第2話

 午後の授業も終わり、放課後の時間がやって来た。愛子は隆介に一言別れを告げ、部活へ向かう。女子更衣室代わりに使用している体育館近くの空き教室では、すでに着替えを終えた1人の女子生徒がくつろいでいた。

「お疲れ様。春香早いね」

「おつー。なんか授業早く終わってさ。ほら古典の森先生の授業。あの人いつも終わるの早いじゃん」

 身に覚えがある話に愛子は「そうね」と共感を示す。あの先生はいつも授業終了が五分、十分早い。きっと先生も早く帰りたいのだろう。現在高校一年生である愛子の教室には勉強熱心な生徒はほとんどいないため、少し適当な森先生への不平不満を聞いたことはない。

 このやり取り以降、春香とはたいした話はせず着替えを進める。グレーの半袖シャツに黒のショートパンツ。怪我予防のためハイソックスを履く部員が多いが、愛子は膝下で感じる履き口の締付けが苦手なためくるぶし丈ソックスを履く。膝のサポーターはとりあえず脚に通しくるぶし辺りでプラプラと遊ばせておく。膝に着けると動きにくく邪魔になるためプレーするまではこのスタイルになる。その間春香は一人スマートフォンを操作していた。きっと何かのSNSのチェックをしているのであろう。春香は部活のメンバーで最もSNSのチェックと更新を怠らない。俗に言う『ツイ廃』なのだ。

「お疲れー!って愛子いるじゃん!C組にイケメン転校生来たって本当?」

 部活のメンバーの茜は更衣室に入ってくるなり興奮した様子で愛子に尋ねた。転校生の噂を聞いてずっと気になっていたのだろう。茜は自他ともに認めるメンクイである。しかも流行り事に真っ先に飛びつくミーハーだ。

「あーうん。イケメンだったよ」

 愛子は今朝、教壇に立っていた柳の顔を思い浮かべて言う。確かに随分と顔が整っていた。それは転校生のという希少価値のフィルターを取っ払ったとしても十分に言えるだろう。隆介が生まれて初めての一目惚れを経験する程に。

「本当に!いいな!いいな!!C組羨ましい!」

 茜は拳を握りしめ全身で興奮を伝えてくる。これが子供だったらここで地団駄を踏み始めるだろう。愛子としてはそんなに羨ましいのならクラスを変わってあげてもいい位なのだが、勿論こんな理由でクラス替えなんて出来ないので黙っておく。

「ねえ、愛子話した?その転校生と!」

「柳君ね。話してないよ。女子から凄い人気でとても話しかけられる感じじゃなかったし、私には無理だよ」

 実際は茜と違って、イケメンだからと言って別に話したいわけでもないのだが。それよりも茜は早く着替えた方がいいと愛子は思う。まだシャツのボタンすら外されていない。

「まぁ愛子はそんなに興味ないか。愛子は隆介君一筋だもんね」

「違うって。隆介とはただの友達だって」

 茶化した様子の茜に愛子はクスりとも笑わずに否定した。こういった話題が出る度に愛子は何度も否定しているが、いつも聞く耳をもってくれない。これは恋バナ好きの茜に限らず部活のメンバー全員である。愛子がいくら否定しても、不機嫌になっても、「またまた~そんな恥ずかしがらないでもいいじゃん」という扱いである。何度も繰り返されるやり取りはいい加減に気分が悪い。「あなた達の脳みそがそんなにもお花場畑で私の話を聴こうとしないから、私はあなた達とよりも隆介との方がずっと仲がいいんだよ。」と言ってやりたい気持ちをぐっと抑える。愛子は茜が期待するような感情は一切抱いていない。

 愛子の否定も聞き入れず、にやにやとする茜に、不機嫌を隠し切れなくなる寸前で、ずっと口を開かなかった春香が「これちょっと見て欲しいんだけど」と愛子たちに呼びかけた。春香は自分のスマホの画面を指さしており、愛子と茜がそれを覗き込む。

「これって、そのC組の転校生のことだよね……」

 画面には某SNSに投稿された1つの”つぶやき”が表示されていた。"no-name"というアカウントの投稿だ。

『金守高校に転校した男子生徒気を付けた方がいいかも。そいつの父親人殺しだから』

「……これって、本当なの」

 この投稿を読んだ愛子は息を飲み、茜は信じられないものを見たような顔でつぶやいた。突拍子もない内容に驚きを隠せない。

「投稿しているアカウントは捨てアカで身元不明だし、全然信頼できる情報とは言い難いけど……」

 春香はスマホを操作しながら言った。確かにアカウントの名前やプロフィールにはアカウント制作者の身元が分かる要素が一切書かれていない。歯切れが悪そうに言う春香に、愛子が続く。

「火のない所に煙は立たないよね」

「そう。それと例えこれが根も葉もないただの嫌がらせだったとしても、こんだけ拡散されちゃったらもう取り返しがつかないと思う。真実と変わりない扱いをされてしまってもおかしくないよ」

 確かにその投稿にはたくさんの反応が寄せられており、多くのリツイートもされているようであった。これでは、全校生徒がこの噂を聞くのも時間の問題だろう。現に愛子達にも広まっている。ソースが分からない信用し難い話だが、「本当かは分からないんだけど……」という形ばかりの枕詞と共に拡散される。十代の少年少女からすると噂のイケメン転校生の裏話はそれ程までにおいしい話であった。

(これは、明日からの柳君の立場がやばいかもしれない。)

 愛子には不安が募る。もしこの噂がクラス内で共有されてしまったとき、柳には居場所があるのだろうか。今日柳を囲んでいた女子達が明日も柳に構っていることが愛子には想像つかない。突然現れた転校生に集るようなミーハーな人たちだ。明日には先日のことなど忘れたみたいに離れたことろから冷ややかな目線を送るだけなんじゃないかとすら思う。

 これ以上何も情報が見つからないただの噂に、愛子と茜は何も言えなかった。あんなにも転校生の話題に興奮していた茜はまるで潮でも引いたかのようである。部活の時間も迫っていたためこれ以上盛り上がることもなく、茜に着替えを急かし、足早に体育館に向かった。

 愛子はこの件を様子を見て必要そうだったら隆介に伝えようと思った。せっかくの隆介の気持ちを無為に摘むのは可哀想だと思ったのだ。

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