Ⅳ 意外な顛末

 さて、そんなハーソン達が見守るマーラトンの選手団では……。


「──さあ、ついてこれるもんならついてきな! 今年の優勝もあたいがいただきだよ!」


「先頭通過!」


 麗しい黒髪をなびかせて俊足の乙女が通り過ぎると、等間隔に設置されている監視台の係がパーン…! と、空砲を撃つとともに大きな赤い旗を頭上に掲げる……。


 沿道にちらほらと観客達が並ぶ山麓の道を、風のように駆け抜けてゆく選手団ではあるが、一人頭抜けてやはりアドラが、その先頭を独走していた。


「クソ! やっぱり速えな……」


「……だが、逃がしはしねえぜ!」


「…ハァ……ハァ……ぜってえ喰らいついてやる……」


 それよりわずか後方、彼女を追う第二集団の中には、あの三人のむさ苦しい男達も混ざっている……どうやら足に自信があるのは本当のことだったようだ。


「アドラさーん! 伝言っすよー! 待ってくださーい!」


 そのさらに後方の第三集団を追って走るアイタ・イーデスであるが、彼はぐんぐん速度を上げると、あっという間に第三集団を苦もなく全員追い抜いてしまう……走るのが得意だと言っていた彼の言葉も、やはり嘘ではなかったのだ。


「アドラさんはまだ先っすかねえ? ……他の選手が邪魔でぜんぜん見えないっすよ……」


 アイタは息の上がることもなく、そのままの速度で走り続けると、前方を行く第二集団の間を縫って、さらにその先頭へと近づいてゆく。


「…ハァ……ハァ……待ちやがれこの|女(アマ)!」


「……俺達に本気出させるとは……ハァ、ハァ……いい度胸した|女(アマ)だぜ!……」


「…ハァ……ハァ……ぜってえ俺が仕留める……」


 この時には第二集団もだいぶバラつきはじめ、その先頭は例のむさ苦しい三人組になっていた。


「……ホッ……ホッ……山羊に、孔雀に、それに馬? なんか変わった格好の人達っすねえ……」


 だが、妙に目立つその格好を気にしながらも、アイタは余裕綽々に三人もあっさりと抜きさってしまう。


「……あ! 見えたっす! あれがアドラさんで間違いないっすね!」


 すると、ようやく彼の前方に、カモシカのような脚で快走する、アドラ・ティの美しい後姿が現れた。


「アドラさーん! 伝言があるっすー! 待ってくださいっすー!」


アイタはさらに加速しながら、前を行くアドラに声を張りあげる。


「……ん? へぇ……あたいに追いつくとはなかなかイイ脚してんじゃないかい……」


 その声に怪訝な顔で振り向いたアドラは、思わぬ実力者の登場に不適な笑みを浮かべ、むしろ嬉しそうに独白を口にする。


「アドラさんで間違いないっすよね? おいら、配達人のアイタ・イーデスって言うんすけど、あなたに伝言っす!」


 その間にもすぐ背後まで距離を詰めた配達人アイタは、そんな彼女に競技とはまったく関係ない話をし始める。 


「伝言? ……てか、まさかあんた、それを伝えるためだけにあたいを追いかけてきたのかい?」


「ええ、商売っすから。ま、コース入るためにマーラトンにも参加してるっすけどね……で、頼まれた伝言っす。なんか、三人の髭面の選手があなたを狙ってるんで気をつけろ…だそうっす」 


 自分に匹敵する足を持ちながらも、まるで競技に関心のない様子の彼に呆れるアドラではあったが、かまわずアイタは仕事優先にハーソンからの言葉を伝える。


「はぁ? 髭面? ……そりゃご親切にご忠告どうも。でも、あたいに追いつけるやつなんてまずいないから心配ご無用だよ……て、まあ、あんたは平然と追いついてるけどさあ……むしろ、その方が驚きだよ……」


 しかし、そこはやはり大会連覇の俊足の持ち主。危険が迫っていると聞いてもまるで気にかけることはなく、そんなことよりも彼の自覚のない稀有な才能に、ますますもって呆れ果てている。


「…ハァ……ハァ……アドラ・ティ! 待ちやがれコラ!」


 と、なおも速度を落とすことなく、疾走し続けながら二人が会話を交わしていると、背後からまた叫ぶ声が聞こえてくる。


「…? ……なんだ、また追い着くやつがいるかと思ったらあんた達かい……今年はずいぶんと頑張ったねえ……けど、もうすでに息があがってるよ?」


「あ、さっきの変な人達! そういえば髭面……もしかして、この人達がその襲おうとしてるっていう三人っすか?」


 二人が振り返ってみると、例の三人組がすぐ背後まで迫って来ていたが、推測を巡らすアイタの一方、その顔を見たアドラはどうやら知ってる風な物言いだ。 


「…ハァ……ハァ……アドラ! 約束通り追いついてやったぜ! …ハァ……ハァ……今度こそケリをつけてやる!」


 男の言からしてもやはり顔見知りらしく、三人の内でもさらに頭一つ出た山羊角付きの男が、苦しげな息遣いながらも大声で吠えた。


「…ハァ……ハァ……約束通り、俺と結婚しろ! アドラ・ティ!」


「…………はい?」


 だが、アイタがポカン…としてしまうような、あまりにも予想外の言葉を彼は口にしている。


「そうはさせるか! …ハァ……ハァ……アドラ! おまえの夫はこの俺だ!」


「ちょっと待ったあ! ……ハァ……ハァ……アイタを花嫁にするのは…ハァ……ハァ……この俺だあ!」


 さらにアイタを置き去りに、孔雀みたいな羽根付きと馬面の酔っ払いも先頭を競い合いながら、山羊角に負けじとプロポーズの言葉をアドラにぶつける。


「…ハン! しつこい男どもだねえ……でも、約束は〝あたいを捕まえたら〟って話だったはずだよ? ようやく追いつけたくらいじゃあまだまだだね。さあ、あたいをものにしたかったら、ちゃんとここまで来て捕まえてごらんよ?」


 しかし、いつものことなのかサラッと受け流し、軽くあしらったアドラはさらに足を加速させる。


「……そ、そんなぁ…ハァ…ハァ……ま、待ってくれアドラ! …ハァ…ハァ……こ、この……おまえの大好きな〝リンゴ飴〟やるからよう…!」


「…お、俺は〝リンゴパイ〟持って来たぞ…! …ハァ…ハァ……」


「…俺は……ハァ…ハァ……や、焼きリンゴだ…!」


 プロポーズを受け入れられないばかりか再び距離も開かれ、大きなショックを受けながらもまだなお三人は彼女の後を追う。


 しかも、なぜか懐からそれぞれリンゴのお菓子を出して気を惹こうとしている。


「確かにリンゴは好きだけど、競技の最中にはいらないよ! しかもみんな潰れてるじゃないか!」


「……え? あ、ちょ、ちょっとどういうことっすか? この人達はあなたを襲おうとしてたんじゃあ……」


 一方、独り精神的に置き去りのアイタも足を速めると、プレゼントを突っぱねるアドラと横並びに走りながら、彼女にその疑問について思わず尋ねた。


「ああ……あの三人は地元の牧人でね。山羊角付けてるのがパオンで孔雀みたいのがファウトゥス、馬面の酔っ払いがサテューロさ。どいつもこいつ女好きのスケベな野郎どもでねえ、前からしつこく結婚を迫ってきてんのさ」


 すると、アドラはひどく面倒くさそうな顔をして、侮蔑するかのように背後の三人を振り返りながらそう答える。


「で、諦めさせようとマーラトンであたいを捕まえられたら結婚してやるって言っといたんだけど……あいつら、山での放牧で無駄に足腰だけは鍛えられてるからねえ……」


「なるほど……なんか依頼人の騎士さん達、勘違いしてたみたいっすね……」


 溜息混じりのアドラの説明に、急な仕事で事情をよく把握していないアイタもなんとなく合点がいった。


「てことで、あんたも用が済んだんだからもういいだろ? あたいは捕まるわけにいかないんで先行くよ?」


「……あ! いや、仕事は済んだっすけど、せっかくなんでおいらも優勝を目指すっす!」


 そして、さらに加速して三人を引き離すアドラの背中を、肩透かしを食らったアイタも純粋な走ることへの欲求から追いかけて行った──。

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