Ⅴ レースの行方
「──うーむ……あの三人、そもそも彼女について行くだけで精一杯な様子……どうやら我らの取り越し苦労だったみたいだな……」
「はい。追いついた時は心配しましたが、またすぐに離されましたね」
さて、帰ってパンテオン山の頂にいるハーソン達は、豆粒のように小さく見えるアドラ達のレースを眺めながら、要らぬお節介であったと胸を撫で下ろしていた。
複雑な表情で眼下を見つめるハーソンの左手は、腰に
山頂から油断なくアドラの周辺を監視し、何かあった時にはすぐさま駆け降りるとともにその剣を放とうと身構えていたハーソンであるが、まさに文字通りの杞憂。まったくもってそんな必要はなかったようだ。
いや、そればかりか一瞬、追いつくことのできた三人も何をするというのでもなく、遠目に見ていると勝手にダメージを食らって失速したようにも窺われる……その動きがどうにもこっけで、ほんとに襲うつもりだったのかも怪しい。
「にしても速い……アドラ・ティ、ウワサ通りの俊足のようですな……それにあの配達人の青年も、ついていくどころかなにやら一位を競い合っているような様子。どちらもかなりの逸材といえましょう」
「うむ。これはよい掘り出し物を見つけたかもしれん……さ、そろそろゴールだ。我らも下へ降りよう」
また、アドラの速さもさることながら、負けず劣らず彼女と並行して走るアイタの姿に、アゥグストがいたく感心を示して褒め称えると、ハーソンも大きく頷いて眼下のゴール地点へと二人を誘った──。
「──さあ! いよいよ先頭が帰って参りました! 先頭は予想通りアドラ・ティ……ですが、今年はもう一人、謎の青年が並走しております!」
他の観客達ともどもハーソン達が下へ降りて行くと、まさにちょうど先頭の二人がゴールしようとしているところだった。
「…ハァ……ハァ……なかなかやるじゃないか……でも、勝つのはあたいだよ!」
「…ハァ……ハァ……おいらも負けないっすよ!」
最後の直線を抜きつ抜かれつ砂煙を上げながら、アドラとアイタは全力疾走で爆走する。
「速い! これは速いです! さあ、アドラ・ティと謎の青年、優勝はどっちだ? どっちだぁーっ!?」
興奮した解説役が絶叫する中、ゴールに張られた紙リボンが切られるとともに、パーン…! と再びマスケット短銃の空砲が会場に鳴り響く。
「……ど、同着一位……今年の優勝は、アドラ・ティと謎の青年だあぁぁぁーっ!」
ゴールのリボンを切ったのは、アドラとアイタのどちらかではなく、まさに二人同時だった……解説役の発表に、観客達の歓声が一気に湧き上がる。
「…ハァ……ハァ……あんた、速いね……アイタっていったかい? こんな全力で走ったのは久しぶりだよ……」
「…ハァ……ハァ……アドラさんこそ……おいらの足で抜けない人なんて初めてっす……」
ゴールとともに倒れ込んだ二人は、お互いを褒め称え合いながら腕を伸ばして握手を交わす。
「お〜い! けっきょくあの三人はどうなったんだ〜!?」
そんな二人に向けて、沿道に張られたロープ越しに、押し寄せる観客達に混ざってアゥグストが声をかける。
「配達人君、ご苦労だったな。ほんとに我らの杞憂だったようではあるが……けっきょく、どういうことだったのだ?」
「とりあえずアドラさんに何事もなくてよかったです」
また、その傍らにはハーソンとメデイアの姿も見え、まだ真相を知らない彼らは事の顛末をアイタに尋ねた──。
「──なるほど。つまり、すべてはメデイアの勘違いで、あの三人はシニョーラ・アドラをものにしたかっただけということか」
大きな歓声に包まれながら仰々しく優勝者への授賞式が行われた後、少し場が落ちつくのを待ってから、その事情をハーソン達は二人より聞いた。
ゴール地点に目を向けてみれば、いまだあの三人の髭面達が力尽きて倒れ伏している。
「す、すみません! わたしのとんだ早とちりで……アドラさんとアイタさんも、どうもご迷惑をおかけしました!」
すべてを知ったメデイアは、仲間のハーソンやアゥグストばかりでなく、月桂樹の冠を着けた二人にもペコペコと頭を下げて謝る。
「なあに、アイツらむさ苦しい顔だけじゃなく、口や態度も悪いからねえ。そう誤解するのも無理はないさ。ま、仮にあたいを襲おうとしたって、ぜったいに捕まりゃしないんだけどね」
「おいらも商売になったんでぜんぜんかまわないっすよ。むしろ感謝してるくらいっす。その上、思わぬ賞金ももらえたっすからね」
だが、二人が気を悪くしている様子はなく、アドラは冗談混じりにそう答えると、アイタの方は逆に礼を述べている。
「それにしても、どちらも見事な走りっぷりだった。さすがはアルカーニャのマーラトン祭優勝者。我が人生において、これほどまでの俊足にはお目にかかったことがない」
そんな二人を、なにを思ったかハーソンは、どこかわざとらしくも改めて大いに褒め讃え始める。
「ま、まあ、こんなの朝飯前だけどね……」
「へへへ…そんな大したことないっすよお……」
その大仰な褒め言葉に照れ笑いをする二人であるが、そうして上機嫌にさせたところで、いよいよハーソンは本題を切り出す。
「そこで、類稀なる君達二人を我ら白金の羊角騎士団へ招聘したい。どうだね? 羊角騎士団の騎士になる気はないかね?」
「騎士? ……なんの話だい? もしかして新手の詐欺かい?」
「そうっすよ。おいら達が騎士だなんて、なんかの冗談っすか?」
しかし、話が突拍子なさすぎて二人ともピンときていない様子だ。
「いや、詐欺でも冗談でもない。俺は羊角騎士団の団長ドン・ハーソン・デ・テッサリオだ。君達の〝足〟には心底惚れた。もしよかったら我ら羊角騎士団の団員となって、その〝足〟を大義のために役立ててはみないか?」
そこで、今さらながらに自らの身分をハーソンは明かすと、重ねて二人に騎士団員としての仕官を促そうとする。
「ええ!? ほんとにおいらが騎士っすか? そんな、騎士なんてぜったい無理っすよ。おいら、剣や槍の扱い方なんてぜんぜん知らないっすし……」
「あたいだってそうだよ! 生まれてこの方、あたいは狩人しかしたことないんでね。馬に乗って敵と戦うなんてまっぴらごめんだよ」
「いや、別に戦うことを求めているわけじゃない。まあ、シニョーラ・アドラには弓兵としての活躍も期待はできるが……だが、君らに任せたいのは兵ではなく
すると今度は面食らって拒む二人に、さらなる詳しい説明をハーソンは続ける。
「
「ああ、そうだ。つまりイーデス君の場合、今、個人的にやっている配達人の仕事を今度は騎士団の専属としてやるようなものだな」
オオム返しに聞き返すアイタに、たたみかけるようにしてハーソンはそう告げる。
「シニョーラ・アドラにしても、ずっと山野を駆け回ってきた君のその足が、存分に活かせるぴったりな仕事だ。それに戦場では時として、食糧の現地調達が必要となる場合もあるが、その際、君の狩人としての腕も大いに役に立つことであろう」
また、アドラにもその職業を引き合いに出して、アイタ同様にその心へ揺さぶりをかける。
「無論、入団すれば羊角騎士の身分と、それ相応の俸禄が与えられる。今の稼ぎ以上になることはまず間違いない。どうだ? 君らにしても悪い話ではないと思うが?」
「騎士団の専属配達人っすかぁ……そう言われると、別にやってもいいように思えてくるっすねえ……」
「あたいも、そういうことなら別にやらなくもないっていうか……」
さらに攻撃の手を緩めず、平民階級には破格の好条件を口にするハーソンに、最初は戸惑った二人の心もどうやら前向きに傾き始めたようである。
「これはもう決まりだの」
「はい。新しい仲間の誕生ですね」
そんな気持ちの変化を悟り、背後でアゥグストとメデイアも、二人が羊角騎士団へ入団することをすでに確信している。
こうして、意外と口の上手いハーソンの勧誘により、配達人アイタ・イーデスと女狩人アドラ・ティは、白金の羊角騎士団の
(Celeri Nuntius 〜俊足の伝令官〜 了)
Celeri Nuntius 〜俊足の伝令官〜 平中なごん @HiranakaNagon
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