埋伏の毒

「今日、空が落ちる」おとうさま、と呼ばれる少年は、ぽつりと呟いた。

「長かった。本当に長かった」おかあさま、と呼ばれる少女が、それに応える。

「仕方がない。必要な時間だ」少年は、少女の肩に手を置いた。

「私たちの子どもの器官は、空の人間たちに行き渡ったでしょうか」少女は、見えない空を見上げた。少年が深くうなずく。

「充分に」


 空の上の街。公園では、犬を連れて散歩をしている男がいる。

 突然、男は転がるようにして倒れた。胸のあたりを押さえて苦しげに呻く。

 めこり、と、心臓の形に肉が盛り上がった。

 肉は瞬く間に巨大化し、男の身体が爆ぜる。

 大きな不定形の塊となった後も、肉は成長を止めない。

 辺りを埋め尽くさんばかりに溢れ、流れ、脈動し、さらに大きく成長していく。

 同時刻。同じく空の上の街。

 編み物をしていた老婆の足が、あり得ない形に膨らみ、内側から破裂する。

 はじけた肉はそのまま、老婆の身体を包み込みながら、どこまでも膨張していった。

 空の上の街では、そこかしこで一斉に、人々が肉塊へと変わっていく。 


「この施設を僕たちが見つけられたのは、本当に幸運だった」数々の実験装置や培養槽を、少年は感慨深げに見渡した。

「幸運は重なった。私たちには時間があった。私たちを作り出した発生学や遺伝子工学を学ぶのに十分な時間が」少女は過去を思い返す口調で、静かに語る。

「それでも、僕たちにはロイコクロリディウムの感染を防ぐことはできず、僕たちと同じく不老の性質をもつ子どもも作ることはできなかった」

「私たちにできたのは、子どものDNAに『時限爆弾』を刻むことだけ」

「時至れば、一斉にがん細胞に変わり、無限に増殖する『時限爆弾』を設計した。がん細胞こそ不老不死。奴らは自分自身の願いによって滅ぼされるんだ。本望だろう」

「地下の人々が成人し、間引かれていく間隔から、空の上の人口は推定できた。そして、必要な子どもたちの数を算出した」

「そこから、最初の子どもが空に上がり、最後の子どもの器官が空の人間の身体で定着するまでの時間差を織り込み、起点となる日を設定した」

「今日こそ、まさにその日」


 空の上に浮かぶ島々の上では、すべての人間の身体が爆ぜたわけではなかった。

 突如出現した異変に、とまどい、叫び、逃げまどう人々もいた。

 肉塊は、そんな人間を手当たり次第に飲み込み、ますます大きくなっていく。

 その増殖はとどまることを知らない。

 濁流のように辻を流れ、家をなぎ倒し、主要な施設を壊していく。

 やがて、肉塊は地面の隙間を探り当て、一気に島の内部へと浸透していく。それは粘菌の動きにも似ていた。

 しばしの静寂。

 刹那、空の上の人工島を形成している構造物の表面に、ぴしり、と亀裂が走る。

 そして人工島が、内側からゆっくりと崩されていく。

 最初はぼろぼろと端の方が崩落するが、ついには島そのものが、地上へと落下していく。


 ずん、と地下が揺れた。それは地震のように重く、長い揺れだった。

 始まった、と少女が呟く。出ようか、と、少年は地上への扉を開き、少女を誘う。

 

 少年と少女は、今まさに暮れようとする陽の中で、一部始終を眺めていた。

 赤黒い光が、空から落下してくる構造物を照らす。

 巨大な人工島は、不気味にうごめく肉塊に包まれながら、地上に落ちてくる。

 落ちるたびに、地響きがあたりを揺るがす。

 ひとつ、またひとつと落下し、大地が震える。


 それを見守る少年と少女は、どちらからともなく、手を繋いでいた。

「君に会えて、よかった」少年は、繋いだ手を握り返した。

「私も」少女は微笑んだ。


 太陽は、今まさに地平に沈もうとしている。

 夕暮れの光に照らされ、最後の島がゆっくりと落ちてくる。

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黄昏の子ら ごもじもじ/呉文子 @meganeura

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