Ⅱ 謎のくわだて

「──なるほど。スタート後、あの山頂からコースが一望できるというわけですな……ちょっと登るの大変そうですが……」


 翌朝、わいわいと大勢の見物人達で賑わうスタート地点前で、背後の小高い丘を見上げながらアゥグストが呟く。


 アルカーニャ・マーラトン祭の長距離走競技は、パンテオン山の麓の道をぐるっと一周する形で行われる……ゆえに観客達の中にはコース沿いで声援を送るばかりでなく、高木の生えていないパンテオン山の頂上に登り、そこからレースの行方を見届けるといった楽しみ方をする者達もいる。


 その便宜を図るために、この丘と呼んでもいいような低山の斜面には丸木で階段も設けられており、いかにこの祭が地元で愛されているかがよくわかるものといえよう。


「下馬評だと、やはりアドラ・ティという地元の女狩人が一番人気のようだ。ここ数年は毎回優勝している」


 対してハーソンはそのとなりで、こうした競技ではお馴染みの香具師が始めたレース賭博の予想表を眺め、目ぼしい人材探しに余念がない。


「ええ。なんでも捨て子だったのを山麓の泉に棲む猟師に育てられ、野山を駆け回って暮らす内に強靭な足腰に鍛えあげられたんだとか。その上、弓も達者なばかりか絶世の美女とのもっぱらのウワサ」


 上司の呟きに振り返ったアゥグストは、昨夜、飲み屋で仕入れてきた情報を口にその選手の人となりについて詳しく述べる。


「らしいな。その評判通りの人物なら、我らも第一候補に確定だ。まあ、レースの結果を見るまでなんとも言えんが……どこだろう? まだ来ていないのかな?」


 彼女のウワサはハーソンも聞いていたらしく、コースの道沿いに張られた侵入防止用のロープの向こう側、スタートラインに並び始めた選手達の方を覗うと、その中に女狩人の姿を探した──。




「──人が多すぎて迷っちゃたみたい……スタート地点はどっちだったかしら?」


 一方その頃、お手洗いに行っていたメデイアは、その帰りに賑わう会場で少々迷っていた。


 アルカーニャあげての祭だけあって、スタート兼ゴール地点の周辺には地元の名産リンゴを使ったお菓子の露店も数多く建ち並び、老若男女、大勢の見物客達でごった返している……地元の農民や漁師と思われる顔ぶれもいれば、他所よそから来たらしき貴族や裕福な商人の姿も見受けられる。


「確かこっちだと思ったんだけど……」


 人集りに遮られる視界の悪い会場で、方角を間違えたメデイアは人気ひとけのない外れの方へと進んでしまう。


「──よし。準備はいいな。今日こそあのアマに目にものみせてやるぜ」


 とその時。辺りには他に誰もいない、備品置き場と思われる大きなテントの中から、そんな男の声が聞こえてきた。


「……?」


 なにやら不穏なその物言いに、足音を忍ばせててテントに近づくと、息を潜めてメデイアは出入り口の隙間を覗く。


 すると、中には三人のむさ苦しい男達が人目を避けるかのようにして集まっていた。


 いずれも髭面で毛皮の服を纏い、一人は山羊角付きの帽子を被って首から角笛を下げ、一人は後頭部に孔雀の如く鳥の羽を生やした半裸のお祭り男、最後の一人は痩せ型で、まるで馬のように細い脚をしているが、すっかり酔っ払って馬面を赤ら顔に染めている。


「誰があのあのアマを仕留めようと恨みっこなしだぜ?」


「つまり、あのアマは一番速いヤツの獲物ってことだ」


 あのアマ? 誰のことを言っているんだろう……?


「ああ。あのアドラ・ティに追いついた者から先に仕掛けられる。まさに速い者勝ち・・・・・だ」


 興味を惹かれ、メデイアがさらに耳をそばだたせて聞いていると、山羊角を生やしたその内の一人が、〝アマ〟と呼んでいる人物と思しき者の名を下卑た調子でその口にした。


 アドラ・ティ? ……て、あの優勝候補だとかいう女狩人のアドラ・ティ?


 やはり評判を聞いていたメデイアは、その名前を耳にするとすぐにピンとくる。


「……お、そろそろスタート時間だ。俺達も行かないとな」


「ああ。遅れたら元も子もないからな」


 と、メデイアがいろいろと推理を巡らせている内にも、不意に三人はテントの出入り口の方へと近いてくる。


「……!」


 慌てて彼女がテントの裏へ隠れると、むさ苦しい男どもは外へ出てさっさと行ってしまう。


「何をするつもりなのかしら……?」


 どう見ても野蛮そうな男達の明らかに物騒な相談に、さすがに放ってもおけないとメデイアもその後を追った──。

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