死にたくなったら意味から逃げろ

脳幹 まこと

人生の意味のなさについて


・人生に意味を求めるな。少なくとも個人のそれには意味はない。脳細胞と同じなのだ。脳細胞の一つ一つはゼロかイチしか持たない。多くの細胞が寄り添って、ようやく機能が完成していることを忘れるな。


・人生に意味を求めるとどうなるか。「何十年も続く杞憂、あるいは徒労」だ。


・意味は時系列を含む。意味があるかないかというのは、前と後・・・を比較しない限りは分からない。時間がなければ意味もなくなる。

 前を・・忘れてしまったのなら、意味はなくなる。いや、意味から解き放たれると言うべきか。


・意味が必要なものもある。数学、科学には意味が必要だ。意味がずれていたり、ぼやけていては規則が特定できない。

 理数系とは大自然が既に作り上げたものを解体し中身を探る分野なのだ。その行為そのもの・・・・・・・・に意味があるかは別として、意味の積み重ねで新たな意味を作り上げていく。


・学校教育は意味の基準を与える。何に意味があって、何に意味がないのか。その中で何となく「意味のないことをしちゃダメなんだな」と思い始める。


・「カネ」という保存がきく指標もまた、個人の人生に意味を生み出すのに貢献した。カネは「勝ち負け」を可視化する。

 勝つか負けるかなら、勝ちたい。意味などなかった個人の人生に「勝つこと」が加えられた。


・経済的に豊かになる国に自殺者が増えるのは、つまるところは意味を考え始めるからだ。生きることに必死になっている間、意味なんて考えていられないだろう。

 昔はどうだったか。意味を考える程の「暇」を持っていたのは、それこそ哲学者など、ごくごく限られた人でしかなかった。大半の人達は、目の前にある飯を食うための作業に集中する他なかったのだ。

 露骨に差別があった。そのころ、思考は贅沢なものだったのだ。


・「死にたくなる」。希死念慮には何かしら理由がある。理由が生み出されるにも時系列、すなわち意味がある。他の人からすればどんなにくだらないことでも、その個人からすれば生死を分けるほどの意味がある。

 他に拠り所がなく、たったひとつ優しく抱いている意味こそが、その人物を何よりも追い込んでいるのかもしれない。


・個人的な意見ではあるが、俗に言う「無敵の人」というのは、意味――時系列から解き放たれた人なのだ。無敵の人にはすべての意味がない。

 だから極端な話、人を殺しても殺さなくても、そこに意味はなく、どちらを取っても変わらない。領域がないボーダーレスのだ。だから実に安易に人を傷つける手段を取る。


・先述した通り、誰でも意味を求められるようになったのは、文明の歴史の中でも、ごくごく最近のことだ。

 野生動物たちを見る。飯を食い、昼寝をし、繁殖をし、天敵から逃げ、あるいは逃げ切れずに終わる。それだけで過ぎ去る日々。

「羨ましい」と「大変だ」がない交ぜになって、今更だなあと思う。三歩進めば忘れるような頭ではない。


・ジンバブエドルにだって意味を持っていた頃があった。そうでなきゃ刷ろうなんて思わないだろう。ハイパーインフレによって紙束になるまでは意味があった。

 それは天動説にしろ、すっかり死語になった流行語にしろ、ほとんど食べ残された料理にしろだ。意味は時系列を伴うし、正弦波のように浮沈を繰り返す。


・「意味がわからない」という言葉には二種類ある。

 ひとつは「ふぁdkfじゃふぃえあkふぇあlじぇ」という文字列を見た際に思う、「自分より程度が低い」意味合い。

 もうひとつは「急減少関数は絶対可積分関数であるため、絶対可積分関数としてのフーリエ変換が定義されるが、急減少関数のフーリエ変換は急減少関数になるという性質がある」という文字列を見た際に思う、「自分より程度が高い」意味合い。

「意味がわからない」という言葉には、少なからず混乱や呆れの感情が含まれている。

 無論のことだが、意味が分からないとは、意味がないとは限らない。


・「人生に意味がないのなら、生きている必要があるか」という問いに対しては、野生動物を出すまでもなく「さあ?」と答えるだろう。


・意味や、勝ち負けというものは、残された者だけが持っている。死者に勝ちも負けもない。シオランも著書でこう言っている。

「死は成功に向け努力しなかったもの、挫折したものへの最大の慰めであり、苦労の果てに成功を手にしたものへの冷酷な審判者である」


・書き残すことで自分の生きてきた痕跡を、意味を――と思ってきたが、改めて考えると何と無為なのだろう。誰が他人の墓石を気に掛けるのか。現実世界ですらこれだ。いわんや無限に広い電子世界では。


・ポストトゥルース。今や客観的な真実よりも、ドラマティックな虚偽の方が影響力を持っている。皆が共通の意味を追い求める時代から、各人に意味が委ねられる時代へと変わった。

 意味は乱雑になり、総混沌量エントロピーは上がっていく。


・こんな時代だからこそ取れる手段がある。

 もはや意味は、昔ほど絶対的で唯一で形式めいたものではなくなった。それを受け入れる土壌も固まりつつある。

 もし意味によって死にたくなったのなら、構わず意味から逃げればよい。

 都合が良くなったら、その時改めて意味を作り直せばいい。


・人生に意味を求めるな。人生に形や頑丈さを求めるな。人生は一滴の水と同じだ。雫の一つ一つにはさほどの力はないが、水滴たちは衝突して波紋を引き起こす。多くの波紋が重なるところに私達がいることを忘れるな。

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