第3話 フルアと船と人間

 燃料が充填される日、フルア星人たちはなんだかざわめき立っていた。人間たちは疲れ切ってみんな影のように自分を引きずって歩いているのに、フルアたちはまるで落ち着かない子供のように絶えず意味の分からない言葉を叫び、そして走り回っている。やがてツィチィたちは船の最終点検もせずに燃料を入れるように命令された。

 ティダはその日のねどこでいちどは身を横たえたけれど、すぐに起き上がって緊張した声でこう言った。


「何かおかしい、ツィチィ、断熱棟を出よう」


 いつも落ち着いているティダはツィチィの手を引っ張ってねどこを出ようとした。ツィチィは眠たかったから抵抗した。


「おかしいのはいつもだよ。少し散歩してくればいい」

「だめ。ツィチィ、私が『古い』のは危ないと思ったらぜったいにその直感に従ったから。フルア星人たちはしばらく本当におかしい。船に行ってみよう」

「『寒風』に?」


 ティダはうなずいた。ツィチィが『寒風』の旅立ちを寂しく思っているのを知っているからだ。そういえばツィチィが来ると知っていた。『寒風』は明日にも出港するだろう。ツィチィは抗えない。

 確かにフルア星人たちはここのところ、本当に奇妙だった。ダーメンからたくさんのフルア星人たちが去っていたし、残ったものもいつもどこかに集まっては話し込んでいた。今日もティダたちがねどこを抜け出しても、見張るものひとりすらいない。

 だからツィチィたちは簡単にドックに近づくことができた。『寒風』に連結された通路まであと百メートルもないところで、急にするどいサイレンが鳴り響いた。

 ツィチィは自分たちが見つかったと思い、あわててティダを引っ張った。けれど、ティダは微動だにせず緊張してサイレンに耳を澄ませている。


「タシツノクタツノツ! タシツノクタツノツ!」


 サイレンの合間に聞こえてくるフルアの叫び声は、いままでにないぐらいに甲高いものだった。ティダはそれを聞くなり、ツィチィの手を引っ張って走り始めた。


「なんて言ってるの、ティダ、フルアたちは」

「人間たちが攻撃に来た」

「人間たちが?」


 ツィチィは思わず叫んだ。思わずまなざしで問いかける。フルアたちをやっつけに来たの? ティダはその目に悲しそうに見返した。


「ツィチィ、フルアたちはこれから人間にやられる」


 ツィチィはうなずいた。


「そして、人間も……」


 ティダの言葉の最後はつまっていて聞き取れなかった。


「『おおきくてつよい』も、『小さくてよわい』も、みんな?」

「船も、工場も、フルアも、人間も、ダーメンにあるものはすべて」

『ちいさくてよわい』ティダのどこにこんな力が残っていたのだろうというぐらいティダは強くツィチィを引っ張った。

「人間は私たちを見捨てたの」


 そんなのうそ、うそ、うそ、とツィチィは心のなかで叫んだ。

 そのとき、環の向こう側で大きな爆発が起きた。もっとも、それは音ではなくて衝撃波だったけれど。やがてツィチィはダーメンの熱風のような赤い炎が通路を盛り上がってくるのを見た、もう少しで船にたどり着くというのに、まるで無数の突き出されたこぶしのように迫りくる炎はツィチィとティダを掴み壁に押しつぶした。

 すさまじい圧力、それから全身に泡立つような奇妙な感覚。

 さいごに焼けつくような痛み。爆発事故が起きたときのためにツィチィたちは訓練されている、それは熱が引くまで組織液を呼吸しないこと。ツィチィが見たものは自分に覆いかぶさるティダと、ものすごい爆風と炎。そして次の瞬間には、まっくら闇、そして数秒後にわずかな非常灯がともる。

 ツィチィはぐったりしたティダを抱き起した。船の連絡通路まであと少し。


「ティダ、だいじょうぶ?」

「……だいじょうぶ」


 ツィチィはティダが大丈夫なんかじゃないってことを知っていた。背負っている重さが軽くなったから、すぐにそのことは分かった。組織液が大量に漏れている。暗くて破損の場所は分からない。でもそれはせめてツィチィの力でも船までティダを運べるということだ。


「まってね、ティダ、もう少し」


 ティダは背負われているあいだ、なんどかひどくせき込んだ。熱い組織液を吸い込んだのかもしれない。気道にダメージを負えば……それは考えたくなかった。

ツィチィはA6通路から船に転がり込んで、そして通路の扉を閉めた。船はダメージを受けているだろうか……? そんなはずはない。最高級の断熱合金でできているのだから、爆発の熱ぐらいではびくともしないはずだ。 ツィチィは恐怖からか、自分の唇が震えるのを感じた。唇、それから手も足も震え始めた。歯の根が合わない。初めての感覚だ。ティダはぐったりしている。とにかく船の操縦室にいかなければ。

 ツィチィは船内の見取り図を思い出しながらよろよろと立ち上がった。その時だった。

 ほのかに船の廊下が光り、AIが静かなフルア語で何かをアナウンスした。ツィチィは叫んだ。


「操縦室はどこ? 誰か乗っているの? ティダを助けて!」

「船は点検プログラムを省略して、出港準備中です。人間語をフルア語に翻訳しますか?」

「ティダが、人間が一人けがしているの。助けて、寒風!」

「救護ユニットの使用は乗務員の許可が下りません、カーゴで操縦室に行きますか? 『寒風』とはなんですか? 『寒風』は理解できません」

「おねがい……操縦室に……」


 ツィチィはもう震えて声を出すことができなくなっていた。壁の一部が開いて輸送用カーゴが見えた。ツィチィはティダをカーゴの中にかろうじて押し込むと、自分も隙間に乗り込んだ。

 ティダは押し込まれた拍子に少し意識を取り戻した、驚いたことに。


「ツィチィ……ここはどこ?」

「ふ……船の中。だまって、助けるから」

「組織液がたくさん流れた、私はもうダメ。ツィチィ、よく聞いて。船。ダーメンの造船環は完全に破壊される。この船で逃げられるところまで逃げて、ツィチィ、ひどい顔。雪を見たいでしょ……?」


 ツィチィは子どものとき以来はじめて、目が熱くなるのを感じた。たぶんこれは涙だ。


「ティダ、だまって、助けるから」


 ティダはそれを聞いてだまったように見えた。そして穏やかな顔になった。まるで眠るみたいに。

 

 カーゴが操縦室前室についたとき、カーゴで気を失いかけていたツィチィとティダを引きずり出したのは二人のフルア星人だった。二人がフルアだというのは、目は開けられないけれど、言葉で分かった。フルアは人間を助けないだろう。それでもツィチィはティダを助けて、と言おうとした。けれど、指先一つ動かすことができない。フルア星人は急いでツィチィを横向きに寝かせた。

 ティダはなにもされずに隣に置かれた。フルアはツィチィの防護服をやぶって組織液を流しはじめた。抵抗もできずにただなすがままになるしかない。運が悪かった。人間ではなく、フルアが操縦室にいたのだもの。……もうこれでおしまい!

 最後にティダを見たい、ツィチィがそう思って無理やり瞼をもち上げたとき、一人のフルアが、防護服を着ていないフルアが近づいてきた。防護服を着ていない……、そう、フルアは船内服だけを着ていて、防護服を着ていなかった。組織液がすべて出ていき、ツィチィは激しくむせこんで、肺にたまった組織液を吐き出した。暖かい空気が肺を満たす。


「名前は?」


 フルアは人間語でツィチィに話しかけた。


「……ツィチィ」

「もう一人は?」

「ティダ……、ティダを助けて」


 フルアはティダの様子を見て、何もせずにツィチィに向き直った。


「この船に避難してきたのはフルアが五人、人間は十六人。こっちの人間はもう組織液が抜けているから大丈夫、船は出港した」

「助かるの?」


 フルアたちは顔を見合わせた。


「その意味は……この人間? 君? 全員? それとも……」


 ツィチィはもどかしくなって言葉を継いだ。


「なぜフルアが人間を助けるの?」


 フルアたちはしばらく黙っていた。考えているのではない。ただ言葉をためらっているようだった。


「……ダーメンのフルアはフルアから見捨てられた、ダーメンの人間は人間から見捨てられた。この船に必要な乗員は三十人。でもいま二十一人」


 もう一人が重々しく言った。


「生き延びるのにはこの船の一人でも欠かせない、みな必要。この船は客船だから追ってはこないだろう。でも生き延びられるかはわからない」


 やがて数人の人間が室内に入ってきた。ツィチィとティダに船内服が届けられ、人間たちがツィチィとティダが服を着るのを手伝った。ツィチィとティダはもう一生脱ぐことはないと思っていた防護服を脱ぎ捨て、自分の肌で、肺で、空気を呼吸していた!

 操縦室に連れていかれたツィチィたちは、残りの人間たちと、フルアたちと合流した。彼らはみなスクリーンを見ていた。

 高温のガス惑星、ダーメンの巨大な『環』。それはいまやちぎれて外れた防護服のベルトのように片方が宇宙に伸びていた。やがて環はダーメンに落ちるか、引きはがされていくかするのだろう。

 環の空洞に無数にただよう塵の中には人間もフルアもいるのに違いなかった。あれほどの過酷な環境だったのに、いまそれを飛び出して宇宙に出ることは身震いするほど恐ろしいことだった。

 いまやフルアも人間もつよいもよわいもなかった。ただせめて、彼らはダーメンを命からがらはなれるのを許されただけだった。これからはすべてが自由で、すべてが試練だった。


                了

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火傷と寒風(カクヨム9短編参加) スナメリ@鉄腕ゲッツ @sunameria

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