成三くんの赤いライター

花火仁子

成三くんの赤いライター

 リサイクルショップで半額だったスウェットを着て、ドラッグストアで四割引だったミルクティーを飲んだ。数年前に古着屋で破格で買った3ホールのドクターマーチンはずっとサイズが合っていなくて、歩くたびカポカポする。どこにでも行けるのにどこにも行かないのは、きっとそのカポカポのせいなんだろう。いつからかなにかのせいにしないと生きていけなくなっていた。


 夏と秋の間。午前六時の外はまだ薄暗くて肌寒い。明確な理由はないけれど、昔吸っていたハイライトを久しぶりに吸いたくなって、コンビニへ買いに行った。会計をすませ外に出て煙草に火をつける。あの頃のこと思いだすかな?と思ったけれど、思いだすことはなくただただ美味しくて安心した。それと同時に思いださなかったことに対して、少しばかりの切なさを抱く。忘れたくて忘れたのか、自然と忘れてしまったのか、あるいはまだ覚えているけれど思いださなかっただけなのか。火を消す頃にはそんなことどうでもよくなっていた。


 当たり前のことだけれども、私には私、夢乃美意ゆめのみいの人生があって、近所のスーパーのレジ担当、咲良さくらくんには咲良くんの人生がある。ここの従業員は各々名札をつけていて、よく4番レジにいる人は咲良くんという名前であることを知った。咲良くんは声が小さく、いつもダルそうに仕事をしている。多分二十七歳くらいで私とそんなにかわらない歳だと思う。咲良くんの目はキラキラしていない。私も人のこと言えないんだけど。


 私は今までにひとりだけ、他人の人生を見せてもらったことがある。そう、つまりは一度だけ恋人がいたってこと。その人の名前は、成三なるみくん。一緒にいることで、私は成三くんの人生を見ることができた。成三くんの人生は面白く、できることならもっと見ていたかった。二年間。私が見ることができた成三くんの人生はそれだけ。


 成三くんは金髪がよく似合う人で、足が細くて長くて黒いスキニーをよく履いていて、煙草とコーヒーと音楽と映画が好きで、私はおおいに影響を受けた。当時私は二十歳で、成三くんは私よりふたつ上のお兄さんで、私が知らないことをたくさん知っていた。


 例えば、雨の種類は四百くらいあることや、落ち込んだ時は宇宙と交信するといいということ、おでことおでこを合わせることで相手の気持ちがわかることとか、好きな人と同じ動きをしてしまうことをシンクロニー現象と呼ぶこと、とか。もっともっと教えてほしかったな。


 成三くんと別れることになった原因は私にある。あの頃の私は精神を病んでいて、成三くんを困らせてばかりいた。別れてからも、困らせるようなメッセージばかり送って、困らせるような電話ばかりした。

「どうせみんな、あの子のことが好きなんだよ。私のことなんてどうでもいいんだよ」

 というメッセージに返信がくることはなかった。いつもなら仕事上がりに返信くれるのに。

 私は成三くんに、いよいよ見捨てられてしまった。




 と、成三くんのことを思いだしたのは、咲良くんのせいだ。私はいつも夕方にスーパーへ行く。買い物をする前にスーパーの喫煙所で一服するのが日課だ。プラスチックでできたベンチに腰をかけ、煙草に火をつける。すると一人分空けたところに誰かが座った。チラリと横を見ると、咲良くんが座っている。そのまま視線をおくっていると、咲良くんが取りだした煙草のパッケージが見えたので、思わず声をかけてしまった。


「一緒ですね」と私が持っている煙草のパッケージを咲良くんに向ける。

「ハイライト吸ってる女性、初めて会ったっす」と咲良くんは言葉を返してくれた。


「あ、雨降ってきましたね」と私は会話を続ける。

「そうっすね。雨って四百種類くらいあること知ってます?」

「えっ……えっと、知らないですね」

「そうっすよね。俺休憩終わるんで行きます」

「あ、はい」

 咲良くんは水が入った灰皿に煙草を落とした。ジュっと火が消える音がする。咲良くんは足早にスーパーの中へ戻っていった。


 私は買い物する気がなくなってしまって、そのまま帰ることにした。通り雨だったみたいで雨はすぐやんだ。薄暗くなってきた道を歩きながら、走馬灯のように成三くんのことを思いだしてしまった。走馬灯を経験したことはないけれど、きっとこんな感じなんだろう。動揺と混乱が入り混じる脳みそをどうにかしようとする。咲良くんのせいで成三くんのことを思いだしてしまった。成三くんが吸っていた煙草を吸っても、思い出さなかったのに。咲良くんのせいで。あの言葉のせいで。




 家に着き、落ち着きを取り戻すべく、コーヒーをいれる。

「成三くん、どうしてるかな」と、思わず小さな声で呟いてしまっていた。

 成三くんに会いたい。そう思ってしまい、成三くんの携帯に電話をかける。

「おかけになった電話番号は現在使われておりません」

 無機質なアナウンスが聞こえた。

 こうなるってうすうす知っていたけれど、実際そうなるとなぜか涙がでてきた。

 そう、私にはひとつ、うすうすじゃなくて明確に、知らなければならないことがあるんだ。




 ずっと知ることを避けてきた。だけど次に進むには、どうしても知らなければならないことが私にはある。


 これから私は、成三くんに見捨てられて以来行かなくなった、成三くんと出会ったバーへ行く。そして私は知らなければならないことを、勇気をだして聞くんだ。




 何年ぶりだろうか。この道を歩くのは。あのバー、なくなってたらどうしようと少し心配になったけれど、最後に行った日の記憶と同じで青いネオンの看板が光っていた。

 ドアの前に立つ。深呼吸してドアを開ける。あの頃よりずっとずっと重たいドア。

 中に入るとカウンターにマスターがいて目が合った。

「美意ちゃん、お久しぶり。待ってたよ」とマスターは優しく迎えてくれた。

 早い時間だったからか、他にお客さんはいなくて私とマスターだけだ。

 私はいつも座っていた左端から二番目の席についた。

「いつものでいい?」

 私は頷く。マスター、私のいつものをまだ覚えていてくれたんだ。

「はい、どうぞ」

「ありがとう、マスター。いただきます」

 マスターは私が大事な話をしようとしていることを察してか、ドアにかかっているオープンの札をクローズにしてくれた。


 マスターが作ってくれたノンアルコールの甘いカクテルを飲みながら、ゆっくりとあの日のことを思いだしていく。




「昨夜大型トラックとバイクの事故があり、バイクに乗っていた男性が死亡しました」

 なんとなく観ていた地元のニュース。画面に映るのは、成三くんが乗っていたバイクに似たものだった。私はすぐにテレビを消した。へぇ、と思うしかなかった。もしかしてを消したかった。

 だから誰にも聞かなかったし、何度通知音がなってもメッセージは開かなかったし、私と成三くんの共通の友達から何度も電話があったけれどでなかった。私は数日間携帯の電源を切りっぱなしにし、部屋に閉じこもった。それからは成三くんのことを忘れて過ごした。まるで成三くんという人が存在しなかったかのように。




 マスターは私が口を開くまで、グラスを磨いたりしながら、そっと待っていてくれた。


「マスター、成三くんは……」

 次の言葉をなかなか口にできない。


「成三くんは……成三くんは……」

 何度も言葉につまる私を優しく待っていてくれるマスター。


「成三くんは……もうこの世にはいないんだよね?」

 どのくらいがたっただろうか。やっと口にすることができた。


 マスターは手を止め、フゥーっと息を吐く。

「そうだね。成三はもうこの世にはいないよ……美意ちゃん、やっと聞いてくれたね。ありがとう」


「ずっと知りたくなかったの。でも、ちゃんと知らないと、向き合わないといけないなって思って。時間かかってしまったけれど、今ちゃんと知らないといけない気がして。知らないままだと人生次へ進めないと思って」


 私の目からは透明な水が流れだし、ツーっと頬をつたう。


「美意ちゃん、成三に送った最後のメッセージを覚えてる?」

「うん。覚えてる。また面倒臭いこと送っちゃって、返信来なくて見捨てられたと思ってた」

「成三は美意ちゃんに、そんなことないよって直接言いたかったんじゃないかな」

「直接……?」

「これから話すことで、美意ちゃんは深く後悔するかもしれないし、酷く落ち込むかもしれない。それでも聞くかい?」

「……うん。聞く。ちゃんと全部知りたい」




 私はマスターから全てを聞いた。

「マスター、話してくれてありがとう」

 私の声は震えていて、次から次へと涙がでてきて、呼吸がうまくできず苦しい。


「美意ちゃん、どうか自分を責めないであげてね。成三が悲しむと思うから。成三にとって美意ちゃんは、とても大事な人なんだ。成三、ここに来るたびに、美意ちゃんのこと話していたんだよ。美意は俺がいなくても生きていけるように俺がどうにかしたいって、言ってたこともあった。だからこれからは成三のいない世界で生きていかなきゃいけないけれど、どうかしっかりと生きてほしい。成三も僕もそう願っているよ」


「私……生きていけるかな」


「これは自信を持って言えるけど、大丈夫。だってあの成三が一度惚れた女性だよ?さぞかし素敵な人だと思うんだ」

 マスターはいたずらな笑顔で言った。


「そうだね」

 私は涙と笑みが混ざった顔で答える。


「またいつでもおいでよ。人生挫けそうになったら、また成三の話をしよう」


「うん。私、生きるよ。しっかり生きる」と、約束をした。


「あと、美意ちゃんが来た時に渡そうとずっととってた物があるんだ」

 そう言いながらマスターは、カウンター裏の引き出しからなにかを取りだした

「はい、これ」と渡されたのは、赤色のライター。

「成三が忘れていったライターだよ。美意ちゃんに持っていてほしい」

「ありがとう。私、大事に持っておくね」


「マスター、色々ありがとうございました」私はもう一度お礼を言って、バーをあとにした。




 とぼとぼと歩きながら家へ帰る。涙はとまったかと思えばまたでてきてを繰り返している。


 家に着き、コーヒーをいれ、頭と心を整理する。


 マスターの話によると、成三くんが最後に連絡をとっていたのは私だったという。それから成三くんはいつもの帰り道ではなく、私の家方面の道で交通事故にあっていた。私があんなメッセージを送らなければ、成三くんは今も生きていただろう。私は自分のことを責めはじめていた。でも、マスターの言葉を思いだし、その気持ちをとどめた。


 台所の換気扇の下、煙草を取りだしマスターから受け取った成三くんのライターで火をつける。


「まだハイライト吸ってんだ」


 懐かしい声が聞こえた気がして、振り返った。

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