第3話

 通学用のリュックを背負い、隆介は帰宅するため昇降口に向かっていた。愛子は部活のため体育館に行ってしまい、今は一人である。放課後の予定が無い隆介は真っ直ぐ家に帰ろうとすると、所在なくうろうろしている柳を見かけた。への字に垂れた眉と目尻はどうやら何か困っているようである。勇気と少しの下心を持って隆介は柳に声をかけた。

「柳君どうしたの?」

 仲良くなれる絶好のチャンスについつい声が普段よりも高く明るくなる。そんな自分の明らかな様子が隆介は少し恥ずかしかった。隆介の声に顔を上げた柳は隆介の顔を見て少し驚いた顔をした後、目じりを下げたまま笑った。ああ!やっぱりかっこいい!!初めての至近距離の笑顔な柳君にドキドキが止まらない。だんだんと不自然な高さまで上がりそうになる口角を片手間に躾けながら、その他全神経は柳君に集中させた。

「これ職員室に届けたいんだけど。教員室の場所が分からなくて……」

 柳は右手に持つ何かのプリントを示しながら言う。昼休み中、女のコ達に教えてもらわなかったのだろうか。案外方向音痴なのかもしれない。その表情は少し恥ずかしそうにも見える。

「そっか!俺が案内するよ。俺、沢田隆介って言うんだ。同じクラスなんだけど、分かる?」

 隆介は胸を叩き得意げに言った。確かにそこには下心もあったが、隆介は愛子に評されている通り”いいやつ”なので、他の人が困っていても嫌な顔1つせずに助けている。加えて、自己紹介も済ました。転校初日に顔と名前だけでも覚えてくれたら御の字だ。

「沢田君、ありがとう。分かるよ!お昼女の子と食べていたよね。あのボブぐらいの、髪が短い……」

「あいちゃんねー。そう!その沢田!柳君女の子に囲まれてたし、全然気づかれてないと思ってたよ」

 自虐気味に笑いながら言うと、柳は右手で自分の頬を搔きながらゆっくり明後日の方向を向いた。そして言いづらそうに口を開いた。

「いや、なんか、目線をすごく感じて……」

 その言葉に隆介の顔は一瞬で沸騰したように赤くなった。気づかれていないと思っていた隆介は、熱量が高い自分の目線が恥ずかしくて仕方ない。自分はどう思われているのだろうか。変な奴だと思われているかもしれない。もしかしたら隠すつもりだった自分の気持ちも性的指向も知られてしまったかもしれない。自分の視線がどれだけ自分の気持ちを語っていたか、隆介は計り知れない。考え出すと顔と頭が真っ白になり嫌な想像ばかりが駆け巡る。一方で、目の前の柳は不思議そうな顔で自身よりも少し下に位置する隆介の顔を覗き込んでいた。その表情には隆介への嫌悪感は一切感じられない。柳は精鍛な顔を傾け目を丸くし至近距離で隆介を見つめる。そんな柳の反応に隆介は冷静さを取り戻し、出来るだけ何事もないように切り返した。

「それはごめん……柳君かっこいいなって。そんなことより行こ!職員室!」

 こんな時でも隆介は”かっこいい”が口をついてしまう。表情も口も随分と素直にできている。柳は何気なく飛び出た明らかな誉め言葉に照れたように笑った。

 隆介は話題を変えようと柳を職員室に促す。柳の手を引こうとしたが、昼間柳の腕を握った白くて小さい女の子の手が頭をよぎり隆介は自らの手を引っ込めた。隆介の手は大きくゴツゴツとした男の手だった。隆介は「職員室こっちだから」と言い柳に背を向けて歩き出す。柳もそれに続いた。

「それ、だれに渡すの?うちの担任の先生?」

 隆介は柳の持つプリントを指して言う。うちのクラスの担任の先生はバスケ部の顧問をしているので、もう体育館にいるかもしれない。それなら教員室じゃなくて体育館に行く方がいい。

「いや、三年の学年主任の先生に」

「そうなの?なんでまた」

「……それがね、俺の姉ちゃん高校三年生で、今日俺と一緒にこの学校に転校してくる予定だったんだけど……体調崩して今日学校来られなくてさ。転入関連の書類をとりあえず持って来たんだよね」

 柳は落ち込んだ声で言う。その表情は少し曇っていた。

「なるほど、お姉さんだいじょうぶなの?」

「あーーうん。大、丈夫だと思う。ありがとう」

 心配そうに柳の顔を覗き込む隆介に柳は歯切れ悪く答え、困った顔のまま笑った。

 

「ここが職員室。三年の学年主任はね、あそこ、一番右端に座っている青っぽいシャツ着た男の人」

 職員室についた二人は部屋を覗き込む。先生の顔も見たことがないだろう柳に隆介は指をさして目的の先生を教える。先生たちは放課後も忙しいのだろう、部屋にはそれほど人数がいなかったためすぐに見つけることができた。

「あの人ね、分かった。沢田君、わざわざありがとうね」

 柳はきらきらとした笑顔で言う。その表情は相変わらず隆介の心臓に悪い。

「いえいえ!一緒に帰ろうよ!俺待ってるし」

 隆介はもう少し柳と話がしたかった。今日話さないと明日はまたクラスの女の子たちに柳を取られてしまう。かわいい女の子に引け目を感じてしまう隆介は明日教室で柳に話しかけることはできないだろう。

「わかった!すぐ終わらせてくる」

 隆介の誘いを柳は二つ返事で了承し、教員室に入っていった。


 すぐに終わらせるとは言っていたが柳が戻ってくるまでにはいくらか時間がかかった。プリントを渡すだけではなく、大分話し込んでいる。柳と先生との表情は暗く、芳しい話ではない様だ。あまりのぞき込んでいるのも悪いと思い、隆介は柳の姿が見えない場所でスマホをいじって柳を待った。

「ごめん!お待たせ!」

 柳は駆け足で教員室から帰って来た。その手にはプリントはなくなっていて、提出は済んだようだ。

「全然待ってないよ!じゃあ帰ろうか」

 隆介は柳の顔を見るとスマホをポケットにしまい穏やかな笑顔で歩き出した。二人は自転車通学であるというので、駐輪場に向かう。しかも、話を聞くと家も比較的近所だそうだ。これなら頻繁に一緒に登下校することができるかもしれない。隆介は浮かれた気分だった。二人は柳の転校前の町や学校の話、クラスメイトや担任の話などで盛り上がった。お互い自然なペースで、気まずい間もなく話すことができ、まるで昔から友達だったみたいだなと、隆介は思った。柳もそう思ってくれていれば嬉しい。柳は以前は東京で暮らしていたそうだが驕っている様子もなく、自分の整った容姿も気に留めていないようである。そんな柳を隆介は心まできれいだと評価する。やっぱり好きだと思った。

 自転車をに乗ってしばらく走らせた後、隆介はコンビニが目に入り、足を止めた。

「ちょっとコンビニ寄って良い?」

 柳は「もちろん」と言って了承し、隆介に続いて自転車を停めた。


 二人でコンビニに入る。柳はコンビニの入ってすぐ足を止めた。それに気づいた隆介はすぐに振り返り「どうしたの」と声をかける。

「これ……姉ちゃんが好きなんだよね」

 柳の目線の先には白いアザラシのぬいぐるみがあった。このアザラシは今流行っているキャラクター”しろまる”だ。つぶらな瞳に丸い顔、アザラシに関わらずいろんな服を着ているのが特徴であった。そこには、ぬいぐるみだけじゃなく同じキャラクターのストラップやお皿、マグカップなどいろいろなグッズが置いてあり、”1回700円”と書かれた券が置いてある、いわゆる一番くじであった。

「かわいいよね、しろまる。やっていく?」

「いや、でも、男だけでこれ買うの恥ずかしいし……」

 柳は困ったように言った。隆介はそういった感性を持ち合わせていないので、軽く首を傾ける。

「あーそう?そんなに気にしないでいいと思うけど……それなら俺が買ってこようか?」

「……いや、俺が買う。ちょっとくじ引いてくるわ!」

 柳は隆介の提案を断り、意を決したようにレジに向かった。店員にしどろもどろと話しかける柳は隆介の目から見ても恥ずかしそうに見え、どこまでも男として育てられてきたんだろうなと、隆介は思った。そんな柳横目に隆介は目当ての商品を購入する。

「くじ、どうだった?」

「マグカップが当たったんだけど、これ、姉ちゃんが好きって言ってた気がする」

 いくらかの種類のマグカップから、茶色いアザラシがデザインされたものを手に取る。蝶ネクタイとハットをかぶったアザラシとシンプルなチェック柄のデザインを隆介はかわいいと思ったが口には出さなかった。手に持っているものをかわいいと評価されることが柳をいっそう恥ずかしめるだろうと思ったからである。

 選んだマグカップを袋に入れてもらった柳に、隆介は先ほど購入した商品を袋のまま差し出す。

「それお姉さんへのお見舞いでしょ。これも一緒に渡しておいて。」

「え、そんな、大丈夫だよ……!」

 柳はなかなか受け取らず、困った顔をしながら両手を振り遠慮を示す。そんな様子に隆介は笑顔で袋の中身を柳に見せながら言った。

「いーのいーの。体調悪いときってプリンとか、ゼリーとか食べたくなるじゃん。」

 所在なさげに宙に浮いたままの柳の手にレジ袋を握らせ、隆介は自然な上目遣いで笑いかけた。

「これ食べて元気になってください」

「……あ、ありがとう」

 柳は終始困った顔をしていた。


 

 柳は帰宅すると手も洗わずに姉の部屋の扉の前に向かう。そこで立ち止まり1つ息を飲み、扉をノックする。返事はない。

「姉さん。ただいま。今日たまたま、姉さんの好きなアザラシのコップ買ってさ、姉さんにあげようと思って」

「……」

「あと、プリン。俺の友達が買ってくれて……」

「……」

「冷蔵庫入れておくね。後で食べて」

「……」

「姉さん……姉さんはなにも悪くないって。悪いのは父さんとあの女でしょ」

「……」

「だから、姉さん……部屋から出てきてよ」

 部屋の中からは返事も物音も何も聞こえない。柳は口から零れ落ちそうなため息をぐっと飲み込む。踵を返しプリンを冷やすため台所に向かった。

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