Ⅲ 三者の邂逅

 さて、それとほぼ同時刻。ここにもう一人、俊足を誇る人物がマーラトン祭典の会場を訪れていた……。


「──へぇ〜これが有名なアルカーニャのマーラトン祭っすかあ。聞いた通りに盛り上がってるっすねえ」


 短い金髪のくるくる巻き毛に溌剌とした若々しい顔立ち、麻の袖なしチュニックにキュロットを履いて、背には荷物を入れる小鞄を斜に背負い、首には汗拭き用のスカーフを垂らしたその青年の名はアイタ・イーデス。


 エルドラニア帝国メーリッサ村の出身で、手紙やちょっとした小包を運びながら、その足で各地を渡り歩いている配達人である。


 ちょうどアルカーニャへの手紙を頼まれた彼は、配達に来たついでにせっかくなのでと、かの有名な祭典を見学に訪れていたのだ。


「マーラトンかあ……おいらも走ってみたい気はするっすけど、飛び込みでも参加はできるんすかねえ?」


 活気溢れる会場の雰囲気に触発され、走るのが得意な彼もなんだか出てみたいような気持ちになってくる。


「でも、ここで体力使うと次の仕事に差し支えるっすからねえ……あ、でも賞金とか出るっすかね?」


 大勢の観客達でごった返す会場の中、個人的な欲求と仕事への義務感の間で揺れ動く彼は、とりあえず参加者受付口の方へと足を向けてみた──。




 他方、戻ってメデイアの方では……。


「……まさか、あの人達も選手なの?」


 人混みを掻き分けながらメデイアが男達を追って行くと、三人は参加者受付口を通ってロープで仕切られたコース内へと入って行く。


「とにかく、アドラさんにこのことを知らせてあげなくちゃ……すみません。ちょっと通してください!」


「ああ、ちょっと! 尼さん、あんたもマラトーナに参加するのかね? 選手以外はコースへの立ち入り禁止だよ」


 アドラの身を案じ、メデイアも受付を通ってコース内へ入ろうとするが、それはルール違反であると受付係のおじさんに止められてしまう。


「いえ、わたしは選手じゃありませんが、アドラ・ティさんに危険が迫っているかもしれないんです。話をしたらすぐに出ますんで、どうか少しだけでもお願いします」


「そう言われてもねえ。決まりは決まりだから。ちょっとでも破ったら後で不正を疑われかねないからね」


 事情を説明するも競技の運営側は非常に厳格で、やはり入れてはくれないようだ……。





「──どうやらあれがアドラ・ティらしいですな」


「うむ。確かに速そうな脚をしている」


 一方、その頃。帰ってハーソン達の方はというと、ようやく現れた大本命の姿を遠目に眺め、密かに品定めを行っていた。


 周囲の反応からしてそれと思しきその女性は、

長く麗しい黒髪に切れ長の眼をした、ウワサに違わぬそうとうな美人であった。


 褐色の肌をした筋肉質の肉体には茶のチュニックを纏い、その裾から覗く絶対領域・・・・も眩しいカモシカのような二本の脚には革製の編み上げサンダルを履いている。


 対する他の選手達には地元出身者や帝国領内の者達に加え、隣国フランクル王国の民やオスレイマン帝国の異教徒もおり、服装や顔立ちは様々なれど、いずれも違わぬ速そうな体つきをした強敵達だ……。


「──ですから、アドラさんが襲われるかもしれないんです! ちょっと話をするだけですから!」


「だから、理由はどうあれ選手以外はダメなんだって。それに当然、武器の持ち込みも厳重に禁じてる上に、不正防止のため、何ヶ所もの地点でレースは常に監視している。あんたのただの杞憂だよ」


 そんな時、どこか聞き憶えのある響きを持った、なにやら揉めている声が傍らから聞こえてきた。


「……ん? メデイア?」


「あやつ、何をしておるのだ? まさか自分も出るつもりか?」


 仲間の奇妙な行動に、ハーソンとアゥグストも怪訝な顔で彼女のいる方へと歩み寄る。


「メデイア、何かあったのか?」


「…! ああ、団長。それがじつは…」


 尋ねるハーソンに、気づいて振り返ったメデイアは事の経緯を簡単に説明する。


「──なるほど。そういうことか。それだけでは決めつけられんが、いずれも素行の悪そうな顔立ち……確かに気になる話ではあるな」


 それを聞いたハーソンも、他の選手に紛れて立つ三人の男達を観察し、半信半疑ながらも難しい顔で考え込む。


「……お、時間になったな。それではマーラトンを始めまーす! 選手の皆さんはスタートラインに並んでくださーい!」


 だが、そうこうする内にも山麓にある聖パントレモン教会の鐘がカラン、カラン…と鳴り響き、競技開始の時間を告げる。


「マズイな。マーラトンが始まってしまっては、優勝候補のアドラ・ティに我らの脚では到底追いつけん」


「急がないと。あの男達は選手みたいですし、追いつく自信があるようにも言っていました」


 現状、コースにも入れないメデイア達に対して、あの三人は競技に紛れて反抗に及ぶことができる。


「かくなる上は……我らは皇帝陛下直属の白金の羊角騎士団だ! 危急の用事ゆえ、ほんの少しでいいから入れてはくれぬか?」


「誰であろうとダメです! この神聖なるマーラトンの祭典は、ただの競技ではなく神に捧げる神事! あくまでも公明正大に行われねばなりません! それに秩序維持も我々で行っていますので、そのような凶行も起こさせはしません。だから、さっきも言った通りあなた達のただの杞憂です!」


 余裕のないその状況にアゥグストは自分達の地位を使って再び交渉を試みてみるが、受付係はやはり厳格で取り付く島もない。


「うーむ……まあ、そう言うのならば確かに我らの心配のしすぎかもしれぬが……どうにかして注意するよう伝える方法はないものか……」


 と、ハーソンが再び腕を組んで思案していたその時。


「あのお……何か伝言あるんなら、おいらが代わりに伝えてきましょうか? 商売なんで有料っすけど」 


 誰かがそんな声をかけてきた。


 振り返ってみると、金髪巻き毛の溌剌とした青年が、笑顔を浮かべてそこに立っている……そう。アイタ・イーデスである。


 マーラトンに出るか出ないか悩みながら受付の方へ歩いて来たところ、なにやら商売になりそうな話が聞こえてきたので声をかけたというわけだ。


「商売?」


「はい。おいら、手紙や小包の配達人をしてるっす。記憶力はいい方なんで伝言も承るっすよ? 走るのも得意っすから、ご依頼とあればマーラトンにもよろこんで参加するっす」


 突然の申し出に訝しげな顔でハーソンが尋ねると、ハキハキとした口調で彼はそう答える。


「位置について……よーい……ドン!」


 だが、そんな話をしている間にも審判の合図とともにマスケット短銃の空砲が天に放たれ、アドラやあの三人を含む選手達は一斉に走り出してしまう。


「ああ! そんな……走り出してしまいました!」


「さあ、どうするっすか? 今ならまだ間に合うっすよ?」


 慌てるメデイア達を、アイタ・イーデスはこれ見よがしに急かす。


「迷ってる暇はないか……よし! 配達人君。金は出す。優勝候補のアドラ・ティに伝えてくれ! 三人の髭面の選手達が君を狙っているから気をつけろと!」


「毎度ありっす! あの先頭走ってるお姉さんっすね! んじゃあ行って来るっす!」


 まさに言葉通りの即断をするハーソンに、アイタ青年も返事をするが早いか、速攻でその場を走り出した。


「……あ! 君! 選手以外は入場禁止だよ!」


「おいらも参加するっす! ならかまわないっすねーっ!」


 止める間もなく受付を駆け抜けたアイタに気づき、慌てて静止する受付係のおじさんであるが、彼はそう叫びながらそのまま選手団を追いかけてゆく。


「よし! 伝言は彼に任せて、我らは山の上から様子を覗おう。頂上からならコースのどの位置へもほぼ同距離。何かあった時は一気に駆け下りて向かうんだ!」


「はい!」


「ハァ…この急な階段が恨めしいの……」


 一方、アイタを見送ったハーソン達は、急いでパンテオン山の頂へと駆け上がり、もしもの時に備えることとした──。

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