短編幻想SF『アボガド』

ボンゴレ☆ビガンゴ

短編幻想SF『アボガド』

 

 俺たちはグ〜タラな金持ちが、ただ太る為だけにこの仕事をしていたんだぜ。


  ☆


 とある銀河の小さな惑星『イド』の知的生命体から始まったこの大宇宙時代。数千年に渡る争いの歴史を経て、今、現在。

 広大な宇宙を支配しているのは、資源豊かな惑星のリーダーでも、強大な軍事力を持った帝国でも、もちろん宗教などという欠陥だらけの思想でもなく、ほとんど全ての惑星に普及した「超便利なサービス」を運営する一部の企業達だった。


 そのひとつ。『A&G』が運営する「超便利なサービス」といえば、ご存じ、銀河デリバリーサービス、アマゴンだ。

 アマゴンで買えないものはない。銀河を越え、ネジひとつから送料無料でお届けだ。しかも、プライズ会員になれば銀河TUBEも見放題。まったくすごい時代だぜ。


 俺は12歳で小型宇宙船とワープ技師の免許を取った時から、アマゴンの配達員として銀河を飛び回っている。星から星へ商品を配達するんだ。俺だけじゃないよ。俺の惑星の奴らの半分はアマゴンの配達で生計を立てている。


 俺たちはよ。他銀河の奴らと比べて知能が格段に低いし、手足も2本ずつしかないから器用でもねえ。つーと、こういう体を使う仕事につくしかねーんだ。

 ま、別に文句はねえよ。ワープ機能付きの小型宇宙船で銀河を飛ばすのは気持ちいいからな。

 アラベル星に配達した時は千年に一度の流星祭の日で、虹色の流星の中をサーフィンさながら船を操って大喝采を浴びたんだ。あれは一生の思い出だよ。

 他にも、宝石銀河にも十回は行ったし、カルト宗教の本拠地、なんて言ったっけ、染色体の有無だけで全てを決める系のヤバい教義の……そう、鏡の星だ。そこにも行った。

 まあ、楽しいことだけじゃないけどな。宇宙航行は危険がつきものだし、ワープ中の事故も多い。仲間も沢山死んだよ。

 底辺と呼ばれる職の代表だけど、俺はこの仕事が案外、気に入ってる。大好きってわけでもねーけど、まあ愛着はある仕事……ではあったな。


 でも。いざ、こうやって、ワープ中にあんな検知できない宇宙嵐に巻き込まれてさ、事故ってこんな辺境の星に不時着してよー。

 助けも来ず、ひとりぼっちで死を待つだけってなると、やっぱ。なかなかキツイものがあるぜ。



 この星には何もない。目の前にはただ広大な砂漠があるだけだ。

 空気は乾燥している。太陽は高いが気温はそこまで高くない。こうして、真っ二つに折れた宇宙船の翼の影に腰を下ろせば、凌げないことはない。

 だが、それだけだ。非常用の食糧も水もある程度は積んであった。……だけどよ。食いモンはあっても『希望』がねえ。

 

 宇宙船は不時着の衝撃で真っ二つになっちまった。修理とかって次元の話じゃねえ。全損オシャカだ。

 それにだ。俺の携帯端末のアマゴンアプリを見てみろ。アイコンは……ほれ、圏外。

 全宇宙に基地局を作ったあの強欲大企業の公式アプリが圏外の星なんてねえんだよ。つまり、ここは誰も知らない辺境中の辺境。超空洞ボイドかなんかにあるはぐれ星。死の星ってわけだ。


 というわけで、俺は全てを諦め、船に備蓄してた蒸留酒ハイスキーを全部出してきて最後の晩酌に勤しんでたってわけよ。そんで酔いが回った頃合いを見て、頭に光線銃でもブチ込んで死んじまおうって算段だったわけだ。

 缶詰も出してきてな。調子良くやってたところで、そういえば、って、思い浮かんだことがあったんだ。なんてこたねえけどな、俺が運んでた『荷』についてだ。


 俺たちは荷物の中身を知らない。パッケージされてるからな。

 時々、配達先で「中身って何でしたっけ?」とか聞かれることがあるんだが、俺たちは知らねんだ。

 俺たちは「ドコソコに行け」ってアマゴンのAIに支持されて、はいわかりましたって、ステーションで荷物を受け取って、ナビの指示に従って宇宙を飛び回ってるだけだからな。……こう言っちゃうと情けねぇけどな。

 運営サイドは宇宙海賊対策だとか言ってるけど、本当は配達員による盗難を避けるためだって噂だよ。信用されてねーんだよ、命かけて配達してんのにな。

 ってことで、商品はネジ一本であろうと、過剰なくらい完璧にパッケージされていて、中身を配達員が見ることはないわけだ。


 けど、長年やってると、細かいパッケージの仕様に違いがあることに気づいてくる。高価な嗜好品と安価な日用品なんかでは微かだが、パッケージの素材が違う。肌触りでわかる。多分、防犯対策の強度が素材の違いにつながってんだろうが、詳しくは知らん。

 で、今回の荷物のパッケージなんだが、これが高価で希少な品を扱う時にだけ使われる素材だったんだよ。コレ系のパッケージを届ける先って行ったら、高次銀河の奴らか、成金のとんでもねえ金持ちだ。例にもれず、今回の配達先はナルワルナ本星の高級住宅街だった。

 パッケージのサイズはS。片手で持てるサイズだ。サイズだけじゃなくて重量もそんくらい。両手で持つほどの重さじゃない。むしろ軽い。何が入ってんだろうってな。気になるだろ?


 パッケージを配達員が開けるのは重罪だ。けど、誰が俺を裁く?

 誰も裁けやしねえよな。ここには俺以外、誰もいねえんだもん。


 俺はパッケージをぶち壊した。

 別に何が入ってたってどうなるわけじゃねえけどな。単なる憂さ晴らしのヒマつぶしだよ。中身を見た。

 ……で、愕然としたんだ。

 中には俺の故郷の惑星で腐るほどってる『アボガドの実』が入ってたんだ。


 俺の故郷はアンダルシエ銀河の端にあってナルワルナ星の植民星だった。さしたる資源もない貧乏な星だが、肥沃な土壌だけは豊かに広がっていた。ナルワルナ星の奴らはその土壌に目をつけたわけだ。自生していた植物を根こそぎ枯らし、自分達の都合の良い植物を育てる農地として利用した。アボガドが持ち込まれたのもその一環だったらしい。

 アボガドは黒緑の皮に包まれた果実で木にる。その果実は転換エネルギーを生成するための材料として利用される。

 転換エネルギーってのは、宇宙船のワープ移動に利用する次元転送装置の内部タービンの潤滑剤として使われるマダロニー液の主な成分であるリビングドリームの硬化作用を抑えるために使用されるジャンボルギーニ油の主成分だ。……別に覚えなくていいけどな。

 さっき、俺の故郷の惑星じゃ半分がアマゴンの配達員をやってるって言ったけど、もう半分はアボガド農家だよ。貧乏なアボガド農家だ。

 アボガドの実は食えない果実だ。柔らかくて美味そうだが、毒がある。腹が減っても絶対に食うなよってオトナから耳にタコができるくらい言われた。時々、バカが食って本当に死んじゃうから、俺も近寄らないようにしてた。

 

『ナルワルナ星の住民はアボガドの毒に耐性があるので食べることができるが、人気はないため市場に出回ってはいない。しかし、一部の界隈ではそんな不人気のアボガドを最高級食材として珍重している』……ってのは聞いたことがあった。


 なら、どうして俺たちの故郷の奴らはみんな貧乏なんだろうな。

 俺が宇宙を飛び回って何年も働いてようやく買えた新しい銀河通信端末と同じパッケージの素材なんだぜ。

 俺の家の通り向かいの畑にはアボガドなんて山ほど生ってるけどよ、畑んとこの娘さん、風邪こじらせて死んじまったんだぞ。風邪薬を買うのもためらうくらい貧乏なんだぜ?


 大切に赤ちゃんでも包むみたいに優しく梱包されたアボガドを見てたら、そりゃ虚しくなるよ。俺はこんなもんを運ぶために宇宙に出て遭難してんだもんな。

 最近、忙しくて故郷には帰ってなかった。アボガドを見るのも久しぶりだった。こんな風に手にとってじっと見つめるなんて、ガキの頃以来じゃないかな。

 なんか虚しいだろ。

 それで、俺は決めたんだ。もーいいわ。このアボガド食って死のうって。それでいいやって。地元の名産品でもあり猛毒でもあるこの果実を食って、悶えながら死んじまおうって。

 こうなりゃ自棄やけだ。『自棄のヤンぱち日焼けの茄子なすび。色が黒くて食い付きたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たない』ってモンよ。


 俺はアボガドの黒緑の皮に爪を立てて、力任せにむしった。

 黄緑の果実が現れた。俺は躊躇なくかぶりついた。ネトっした果実は思ったより甘くはなかった。

 真ん中に卵型の大きな種があったから、それも噛み砕いた。喉に砕けた種が刺さった。蒸留酒で一気に流し込んだ。喉が燃えるように熱い。酒のせいか、アボガドの毒のせいかわからなかった。俺は更に果実にかじりつき、蒸留酒で胃の中に流し込んだ。

 結局、黒緑の皮まで平らげて、俺はあぐらをかいた。 

 毒と酔いで狂って死んでやろうと。覚悟を決めた。


 しばらく眉間に皺を寄せて腕組みをして待った。何かが起きるのを。流し込んだ蒸留酒は喉を通過し胸の奥でカッカと燃えている。酒と一緒にアボガドを食らったのは失敗だった。これが毒の効果なのか、酒の効果なのかわかりゃしねぇ。


 一つ、ゲップが出た。くらっと頭にキた。

 何か起きる前兆かと勘繰ったが何も起こらなかった。


 少しの時間が経った。やはり何も起きない。変だなと思ってると頬を風が撫でた。最初から風は吹いていた。ここに不時着した時から微風は常に吹いていた。

 それが、少し強くなったのだ。


 太陽は傾き始めていた。折れた宇宙船の影が伸び始めていた。夜が訪れたら気温はどの程度下がるだろうか。凍えて死ぬのが早いか毒が回るのが早いか。もしくはどちらでもなく、自ら光線銃を脳天に撃ち込むことになるか。

 そんなことを考えている間にも、風は徐々に強まっていく。

 広大な砂漠の砂がうねりを打ち、みるみる姿を変えていく。まるで海を眺めているようだ。傾いた太陽のそれでも強い光を浴びて輝く砂漠の砂が、風に吹かれ波立つ大海原のように蠢き始めた。

 波飛沫のように、風に弾かれた砂が顔にかかる。目を細めたその時、海原と化した砂漠の向こうに、一匹の金色のイルカが跳ねた。

 まさか。何かの見間違いかと目を凝らす。

 

「これを使った方が見やすい」


 すごく自然に隣から双眼鏡を手渡され、そのあまりにも自然すぎる声色に「ありがとう」と答えて一度レンズを覗き込んで、慌てて双眼鏡から顔を上げた。横に見知らぬ男が立っていた。


「どうした。イルカがいたんじゃないのか?」


 男は仁王立ちで腕を組み、揺れる砂の海原を楽しそうに見つめていた。


「あんた誰だ」


「俺はお前だよ。見てわかんねーのかよ」

 男はバカにした顔で笑った。その意地の汚いツラは確かに俺だった。

 どういうことだ?


 俺は混乱した。毒のせいで幻覚が見えたのかとも思ったが、同時にもう一つ、思い浮かんだ有名な学者の仮説があった。

 マリル仮説という宇宙の出口に関しての有力な学説だ。


『突発的に発生する宇宙嵐の中にはごく極めて稀に「時空の狭間」という通常なら決して触れ合うことのない異次元と折り重なることのできる地点がある』


 噛み砕くと、この宇宙の外にも無限に宇宙は存在してて、次元の狭間を使えば、違う宇宙に行けるってわけだ。マリル仮説は理論的には正しいらしいが、確かめる術がないって話だった。

 高次銀河の連中の大半が信じてるっていう仮説だから、かなり信憑性は高いと俺は思ってた。常識では考えられない現象が起きる空間が宇宙のどこかにあるってのは単純にロマンがあるしな。

 マリル仮説によると、次元の狭間は砂の海が広がる場所らしい。……ココと似てるよな。

 同じく、マリル仮説によると、次元の狭間には『並行情報集積体』ってのがいて、それに触れると次元を超越することができる、らしい。

 今見た金色のイルカがそれかもしれない。


「そういうことだ。さすが俺。よく気がついたな。お前の推理は正しい。ここは次元の狭間だ。そして、お前が波間に見た金色のイルカこそ並行情報集積体の姿だ」


 俺と同じ顔の男が唇の端を歪めて見せた。自分の顔だからこそ、腹立たしい。まあ、だが、ここが本当に『次元の狭間』ならば、別の宇宙の俺がこの俺と同じように迷い込んでいたって不思議はない。ここでは常識は何も通じないはずなのだ。


「その通り。では話を進めよう。ここでの選択肢は二つだ。並行情報集積体を追うか、酒を食らって野垂れ死ぬかだ」


 男が俺を見た。


「イルカを追うに決まってんだろ。死ぬのはその後だ」


「よかろう。お前の言葉が俺の力になる。こうしてね」


 男が満足そうに頷いて右手を上げた。すると、それを合図に地面がズズズと盛り上がった。俺のそばから勢いよく何か突起物が生えてきた。帆柱だった。横からは船首が生えてきた。バシャンと波飛沫……いや、砂だから砂飛沫か、が上がって、姿をあらわしたのは金色の帆船だった。スピードの出そうな小型の帆船。

 尻餅をついた俺は甲板の上だった。


「さあ、金色イルカを追うぞ!」


 俺の顔をした男は迫り上がった船橋で舵輪ハンドルを握っていた。

 金色のマストがはためき、金色の帆船が砂の海を滑り出した。

 二つに折れ大地に突き刺さった俺の宇宙船が地平の彼方、砂の波の揺れ間の向こうに遠ざかっていった。


 砂漠を泳ぐ金色の帆船。現実離れした光景に俺も興奮していた。

 風は心地よい。帆に風を孕ませ船はどこまでも進んでいく。


「どうだ。何か見えるか?」


 男は舵輪を握り、俺は双眼鏡を持ち砂の海を見つめた。遠くに何かが跳ねるのが見えた。双眼鏡を構え目を凝らす。

 レンズに写ったのは間違いなく金色イルカだった。


「いたぞ」と砂の海を指差して叫んだ。


「よし、取り舵いっぱい!」男は嬉しそうに舵輪を回した。


 俺たちとイルカの追いかけっこが始まった。

 マリル仮説によると世界を作り変えるには並行情報集積体にちょびっと触れるだけでいいそうだ。それだけで次元の扉は開き、無限にある並行世界が目の前に現れる。その中から自分の望む世界を選んで飛び込めば、その宇宙に行けるってわけだ。砂漠の星で野垂れ死ぬと覚悟を決めていたが、大逆転のチャンスなのだ。


 船は風を受け進む。イルカは神出鬼没だった。1時の方向で跳ねたかと思えば、7時の方向で砂飛沫を上げる。

 しばらくやってると俺はあることに気づいた。イルカは一匹だけじゃないんだ。

 この砂の大海原には何匹も金色イルカがいて、それがあっちで跳ね、こっちで跳ね、時には群れを成して移動したりしてんだ。


「宇宙は無限にあるからな。並行情報集積体も無限に存在するのだ」


 俺の顔を持つ男は偉そうに言った。


 無限にいるならすぐに捕まえられそうだが、そう簡単ではなかった。遠くで跳ねるイルカは近づくと姿を現さない。運よく近くに現れても、反射神経が違うんだよな。

 俺が砂の海に飛び込んで手を伸ばしても、ヒョイッと身を翻して簡単に避けて、スイスイ泳いで逃げてっちまう。何度も飛び込んだり、待ち伏せしたりしたがダメ。

 船を降りて砂の海を泳いで、船と二手に分かれて追い込もうとかもしてみたけど、効果なし。

 どのくらいやってただろうな。一向に埒があかねえわけだ。太陽は天をぐるぐる回ってるだけでいつまで経っても沈む様子はない。砂に塗れながら、俺はイルカを追いかけ回した。体力が尽きるまで。……で、力尽きた。 


 俺は疲れ果てて帆船の甲板に大の字に倒れ込んだ。全身から汗が噴き出していた。砂の海とはいえ、何度も飛び込んだので全身ボロボロだ。


 俺の顔を持つ男が船橋から降りてきて俺に影を落とした。


「どうした? 諦めるのか? 確かにあの素早いイルカに触れることは困難だ。何度やっても万に一つの可能性もないかもしれない。だが、諦めない限りゼロではない。しかし、今ここで諦めたら可能性はゼロになる。諦めたらそこで終わりだ」


 俺は膨らんだり萎んだりして必死に酸素を取り入れようとしている自分の胸が落ち着くまで待ってから、男を睨みつけて答えた。


「うるせえ。諦めるわ。身の丈くらいわかる。ありゃ無理だ。とてもじゃないが触れねえ。無理なもんは無理だ。俺の船に戻って酒飲んで野垂れ死ぬ方がよっぽど清々しい」


 叫んで天を仰いだ。


「……なんて奴だ。本当にそれで良いのか? 努力をつづければ、いつか願いは叶うかもしれないのぞ」


「そういうの大っ嫌いだ。こんなの努力でもなんでもねえ。ただのギャンブルだろ。俺はギャンブルはやらねえ主義だ。だから、アマゴンの配達員なんか、やってたんだ。底辺て言われる仕事だけどな。俺の人生は幸せだった。文句はねえ。さあ、俺の船のところに返してくれ」


 俺の顔をした男は、俺の言葉を信用していないのか、俺が口を閉じても、黙って俺の顔を見てきた。

 むしゃくしゃしてたから俺も黙ってその目を見つめ返した。じっと。ずっと。


 すると、「わかったよ」と、俺の顔をした男は表情を崩して、呆れたように笑って、俺の手を取り起き上がらせた。


「お前は俺だからな。諦めそうだなって最初から思っていたんだぞ、ハハ。だが、そういう奴のところに幸運が舞い込むこともある」


 砂飛沫が上がり、船の真横から一匹の金色イルカが飛び上がった。

 太陽を浴びてキラキラと光るその滑らかな流線形の体は空を舞い、甲板の上に着地した。

 金色イルカはゴムを擦ったような鳴き声をあげて、頭部を左右に揺すり、俺を見た。


「追いかけると逃げる。諦めると現れる。こいつらも天邪鬼な奴らなのさ。さあ、再び質問だ。どうする? 触れるか? 自分の船に戻るか?」


 そんなのは愚問中の愚問だ。できねえから諦めただけで、できるならやるに決まってるだろ。


 俺の腕を掴んでいた男の手を振り解き、よろめきながらイルカに近づいた。イルカは俺から目を逸らさず、キューキューと鳴きながら胸ヒレをばたつかせてにじり寄ってきた。イルカも俺に触れられたい様子だった。


 俺の後ろで、俺の顔した男が何か呟いた。

 たぶん、気障ったらしく「良き旅を……」とかなんとか言ったんじゃないかな。


 俺は振り返らずに、イルカの前にしゃがんで、ぱちくりしてる瞳と目を合わせてから、その丸っこい頭に触れた。


 イルカの身体は空中に浮かぶ水たまりみたいで、触れようと伸ばした手は、なんの抵抗も感じることもなくに、イルカの頭の中にあっけなく吸い込まれ。


 その瞬間、世界がひっくり返った。

 立ちくらみの強烈なヤツ。視界がふわって白くなったかと思ったら、次の瞬間、俺の体は蒼い海の中だった。流れの緩やかな温かな海の中で俺は揺られていたんだ。


 水中特有の耳が塞がったあのぼんやりした感覚をどっか懐かしく思いながら、俺はその蒼い海中に漂っていた。水中だが息苦しさはなかった。呼吸が必要なかったんだ。不安は無かった。むしろ心地よさがあった。銭湯とかに行って、ちょっとぬるめのお湯の風呂にのんびり入ってるような、リラックスした気持ちだった。


 海底は見えず、真っ暗な闇が広がっていたけど、顔を上げれば海面が遠くに見えて、太陽の光がキラキラ降り注いでいた。綺麗だった。


 俺は次元を超えたのか?


 砂漠の惑星よりも心地よい空間ではあるが、俺はどうなるんだ?

 なにをするわけでもなく、しばらく流れに身を任せ漂っていると、向こうの方にプクプクと泡が浮かんでくる場所があることに気がついた。周りには、そのほかに目立ったものはなかったので、とりあえずその泡が浮き上がる場所へ近づいてみた。


 泡はピンポン玉くらいの大きさで、ぽんぽんと真っ暗な海底から浮き上がってきていた。間近で見ると半透明な泡は一つ一つが微妙に違う色をしていた。


 俺は浮かび上がってくる泡に顔を近づけてみた。その泡はそれぞれ全く形状の異なる不思議な模様をしていた。


 マリル仮説では次元の狭間の向こう側のことについては詳しく書かれていないらしい。無限に存在する別の宇宙に続くドアがある。とだけ記載されているようだ。


 だから、ただの直感でしかないのだが、この無限に湧き出す泡が、その扉なのだと俺は思った。

 目を凝らして泡を見つめると、脳裏にその宇宙の風景が浮かび上がった。どの宇宙にも俺がいた。並行世界の俺がいた。どうやら、ここに湧き出す泡は、俺が存在する宇宙ばかりみたいだ。

 やはり、この泡は無限に存在する宇宙そのものなのだ。確信があった。

 この泡のどれかひとつを選んで触れれば、俺はその宇宙に吸い込まれるのだ。


 俺は自分が選ぶべき宇宙を求めて目を凝らした。色々な宇宙の俺が脳裏に浮かび上がった。


 アマゴンの配達員にならなかったけど、貧乏な俺。

 一念発起して独立した事業が当たって大金持ちになってはいるが、あまり幸せそうでない俺。

 素敵な奥さんがいる俺。

 事故に遭って呼吸器なしでは生きられない俺。

 いろんな俺の姿が泡の中に浮かんだ。時々、俺が存在しない、全く異なる宇宙の風景が浮かび上がることもあったが、それは稀だった。

 俺がいない宇宙は、銀河に進出することが困難なほど低い知能の生命体しか育たなかった宇宙だったり、そもそもちゃんと宇宙として成り立ってない出来損ないの暗闇だったりした。

 どの泡に触れようか、俺は悩んだ。一瞬で決断しないとその宇宙を写す泡は海面に昇っていき、消えてしまう。

 できるだけ良い世界に行きたい。楽して金持ちになれて、モテて、人気者になれる宇宙だ。

 そう思って泡をギラギラした目で見つめてたんだけど、どの宇宙にいる俺もなんか違う気がした。

 別に俺は俺が嫌になったから世界を変えようとしたわけじゃない。巻き込まれただけだ。

 それに、こんなに目を血走らせて得するために考えるなんか俺らしくもねーなって思った。


 諦めたから得たチャンスなんだ。何も考えずに選ぼう。運命なんて知らねえけど、こっちのが性に合ってる。そう思って、肩の力を抜いた。

 目を瞑って手を伸ばす。そっと伸ばした指先が一つの泡に触れた。頭の中にその宇宙の光景が広がった。

 俺と同じような二本の腕と二本の脚をもち、瞳は二つ。脳味噌の容量が少なく、効率的に動かせる要領の良さもないヘンテコな知的生命体が溢れんばかりにいるヘンな星だった。頭の中に光景が広がるのと同時に、体が水に溶けていくような不思議な感覚が体を支配した。自我境界線が崩れ落ち、俺は宇宙に溶けた。

 

 次の瞬間、頬にバチッという刺激が走った。


「冷たっ!」


 頬の冷たさに目が覚めた。

 教室がざわざわしていた。

 いつの間にか昼休みになっていたみたいだ。


「爆睡だったねー」


 冷たいジュースの缶で私を起こしたマリが前の席に後ろ向きで座った。マリは私の机の上にコンビニ袋を乗せて、その中からサンドイッチを掴んだ。

 マリの家は共働きでお弁当の代わりに毎日千円札を渡されるらしい。少し羨ましい。


「変な夢、見たよな気がする」


 私は重たい瞼を擦ると、窓の外を見た。私は窓側の席なので退屈な授業の時はいっつも外ばかり見てる。

 昼休みが始まったばかりで、校庭には誰もいなかった。太陽で熱せられた校庭は、まるでアラビアンナイトの砂漠のようだった。


「どんな夢?」


「えっとね。確か……」


 思い出そうとした瞬間。強風が吹き込んできた。教室のカーテンが捲れ、数名の生徒が悲鳴を上げた。

 私はちょうど校庭をぼーっと眺めていたから、その瞬間を見た。

 校庭の砂が風に煽られた一瞬、波のようにうねりを打つのを見た。

 まるで砂の海みたい。そんなことが頭によぎった瞬間、校庭の真ん中で金色のイルカが跳ねた。地面から現れた金色のイルカは流線型の体を煌かせ、宙を舞うと、砂埃を水飛沫のように上げて地中に消えた。


「え!? 今!?」


 思わず叫ぶが、そんなはずはない。

 目を凝らしてみても、当たり前だが、校庭は静かなものだ。風は止み、校庭の砂はただ白いだけだった。


「どしたん」


 寝ぼけてたのか?

 キョトンとして私の顔を覗き込んでいるマリに「なんでもない」と謝って、カバンの中からお弁当を出した。


「で、夢の話は?」


「……あ、今ので忘れちゃった。なんだっけな。アボガドを食べてる場面だけは覚えてるんだけど」


「アボカドね。私んち、全然アボカド食卓に出てこないな」


 サンドイッチを頬張りながらマリは言った。


「私もあんま食べない。お父さんが晩酌するときに、醤油かけてお刺身みたいして食べたりしてるから時々もらったりはするけど、なんか良さはよくわかんないな」


「え、醤油? アボカドってフルーツじゃないの?」


「まあ、サラダに乗せたりもするからフルーツ扱いなんじゃない?」


「フルーツに醤油かけるってやばくない?」


「確かに、そんなフルーツ他にないかも。でも、逆にマリはどうやって食べるの? アボガドってまったりしてるけど、甘くもないし、どう食べていいかわからなくない?」


「そねー。家族旅行で言ったどっかの朝バイキングで、アボカドの種をくり抜いて出来たくぼみに、たっぷり砂糖入れて、そんでレモンを絞ってスプーンで食べる。ってのやったことあるけど、あとはやっぱサラダくらいしか思いつかないな」


「え、アボガドにレモンかけるの? レモンかけるフルーツなんて他になさそうだね」


「確かに。……ってか、さっきからあんた、アボガドって言ってるけど、濁らないよ。アボカドだよ」


「え?」


「ア・ボ・カ・ド! 濁らない!」




 終




 


  


 





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