第19話(最終話)

「お願いします。あなたにずっと会いたくてここまでやってきたんです。死ぬ気で実の両親を探して僕自身も苦しみながら生きてきました。でも、こうしてお会いできて母にも安心してもらいたくて、僕なりに努力をしてきました」

「阿久津さん。頭を上げてください……」

「……」

「阿久津さん、そこまでされても困りますからとにかく頭を上げてください」

「父だと……僕の父だと言ってください。そうじゃないと母に何て言えばいいか……」


ソンジェは斗真の両肩を掴み身体を起こしてみると、赤く目を滲ませた斗真の表情を見て憂いに満ちた顔で彼を見つめていた。


「まさか、子どもを授かっていただなんて考えられなかった。ミリネさんは何も私に言わずに去るようにいなくなったんだ。引き留めても振り返らずに……去っていったんです」

「既婚者であるあなたの身を考えてそこは配慮したんだと思います。お互いのためにだと思って……あの人は日本という国を選んだと思います」

「改めて聞きますが、日本に行ってからその後いつミリネさんと再会したのですか?」

「つい最近です。三十二年ぶりにやっと会えました」

「そう、そうか。阿久津さん、私はまだ実感が持てないです。本来ならミリネさんと連絡を取って彼女に話を聞いてから出ないと納得できないところもあります。少し私に考える時間をいただきませんか?」


斗真は手帳にミリネの住所と電話番号を書いて彼に手渡しして、そこにある事項に連絡をしてほしいと告げた。床から立ち上がり時間を取らせてしまい申し訳なかったと伝えてその場から帰ろうとすると、ソンジェは彼を呼び止めた。


「僕は……あなたが認めてくれるまで連絡を待っています。ソンジェさん、どうかお元気でいてください。母にも伝えておきます。今日はありがとうございました」


一礼をして事務所から出て再び空港へ向かい、二十一時の成田空港に行く便で日本へと帰っていった。成田について飛行機から降り立ち、入国のゲートを通りロビーへ行くと、スマートフォンにミリネからメールが届いていたので開いて見てみた。彼はソンジェに会い話をしてきたことを告げ後日連絡が来る予定だから待っていてくれと返信し、自宅へと帰っていった。


二週間後、ミリネの元に電話がかかってきて受話器を取ると、ソンジェからかかってきたことに驚いていた。彼は斗真がソウルに単独で訪ねてきたことに戸惑いを見せていたが、お互いの間に授かった子供が斗真であることに間違いはないかと訊くと、ミリネはそうだと返答した。


「どうして、一人で産んだんだ?」

「あなたの人生に余計な傷をつけたくなかった。幸せを壊すようなことをするのならこのまま自然消滅してお互いがそれぞれの国で幸せに生きていく方が良いと思って何も伝えなかったの」

「君がそう強く望んでいるのならそれでいいと思う。ただ斗真さんにはこれで事実を和解できたと言えるのはどうかと思う」

「もうあの子も立派な大人よ。近いうちに結婚も控えているのよ。あなたが父親だと認めたら、それでいいことなのよ」

「彼は私が実父だというのは気の毒に思えれないか?」

「むしろ喜ぶわ。あなたを誇りに思っているって言っているもの。二つの祖国で生きてきた彼の血はこの世からなくなっても消えることなく後世に繋がっていく。それは決してみすぼらしいことでもない、私達の生きてきた証にもなるわ」

「彼も、だいぶ苦労してきたんだな」

「大丈夫よ。それ以上の心配はいらない。私から彼にあなたの事を伝えておきます。あなたに出会えたことも私の宿命。もう何も恐れなくていいわ」


「ミリネ」

「はい」


「本当に済まなかった。でも、きみがここまでたくましくなっているのも私としても今の家族とともに最後まで生きていくと、改めて考えられるようになる。ありがとう。本当にありがとう」

「お互いに幸せでいましょう。じゃあ元気でね」


その後ミリネは斗真に連絡をしてソンジェが父親だと認めたことを伝えると安堵していた。


数日後の日曜日、斗真は一人で飯田橋駅からほど近いところにある教会に訪れて礼拝に参加していた。讃美歌を歌い、牧師から祝福の言葉が述べられて礼拝が終わると、誰もいなくなった礼拝堂の椅子に座って、十字架のかかっているキリストの受難が描かれたステンドグラスをしばらく眺めていた。後方の出入り口から牧師が出てきて彼から声をかけられると、少しの会話をしていた。


「阿久津さんもここに長く来られていますよね。いかがです?主にあなたの心のうちは届けられましたか?」

「はい。最近、自分の実の両親が見つかって二人にも会うことができたんです」

「そうですか、それは良かったですね」

「ええ。ここでずっと祈祷してきた甲斐がありました」


斗真にとっては長い年月をかけて両親の存在を知ることができ、その親類たちも異国の地でそれぞれの生き方をしてきた。彼らには誰にも譲る事のできない信念がある。日本と韓国の間に行き通わせてきたその流れる血は、他のものよりも替えがたい赤く染まりながら命を繋いでいく。


斗真もまたこの国でそのさだめを受け継いでいき新しい命の形を創り上げていくと誓い、教会を後にして雑踏のなかを潜り抜けていくように家路へと向かっていった。


《了》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Try to remember〜紺寂に輝くのなら〜 桑鶴七緒 @hyesu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ