こむらがえりアポカリプス

瘴気領域@漫画化してます

こむら-がえり【小村還り】

 2つの太陽が、廃ビルの群れをじりじりと灼いている。

 数十の人影が、瓦礫まみれのアスファルトを歩いている。

 僕は、照準を合わせて引き金を引く。


 銃声。

 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。


「コムラァァァアアア……」


 何十匹もの小村が、廃ビルの谷間に出来た血の海に沈んでいく。

 僕は20式5.56mm小銃から空になったマガジンを抜き、入れ替える。

 自衛隊の駐屯地から拝借したものだ。


「コムラァッッ!」


 小村の死体の山から、一匹の小村が飛び出してきた。

 僕は慌てて銃口を向け、引き金を引く。


「しまっ!?」


 弾が出ない。

 まだリロードが済んでいなかったのだ。

 マガジンを交換した最初の一発はコッキングをしないと発射できない。


 銃声、銃声、銃声。

 タタタッとお手本のような3点バースト。

 小村は頭部を半分吹き飛ばされて、罅だらけのアスファルトに転がった。


「ヒム、大丈夫か」

「モトさん……! すみません、助かりました」

「なに、気にすんなよ」


 窮地を救ってくれたのは、モトさんだ。

 眼帯に灰色がかった無精ひげ、頬には刃物で切られたような傷痕。

 日本人にも関わらず、外国人傭兵部隊に加わって十年以上も世界中の戦地を駆け抜けた猛者中の猛者。

 たまたま帰国した際に小村還りに巻き込まれ、そのまま戦い続けているそうだ。


 モトさんにとっては不幸なことだろうが、僕にとってはツイていた。

 僕一人じゃ、とてもこんな修羅場は生き残れなかっただろう。


「銃の扱いもだいぶ慣れてきたな。ほれ、吸え」

「おかげさまでなんとか……。ありがとうございます」


 差し出された煙草を一本引き抜き、咥える。

 赤い丸のパッケージ。ラッキーストライクだ。

 軍隊では不吉だと嫌われている煙草だと映画か何かで見た記憶があるが、モトさんはそんなことは気にしないようだ。


 ずしりと重いジッポーの蓋を跳ね上げ、火をつける。

 かすかなオイルの香り、流れ込む紫煙。

 肺の奥まで目一杯吸い込んでから、長く細く吐く。


「どうだ、仕事終わりの一服が美味くなってきたろ?」

「ええ、おかげさまでなんとか……」


 同じことしか言ってない。

 そう気がついて思わず苦笑する。

 モトさんと出会って早半年。

 僕たちはあちこちの避難所を転々としながらどうにか生き抜いた。

 銃と煙草にはかなり慣れたが、かつての社畜根性はなかなか抜けない。


「これで担当地区のパトロールは終わりだ。戻って骨を休めよう」

「はい」


 煙草を吸い終わり、僕たちは拠点にしている小学校に向かう。

 いや、小学校跡と言ったほうが正確か。

 いまや小村から逃れてきた避難民の吹き溜まりだ。


 進んでいると、焦げ臭い匂いがしてくる。

 耳を澄ませる。何かが破裂するような音。


「モトさん、これって……!?」

「ああ、急ぐぞ!」


 モトさんは瓦礫を踏み越えながら軽々と走っていく。

 僕はその背中に必死についていく。

 モトさんが立ち止まる。

 僕も慌てて立ち止まる。


「ちっ、こりゃダメだ……中村の群れだ」

「ああ、ひどい……」


 欺瞞と偽善に満ちた言葉を洩らす僕の視界に映ったのは、黒煙を上げる小学校。

 本心は、「僕のいないときでよかった」。


 数えきれないほどの中村――小村が変異した中型個体――が校庭を埋め尽くし、校舎の壁を這い回っている。仮に一匹につき一発で撃ち殺す神技が出来たとしても、半分も仕留められずに弾切れを迎えるだろう。


「大村もいるかもしれん。離れよう」

「はい……」


 救援は早々に諦め、回れ右して駆けていく。

 この諦めの良さが、僕たちがこの滅んだ世界を生き抜いてこれた秘訣だった。


 * * *


 パチパチと火の爆ぜる音。

 焚き火を見てると心が落ち着く。

 原始時代からの本能なのだろうか。


 その日の僕たちは、とある廃ビルの屋上にいた。

 古い木村の死体が転がっていたから、それを割って薪にした。


「ふう、たまらねえ匂いだな」

「もう炊けるんで、少し待ってください」

「おう」


 ぐつぐつと鳴っていた飯盒が、チリチリと鳴き声を変える。

 穀物の焦げる香ばしい匂い。少し前に狩った米村を炊いていた。

 稲村と違って脱穀の手間が要らないのがありがたい。


 タイミングを見計らって火から下ろし、しばらく蒸らす。

 蓋を開け、サンマの缶詰を汁ごと混ぜ合わせ、調味料で味を整える。

 畑だった場所に生えていた、野生の葱を刻んだものを散らせば完成だ。


「こんなクソッタレの状況でも、飯が美味いと生きててよかったと思えるな」

「僕もそう思います」


 モトさんは、いつも微妙な顔で物を食べる。

 始めのうちは口に合わないのかと不安だったけど、どうもそれがモトさんにとっての「美味しい」の顔のようだった。


「俺にゃレーションを温めるくらいしか能がねえからな。ヒムがいて助かったぜ」

「料理くらいしか能がないですから」


 僕がモトさんと行動を共にできているのは、ひとえに料理の腕のおかげだ。

 新卒から3年、ブラック体質の居酒屋で働いてきたスキルがこんなところで役に立つなんて思いもよらなかった。


 ろくに休みもなく残業に明け暮れていたときは、いっそ世界なんか滅んでしまえと毎日願っていた。それが、実際に滅んでみると生き汚く足掻いているのだから、僕という人間は勝手なものだった。


 でも、お互いにあだ名しか知らないような、微妙に乾いた関係は心地よかった。

 少なくとも、赤の他人を家族だ仲間だと叫ばなければならない会社の人間関係よりは、ずっと好ましいものに感じられた。


 食事を終えて、煙草を一服。

 見下ろす地上は真っ暗で、灯りはひとつもない。

 見上げれば数え切れないほどの星と、たったひとつだけの月。

 太陽がふたつになったせいか、上手くは言えないけど光り方がおかしい。


「次はどこに向かうか」

「やっぱり南じゃないですか。北、東、西とダメでしたし」

「そうか、じゃあ明日から南に向かおう」


 北には北村、東には東村、西には西村が待ち構えていて通れなかった。

 概念系の小村変異種は銃で撃とうが火をつけようがびくともしない。

 南村がいないことを祈って、南に進むしかない。


「海に行きてえな」

「はい、なんとか海に出たいですね……」


 モトさんがひとつだけの目で、南の果てを見つめている。

 真っ暗で何も見えるはずがないのに、あたかも視線の先には海があるかのように。


 避難所で聞いた噂だ。

 小村還りが起きてしばらく経った頃、海の向こうから無線で呼びかけがあったそうなのだ。それも何日も、何週間にもわたって。

 無線の内容は『南緯47度9分、西経126度43分。安全を確保した。生き残りは楽園に集え』というものだったそうだ。


 その噂を耳にしたときには、もう電気を満足に使える状況ではなく、真相を確かめることは結局できないままだった。

 だけれど、それ以外に縋れるものなんて何もない。

 海に出て、楽園に逃げて、美味いものを腹いっぱい食って、好きなだけ眠る。

 それだけが、僕たちに残された希望だった。


 * * *


 2つの太陽がじりじりと首筋を灼く。

 まったく、クソッタレの太陽だ。少しは加減しやがれ。てめえは新参なんだぞ。誰のおかげで生まれてこれたと思ってるんだ。


 僕は内心で悪態をつきながら、2つ目の太陽を睨む。

 本物の太陽よりもやや赤く、本物の太陽とは違う場所に浮かんでいる。


 これが元凶なんだと、みんな信じていた。

 2つ目の太陽が現れた日、小村還こむらがえりは起こったのだ。

 日本中、いや、世界中の墓地から小村姓の者が蘇った。

 蘇った小村は凶暴で、生きた人間に襲いかかり次々と小村ウイルスを感染させた。

 爆発的に増殖した小村は多くの変異種を産みながら勢力を拡大し、人類文明は瞬く間に滅びた。


 異変の前、小村姓は全国でも1万5千人程度だったらしいが、いまでは軽く数千万匹に達しているだろう。


「お、川があるぞ」

「気をつけましょう。川村や沢村かもしれません」

「大丈夫だ。川って言うにゃちょろちょろした小川だし、沢ってほどの風情もねえ」

「なるほど、それなら大丈夫ですね」


 僕たちは川べりに降りて水を汲む。

 モトさんの見立て通り、川村も沢村もいなかった。

 水筒に水が溜まったら、今度は流れに頭を突っ込んでじゃぶじゃぶと洗う。


「ふう、これで少しはさっぱりしますね」

「ああ、そうだな」


 モトさんも濡れた髪をタオルで拭いている。

 そして、モトさんの動きが固まる。

 ゆっくりとこちらに銃口を向けてくる。


「ちょっ、モトさん、どうしたんですか!?」

「いいから動くな!」


 銃声、銃声、銃声。

 お手本のような3点バースト。

 首筋に、ねっとりとした液体の熱さを感じる。


「走れ! 逃げるぞ!!」

「は、はい!!」


 モトさんは僕の腕を掴んで駆け出してた。

 肩越しに後ろを見ると、血まみれの志村がいた。

 知らぬ間に獲物の背後に忍び寄り、襲いかかってくる変異種だ。

 その肉体はもはや生物の域を超えており、蜂の巣にしても死ぬことはない。


「モトさん、僕を見捨てて逃げてください」


 志村に狙われて、生き延びたものはいない。

 僕は手を振りほどこうとするが、モトさんは離してくれない。


「馬鹿言ってるんじゃねえ! 走れ!」


 結局、僕は走った。

 本気で振りほどこうとすれば、できたかもしれない。

 それができなかったってことは、やっぱり僕は命が惜しかったんだ。


 そうして日が暮れるまで走って、僕たちは、廃ビルの一室に閉じ込められた。


 * * *


「モトさん、やっぱり逃げてください。僕はもう、いいんで」

「いいって何がだ」


 命が、と答えようとするが、唇ががさがさで、喉もからからで、言葉が出ない。

 背中に伝わるコンクリートの冷たさが、「臆病者」「卑怯者」「嘘つき」と罵ってくる。


「こうしてりゃ、しばらくはしのげる。その間に対策を考える」


 志村は獲物の背後に瞬間移動する力を持っている。

 だから、壁に背中をつけてそれを防ぐ。

 単純な対策。


 そして志村は、正面からだって襲いかかれる。

 単純な対策の、単純な対策。


「どうして、そこまでしてくれるんですか……」


 かろうじて絞り出せたのは、そんな言葉。

 それを聞いてどうしたいんだろう。

 自分が生きてよい理由を、確認したいのか。


「メシが、美味かったからだ」


 モトさんは、煙草に火をつけた。

 僕の口にも、煙草を差し込む。


「それから、俺のせいだからだ」


 何の話だ?

 モトさんの言いたいことがわからない。

 この状況は、どう考えたって僕のせいじゃないか。


「壁から、離れるなよ」


 モトさんが紫煙を吐く。

 部屋の中に、灰色の煙が拡がっていく。


「俺は卑怯者なんだ。臆病者で、嘘つきなんだ」


 僕は恐る恐る紫煙を吐く。

 部屋の灰色が、少し濃くなる。


「俺はな、モトムラなんだよ。元凶の元に、小村の村」


 煙草の灰が、ぽとりと落ちる。


「小村還りが起きたのは、俺が帰国したその日だ。そんな偶然はねえだろ」


 ちりちりと、煙草が赤く光る。


「きっと殺しすぎたんだな。楽しんでさえもいた。罰が当たったんだな」


 靴の踵が、煙草を消す。


「つーわけで、ぼちぼち潮時だ。元凶がいなくなりゃ、この騒動も片付くだろ」


 違う、モトさんのせいじゃない。

 モトさんのせいのはずがない。


「最後に正直に言うが……お前のメシ、そんな美味くなかったぜ。けどよ、お袋の味にそっくりでな。じゃあな、ヒム。平和になったら料理の勉強し直せよ」


 けれど、臆病で卑怯で嘘つきな僕は、それが言えなかった。

 ドアを開けて出ていくモトさんの背中を、黙って見送るだけだった。


 ドアの外から銃声と、肉を引き裂く音がした。


 * * *


 小村還りが終息し、世界は平和になった。

 生き残りたちが各地で復興をはじめていた。


 危機の終わりはあっけないものだった。

 ある日突然、ふたつの太陽がひとつに戻ったのだ。

 その瞬間、すべての小村とその変異種が死に絶えた。


 復興隊は、ある廃ビルに入った。

 損傷の程度が少なければ、住居として利用したい。


 通路には、銃を抱えた男の遺体があった。

 ぼろぼろに引き裂かれ、腰から千切れかかっている。

 そのすぐ脇には志村の死骸があった。

 壮絶な相打ちを遂げたのだろう。


 奥に進むと、小部屋で死んでいる男がいた。

 外傷はなく、背中を壁に預けたまま死んでいる。

 脱水か栄養失調か、その手の衰弱死だろう。


 身分証を確認すると、「日村ひむら」という男であることがわかった。

 日村の遺体は、その他大勢の被害者とともに荼毘に付された。


(了)

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