花の種をまきましょう

真朱マロ

第1話 花の種をまきましょう

 トランク一つだけを手にして、私はスタスタと丘を登ります。

 引越しにしては小さな荷物ですが、これが私の全てなのです。


 その家は、丘の上にありました。

 白い壁に赤い屋根で、まるでおとぎ話に出てくるような、可愛らしい家です。

 人が住まなくなって久しいと聞いていたのに、管理していた人の手入れがよかったのでしょう。

 小さくて可愛らしい家だけではなく、家の周りを囲む腰の高さ程度の木の柵も、それほど痛んではいません。

 

 今日からここが私の家になるのです。


 遠くから見た時は緑の美しい丘に見えたけれど、こうして近づくと小石が散らばり雑草の生い茂る荒れた土地のようです。

 扉の前で今まで歩いてきた道を振り返り、自分の家になる土地の広さに驚きました。

 私にまかされたのは目に映る全てですから、少し途方にくれました。

 それでも海の見える場所から引っ越してきたので、緑のある情景や丘の先に見える森は、新鮮な上に穏やかで心地よい風景でした。


 再び赤い屋根の家に向き直ります。

 小さい家ですが、一人で住むには大きいかもしれません。

 近づいても可愛らしくて、手入れをしながら大切に使われていたのがわかります。

 これほど大事にしていた家を手放すなど、前の持ち主はきっと辛かったことでしょう。


 そんな感慨を抱いてしまうぐらい、素敵な家です。

 門から玄関に続くレンガ道も、どうやら前の住人の手作りのようです。

 そして、ウッドデッキにはテーブルといすが用意されていました。

 

 首から下げた金色の鍵で扉を開けました。

 キィィと小さなきしみをあげて、木の重い扉は開きました。

 一歩、中に入りました。


「お邪魔します」


 ついついそう言ってしまい、苦笑してしました。

 だって、ここは私の家になるのです。


「ただいま」


 言いなおしたけれどおかしくなってきました。

 だって、何を言っても私一人なのです。


 だけど、残されたままになっているテーブルや棚の陰から、ヒョイと小人が顔を出しても不思議ではない家なので、無言のまま土足で入り込むのは無礼な気がするのです。

 

「よろしくね」


 なんて見えない小人に言ってみたら、なんだか楽しくなってきました。

 窓を開ければ、軽やかに風が部屋の中を駆け抜けていきます。

 それはまるで小人のダンスのように、止まっていた家の空気を楽しげに揺らしました。


 しばらく揺れるカーテンを見ていましたが、私はトランクを開けて、少ない荷物を広げます。

 クローゼットに取り出したい服を、しわを伸ばしながら片付けていきます。


 そのとき。

 畳んだシャツの下になっていた封筒が、ヒラリと床に落ちました。

 別れの挨拶をした時に、海辺に住む友人にもらったものです。

 新しく住む場所で開けろと言われたので、ずっとトランクに入れたままになっていたのでした。


 拾い上げ、封を切りました。

 小さな紙切れが一枚と、丁寧に包まれた種が何種類も入っていました。

 透明な袋に小分けされ、育て方は書いてあります。


 でも、それだけなのです。

 なんの種か、見ただけではわかりません。

 

 一緒に入っていた紙切れには、友人の住所と名前。

 メッセージの代わりに、友人なのか私なのか判別のつかない、へたくそな似顔絵も描いてあります。

 とりあえず笑っている顔のようですが、それだけなのです。

 意味のある言葉は一つもありませんでした。


 これは、もしかして。

 この種を育ててみろということでしょうか?

 私は生き物の世話をすることが苦手なのです。


 やってみろという挑戦状かもしれません。

 新手の嫌がらせのようで、思わず眉根を寄せてしまいます。

 ええ、あの人の考えそうなことです。


 本当にどうしようもない人。

 ニヤリと笑う、陽に焼けた顔が浮かびます。


 それでも。

 できるもんかと、バカにされるのは腹立たしく思います。


 私はこれでも負けず嫌いなのです。

 やっぱり枯らしたか、なんて、したり顔で笑うあの人の顔を簡単に思い描いてしまうと、見てらっしゃいと闘志がわいてきます。


 石を拾い、土地を耕してみましょう。

 種をまき、水をやり、陽の助けを借りて、育ててみましょう。


 何の花が咲くかはわかりません。

 それでも、たくさんの種類の花の種が手紙には包んでありました。


 小さくても、大きくても、綺麗な花に違いありません。

 最初は押し花にして、手紙を出してみるつもりです。


 その次は、花束を届けましょう。

 あの人が驚くほど頻繁に、美しい花を贈るのです。


 そして遠くない未来。

 昔どこかで見た、コスモスで埋もれた山裾のように。

 顔を上げ咲き誇る、畑いっぱいのヒマワリ畑のように。


 あなたの花で、いずれ、この丘を埋め尽くすのです。

 再会は、風に踊る花びらの中と、夢見るのも悪くないでしょう。

 

 私はいつでも有言実行なのです。

 ええ、簡単には負けませんから。

 まいったと言わせるから、待ってなさい。


 名も知らぬ種の育て方は、親切にも書いてあります。

 大切に扱えば、何の花かわからなくても、種も芽吹くはず。


 もちろん、今はただの願望でしかないけれど。

 まったくもって不親切で、優しいあなたへの返事を育てなくては。

 

 さぁ、花の種をまきましょう。

 あなたも私も笑顔になるための、最初の一歩を踏み出すのです。

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