締め切り間近なわたしは、半人半獣の黒羊の夢を見るか

藍上央理

第1話

 暗い部屋に蝋燭だけ点して執筆していた作家って誰だっけか。集中力が増して、バリバリ書けると聞いた気がする。

 だから真似をしてみる。てか、まじで真似しないと締め切りに間に合わない。この依頼を受けてすでに二週間経っている。

 その二週間ずっと、部屋を暗くしてモニターの明かりだけを頼りに、ワードの画面とにらめっこしてるのに、一文字も書けてない。

 や、書けていることは書けてるけど、シチュエーションだけ。それ以外は頭真っ白。一点のしみなし。


 書きたいものはあるんだよ。

 半人半獣が好きだから、上半身は人間でないとダメ。褐色の肌で整った顔つき。黒い巻き毛の長い髪で、羊のねじれた角。しなやかな筋肉のついた上半身。下半身は巨大な黒い羊という雄が出てくる話がいい。

 彼はとにかくでかい。もちろん雄。男でなくて雄というのがミソ。男とか言うカテゴリーは半人半獣ぽくないと思う。


 妄想ははかどるけど、あくまで彼のビジュアルだけがどんどん解像度が上がるだけでストーリーは浮かばない。

 もしかしてシチュエーションがキャラクターに合ってないのかな。

 カニバリズムが好きだから、黒羊の彼が恋人を食べるか食べないか究極の選択を迫られるって話が書きたいんだけど、これって、この部屋から出るにはセックスしないといけないって言うのと同じで、シチュエーションだけで話を進めるっていう力業になるんだよね。

 その力業で書きたいシチュエーションをこなせば良いのに、なんでこんな事態になったのか、誰から同族食いを迫られてるのか、そういうこと考えると、黒羊の彼の解像度が下がる。


 解像度が下がれば頭真っ白になってじっとモニターを見るだけで時間が過ぎていく。

 無為に時間が過ぎていき、結局締め切りが鼻先にまで迫ってくるだけで、何もできてない。

 このままパソコンとにらみ合ってても時間の無駄だという気持ちと、いや、書くと受けたからにはギリギリになっても書く姿勢を崩すべきじゃないという考えが激突する。諦めろという筋肉と頑張れという筋肉が組み伏せ合って微動だにしない。

 

 煌々と光を放つモニター以外に明かりはないんだけど、集中力はますます削がれていく。部屋をいくら暗くしても集中力が保たない。


 そうだ、スマホで書いてみたらどうだろう。スマホなら明るさがモニターほどじゃないし、暗い部屋という設定もうまく機能するし。集中力も増すんじゃないかな。


 と言うわけで、パソコンはシャットダウンしたぞ。代わりにスマホのメモ機能を立ち上げて、まず冒頭の一文字を打ち込めば、あとは流れるように頭の中にある半人半獣のキャラクター、例えばゴドウという名前を付けた黒羊の彼が動き出すはず!


 動き出すはず!


 ………………。


 動け、動いて、ゴドウさん。


 あなたは恋人を食べないといけない状況におかれて、喰うか喰わないかという究極の選択を迫られているんだよ!


 しかも、食わなかったらお互い死ぬだけ。食えば、恋人と一心同体となって一つになれるんだよ。血と肉に染みついた意識を自分の中に取り込める。

 食人は愛情表現の一つ。永遠にいっしょにいるための手段なんだ。


————で。


 恋人、どうしよう。

 わたしは両性具有が大好物だから、ゴドウの恋人は両性具有がいい。

 昔書いた小説で、ホムンクルスで、両性具有で魔法使いというキャラクターを作ったことがある。名前も覚えてる。オムホロスって付けた。

 その小説でゴドウはオムホロスの恋人だった。作中でも二人は血を貪り合って、ゴドウは死んだけど、彼の感覚や感情はオムホロスのものになった。

 結構わたしの中では大好きなシーンだったんだけど、今は思い出に浸ってる場合じゃない。


 そんなこと考えている内にあっという間に一日が過ぎた。

 明日の夕方には原稿を終えて提出してないとまずい。

 ダラダラとキャラクターの造形に思いをはせているだけで、スマホのメモ機能を全然活かせてない。


 これはいよいよまずい事態じゃないかっ。

 なんで書けないんだ。おかしいでしょ。頭真っ白なのもおかしい。ギッチギチにゴドウのイメージが詰まっていて大渋滞なのに!

 真っ白からいきなり真っ黒だよ。


 猫も寝静まった暗い部屋に、窓の外から国道を走る車の音が聞こえてくる。

 ざーっとタイヤがアスファルトを噛む音だ。

 さっきまでYouTubeで配信を聞いてたけど、スマホに切り替えてからはYouTubeは開いてない。

 クーラーの効いた快適な室内で、麦茶を飲みながら、ウンウン唸っている。


 ウンコをひねり出すみたいにポロポロと話が排出されてほしい。さすがにウンコはたとえが汚いかもしれない。

 インプットしてアウトプットするごとに物語が生まれてくる状態が、とっても理想的だ。素材のいい良質なインプットで、きれいなウンコが出てくる。

 ゴドウはウンコじゃないけど、わたしが排出するから、できればきれいなウンコであってほしい。


 午前0時を過ぎて、締め切りの日になった。

 まだ一文字も書けてない。相変わらず頭の中には黒羊の彼が鎮座している。

 ワクワクしているのに何も生み出せないのは便秘しているようなものだ。

 このまま、ダラダラと考え続けていると時間ばかりが過ぎて、提出期限が迫ってくる。


 ゴドウがキャッキャうふふと私の鼻先を掠めて、「捕まえてごらん」なんていうふうに彷徨いている。頭の中で。


 両性具有のオムホロスはすでに調理されて、まるで焼き肉屋のコース料理のように、体の部位ごとに切り刻まれて、意外に脂肪が少ない赤身肉に部位名が添えられている。

 切り取られたばかりの肉といっしょに、オムホロスの頭部も皿の上に飾られている。

 半開きの瞼。少し開かれた口の中に舌はない。これもいっしょに皿に盛り付けられているから。

 焼き肉屋にあるような、肉皿の前に置かれている七輪の網を、オレンジ色の炎がなめ回している。熱せられた網が黒ずんでいく。

 肉を載せたらきっとじゅうっと音を立てて肉から白い煙が上がるだろう。

 軽く炙ったほうがいいのか、しっかりと火を通したほうがいいのか。


 おや?

 無口なゴドウが皿の上に載せられたオムホロスの顔を手の甲でなぞっている。

 血の気が失せた青白いオムホロスの頬は死後硬直で固く冷たい。数時間待てば、また柔らかさを取り戻すだろうけど、今度は死臭が生じるだろう。その前にゴドウは決断しないといけない。


 眉をしかめて辛そうな表情を浮かべる。何度も何度も愛おしそうにオムホロスの髪を撫でている。

 ゴドウは口がきけない。と言うか、喉の作りが羊で、羊の声しか出すことができない。

 もう、オムホロスは捌かれたから、食べるしかないんだよ、ゴドウ。


 食べればオムホロスは永遠にゴドウの中で生きる。

 そう言うんだけど、頭の中のゴドウはオムホロスの頭を撫でるだけだ。

 頑固な羊だ。

 このままだとオムホロスは腐るだけなんだよ。食えよ。

 そんなふうに迫ると、まるで意思があるような表情で、わたしを睨んでくる。

 どうせ、これは単なるシチュエーションだ。わたしがこのシチュエーションを書き終えれば、オムホロスは生き返る。だから気兼ねなく食べてほしい。

 すると、悲しそうに目を伏せて、ゴドウが頭を横に振った。

 

 想像上の存在であるゴドウが、わたしの意図とは真逆の反応をする。頭の中の暗闇に隠れて、オムホロスの頭部を持ち去った。

 なんなんだよ。自分のイメージさえ自由にできないのか。

 締め切りが近いのがどうしても気になるし、ゴドウが出て行った頭の中はまたもや真っ白になった。黒い文字一つも生み出せない。


 窓からはざーっというタイヤの音もしなくなった。聞こえるのは耳鳴りだけ。


 ガタンと真っ暗な部屋の中で物音がした。猫が起きたかな? と辺りを見回す。

 暗闇に沈んだ部屋には所狭しと荷物が積み上げられている。大半が本や雑誌だ。

 いつもの寝床に猫がいない。物音は猫が何かを倒した音だろう。

 気にしないようにスマホに視線を落とした。

 

 不意にフローリングを固い何かが踏みしめる音が響いた。まるでヒールの音みたいだ。でもわたしはそんな靴を持っていないし、ましてや部屋に置くはずがない。

 チラリと音のするほうに目をやったけれど、暗くてよく分からない。

 家族が起きてきたんだろうか。それならドアが開く音がするだろう。

 ちょっと不安になる。怖い話が大好きだけど、それは自分の身に起こらないと思えるから楽しめるのだ。実際に我が身に振りかかったらとんでもなく怖い。

 怖じ気づいた気持ちを奮い立たせて、わたしはスマホのライトをつけた。


 暗がりにライトの光を浴びて黒い塊が浮かび上がる。

 あんな大きな物をあんな所に置いたかな? 覚えがない。

 

 と、黒い物がむくりと動いて、はるか上からわたしを見下ろした。

 あ……。これ知ってる。

 ゴドウがオムホロスの首を持って、わたしの背後に立った。

 うそだぁ。だって、ゴドウもオムホロスもわたしの空想上の存在だ。

 わたし、知らないうちに寝てしまったんだろうか。


 ゴドウが小首をかしげてわたしを見下ろしている。黒羊の彼は軽く180センチを超える巨躯だ。オムホロスの首を大事そうに片手に抱えて、空いた手をわたしに伸ばしてきた。


 締め切りが間近だから、わたしは幻を見ているのだ。どうしても書けない物語に頭を悩ませすぎて、寝不足からうたた寝してしまったんだ。


 ゴドウの大きな手が、わたしの頭を掴む。

 不思議だ、幻影なのにしっかりわたしの頭部を掴んでいる。

 リアルすぎて反対に怖い。

 がっちりとホールドされて、身動きが取れない。

 

 ゴドウが声帯を震わせて一声鳴いた。

 その声を聞きながら、わたしの首が180度回り、鈍く何かが折れる音がした。


 わたしのゴドウは、オムホロスを食わない代わりに、創造主のわたしを殺すことに決めたようだ————。


 思った通りに動かないキャラクターに想像もしてなかった行動を取られた。

 この文章が最後まで書かれていると言うことは、締め切りに間に合ったのだろう。

 一度殺されたわたしが頭の中でゴドウによって、永遠に殺され続けている。

 もういい加減、ゴドウに殺されるシチュエーション以外が書きたい。

 だけど、頭の中は真っ白で、しみ一つ無い。

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