木澤集落

鈴ノ木 鈴ノ子

きざわしゅうらく

 夕闇迫る宵闇に恐れる心が軋みを上げた気がした。

 晩夏の迫る山間の集落は日が沈んで行くのが早い。

 杉の木の木立の中を黄金色の夕日の光が差し込んで木々に輝きを与えて、あれほど喧しかった蝉達はその鳴き声を失い、そして身を失い、僅かに残るヒグラシの声だけが山々に響いては、夏の終わりをまさしく告げていた。

 17時を知らせる夕焼け小焼けの音楽が防災行政無線のスピーカーから流れ始めるのを聞きながら、大河原浩平はこの集落に一軒だけ残っている旅館の窓辺から外を眺めて、火の付いた煙草を燻らせてぼんやりと外を眺めていた。

 かつての宿場町の趣を残した古い街並みを持つこの集落は山々の谷間にあって、山にへばりつくようにして建てられた家々と、谷間の大部分を占める天竜川に圧迫されるようである。昔の街道がそのまま基幹道路となって街並みの真ん中を狭いままで貫いていてそれが時代を感じさせる。もちろん繁栄もあった。林業が盛んだった頃の面影は泡の夢のように消えて、若者は働き口を求めて町へと出ていってしまった。

 この旅館も年に一カ月ほど近くにあるダムの補修のために作業員が泊まりに来る以外は、閑古鳥が鳴き声すらためらうほどに静かだ。

 旅館の2階の部屋よりよく見える天竜川の雄大な流れを見つめながら、大河原はアルミの打ち出しで作られた昔ながらの灰皿を引き寄せて、腰かけている窓辺と置く、中にはすでに吸い終わった数本が芋虫のようにひん曲がって寝転がっていた。

 眼下の堤防先の川岸で数人の子供が遊んでいる。

 楽しそうにはしゃぎながら、川面に石を投げて水切りをしたり、竹でできた釣り竿から糸を垂らして釣りをしたりと遊びを満喫している感じでほほえましい。

 今年も楽しそうに過ごしている子供の姿を見て大河原はホッと胸を撫でおろし、短くなった煙草の先を灰皿に押し付けて火を消した。そろそろかと思っていると扉がトントンとノックされると中学生の制服を着たこの旅館の一人娘、柏原麻衣子が部屋へと入ってきた。


「お食事をお持ちしました。あ、浩平さん、網戸開けて煙草吸うのは虫が入るから止めてくださいって言ったじゃないですか!」


 何度も泊まりに来ているおかげですっかり気ごころは知れている。遠慮していた注意はいつの間にか横柄になっていた。


「麻衣子ちゃんは厳しいね」

 

「もう…、入ってきた虫に噛まれても知りませんよ」

 

 取り繕うそぶりもなく灰皿を持って窓辺から立ち上がった浩平は年季が入りガタツキの酷くなった網戸を閉めた。前回は閉めようとして落として麻衣子に大目玉を食らってしまったが、修繕されたお蔭なのかスムーズには閉めることができた。

 日が落ちれば涼しい風が、網戸の窓から室内へとそよ風のように吹き込んで、麻衣子の腰まである長い黒髪を揺らして弄ぶ、手に付けているヘアバンドで慌てて髪を纏めようと両手を頭の真後ろに向けると、セーラー服の少し膨らんだ胸元が突き出る形となり、そして細い腰に長いスカートから伸びる長い脚は年齢以上に大人びて見えた。


「どこ見てるんですか?」


 浩平の視線を嫌悪するように睨んだ麻衣子は呆れたと言ったようにため息をついた。


「ごめんごめん、今日はなにかな?」


「あり合わせですけど、お祖母ちゃんももう年だから、1人分だから私が作りました。どうせ、浩平さんは毎年来るし、家族みたいなものだから構わないですよね」


「ああ、気にしないよ。雨露しのげるだけでも御の字だからね」


「また、そんな皮肉を言う」


 顔を少し膨らまして抗議した麻衣子は、夕食が乗った膳を浩平の前に差し出した。

 真っ白で盛られたご飯に香りのよい味噌汁、鮎の塩焼き、卵焼き、そしてお漬物、そして瓶ビールとコップが一つと豪勢な夕食が優しい湯気を立てている。


「おいしそうだ」


「私が作ったんですから当たり前です。家庭科の授業で先生にも褒めてもらったんですからね」


 瓶ビールを手に取って古めかしい栓抜きで抜いた麻衣子が、器用な手つきでガラスコップにほどよく泡立たせながらビールを注いでいく。


「はい、どうぞ、召し上がってください」


「ありがとう」


 差し出されたビールを受け取って口に運ぶと旨い感触が喉元を過ぎていき食欲を誘った。

 料理に手を付ければ、毎年の味と変わらず、しっかりとした旨味が口の中に広がる。食べながら頷いて見せる浩平を心配そうに見ていた麻衣子は、ホッとしたように緊張していた顔を綻ばせて頬を染めながら笑った。

 それからは取り留めのない話と最近の出来事を楽しそうに話してくれる麻衣子を見つめながら、浩平は時に笑い、時に涙して、食後は遠慮なしに煙草に火をつけて吸いながら話を聞いていると、掛け時計と浩平のスマホが20時を知らせるけたたましい音を響かせる。

 いつも通りにいつの間にやら長い時間を話していたらしい、麻衣子はもう少し話をしたそうだったけれど、時計が鳴った音を聞いて残念そうなため息を漏らした。


「もう少し話してたかったのにな」


「時間だから仕方ないね、さ、準備をして」


「うん、そうします。あ、でも、その前に」


 膳を下げた麻衣子が近寄ってきてそのまま両手を広げて浩平に抱き着いた。

 焚き染めた香木の香りがふわりと当たりに強く漂い煙草の匂いを打ち消す。そして、麻衣子の両手がしっかりと背中に回ると離さないと言わんばかりにしっかりと身を寄せてきた。


「へへ、これだけはあたしの特権です」


「まったく」


 浩平も彼女の細い腰に片手を、もう一つの手を背中に回してその背を優しく子供をあやす様に摩った。しばらくそのままで過ごすと、やがて、麻衣子が手を解いて名残惜しそうに離れていく。


「じゃぁ、用意してきます。玄関で待っていてください」


「はいはい」


 お膳を持って顔を朱に染めた麻衣子が部屋から出ていくと、浩平は持ってきたスーツケースを開くと100均で揃えた折り紙や画用紙、そして色鉛筆やペンなどがぎっしりと入っていた。ほかにもノートや定規なども数多くあってスーツケースの大部分が埋め尽くされているありさまだ。

 着替えや下着などの自らの衣服の入った小さな鞄を取り出して机の上に置いてから、スマホをポケットにしまってスーツケース持って部屋をでた。

 ギシギシと音を立てる階段を下ると薄暗い蛍光灯の灯った玄関に出る。靴を履いてしばらく待っていると髪の毛を整え、少しだけ化粧をした麻衣子が薄暗い廊下の奥からこちらへと歩いてくるのが見えた。


「お待たせしました」


「そんなに待ってないよ、じゃぁ、行こうか」


「はい」


 白いスポーツシューズを履いた麻衣子が、薄暗い廊下の奥に向かって行ってきますと大声で叫ぶと、ぼそぼそと声が聞こえてきた。


「うん、先生がいるから大丈夫」


 浩平には聞き取りずらかったが麻衣子にはしっかり聞こえ理解できたのだろう、返事をそう返してから、浩平のスーツケースを持っていない腕に両腕を絡ませるようにした麻衣子は恋する乙女のような笑顔を向けて微笑んだ。

 

「さぁ、行こう」


 立て付けの悪い引き戸の扉から外へと出る。

 ぼんやりとした街路灯が照らしている以外は空に出た月明りが頼りの幹線道路を2人で連れ立って歩いていく。静かな集落内では道の両端の家々から、人の話し声であったり、テレビの音であったり、何かを祈る声まで様々な音が漏れ聞こえてくる。

 時計店の前を通ると古びたショーケースの中には指輪やネックレス、腕時計や懐中電灯などが飾られるように置かれていて、麻衣子が指輪を見ては自分の右手薬指を見ながらチラリと浩平に視線を向けたりしてしてそわそわとする。

 ふと、見慣れない懐中電灯があったりしたので、誰か訪れた者があったのかと聞いてみると、ときより人が来たと麻衣子が困ったように答えた。


 道路から住宅街の石畳の路地に入り、いよいよ月明りも届きにくくなってくるとスマホの明かりを照らして足元に注意しながら進む、麻衣子は通いなれているからよいけれど、浩平は以前にこの石畳の道で滑って転び、集落の人に迷惑をかけたことがあるので気を付けながら歩くさまを、あの時を思い出した麻衣子が面白そうに揶揄った。

 

 まっすぐ伸びた路地はやがて大きな校門の前にでた。

 集落唯一の学校、木澤小中学校と苔むした看板が掛けられていて、校舎前の運動場には子供たち数人が月光の元で元気よく遊びまわっていた。二人の姿を見つけた子供たちが駆け寄ってきて、やがて、その騒ぎに気が付いたのだろう校舎から袴姿の女性教諭が走り出してきた。

 この学校で子供達を教えている心優しく美しい日本髪を結った先生だ。

 とても美人で日本人形のように美しい顔立ちとスタイルはいつ見ても見ほれるほどで、鼻の下を伸ばしている浩平の足を麻衣子は思いっきり踏んずけて怒る、もちろん、廻した腕を胸元にしっかりと押し付けてアピールも見せるのを忘れなかった。

 女性教諭が校庭で遊んでいた子供達に声をかけて皆がその声に従って校舎の中へと入っていく、浩平と麻衣子も向かおうとしたところで、月明りよりも強い懐中電灯の光が薄暗い校門の方から二人を照らし出した。


「あの、なに、されてるんですか?」


 2人が振り返るとそこに男性が呆然とした表情でこちらに懐中電灯を向けていた。


「あぁ…どうして来ちゃったかなぁ」


 浩平が深いため息をついて麻衣子も悲しそうにふぅっとため息を漏らした。


「えっと…、え…、え…」


 男性の懐中電灯が校舎の方へと向けられていく。

 木造の朽ち果てた校舎に白色の光が走ってゆくが、やがて、一つの窓でそのライトは止まった。


「ひ!」


 男性が叫ぶのも無理はない光景がそこにあった。

 色白の目のくぼんだ子供達が窓際から恨めしそうに男性を見ていた。

 子供たちの服装はまちまちで洋服の子もいれば着物姿の子供もいたが、全員の顔は青白くこの世の者でない事は確かだった。生気は全くといってよいほどに感じることすらなかったのだ。

 最初は無表情だった子供達の顔がやがて全員恐ろしいほどに口角を上げて引き攣った笑みを浮かべては、1人、また1人と窓から姿を消していく。


「ひぃ!」


「おい、逃げれないぞ!」


 慌てて身をひるがえして逃げようとした男性に浩平が怒鳴った。

 その脇を先ほどまで校舎に居た子供達が1人、また1人と駆け抜けていく。とても、とても、うれしそうな顔をして若者の元へと一目散に走っていき、やがて男性をぐるりと取り囲んだ。


「か~ごめ、かごめ」


 1人の女の子が歌い始めるとつられてほかの子供達も口々に歌を口ずさんでいく、女性教諭が浩平の元へと戻ってきて残念そうな表情をしてその様を見ながらため息をついた。


「また、連れて行かねばなりません」


「最近もあったの?」


 女性教諭がこくんと頷くと麻衣子が悲しそうな声で答えた。


「この前は4人組だったかな、集落の家々を明るいうちから勝手に入ってさ、やりたい放題、壊したり落書きしたり、しまいには校庭でキャンプしようとしたんだよ。私達の大事な家や学校なのに、校庭の二宮さんがそれを知って怒っちゃってさ、まだ、夕暮れの明るい時間だったけど、そいつらを追いかけまわして、集落のみんなも加わって1人1人捕まえたの」


「そんなことがあったのか…最近、ネットで木澤集落の話題が出てたからそれのせいかな」


「そうなの?噂話になってるの?私達は静かに暮らしたいだけなんだけど…」


 麻衣子の言葉に女性教諭も深く深く頷く。

 カゴメカゴメを歌われて囲まれている恐怖で蹲った男性を哀れに思いながら浩平はどうしようかと思案した。


「あれさ、魂はここで暮らさせれば良いとして、体だけはさ、川に流してくれる。橋から落として流してくれればいいよ」


「ええ!山神様への捧げものにしようと思ったのに」


 ちらりと学校奥に見える神社へ麻衣子が視線を向けた。鬼火がちらりちらりと光っているのが浩平にも見えたが敢えて気にしないように麻衣子へ視線を戻して、諭すような口調で言う。


「しかたないだろ、ここを知られるわけにはいかないからね」


「仕方ないなぁ」


 やがてカゴメカゴメの歌が歌い終わった。男性の体が人間とは思えぬほどに震えた、そして事切れたようにだらりと地面へと転がる。やがて脇にぼんやりとした人影の男性の姿が立つと、子供たち全員が万歳をして喜び、男性の手を子供達が引いて校舎の中へと引っ張るようにして連れ去っていった。

 体の方は先ほど2人が歩いてきた路地の陰から這い出してきた、顔も分からぬ真っ黒な姿の大人達がずるずると引きずって行こうとしている。


「あ、胸についてるカメラだけは回収して!それ見つかったら困るからね」


 引きずっていた1人が胸元から言われたものを取り外して浩平に向かって投げ寄越したので、受け取った浩平がその場で映像を再生してみることにした。

 建物内を徘徊して回った映像のあとに旅館の窓で煙草を吸って寛いでいる浩平の姿が隠し撮りされている、やがて進めていくと薄暗い旅館の玄関から二人連れ立って出てくる姿の映像も盗撮されていた。

 

 スーツケースを持った浩平と連れ添うように、セーラー服だけがスカートの裾を楽しそうに揺らしながら白いスニーカーを履いているように歩いているのだった。






 

 長野県下伊那郡 木澤集落

 昭和の50年代に廃村となる。過疎化が原因であったが、別集落の古老が言うところによると、山神様という独特の山岳信仰をしている集落であり、霊魂は集落で残り続けて土地を守り続けると伝わっていた。

 昭和45年に学校バスが事故を起こし、中学女子生徒1名、児童10人が死亡している。また、大正後期と明治初期にも腸チフスの流行によって児童数名と赴任したばかりの女性教諭が死亡している。



 あくまでフィクションですよ、誰かが行ってノンフィクションにしませんように。

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木澤集落 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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