う予定がないから、と移動を頼まれたものだった。鍵は職員室にある一本だけと聞いていたが──どうやら抜け道があるらしい。校内で突然見せつけられた濡れ場に蜂谷は頭が痛くなる。

 後輩は勢いよく起き上がり、組み敷かれた体勢から無理矢理抜け出す。ソファ下に落ちていたジャージを回収するとそれで制服の前を隠しながら去って行く。視界の隅で後輩が遠くなって行くのを見送り、もう一度中に視線を向ける。彼女は口を噤み、ただ見つめていた。

 蜂谷は彼女から視線を外し、中に入る。事前に聞いていた棚は一番下の段がぽっかり空いていて、そこが抱えたノート群の一時的な住処であることに気がつく。床にそれを置いて、支えがなく倒れている教科書数冊を立て直す。


「いや……まじかキミ……」


 不意にドン引きした声がして、それを吐き出せるのは一人しかいなくて、蜂谷は振り返る。ボスッとソファに沈む音と共に彼女、鷹宮百合香と再度目が合った。


「なんですか鷹宮さん」

「何って、そりゃ……」

「呆れているようですが、私は何もしてませんよ?」

「そーだけどさー……いや、違うじゃん。なんか色々、てかふつーそのまま作業始める?」

「終わらないと帰れませんからね」

「さいですか……」


 つい数秒前と違い仰向けで見上げる体勢の鷹宮から視線を戻し作業を続ける。

 もしも彼女たちを見つけたのが教師の誰かだったのなら即刻生徒指導室行きは免れない。苦言を呈され、その事実は教師陣の間で共有され、目が厳しくなる。巡回なんかが増える可能性も大いにある。

 かといって他の生徒が見つけたのなら恰好の噂になることは想像に難しくない。淫らな現場、というだけでもいいネタなのに、それが女同士とでもなれば噂にならないわけがない。腫れ物として残りの学生生活を送ることになろう。

 あくまでも見つけたのが蜂谷だったから。偶然にも蜂谷だったから何も言わないだけ。鷹宮も理解している。もはやここまで無感情で淡々と自分の役目を全うする蜂谷に不自然さすら感じていた。


「いいんちょーは、人にキョーミなさすぎじゃない?」

「別にそんなことはやりません。ただ他人のやることなすことに口を出すつもりがないだけです。むしろ口を出してほしいんですか? それなら色々と言えますが……」

「いや、大丈夫です……」


 蜂谷と鷹宮は一年生の頃、同じクラスで共に学んでいた。その頃の名残りで鷹宮は今も蜂谷を「いいんちょー」と緩く呼んでいる。

 特別仲がよかったわけでも、同じグループに所属していたわけでもないが、何かあれば普通に話せるうえ、対極に位置するも大きく波長がずれているわけでもない。……と認識していたが、さすがにここまで無だと怖いな、と鷹宮は密かに思った。

「そういえば……」蜂谷は手を止めて疑問を鷹宮にぶつける。


「どうやって準備室に入ったんですか? ここは鍵がないと入れないはずですが……」

「そりゃー、あたしの手に掛かればちょちょいのちょいよ」

「教師の方々に定期的な見回りをお願いしましょうか」

「そいつは脅しって言うんじゃないかな?」


 鷹宮は寝返りを打ち、右腕を枕にして苦笑する。


「二年の頃にうっかり返すの忘れちゃってさ〜。その時からあたしのヒマつぶし場所の一つになってるの」

「意外……というほどではありませんが、確かに二年生の頃たまに三年生のフロア上の階から降りて来る姿を見るとは思っていました。そういうことだったんですね」

「ありゃ。バレてたんだ」

「わりと目立ちますよ」


 鷹宮は制服の着崩しやブレザーの中からパーカーを羽織るなど、大多数と違うため見た目からどこにいるのかよくわかる。さらには口調が軽く教師相手にも物応じしない態度を目にする機会も多かった。猫のようにのらりくらりと自由なのはある程度周知されている。故に勘違いされるが、本人は授業をサボる真似はしない至って真面目な生徒だ。授業中も教師のボケへのツッコミを入れることやクラスメイトの発言にヤジを飛ばすことはあったが、しかしそれらは笑いをとって空気を和ませる効果はあっても空気を悪くするような下品なものではない。さらに言えば成績も上から数えた方が早い、秀才であった。特進への誘いは当然あったが、めんどくさそう、なんて理由で断り続けているだけでその実力自体は持ち合わせている。

 明るく人付き合いがいいだけに顔が広い。蜂谷とはまた違った人望を持ち合わせていた。


 正直、蜂谷は鷹宮がつい数分前にやろうとしていたことについて聞きたい気持ちはあった。人気者の彼女が選んだ相手が後輩という点はイメージと違って意外だったのだ。それこそ、ここが暇潰し場所、という事実以上に。けれど直接聞いたところで鷹宮が素直に答えるとも思っていなかった。適当にはぐらかされ、話を流されるのが目に見えている。上手い聞き方が世の中には存在するのだろうけど、それは蜂谷が持ち合わせていないスキルの一つだった。


「いいんちょーは今のクラスで仲良くやれてるー?」

「藪から棒になんですか? 関係は良好かと思います」

「ならいいんだけど、ほらいいんちょーって少し話しかけにくい雰囲気あるし? ちょっと心配してたんだよ」

「今のところ問題はないと思います。今まで通り頼ってもらえていますし」

「おーさすがいいんちょー、さすいん!」

「なんですかそれは」


 ノートの収納を終え、蜂谷は立ち上がるとスカートを軽く払う。


「鷹宮さん、鍵持ってるんですよね? 施錠、お願いしていいですか?」

「もう行くの? もう少し話そうよ〜」

「用事は済みましたから私は帰りますよ」


 長居するつもりは元々ない。気まずい現場を目撃したこともあり、早く立ち去りたい、という気持ちが強かった。

 ──が、それはたった一言で叶わなくなった。


「いいじゃん。もう少しくらい付き合ってよ──ゆうちゃん」


 扉にかけていた手が動かなくなる。振り返れば鷹宮はいつの間にかソファにあぐらをかいていた。

 目が開かれ、口が半開きになり、慣れたポーカーフェイスが崩れ、目が合う。聞こえるはずのない呼び名に、冷や汗が止まらない。


 どうして鷹宮がその名前を知っている。そのことは誰にも話したことがないのに。

 そんな疑問は聞くことができないまま、かといって言葉を吐き出すこともできないまま、刻々と時間が過ぎていく。


「話、聞いてくれる気になった?」 


 微笑を浮かべる鷹宮を見て、蜂谷は自らの過ちに気がついた。

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夜の迷子 三五月悠希 @mochizuki-yuki

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