第2話 組織液は有限だから
「そこでは雪というものが降っていて、冷たい風がいつも吹きつけているの」
「雪って白いの? 白い火の粉のようなもの? 触ると痛い? 船はダーメンに落ちた時のように近づきすぎると焦げてしまうの?」
「船はエンジンが燃えてるから大丈夫。私たちの防護服は寒風にさらされると、すぐに凍ってしまう。だってこの暑さから守るために常に温度を下げているからね」
「凍るってどういうこと?」
「凍るって……溶接したあと、金属がかたくつながるでしょ、ああいう感じ」
その想像はツィチィをとても落ち着かせた。だってダーメンに落ちたら人間は黒焦げになってバラバラに散ってしまう。でも、船は寒いところに行く。人間が落ちても溶けないで固まってしまう。もうそこにツィチィの意識がないとしても、それは素敵なイメージだった。ツィチィの体は惑星に飲み込まれずにただそこに『積もる』だけ。
ツィチィはいままで二回だけ船が完成したのをみたことがある。ティダは五回あるというからずいぶん『古い』。船が完成したってバカでかいから全体を見ることはできない。船はダーメンの『環』の一番下にある合金工場で骨組みを組んで、それから少しずつ上の階層へ移動する。新しく生まれた骨組みが下にできるたび、船は上へ上へと押し出されていく。そこでまず核融合エンジン、それから外側を作って、それから上にあがるごとに内部の繊細な部品が組み立てられていく。『環』の一番外側で、船の人工知能が積まれてダーメンを離れていくのだ。
ティダは船が生まれてからダーメンを出港するまでを五回も目にしたのだ。これはすごいことだ。ツィチィたちがいま組み立ている船には『ソノツシノシツ』とフルアの文字で書かれている。ツィチィたちはその言葉は読めないけれど、ティダによればフルアの分類法で大まかにお客を乗せる何番目かの船、という意味らしい。でもツィチィは心の中で『寒風』と呼んでいた。この船には雪の降る星に向かってほしい。
フルアのウォッチャーはいつだってツィチィたちを手ひどく扱う。ツィチィはもう何回もウォッチャーが使えなくなった人間をダーメンに落とすのを見ていた。人間は焦げてからやがてガスになってしまうのだという。人間の中は貴重な『一酸化二水素』がほとんどなんだから回収したらいいという人もいるけれど、ツィチィはそうは思わない。
誰かが突き落とされたあとに子供たちがそんな水でお風呂に入るなんてなんだか気持ちが悪い。子供時代のように防護服も着ずに生きられることはこのダーメンではもうないのだから。(ああ、あの時代のように自由に呼吸がしたい、したい、したい)
それに、突き落とされるのだってひどいことなのに、また連れ戻されて利用されるなんて救いがなさすぎる。
ティダによれば、フルア星人はずいぶん昔にダーメンを人間たちから奪い取ったのだという。ダーメンのような貴重なホットジュピターはごく最初に狙われた。船を造るために必要だったからだ。そして人間たちは宇宙のはるか片隅においやられてしまった。でもまだどこかにいる。きっと。もう何百年も連絡はきていないけれど。
フルア星人たちは人間に冷酷だ。人間にだけじゃない、フルア星人に対してだって冷酷だ。彼らは人間を『ちいさくてよわい』や『おおきくてつよい』にわけるように、じぶんたちを『えらい』と『のろま』にわけている。とにかくわけることがフルア星人のやり方だから。でもフルア星人がここでいちばん冷酷ってわけでもない。『おおきくてつよい』は『ちいさくてよわい』につらくあたる。きっと彼らはフルア星人を正しいと思ってる。使えなくなったら『おおきくてつよい』も『よわい』になってダーメンに落とされるのはおんなじなのに。
でもティダが言っていたようにウォッチャーたちがいなくなれば人間は楽になるのかしら。どうなのかわからない。人間同士だってひどいことをしあっている。
それからやっぱりツィチィたちが楽になることはなかった。ウォッチャーたちはなぜだか減ったけれど、その代わりに『おおきくてつよい』がウォッチャーたちの代わりにツィチィたちをこき使ったし、そのうえ仕事は増やされた。組織液も毎日入れ替えなければ気持ち悪いのに2日に1回にされたし、ティダはそのせいでますます皮膚を傷めたように見えた。断熱棟の温度も上げられた。つまり、まだフルア星人たちの方がましだった。
やがてヘロインすら供給されなくなった。火傷はいつものことなのに、オピオイドがなければ休めない。ねどこはいつもうめき声でいっぱいになった。以前、フルア星人たちは使えなくなった人間を環から突き落としていたけれど、それはもう禁止された。ぎりぎりまで働かせて、たくさんの船を造らなくちゃいけないからだ。なぜ作らなくちゃならないのか?それはティダですらわからなかった。
ただ、ツィチィたちが小組を担当している『寒風(ソノツシノシツ)』はあっというまに環の外側へと押し出されていった。ツィチィたちが壁をくみ上げているそばから細かいパイプや運搬カーゴの通るダクトなども運び込まれてくる。
「パイプは熱に弱いのに、こんな内側で組んだらきっとすぐにこの船は壊れてしまう」
とティダがいうので、ツィチィは悲しくなった。ツィチィの代わりに雪を見る前に宇宙の藻屑になってしまったら。
それでもダーメンに残ったウォッチャーたちはがむしゃらに船を組み立てさせた。壊れた人間たちは突き落とされもせず、組織液も換えられずに動けなくなれば断熱棟に置いておかれる。さいごは魂の去った肉塊。それはやがて組織液ごと『水』に再利用された。
そしてついに『寒風』は環のいちばん外側に押し出されて、人工知能が積まれた。ツィチィがそんなに外側で働くのは本当に久しぶりのことだった。
核融合燃料が充填されれば、もう『寒風』はダーメンを旅立っていく。ツィチィは『寒風』の、組み上げれば見えなくなる場所に自分の名前を彫っていた。
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