七人同志
安室 作
七人同志
十年ぶりの高知はいい。
都会のじめっとした熱気に慣れてしまった体には、この吹き抜けるような爽やかな暑さが格別に思えた。
個人的には桂浜の水族館の方が好きだがね。
いかにも南国土佐っぽい、よく言えばおおらかで大雑把な感じ。肩肘張らない気楽さが伝わってきて好感が持てる。海の青、松の緑。浜で潮風とともにアイスクリンを食べ歩き、散策するだけでも十分楽しかった、ような気がする。まあ子どもの時に行った記憶で美化されている部分もあるが……薄汚れた魂を洗濯できる場所なんてそうないからな。
タバコに火を点けて足摺岬の方へ向かう。
高知の海はどこも同じだ。吸い込まれそうな景色ばかり。
竜のささくれた鱗みたいな岩に当たってくだける白い波。この場所には初めて来たが……あいつが最期に見たかった、と言うだけある。もう少し親睦を深めていりゃあ二人で帰省したまま数年は遊んでやってもよかったが……無理だな。しょせん哀れなカモでしかなかったんだから。
同郷のよしみで俺の儲け話を信じ込み、大金を預けちまうような奴だ。遅かれ早かれ誰かに利用されてたと思うぜ。たまたまそれが俺だってだけで。
人との繋がりは……騙し合いの連鎖よ。
トランプでババ抜きをやるとするだろ? 勝つにはどうするか。ジョーカーがどこにあるのか相手の仕草や目線、あらゆる情報を探るだけ探り、手札を炙り出すのさ。役得なら奪うし、俺がおっ被るかもしれない理不尽は押し付けてやる。けっきょく騙される方が悪で、負けた人間が泣くだけ。
そして人生のどん詰まりで、弱者どもはジョーカーを押し付け合う。
まさに負の連鎖。
あいつは病院のベッドで死んだ。
精神的に病んだらしく高熱に苦しみ続け、死にたくない、助けてくれと繰り返し呟いてたって話だ。俺がいうのも何だが哀れな死に様……誰だってそんな風にくたばりたくねえよな。
だから罪を償うってワケじゃないが、あいつの遺言を叶えに来てやった。死ぬ数日前、わずかな小康状態の時に携帯を触っていたんだろう、昔を懐かしむように故郷の海や新しくなった水族館、そして足摺岬から見る景色のことをSNSに投稿していた。みんな最期を迎えると悟った時には、故郷のことを思い出すのかねえ。
「これで満足したか? 未練だの恨みだのは無しにしてくれや。騙されたお前が……沈んだだけなんだからよ」
独り言は波音と浜風に流されていく。
タバコの煙はため息として吐き出され、絶景には何も残らない。
ふとあいつのアドバイスが気になった。この足摺岬の展望をさらに魅力的にする方法があるらしい。たしかライターや携帯のライトを海にかざしながら……明かりと景色を重ねて見てね、だったか。
ライターを点けてから海を視界に映す。光の加減で海の色が変わったように感じる? いや、何度やっても変わらない。残像現象なら太陽を使えば済むし……そもそも絶景に付け足しなんて不要だ。
「……あれは?」
頭が茹で上がった重病患者の妄言? なんてそんなことを考えていた時。
水平線の手前、ぼんやりと炎が揺らめいた。ライターは消している。もっともっと遠くで……色も青白い。海から蜃気楼のように薄く立ち上っているのに、ぞっとするほど鮮明に見える。
火の玉だ。一つじゃない。三つ、四つ……燃えたり消えたりを繰り返しながら確実に複数いた。波の上ぎりぎりを滑るように、こっちに向かって来てる!?
怖さというよりは奇妙な居心地の悪さを憶えて、思わず岩場を走った。そのときばかりは浜風が肌にまとわりつくようで気持ち悪かった。振り返らずに予約していた宿まで逃げ帰った後も、足摺岬での光景が頭に焼き付いて離れない。
豪勢な夕飯も味があまりしなかった。
海の幸を楽しむこともできずせっかくの皿鉢料理も台無し。
おまけに微熱まで出てきて最悪だった。
その夜、変な夢を見た。
真っ暗な世界に青白い炎が幾つも浮かんでいる。あまりにも遠すぎて正確な数は分からないが、ゆらゆらと揺れている。
やがて炎のうちの一つが人の顔、いや人の形へと変貌していく。帽子をかぶっているのだけ判別できた。ちょうどお遍路さんの竹笠……
* *
それから次の日には強行スケジュールで都内へ帰った。
どこかで休みたかったが、早いうちに遠くに行きたかった。自分の家に戻っても体調は戻らず、どんどん悪化していった。熱は上がり続け汗も止まらず、横になっても眠りが浅いのか何度も目が覚めてしまう。
その度に夢を見るようになった。
二回目は女性が闇の中に立っていた。遍路笠の男より鮮明に見えたのは、少し距離が近いからだろう。高価そうな着物を着てる青白い顔と手の女。それ以上に印象に残ったのはぶつぶつと恨めしそうにつぶやく口がお歯黒で染められていたことだ。時代錯誤というか……少なくとも今とは合っておらず、理解できないものへの怖れを感じた。
三回目、大柄な男が女々しくうわ言を繰り返す。
四回目、恰幅のいい金にうるさそうな中年。ネクタイもスーツも良いものだが古くてダサい。50年くらい前なら辛うじて通用するセンスだ。やはり皮膚は青みがかった土気色。口が絶えず動き、同じ言葉を話していた。そして……
目が覚めると病院のベッドだった。家とは違う天井と壁。自分の汗の臭い。病気の臭いだ。周囲を見回しても誰もいなかったのでナースコールで看護婦を呼ぶ。話を聞いたところ病院に運ばせたのも個室を指定したのも自分自身だったらしい。まるで記憶になかった。熱に浮かされ……実際に辛さは増す一方だった。適切に冷やす処置や投薬はしてくれるものの、回復する兆しは見えない。
夢は現実のように輪郭を帯びて、はっきりと思い出せる。亡霊のような者たちと自分の距離が近くなっていく。そして青白い人魂はあと二つ残っていた。もう二回見てしまったら……俺は死ぬかもしれない。死の感覚が迫って来ているのは気のせいじゃない!
また眠ってしまう前に、携帯を操作する。
確かに自分の通話履歴が残っていた。タクシーを呼びつけてこの病院に行く指示を出しているようだった。時間の概念がすっ飛んでいるのか、知人や友人の電話やメール、その他通知がうんざりするほど届いている。恩着せがましくすり寄り、俺の金をかすめ取ろうとするバカども。個室のことが他人に漏れてればここにだって押しかけて来るだろう。利用する価値すらないハエ以下の連中ばかりだ。
調べたかったのはそんなことじゃない。あいつのSNSを開く。俺と同じ症状が元で死んだんだ。何か助かる方法が調べりゃ見つかるかも。ヒントでもなんでもいい。この状況を切り開く何かがないか。
情報を漁っているうちに、あいつが叔父を騙して経営してる会社を乗っ取り、大金を手にしたという懺悔を見た。これだけ見ればヤバそうな告白で誰かが反応しそうだが言及するコメントは無い。その前後が支離滅裂な文と故郷の思い出を語る文がまぜこぜになっていて、信憑性に欠けているからだ多分。にしても……。
その叔父と仲良く映った写真をフツー載せるか?
もうこの時には高熱で自分が何をしてるのかも分からなかったのかもな。今の俺もそうだ。そうなりつつある。
あいつは俺と同郷で、誰かを利用して金を奪い取った。そんなとこまで似た者同志……気が合う訳だ。だが俺はお前に勝った。同じ轍は踏まねえ。騙される側の弱者どもと俺は違う。
気を吐いて携帯の画面を見つめ続けるうちに文字がぼやけ……携帯が落ちる瞬間の音さえ分からなかった。
五回目の夢は、背が低くて冴えない男が目の前に立っていた。
男女の特徴をよくよく思い出してみると、服とか髪型で年代にかなり開きがあることに気が付いた。つまり過去に死んだ奴らの霊ってことか? 傍にいる男は現代にいてもおかしくない感じがする。
「マダ……次、早ク……」
呪いの言葉を浴びせている訳じゃなさそうだ。今の所気味の悪さはあるが、それだけだ。熱出してる影響か息苦しさがあるくらい。なんでこんな夢を見せる?
決まったセリフを繰り返す様子を眺めながら考える。
血の気の失せた表情……どこかで見たような。
そうだ。
この顔、憶えてる。間違いない。夢を見る前に……!
「あああアアアッ!」
自分の叫びで目が覚める。
「死にたくない! 助けてくれ! 誰か、誰かッ!」
看護婦が後ろから声をかけてきたがどうでも良かった。もう寝たらダメだ。ふらつく足で廊下を歩こうとする。力が入らない。患者が俺を憐れむ目で見てやがる……どけ! 俺はお前らとは違う! この、騙される、だけの弱者……どもが……。
医者が騒ぎを聞いて、数人で俺をベッドに押し込んだ。
何か……薬を注射している。もし、す、睡眠薬だったら……!
「ね、眠らせないで……!」
「大丈夫。気分を落ち着けるだけです。安静にしていれば熱も下がりますよ」
「携帯は!?」
「ああ、床に落ちてますよ。ほら」
「どうしたら、どう……俺は……同じじゃ……」
医者が何か話しかけていたが関係ない。
俺はハメられたんだ。こんなことなら……くそ。なんとなく仕組みが分かって来たのに。賢いやり方はなんだ? 打てる手はあるはずだ。ギリギリのところまでもう来ちまってる。なら、最悪を避けるには? 理不尽を誰かにおっかぶせるには。考えろ、考え……
真っ暗だ。これは夢?
必死だったから時間の感覚が失せている。
男女の霊は目の前から消えていた。それともここは病院で消灯時間?
分からない。助かったのか。無我夢中でやった悪あがきが上手くいった……?
なら俺の勝ちだ。ざまあみろ弱者が。
「騙サレタ……」
ぼそぼそとした呟きが、耳もとで聞こえてきた。
それは以前、電話で聞いたあいつの捨てゼリフと声にそっくりだった。
身体は少しも動かせない。
「騙サレタァ……ヒヒッ!」
視界いっぱいにあいつの顔が映る。暗く淀んだ薄笑いを浮かべている。
死人が笑っている。俺の周りには六人の男女がいる。みんな笑っている。俺を迎え入れようとしている。
「七人目……来イ」
……ああ、分かってる。
俺たちは悪。一緒の業を背負った同志。七人の弱者。
頭が茹で上がりそうな熱と苦しみを味わい続ける、地獄へ向かう順番待ち。
ああ連綿と続く因果よ。
みんな最期だと悟った時、考えることは似てるらしい。
笑い方までそっくりなんて嫌だ、嫌……気が狂いそうだ。
南国の海 最高です
足摺岬の展望を さらに魅力的にする方法があります
携帯のライトを海にかざしながら 明かりと景色を重ねて見てください
上手くいかなくても 繰り返しやってみて
何が見えるのかは お楽しみ
いやーこのあと熱が出るなんて ホント何が起こるか分かりません
人生ってのは ババ抜き みたいなものですよね
七人同志 安室 作 @sumisueiti
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