10.幸せはたこ焼きの味

 輿ごと海に落とされたときに着ていた着物は、美しかったがマリに似合うものではなかった。派手過ぎて貧相だったマリの痩せた体を際立たせただけだった。

 正式に祝言を挙げるまでに、マリは大急ぎで自分のための着物を縫った。


 白い結婚衣装はそのままに、上に着る打掛を縫う。

 打掛は黒地に鮮やかな赤い花の描かれたものにした。

 自分のために結婚衣装を縫うのはとても心が躍って楽しかった。


 祭りの準備もあったので、津波の日から七日ほどの時間が空いていて、マリはその七日で何とか打掛を縫い終えた。


 白い結婚衣装に打掛を羽織ると、マリはバンリにもらった赤い珊瑚の玉のついた簪で髪を纏める。

 準備ができたマリに、バンリはマリが縫った着物を着て部屋の前に迎えに来てくれた。


『マリ、とても綺麗だよ。普段からとても可愛いけれど、今日は特に綺麗だ』

「バンリ様も素敵です」


 伸ばされた触手の一本に手を乗せると、バンリがマリを空気の膜に包んで海の上まで連れて行ってくれる。

 港町を歩いてもバンリもマリも嫌な視線を受けることもなくなった。

 港町のひとたちはバンリの姿を見て平伏せんばかりの様子だった。


 港町から丘の上の神社に行くと神主様が待っていてくれる。

 神主様はマリを見て目を細めていた。


「何と可愛らしい花嫁でしょうな。水神様にお似合いです」

『あまり見ないで欲しい。私のものだからね』

「仲睦まじいようで」


 冗談めかして言っているがバンリの触手がマリを引き寄せて肩を抱くようにして来るのに、マリは顔を赤らめた。バンリのものだと言われるのが嬉しくて堪らない。

 そっと寄り添っていると、水神様の巫女にされた少女がマリとバンリに歩み寄って来た。


「あの津波の日、丘の上の神社に町のひとたちが避難してきました。神主様は神社にひとを受け入れて、水神様が邪神などではないと町のひとたちを説き伏せたのです」


 そういうこともあってバンリは邪神ではなく真っ当な水神様だと認められたのだろう。説き伏せられた挙句に、港町を飲み込もうとしていた津波を目の前で泡として消えさせたのだから、説得力もあっただろう。


「社の中にお入りください。準備はしています」


 社の中に入ると、綺麗な座布団が二つ並べられて、その前に水神様の巫女となった少女が酒はマリが飲めないので水の入った盃を持ってくる。

 先にバンリが飲んで、同じ盃でマリが水を飲む。


「改めて、ご結婚おめでとうございます」

『もう彼女は私の花嫁だったけれど、形だけでもきちんとしておきたかったからね』

「最初にお会いしたときから、わたしはバンリ様の花嫁でした」


 バンリの顔に当たる場所を見上げてマリが微笑むと、マリの頬に触手が触れる。触手に顔を上向けられて、マリはバンリの顔の辺りに唇を付けられた。


「口付け……!? バンリ様、嬉しい!」

『私の可愛いマリ。もうどこにも行かせないよ』

「はい、一生おそばにいます」


 口がどこなのか分からないが口付けられた気がして、マリは涙を流して喜んでいた。


 港町は祭りにわいている。

 マリがバンリの触手を握って通りを歩けば、露店の店主から声をかけられる。


「たこ焼き一舟どうですか?」

『マリ、食べたい?』

「蛸……バンリ様の触手の方が美味しいと思います」

『マリは本当に変わっているね』


 笑っているようなバンリはたこ焼きを受け取って、マリと半分こにして食べた。

 笛の音が響いて、祭囃子が聞こえる。


「水神様、祝言を挙げられたそうですね。おめでとうございます」


 少し遠い町の商人に声をかけられて、マリとバンリは顔を見合わせた。いつもマリとバンリが天気雨で合図をして店に行っている商人だ。


「水神様に御贔屓にしていただいていると言ったら、港町でも商売ができるようになりました。これからはわざわざ店まで来なくても、港町に出している店で対応できますよ」

『商品の品ぞろえはどうなのかな?』

「それはもちろん、本店の方がしっかりしていますけれど」

「それなら、本店の方にも伺います」


 行きつけの商人も商売の幅を広げられたし、港町にも商人の仕入れた珍しい異国のものが入って来る。どちらにとっても利益しかない。


「水神様、今までは誤解していて申し訳ありませんでした」

「水神様、これからもこの町を守ってください」


 声をかけられてバンリは触手の一本を持ち上げて返事をしていた。


 港町から戻って海の底のお屋敷に帰ると、バンリはマリを後ろから触手で包み込むように抱き締めた。マリもバンリの触手を腕で抱き締める。


『マリ、私が怖くない?』


 今更のように聞かれてマリはふるふると首を振る。


「怖くありませんよ。大好きです」

『私もマリが大好きだ。愛しているよ』

「わたしも愛しています」


 告げるとバンリの触手の絡まったあたりが唇を塞いでくる。ぬるりと口の中に小さな触手のようなものが入り込んで、マリは息ができなくなる。


「んっ……ふぁっ!」

『全部私のものにしてしまいたいけれど……それはマリがもう少し大人になってからかな』


 唇を開放されて言われるのにマリは口を尖らせる。


「わたしはもう大人です!」

『マリはまだまだ可愛い子どもだよ。せめて十八歳くらいにならないと、私は手を出せないかな』

「手を出すって何ですか?」

『それはそのときに教えてあげる』


 性的な知識のないマリが純粋に問いかけるのに、バンリが苦笑した気がする。


 その夜はバンリの触手を一本もらって、マリはバンリと一緒にたこ焼きを作った。

 たこ焼きを串でくるくると回すときに、マリの手にバンリが触手を添えてくれる。


『周りの零れた汁を押し込むようにしながら回すと上手にできるよ』

「バンリ様、一緒にしてください」

『マリは甘えん坊だね。そこが可愛いけれど』


 バンリに優しくしてもらえて、接触も増えてマリはとても幸せだった。


「夫婦になったから、一緒に寝るのではないですか?」


 夜になって風呂から上がって髪を梳きながらマリが問いかけると、バンリが困っている気がする。


『マリが十八歳になったら一緒に寝よう。それまでは別々だ』

「どうしてですか? わたし、もう大人ですよ?」

『マリはまだ子どもだよ。私からすれば、マリの時間なんて一瞬で過ぎ去ってしまう。だからこそ、マリを大事にしたいんだ』


 マリのためだと言われてしまうとマリは何も言えなくなってしまう。

 祝言を挙げて正式な夫婦となったはずなのに、一人きりで眠る布団は少し寂しかった。


 翌朝起きると、マリはバンリの部屋に行ってみた。

 バンリの部屋には大きな天蓋付きの寝台があって、そこでバンリは眠っているようだ。

 天蓋を掻き分けて覗き込もうとすると、バンリが寝台の上で跳ねたのが分かった。


『待って! 今、何も着てないから!』

「バンリ様のことが知りたいのです。お部屋を見せてください」

『着物を着るから、少し待っていて』


 着物を着てから出て来たバンリに寝台を覗かせてもらうと、マリの作ったぬいぐるみが並べて置いてあった。

 部屋は寝台と箪笥がある以外は殺風景で、座布団も敷物もない。


「バンリ様の生活用品も揃えないといけませんね」

『私は特に何も必要としないんだけどね』

「お部屋に敷物くらい敷きましょう? 座布団も置きましょう?」

『マリが私の部屋を整えてくれるの?』

「バンリ様が許してくれるならば」


 いつかはマリもバンリと一緒にこの部屋に住むようになるのだ。

 その日のためにマリはバンリと住みやすいようにしておかなければいけない。


「子どもが生まれたら、バンリ様に似ているでしょうか?」

『気が早いな……。私はマリに似ている方が嬉しいけれど』


 バンリに似た触手の塊でも、マリは全く構わないと思っていた。


 バンリの部屋の調度品を揃えるために、マリはまた守護の術がかかった刺繍や縫物をするのだった。

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触手の水神と生贄の花嫁 秋月真鳥 @autumn-bird

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