01.理想の家
私は所謂、生まれながらに見える側の人間で、今までにもいろんなモノを見て来ました。
覚えてはいませんが母から聞いた話でも、幼い頃に誰もいない階段で楽しそうに喋っていたり、急に人の背後に向かって話しかけたり、ホテルへ泊まりに行った際も異常なほどに泣きわめいたりしたそうです。
今回はその中でも家族全員で異常な出来事に遭い続けた、とある家での話をしようと思います。
その家に越して来たのは私がちょうど中学に上がる頃のことでした。
当時の家族構成は母親一人と私達子どもが三人、そしてペットの犬が二匹。そのためペット可の賃貸であることはもちろん、最低でも部屋が二つは必要になることなどが条件に上がっていたのですが、田舎に住んでいたということも相まってなかなか良い物件が見つからず、母は相当頭を抱えているようでした。
しかしそんな中、とても好都合の物件が見つかります。
車庫と庭もついた、2LDKの一戸建て。しかもペット可の賃貸ときて、田舎にそれだけ条件が合う物件はもう無いだろうと踏んだ母はすぐに不動産へと走ったのです。
ほぼ借りることが確定した上での内見でも、学校からも近くなるし、リビングも広いし、部屋も広いしで悪いところが見当たらないほど良い物件に思えていた私達家族の中には、誰一人として反対する人はいませんでした。
そうして新居での生活が始まっていくのですが────。
私は入居直後からある違和感を覚えていました。
まず一つは、いつも絶対に人の家でくつろいだりしない祖母が私達の新居に遊びに来た際、ごろん、と畳間に寝転んでしまうほどリラックスしていたことです。
正直信じられませんでした。
祖母は元々あまり落ち着きがなく、自分の家にいる時でさえいつ座るんだろうと思ってしまうほどずっと動き回っている人です。自分の家でもリラックスできない祖母が他の家でじっとできるなんてとても思えず、現に従兄弟の家に行った時も座ったと思ったら手伝いに走ったり、と忙しなく動いていました。
そんな祖母が「動きたくなくなっちゃうわ~」とくつろいでいる姿を見て安心するというよりも、変だ、と思ってしまったのを覚えています。
もう一つの違和感はこの家を貸し出してくれた方々の内情でした。
当時少し話を聞いただけだった私はそこまで気に留めることもなかったのですが、そんなある日、突然見知らぬ女性が家に訪ねて来て「出て行け」と催促するようになったのです。
詳しいことは聞いていませんが、どうやらこの家は家族間で話し合った結果、貸し出すことにしたのにも関わらず、折り合いの悪い家族がいたのか、そのうちの1人がこうして乗り込む結果となってしまったみたいでした。
初めて女性が訪ねて来たのは平日の朝8時前頃。こちらとしては皆が学校や仕事の支度で一番忙しくしている時間帯です。
母が応答するとその女性は外が臭いだの、犬がうるさいだの、散々の文句を吐き捨て最後には「また来る」と言い残して去って行き、それから私達家族はだんだんと不信感を持つようになっていきました。
その女性はもちろん、ここを貸し出してくれた夫婦にも。
この家は確かにペット可で借りたのですが、室内に入れるのは許してもらえなかったため、私達は外に犬小屋を置き、2匹の犬を飼っていました。
確かに世話が行き届いていない部分もあるかもしれないし、それでご近所に迷惑をかけてはいけない。そう思った私達は女性に指摘され、思い当たる部分は直していこうと動きました。
それ評価されたのか、以降から女性が怒鳴り込んでくることはなかったのですが、その代わり頻繁に車で家を覗き見に来るようになりました。
毎日、とまではいきませんが、ふとした時に見覚えのある車が家の前を通り過ぎ、数秒間だけ速度を落とすのです。その窓からは首を伸ばして監視するあの女性の顔が。
それと同時期くらいでしょうか。外で犬や妹、従弟と遊んでいる時にふと視線を感じることが増えたのです。
その視線はお向かいの方のもので、よくベランダから私達窺っているのが見えました。
白髪の年配の方が見ていることもあったのですが、よく目にしていたのは髪の長い女性です。不思議と顔が思い出せないのですが、ベランダの手すりに両腕と顎を乗せ、私達が庭で遊んでいる間中ずっと見ているものですから、不気味だなと思っていました。
そんなある日、まだ小学校1年の妹と幼稚園の妹、そして2つ下の従弟と犬2匹を連れて庭で遊んでいた時のことです。突然、お向かいの年配のおじいさんが「うるせぇ!! その犬、取って喰ってやろうか!」とベランダから怒鳴ってきました。
私達の声がうるさかったのか、と身が竦んでしまいましたが、同時にそれにしてもうちの犬は吠えてもいないし悪くないのにそんな言い方ないじゃない。そう思ったのを覚えています。
一件以降、私がこのことを母に告げると母が仕事でいない日中は、この家を借りた時にお世話になっていた不動産の女性の方が私達と一緒に過ごしてくれるようになりました。
当時はなぜこの女性が頻繁に来てくれていたのかわからず、それでも女性のことが好きだったので深く考えてはいなかったのですが、こういった理由があったと知った時は衝撃を受けました。
それから怒鳴られることはなくなったのですが、驚くことにおじいさんはあの時とは打って変わって家の塀越しににこやかな笑みを浮かべ、アイスを持って来たりするようになったのです。
罪滅ぼしなのかなんなのか……どちらにせよ、まだ子どもだった私達はアイスを受け取ってもその人のことを受け入れることはできませんでした。
だって彼らは日中に限らず、夜になってまでもベランダからこちらを覗くようになっていたのですから。
そんな日が続いたある日、駄々をこねた妹と一緒に寝ていた母が起き抜けに「頭が痛い」と呟きました。隣の布団で寝ていた私はその声に目を覚まし、なんとなく母の方を振り向きます。
母は片腕で目を覆うように仰向けになっており、ちょうどその頭上にあたる畳に何か落ちているのが見えました。頭まで布団を被って寝る癖のあった私は、まだしょぼつく目で何度か瞬きをしながらそっと顔覗かせます。
「すごく頭が痛いの」
寝起きで掠れた声の母が言います。その声はちゃんと聞こえているのに、私は恐怖のあまり返事をすることすらできませんでした。
眼前にあるのは頭皮が見えるほどまばらに髪の生えた人の頭。薄汚れたそれはまるで土から掘り起こしたばかりのように見えます。驚くことに髪の長さと雰囲気から、なぜか私は家に怒鳴り込んで来たあの女性のものだと確信してしまいました。
そして同時にいつその首がこちらを振り向くともわからない恐怖に怯え、これが夢であって欲しいと願いながらそっと布団を頭まで被り直し、再び目を閉じることにしたのです。
何が起こっているのかはわからなかったけれど、あの首に私が見えていることを知られるのだけは避けなければ。
ただそれだけははっきりしていたように感じます。
異変はまだ続きました。
私達が買っている犬は2匹ともとても仲が良かったのですが、この家に越してから先住犬が後住犬をいじめるようになってしまったのです。先住犬の方が体が大きかったため、後住犬が出血することもあり、危険を感じた私達は一時的に後住犬を玄関中へと避難させざるを得なくなってしまいました。
それから先住犬は夜中でも昼間でも、ものすごい勢いで吠え始めます。この勢いというのは母が寝不足になってしまうほどのものでした。
しかしそれも無理はありません。おじいさんとの一件もあったため、吠えるのをやめさせなければと、とても神経質になっていたでしょうから。
ある日の夜、私がご飯をあげようと外へ出た時のことです。その日は珍しくそれまで大人しくしていた先住犬ですが、わたしが餌を持って来るなり、道路に向かって吠え始めました。
ずっとその子と過ごしてきたので吠え方でわかってしまいます。
何かに威嚇しているのだと。
恐る恐る道路の方を見ると、言葉を失ってしまうような物体が走り去って行くのが見えました。
闇夜よりも深い黒を纏ったそれは人型のはずなのに体は球体で、そこから2つの頭が生え、腕こそ2本ですが足は3本といった異常な形態で首や体を大きく揺らしながら車ほどの速さで通り過ぎて行ったのです。
ひとしきり先住犬がそれに吠えたあと、はっと我に帰った私は襲いくる恐怖に耐えながら餌をやり、逃げるように家の中へと入りました。
この頃くらいでしょうか。私自身、学校でも異変が起こり始めたのは。
中学に上がってから皆と馴染めなくなっていった私は不登校になりかけていましたが、そんな中、嫌々ながらも登校した日のことです。
教室の一番前の廊下側に席があった私の耳に友達の会話が飛び込んできました。
「ねぇちょっと! さっきから足触んのやめてよ」
「ええ? 触ってないよ」
「嘘だ、絶対触った」
「いくらあんたの後ろの席だからってさ、ほら! 今これ写してたの。触るなんて無理よ」
「あ、ほんとだ……まぁ~気のせいだよね! ごめんごめん」
私も眼前のプリントを解くのに一生懸命だったということもあって、その時、会話は聞き流して終わりでした。
しかし直後、視界の端に何かが見えた気がしてシャーペンを握る手が止まってしまいます。
私のクラスは常時前側の扉を開けっ放しにしているので、いつも視界の端には廊下が映っていました。その廊下に素足で歩く誰かの脚が見えたのです。
廊下ともなれば授業中と言えど誰かが行き来してもおかしくはないのですが、私の通う学校の構造上、今通り過ぎた脚が来た場所……隣の教室は空き教室になっているはずでした。隣の教室のもっと奥は非常口となっていて、そもそもこのクラスより奥に人がいるはずなんてない状況です。
それなのに脚は奥から歩いて来て私達のクラスを通り過ぎて行きました。さっきの会話のこともあったのであまり気にしてはいけない、とは思っていたのですがなんとなく、私は顔を上げてしまいます。
この時は完全に無意識だったと思うのですが、今考えると気配を感じていたのかもしれません。
教室の引き戸には正方形の小窓がついていて、それおかげで様子を窺うことができます。顔を上げた私は一瞬だけ確認するようにその小窓を盗み見ました。
すると目が合ってしまったのです。
小窓から覗く切り揃えられた真っ黒な前髪と見開いた眼。その肌は血の気がなく、私の心臓は嫌というほどに脈打ち、まるで今から何かに殺されるのではないか、とそう思ってしまうほどに危機感を覚えました。
もう一度いるか確かめる、なんて勇気が出るはずもなくその授業中は生きた心地がしませんでした。やっと地獄のような時間が終わり、私は霊感があるという友達に相談しようと彼女を呼び出しました。
その彼女と言うのが授業中の会話で、触っていないのに「触ったでしょ」と言われた子です。
彼女に先程見た話をするとすぐに頷き、説明してくれました。
どうやらその子はこの校内ずっとうろうろしているらしく、よく階段で見かけるそうです。しかし私が今回見たのは廊下だったので、それは珍しいと言っていました。
いつもなら階段か、階段周辺の廊下にいるのに、と。
その後くらいでしょうか。
私はますます友人関係が上手くいかなくなってしまい、とうとう学校に行くのをやめてしまいました。しかし母はそれを許さず、引きずってでも私を車に乗せて学校へと送り届けます。
そんな母に猛反発した私は意地でも途中で学校から抜け出し、家へ帰るということを繰り返しました。
今思えば行く場所は別にどこでもよかったはずです。実際同級生の不良達は学校から抜け出した後は好きな場所へと遊びに行っていたし、私も好きな場所へ行けば楽しく過ごせたでしょう。
しかしこの時の私には家へ帰る、という選択肢しかなく、帰ったところで怒られるだけなのにも関わらず執拗にとんぼ返りをしてしていました。
そしてだんだんと私は家から出なくなってしまいます。友達に誘われても、それを断ってまで家に帰ることもあったくらいです。
同時期、母の体調もだんだんと悪くなっていきました。
当時の私は自分のことだけで精一杯だったのでよく覚えてはいませんでしたが、後に聞いた話によると鬱状態だったそうです。そのため薬を服用するようになり、体も思うように動かないため母も私と同様に家から出られなくなっていきました。
そんな状態の中、母からある提案がありました。
「転校する?」
話を聞くともう既に目星を付けた家がいくつかあり、見学に行って見て良さそうな所があれば引っ越さないか、ということでした。しかし今の家族構成ではこの家以外に良い物件が見つかりそうもないため、転校は絶対になる、と。
私も心機一転、全てをやり直したいと思っていたので、ひとつ返事で承諾しました。それからというもの、とんとん拍子に事は進み、無事私達一家は少し離れた町へと引っ越すことができました。
その間、数ヶ月の出来事です。
嘘か真がわかりませんが、土地には合う、合わないがあるとか。様々な人の想いが募った土地は大きなエネルギーを宿し、それに合わないとだんだん心体を蝕まれてしまうそうです。
私達も、あのまま住んでいれば間違いなく死んでいた。
そう誰かに言われた気がします。……はて、誰に言われたんでしょう。
────顔も、名前も、声も。思い出せません。
すぐ、そばにいる。 @orca_sea_
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