第六話
週が明け、
後頭部の一つ結びに繋がるように揺れている三つ編みには赤いリボンが編み込まれ、彼にとっては迷惑なほどに存在感を放っている。女子に間違われることは無いだろうが、視線が
「よーっす伊織! 何か今日はオシャレしてんなー?」
「・・・・・・
既に疲弊した様子の伊織に、積樹は心配そうな表情をするが、今の彼にそちらを
普段よりも
「え、何・・・・・・?」
それを
「おはようございます、木戸くん」
「ああ、おはよ、う──!?」
猫を被って微笑む彼女を見て、伊織は声が出なくなった。
彼女は普段とは異なり、横髪の一部を三つ編みに結び、それを後ろでハーフアップにしていた。おまけに、その髪にはリボンが編み込まれている。伊織が付けているものとよく似ている──というか、全く同じ赤いリボン。ご丁寧に三つ編みの位置まで伊織と一緒なのだからタチが悪い。
朝、見送った際には普段と同じ髪型だった。彼を驚かせるために、
「あら、奇遇ですね。木戸くんも三つ編みなんですか」
「・・・・・・ハイ」
「こんな偶然、あるんですね・・・・・・。
あ、私、明日も同じ髪型にしようと思ってるんです。その、もしお嫌でしたら、言ってくださいね?」
「・・・・・・・・・・・・ハイ」
申し訳なさそうにしている百姫だが、内心では
「お、おはようございます
自分の机に鞄を置いてきた積樹が、伊織の席にやって来る。そして、百姫に挨拶するも、彼女の髪型を目にするなり勢いが無くなっていき、伊織と彼女を交互に見やる。
「おはようございます、
髪型を褒めてくださって、ありがとうございます。偶然、木戸くんと被ってしまったのですが・・・・・・」
あくまで偶然というスタンスを崩さない百姫に、積樹も困惑した様子で伊織へ耳打ちする。
「なー、今の東雲さん、どうにか写真に残せないかな?」
「知らねぇよ・・・・・・」
本当に偶然か? といった言葉を想定していた伊織は、脱力しながら雑に答えた。彼の関心は、普段とは違う姿の百姫へと向かっているらしい。
「でも髪型
「それは意図して合わせるヤツだろ。
伊織の言葉に、「それもそうだよなー」と積樹も頷いた。そして、再び伊織と百姫を見比べて言う。
「でも、伊織と東雲さんって割と似てるよな? 双子ってほどじゃ無いけど・・・・・・」
学校では常に浮かべている微笑みによって目立っていないが、百姫も伊織と同じように瞳は切れ長だ。髪の色も、二人とも夜のように真っ黒で、質感も癖の無いストレート。確かに共通点は多かった。
「ふふふ、似てるらしいですよ、私たち」
「・・・・・・髪型が同じだから、そう見えるだけじゃないのか?」
目に見えて上機嫌になる百姫から目を逸らし、伊織はそう言った。今の百姫は、ペットが似てきていると言われて喜んでいる飼い主にしか見えない。
「そうかー?」
「あ、やっべ」
「ほら、自分の席
伊織に急かされ、机へと戻っていく積樹。その背中を見送って、伊織は一つ溜め息をついた。
彼は
伊織は隣からの
昼休み。未だに弁当抜きが継続中の伊織は、朝の時間を百姫による髪型のセットに使われたため弁当を用意できず、食堂へと向かうことになった。
「あら、木戸くんも食堂ですか? 私もなんです。良かったら、ご一緒にどうでしょう?」
席を立つなり、
「・・・・・・東雲、普段、お弁当じゃなかったか?」
「実は、家の者が寝坊してしまって。自分で作れれば良かったのですが、時間が足りず・・・・・・」
恥じるように微笑む百姫。だが伊織は知っている。今日の弁当当番である
「わかった。ならさっさと行こう、席が埋まる」
「そんなに
諦めた伊織と、緊張した
予想通り食堂は混雑していて、テーブル席に空きは殆ど無い。以前と同じようにカウンター席に座ろうとした伊織だったが、それを
「あ、東雲ちゃーん! 木戸くーん! こっちですよー!」
「・・・・・・マジか」
聞き覚えのある声に振り返ると、コスプレ研究会の部長である
「東雲、もしかしなくてもお前だよな?」
「はい、事前に
「・・・・・・その、『事前に』っていうのは、いつ頃だ?」
「秘密です」
ニコリと綺麗な笑顔を見せる百姫。少なくとも、教室を出てからここに来るまでに彼女はスマホに触っていない。伊織は背筋に冷たいものを感じて、考えるのを
ともあれ、席に座ることにする。百姫は陽咲の正面の椅子を引き、伊織は少し迷ってからその隣の席へ手をかける。
「ありがとうございます、羽鳥先輩。席を取っておいてくださって」
「いえいえ、礼には及びませんよー!
木戸くんもどうぞー、なんならウチの隣、に・・・・・・」
そこまで言って、陽咲は口を開けたまま動きを
「え、お揃いですか二人とも!? 可愛いー!!」
「ええ。偶然、似た髪型になってしまいまして」
「偶然なんですか! 凄い、そんなことあるんですかー!」
「おや、木戸くんじゃないか。それに、羽鳥くんに、東雲くん、だったかな?」
「先日ぶりですね、
百姫が挨拶を返したのは、占い研究会の部長である八月朔日
「もし良ければ、私もご一緒したいのだが、どうだろう?」
「私たちは構いませんよ。ね、木戸くん?」
「・・・・・・ハイ」
百姫からは有無を言わさぬ笑顔を、風鈴からは余裕そうな笑みを、陽咲からは不満そうな瞳を向けられる。三者三様の表情に居たたまれなくなった伊織は、昼食を購入するべく立ち上がった。ちょうど彼の正面に座ったところだった風鈴が、少し残念そうな顔をする。
「俺、お昼
「では、木戸くんのお勧めを。料金は後で払いますので」
「わかった」
そう言って席を立った伊織だったが、焦る余り執事としての癖が出てしまったことに気づき、冷や汗を流した。今のやり取りだけを見れば、百姫とはかなり親しいように見られてしまうだろう。そんな彼を見て楽しんでいるのか、百姫はいつもより笑顔に見えた。
伊織の居なくなったテーブルで、風鈴は百姫へ視線を向ける。その表情に宿るのは、訝しみだ。
「それで、東雲くん。その髪型は、何かの当てつけかい?」
「朝、教室で会ったら、偶然
「偶然、ねぇ・・・・・・なるほど、そうだとしたら確かに凄い偶然だ。
納得した様子のない風鈴だったが、まるで表情を変えない百姫に追及は無駄だと悟ったのか、それとも食事が
「何でそんなに東雲ちゃんを疑うんですかー、八月朔日先輩。こんなにいい後輩ちゃんなのに」
彼女のそんな態度が不服なのか、陽咲がジトッとした目で風鈴を見る。彼女の昼食は、涼しげなざる
「いやなに、前の彼女の占い結果が気になってね。東雲くんは独占欲が強い、という結果が」
「占いは占いですよー、それが何だって言うんですか。
本気で信じても、良いこと無いですしー」
何か苦い思い出でもあるのか、陽咲はぶーたれて蕎麦をすする。二人の食事を見て自分が思ったより空腹なことを自覚した百姫は、笑顔の裏で伊織への小言を浮かべていた。
「それもそうだね。ま、私が気になったってだけさ。すまないね」
「いえ、お気になさらず。私は今週中はこの髪型で居るつもりですけど、木戸くんも嫌だったら変えてくるでしょうし」
自分の課した罰によってそうはならないと百姫は知っているが故の発言だ。これで二人には、伊織がお揃いを嫌がっていないように見えるだろう。風鈴は疑うかもしれないが、彼女にとっては牽制になるだけで十分だった。
「・・・・・・なるほど。彼の女難の相がどういうものか、少しわかった気がするよ」
「何ですか、それ? また占いですかー?」
風鈴の言葉に、陽咲の目付きが
そんな雰囲気を
「お待たせ。東雲、どっちが良い?」
偶然とは言えタイミングの良さに三人から視線を向けられた彼は、両手にトレイにそれぞれ異なる料理を乗せていた。
「俺も食堂そんなに使ったことないから、取り敢えずAセットとBセットにしてみた」
「なるほど。でしたらAセットを頂きますね」
そう言う百姫に、伊織は慣れた手付きでトレイを置くと、自分も席に座った。そして、前方の二人の先輩から向けられた視線に気付く。
「・・・・・・? 何ですか?」
「いやなに、
「すっごい
「ダメです」
今度こそはと意気込む陽咲に、百姫は即座に否定をぶつける。
「なんでダメなんですかー!? 絶対似合うのに!」
「ごめんなさい、ダメなものはダメなんです」
「ぇふっ・・・・・・」
既視感のあるやり取りに、思わず伊織は
「ところで木戸くん。キミはどうして三つ編みにしているんだい? 何か理由が無ければ、髪型を変えたりしないだろう?」
「あ、それ私も気になってました! 何かあったんですか?」
「・・・・・・えっと、ですね」
伊織は言葉に詰まる。隣に居る人が原因です、とは口が裂けても言えない。それを察しているのだろう。百姫も愉しそうに笑って伊織を見ていた。
「その。家族に、こうしろと、言われまして」
ギリギリ嘘では無い、はずだ。『家族』の範囲は人それぞれで、一緒に住んでいる人を血が繋がっていなくとも『家族』と呼ぶ人は居る。
「ほう? 誰に言われたんだい?」
「えっと、実は、妹が居まして・・・・・・」
こちらも、嘘ではない。妹が居るのは本当だ。
「妹さんですか!? 今度
「へぇ・・・・・・妹、ですか。姉ではなく」
突然、横からの視線が強くなり、伊織は失敗を察した。振り返ることはとても出来ず、少しだけチラリと確認すると、とてつもない威圧感を持った笑みを浮かべている百姫が居た。目を逸らす。しかし、彼女の居る方向からジリジリとプレッシャーだけは感じてしまう。
伊織の学食は、またも味のしないものとなった。
その日の夜。百姫に呼び出され、伊織は
「さっさと入りなさい」
「・・・・・・畏まりました。失礼します」
覚悟を決めて扉を開けると、
「妹・・・・・・妹ねぇ。私、そんな風に見られていたのかしら」
「いえ。そのような事は、決して、」
「それとも何かしら。アナタの方が
面倒なことになった、と伊織は身を縮める。
百姫の数少ないコンプレックス、それが伊織より誕生日が二日遅いことだった。彼の誕生日が四月二十四日なのに対して、彼女は二十六日なのだ。自分の方が目上なのに、同年代で、
「アナタって、時々そういう風に年上面するわよね・・・・・・私のこと、子供だと思ってるの?」
「お嬢様、アレはあの場を収めるためにですね・・・・・・」
「なら姉でも良いじゃない!?」
その場しのぎの嘘ならばそれで良いのだが、伊織はなるべく嘘を付きたくない。居ない者は言えないのだ。
「全然、気にしてないけど! 私は全ッ然、気にしてないけど、そういう態度は
「はい、申し訳ありません。
「えぇ、そうして頂戴。
それから。それとは全く関係ないのだけど、ストレス溜まってるからゲームに付き合いなさい、一晩中。
・・・・・・もし寝落ちでもしたら、無理矢理
以前、徐々に慣らしていくという話があったはずなのだが、怒り
「ちょっと。なに勝手にベッドに座ろうとしているのかしら。
アナタは床よ床。クッションだって使わせないわ。
私、お嬢様! アナタ、執事! 当然よね?」
「・・・・・・
反論も睡眠も何もかもを諦めた伊織は、ただ頷いて床にあぐらをかく。すると、ゲシゲシと百姫が軽く蹴ってきた。
「なに楽な姿勢になってるの。従者は正座に決まってるでしょう?」
「・・・・・・はい。
伊織が座り直すと、満足したのか彼女は伊織の両肩へと足をそれぞれ乗せてくる。どうやら、彼を足置きにすると共に正座の痛みを増やすつもりらしい。
「ほら、さっさとキャラを選びなさい。今日はコテンパンに、徹底的に、アナタをボコボコにするんだから」
もう既に心がボコボコです、とは言えず、伊織は死んだ瞳でゲーム画面へと向き直った。当然のように、翌日の体調は最悪なことになった。
執事くんは女難の相 高々鷹々 @takamegane
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