第六話

 週が明け、伊織いおりは自分の髪を気にしながら登校していた。理由は勿論、百姫ゆきによってセットされたからだ。先日のメイド姿の影響もあってか、ツインテールにしようとする百姫に懇願こんがんし、どうにか普段に近い外見に収まった髪型は、それでも道行く人々の視線を集めに集めていた。

 後頭部の一つ結びに繋がるように揺れている三つ編みには赤いリボンが編み込まれ、彼にとっては迷惑なほどに存在感を放っている。女子に間違われることは無いだろうが、視線が鬱陶うっとうしかった。

「よーっす伊織! 何か今日はオシャレしてんなー?」

「・・・・・・積樹つみき。それについてはれないでくれ」

 既に疲弊した様子の伊織に、積樹は心配そうな表情をするが、今の彼にそちらを気遣きづかう余裕は無い。

 普段よりも口数くちかず少なく雑談しながら登校し、教室に入ると、やはり伊織に視線が集まる。特に女子からはキャーキャーと黄色い声も上がっていた。

「え、何・・・・・・?」

 それをいぶかしみつつ自分の席へ向かう。荷物を置いたところで、隣の席の百姫が挨拶をしてきた。

「おはようございます、木戸くん」

「ああ、おはよ、う──!?」

 猫を被って微笑む彼女を見て、伊織は声が出なくなった。

 彼女は普段とは異なり、横髪の一部を三つ編みに結び、それを後ろでハーフアップにしていた。おまけに、その髪にはリボンが編み込まれている。伊織が付けているものとよく似ている──というか、全く同じ赤いリボン。ご丁寧に三つ編みの位置まで伊織と一緒なのだからタチが悪い。

 朝、見送った際には普段と同じ髪型だった。彼を驚かせるために、態々わざわざ送迎の車の中で結んで来たのだろうか。

「あら、奇遇ですね。木戸くんも三つ編みなんですか」

「・・・・・・ハイ」

「こんな偶然、あるんですね・・・・・・。

 あ、私、明日も同じ髪型にしようと思ってるんです。その、もしお嫌でしたら、言ってくださいね?」

「・・・・・・・・・・・・ハイ」

 申し訳なさそうにしている百姫だが、内心では愉悦ゆえつの表情で笑っているに違いない。伊織の気分はだだ下がりだ。明日も、というより今週はずっとこのお揃いの髪型にさせられるのだろう。そして従者である伊織が百姫に嫌と言えるはずもなく、彼はうなれることしか出来なかった。

「お、おはようございます東雲しののめさん! 今日の髪型も素敵です、ね・・・・・・」

 自分の机に鞄を置いてきた積樹が、伊織の席にやって来る。そして、百姫に挨拶するも、彼女の髪型を目にするなり勢いが無くなっていき、伊織と彼女を交互に見やる。

「おはようございます、三和みわくん。

 髪型を褒めてくださって、ありがとうございます。、木戸くんと被ってしまったのですが・・・・・・」

 あくまで偶然というスタンスを崩さない百姫に、積樹も困惑した様子で伊織へ耳打ちする。

「なー、今の東雲さん、どうにか写真に残せないかな?」

「知らねぇよ・・・・・・」

 本当に偶然か? といった言葉を想定していた伊織は、脱力しながら雑に答えた。彼の関心は、普段とは違う姿の百姫へと向かっているらしい。

「でも髪型かぶることって本当にあるんだなー。あれか? 最近流行りの双子コーデみたいな」

「それは意図して合わせるヤツだろ。偶々たまたま同じだっただけで双子にされても困る」

 伊織の言葉に、「それもそうだよなー」と積樹も頷いた。そして、再び伊織と百姫を見比べて言う。

「でも、伊織と東雲さんって割と似てるよな? 双子ってほどじゃ無いけど・・・・・・」

 学校では常に浮かべている微笑みによって目立っていないが、百姫も伊織と同じように瞳は切れ長だ。髪の色も、二人とも夜のように真っ黒で、質感も癖の無いストレート。確かに共通点は多かった。

「ふふふ、似てるらしいですよ、私たち」

「・・・・・・髪型が同じだから、そう見えるだけじゃないのか?」

 目に見えて上機嫌になる百姫から目を逸らし、伊織はそう言った。今の百姫は、ペットが似てきていると言われて喜んでいる飼い主にしか見えない。

「そうかー?」

 に落ちない様子の積樹だったが、丁度その時チャイムがホームルーム開始を告げた。

「あ、やっべ」

「ほら、自分の席もどれ」

 伊織に急かされ、机へと戻っていく積樹。その背中を見送って、伊織は一つ溜め息をついた。

 彼は百姫の指示で、その長髪に色んなケアをしていた。それらは百姫から教えられたものであり、彼女も同じ事をしていても不思議ではない。そういった部分から、自分たちが同じ屋敷に住んでいることや、自分が彼女の執事であることが露呈ろていしては困るのだ。学校でまで百姫の我が儘に振り回されるような事態は勘弁かんべん被りたい。

 伊織は隣からのたのな視線を意識しないようにして、教壇へと向き直った。


 昼休み。未だに弁当抜きが継続中の伊織は、朝の時間を百姫による髪型のセットに使われたため弁当を用意できず、食堂へと向かうことになった。

「あら、木戸くんも食堂ですか? 私もなんです。良かったら、ご一緒にどうでしょう?」

 席を立つなり、見計みはからったかのように百姫が声をかけてきた。思わず伊織は身体の動きを止める。

「・・・・・・東雲、普段、お弁当じゃなかったか?」

「実は、家の者が寝坊してしまって。自分で作れれば良かったのですが、時間が足りず・・・・・・」

 恥じるように微笑む百姫。だが伊織は知っている。今日の弁当当番である永美えいみはちゃんと起床していたし、弁当も作っていた。なんなら、彼女は伊織の見ている目の前で鞄に弁当を入れている。つまり、学食でもこのそろいの髪型を見せつけるつもりなのだろう。意図を察した伊織は渋面を作るも、彼に拒否をするという選択は無い。いや、出来るのだろうが、百姫に言い負かされる未来は見えていた。

「わかった。ならさっさと行こう、席が埋まる」

「そんなに盛況せいきょうなんですね、学食って。私、初めて行きます」

 諦めた伊織と、緊張したおもちの百姫は連れ立って食堂へと向かう。

 予想通り食堂は混雑していて、テーブル席に空きは殆ど無い。以前と同じようにカウンター席に座ろうとした伊織だったが、それをさえぎる声があった。

「あ、東雲ちゃーん! 木戸くーん! こっちですよー!」

「・・・・・・マジか」

 聞き覚えのある声に振り返ると、コスプレ研究会の部長である陽咲ひさきが、四人がけのテーブル席の一つに座ってこちらへ手をブンブン振っていた。

「東雲、もしかしなくてもお前だよな?」

「はい、事前に羽鳥はとり先輩に連絡しておいたのは私ですけど・・・・・・何か問題がありましたか?」

「・・・・・・その、『事前に』っていうのは、いつ頃だ?」

「秘密です」

 ニコリと綺麗な笑顔を見せる百姫。少なくとも、教室を出てからここに来るまでに彼女はスマホに触っていない。伊織は背筋に冷たいものを感じて、考えるのをめた。

 ともあれ、席に座ることにする。百姫は陽咲の正面の椅子を引き、伊織は少し迷ってからその隣の席へ手をかける。

「ありがとうございます、羽鳥先輩。席を取っておいてくださって」

「いえいえ、礼には及びませんよー!

 木戸くんもどうぞー、なんならウチの隣、に・・・・・・」

 そこまで言って、陽咲は口を開けたまま動きをめ、いで二人を交互に見る。その動作に、伊織は既視感を覚えた。

「え、お揃いですか二人とも!? 可愛いー!!」

「ええ。偶然、似た髪型になってしまいまして」

「偶然なんですか! 凄い、そんなことあるんですかー!」

 微塵みじんも疑う様子のない陽咲に、伊織は苦笑することしか出来ない。先程から、嫌な予感が止まらないのだ。そして、それは的中することになる。

「おや、木戸くんじゃないか。それに、羽鳥くんに、東雲くん、だったかな?」

「先日ぶりですね、八月朔日ほづみ先輩。部活動見学では、お世話になりました」

 百姫が挨拶を返したのは、占い研究会の部長である八月朔日風鈴かりんだ。ちょうど買ってきたのか、手にしたトレイには湯気の立ったうどんが乗っている。

「もし良ければ、私もご一緒したいのだが、どうだろう?」

「私たちは構いませんよ。ね、木戸くん?」

「・・・・・・ハイ」

 百姫からは有無を言わさぬ笑顔を、風鈴からは余裕そうな笑みを、陽咲からは不満そうな瞳を向けられる。三者三様の表情に居たたまれなくなった伊織は、昼食を購入するべく立ち上がった。ちょうど彼の正面に座ったところだった風鈴が、少し残念そうな顔をする。

「俺、お昼って来ますね。東雲、何がいい?」

「では、木戸くんのお勧めを。料金は後で払いますので」

「わかった」

 そう言って席を立った伊織だったが、焦る余り執事としての癖が出てしまったことに気づき、冷や汗を流した。今のやり取りだけを見れば、百姫とはかなり親しいように見られてしまうだろう。そんな彼を見て楽しんでいるのか、百姫はいつもより笑顔に見えた。


 伊織の居なくなったテーブルで、風鈴は百姫へ視線を向ける。その表情に宿るのは、訝しみだ。

「それで、東雲くん。その髪型は、何かの当てつけかい?」

「朝、教室で会ったら、偶然た髪型だったんです。私も驚きました」

「偶然、ねぇ・・・・・・なるほど、そうだとしたら確かに凄い偶然だ。他者ひとに見せたくなるのもわかる」

 納得した様子のない風鈴だったが、まるで表情を変えない百姫に追及は無駄だと悟ったのか、それとも食事がめるのを嫌ったのか、うどんに手を付け始める。

「何でそんなに東雲ちゃんを疑うんですかー、八月朔日先輩。こんなにいい後輩ちゃんなのに」

 彼女のそんな態度が不服なのか、陽咲がジトッとした目で風鈴を見る。彼女の昼食は、涼しげなざる蕎麦そばだ。

「いやなに、前の彼女の占い結果が気になってね。東雲くんは独占欲が強い、という結果が」

「占いは占いですよー、それが何だって言うんですか。

 本気で信じても、良いこと無いですしー」

 何か苦い思い出でもあるのか、陽咲はぶーたれて蕎麦をすする。二人の食事を見て自分が思ったより空腹なことを自覚した百姫は、笑顔の裏で伊織への小言を浮かべていた。

「それもそうだね。ま、私が気になったってだけさ。すまないね」

「いえ、お気になさらず。私は今週中はこの髪型で居るつもりですけど、木戸くんも嫌だったら変えてくるでしょうし」

 自分の課した罰によってそうはならないと百姫は知っているが故の発言だ。これで二人には、伊織がお揃いを嫌がっていないように見えるだろう。風鈴は疑うかもしれないが、彼女にとっては牽制になるだけで十分だった。

「・・・・・・なるほど。彼の女難の相がどういうものか、少しわかった気がするよ」

「何ですか、それ? また占いですかー?」

 風鈴の言葉に、陽咲の目付きが剣呑けんのんになる。どうやら二人は、伊織が絡まなくても相性が悪いようだ。

 そんな雰囲気をさえぎるように、両手にトレイを持った伊織が戻ってくる。

「お待たせ。東雲、どっちが良い?」

 偶然とは言えタイミングの良さに三人から視線を向けられた彼は、両手にトレイにそれぞれ異なる料理を乗せていた。

「俺も食堂そんなに使ったことないから、取り敢えずAセットとBセットにしてみた」

「なるほど。でしたらAセットを頂きますね」

 そう言う百姫に、伊織は慣れた手付きでトレイを置くと、自分も席に座った。そして、前方の二人の先輩から向けられた視線に気付く。

「・・・・・・? 何ですか?」

「いやなに、随分ずいぶんと手慣れた様子だったので、ついね」

「すっごいさまになってましたよ、木戸くん! やっぱり執事コスプレしましょうよー!」

「ダメです」

 今度こそはと意気込む陽咲に、百姫は即座に否定をぶつける。

「なんでダメなんですかー!? 絶対似合うのに!」

「ごめんなさい、ダメなものはダメなんです」

「ぇふっ・・・・・・」

 既視感のあるやり取りに、思わず伊織はせてしまった。目線の先で、風鈴が小さく笑っている。

 一頻ひとしきり笑って、風鈴は伊織へ話題を振った。

「ところで木戸くん。キミはどうして三つ編みにしているんだい? 何か理由が無ければ、髪型を変えたりしないだろう?」

「あ、それ私も気になってました! 何かあったんですか?」

「・・・・・・えっと、ですね」

 伊織は言葉に詰まる。隣に居る人が原因です、とは口が裂けても言えない。それを察しているのだろう。百姫も愉しそうに笑って伊織を見ていた。

「その。家族に、こうしろと、言われまして」

 ギリギリ嘘では無い、はずだ。『家族』の範囲は人それぞれで、一緒に住んでいる人を血が繋がっていなくとも『家族』と呼ぶ人は居る。

「ほう? 誰に言われたんだい?」

「えっと、実は、妹が居まして・・・・・・」

 こちらも、嘘ではない。妹が居るのは本当だ。

「妹さんですか!? 今度是非ぜひウチの部活に連れてきてくださいよー! きっと色々似合いますよ!」

「へぇ・・・・・・妹、ですか。姉ではなく」

 突然、横からの視線が強くなり、伊織は失敗を察した。振り返ることはとても出来ず、少しだけチラリと確認すると、とてつもない威圧感を持った笑みを浮かべている百姫が居た。目を逸らす。しかし、彼女の居る方向からジリジリとプレッシャーだけは感じてしまう。

 伊織の学食は、またも味のしないものとなった。


 その日の夜。百姫に呼び出され、伊織は神妙しんみょうに部屋をノックする。

「さっさと入りなさい」

「・・・・・・畏まりました。失礼します」

 覚悟を決めて扉を開けると、寝間着ねまき姿でベッドに腰掛け、足を組んだ百姫が、昼にも見た笑顔で待ち構えていた。

「妹・・・・・・妹ねぇ。私、そんな風に見られていたのかしら」

「いえ。そのような事は、決して、」

「それとも何かしら。アナタの方が二日ふつか生まれるのが早かったから、年上ヅラしているのかしら・・・・・・!」

 面倒なことになった、と伊織は身を縮める。

 百姫の数少ないコンプレックス、それが伊織より誕生日が二日遅いことだった。彼の誕生日が四月二十四日なのに対して、彼女は二十六日なのだ。自分の方が目上なのに、同年代で、つ生まれが早いのが気に食わないらしく、もし伊織がそれを口にすれば、一週間は期限が悪くなるほどだ。

「アナタって、時々そういう風に年上面するわよね・・・・・・私のこと、子供だと思ってるの?」

「お嬢様、アレはあの場を収めるためにですね・・・・・・」

「なら姉でも良いじゃない!?」

 その場しのぎの嘘ならばそれで良いのだが、伊織はなるべく嘘を付きたくない。居ない者は言えないのだ。

「全然、気にしてないけど! 私は全ッ然、気にしてないけど、そういう態度はめた方が身のためよ、何をするかわからないから私が!」

「はい、申し訳ありません。以後いご改めます」

「えぇ、そうして頂戴。

 それから。それとは全く関係ないのだけど、ストレス溜まってるからゲームに付き合いなさい、一晩中。

 ・・・・・・もし寝落ちでもしたら、無理矢理たたき起こすから。覚悟することね」

 以前、徐々に慣らしていくという話があったはずなのだが、怒り心頭しんとうの彼女からはすっぽり抜け落ちているらしい。ここで口にしても藪蛇やぶへびなので、伊織は黙ってコントローラーを手に取り、百姫の隣に座ろうとする。

「ちょっと。なに勝手にベッドに座ろうとしているのかしら。

 アナタは床よ床。クッションだって使わせないわ。

 私、お嬢様! アナタ、執事! 当然よね?」

「・・・・・・おっしゃるとおりです」

 反論も睡眠も何もかもを諦めた伊織は、ただ頷いて床にあぐらをかく。すると、ゲシゲシと百姫が軽く蹴ってきた。

「なに楽な姿勢になってるの。従者は正座に決まってるでしょう?」

「・・・・・・はい。おおせのままに」

 伊織が座り直すと、満足したのか彼女は伊織の両肩へと足をそれぞれ乗せてくる。どうやら、彼を足置きにすると共に正座の痛みを増やすつもりらしい。

「ほら、さっさとキャラを選びなさい。今日はコテンパンに、徹底的に、アナタをボコボコにするんだから」

 もう既に心がボコボコです、とは言えず、伊織は死んだ瞳でゲーム画面へと向き直った。当然のように、翌日の体調は最悪なことになった。

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執事くんは女難の相 高々鷹々 @takamegane

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