1000秒後にうんこを漏らす勇者
左安倍虎
勇者と古代竜の糞尿譚
いかん、漏れそうだ。
いきなり尾籠な話で恐縮なのだが、本当に漏れそうなのだ。
今日はハードな戦いがあるから朝から宿でウナギを食べていたのだが、どうやら生焼けだったらしい。精をつけるつもりだったのに、逆に精力を奪い取られてしまいそうだ。いよいよこれからバカでかい古代竜との戦いに挑もうってのに、腹が痛いなんて洒落にならない。いや問題は腹が痛いことだけじゃない。
俺がここで漏らしたら、その事実をありのまま記録し、それを全世界に知らしめてしまう人物がいるのだ。
「ライル、あの竜は一筋縄ではいかぬ。『ダギの書』の記述を今一度思い出すのだ」
そうアドバイスをくれたのは、吟遊詩人で精霊遣いのサラだ。銀髪を風になびかせつつ俺の脇にたたずむエルフは、女神アンドラステの敬虔な信者でもある。アンドラステは信者に正直さを求める。だから信者であるサラの書くサーガは信憑性が高いと評判なのだ。俺たち勇者一行の活躍は彼女の紡ぐ詩によって世に知られてきたのだが、ここで漏らしたことまで詩に書かれてはたまらない。
だがサラの詩作を止めるのもむずかしい。なにしろ俺たちの活動はサラの詩集の売り上げによって成り立っている部分が大きいのだ。ケチな国王は怪物を退治しても大して報奨金を出さないし、サラの詩集が売れまくっているのを理由にさらに報奨金をケチるようになった。まったく、本当にこの世はクソだ。こっちは命がけで戦ってるってのに。
「ライル、古代竜の鱗はオリハルコンより硬い。正面から挑んでも勝てんぞ。やはりここは大賢者ダギの助言に従うべきではないかのう」
山羊髭をしごきながらニコラオスが言った。どんな戦いに臨んでも好々爺然とした態度を崩さないこの爺さんは、博覧強記の知識人であり、経験豊富な魔法遣いだ。そのニコラオスとサラの意見が一致しているのだから、ここはやはり『ダギの書』の記述に従わねばならないだろう。
「確か、『ダギの書』には古代竜は論戦を好むと書いてあったな」
「そうじゃな。より正確には、肉体の戦いの前に舌戦を挑むということじゃ。神々の時代にもそのような作法があったということかの」
「俺はまず舌戦をしかければいいのか?」
「そうじゃな、まずはあやつを怒らせてみせよ。挑発するのじゃ。うまくゆけば、あの竜は必ずあれを放ってくる。その前にわしがおぬしをあの竜の体内に送りこむ。あとは……わかるな?あれに乗じて脱出するのじゃ」
俺は無言でうなづいた。『ダギの書』には大賢者ダギと仲間の勇者が古代竜と戦った時の様子がくわしく書かれていた。俺はそれを真似ればいいだけだ。
俺は廃城の壁の前に立ち、空を見上げた。巨大な竜が頭上を旋回している。あいつが戦いの作法とやらを守る気なら、いきなり襲ってはこないだろう。俺は胸いっぱいに空気を吸い込み、声を張る。
「おい、そこのバカでかいトカゲ、よーく俺の話を聞け!お前、太古の昔に神々と戦ったっていうけど、ありゃ嘘だよな?神々なんて本当はいなかったんだろ?」
古代竜は旋回をやめ、羽ばたきながら少しづつ高度を下げてきた。ぐるぐると俺の腹が鳴る。いかん、これはちょっとヤバいかもしれない。
「神々が人間を作ったっていうけどな、ありゃ嘘だ。もし俺が神なら、腹を壊したらすぐクソが出るように人間を作るぜ。なのに俺たちの身体ときたらどうだ?腹が痛いのにそうそうすぐにクソは出ないだろ?何なんだよこのクソ仕様は。その場ですぐ排泄できなきゃ意味ないだろうが!なんでわざわざ苦しみを長引かせるんだよ?神さまってのはよほどの間抜けか、それとも嗜虐趣味なのか?おい、そのトカゲ並みの頭でよく考えてみろよ」
漏れそうになっているせいか、舌戦を仕掛けるというよりほぼ難癖をつけている感じになってしまった。古代竜は廃城の左右の円塔に両足をかけて止まった。とんでもない大きさだ。かつては巨人を背に乗せていたというのも嘘ではないのか。
「せっかくクソをしようとトイレに駆け込んでもな、すぐ出ないから苦しいんだよ。あるだろ?俺はここに空気だけ運びに来たのか?って思うことが。仮に出たとしても一気に全部出ないこともあるんだよ。百歩譲ってすぐ出ないのは許してもいい。でもな、どうしてクソが分割払いになるんだ?そこは一括で払わせろよ!借金はすぐには返せなくてもな、クソはとっとと完済したいんだよ!こっちは苦しみを早く終わらせたいんだよクソが!もしかしてあれか、下痢で長く苦しんだら次から飯に気をつけるようになるってか?お前な、人間の愚かさを舐めてんじゃねえぞ。俺なんて昔から腹が弱いのに、朝から生焼けのウナギを食っちまったんだよ。お前と戦うためにな!つまりこれから俺が漏らしたら全部お前のせいなんだよ。わかってんのか?少しでも責任感じてんなら返事しろよな」
古代竜の瞳がこちらを睨んでいる。縦に割けた瞳孔の奥に、怒りの炎は見えない。
「質問の意味がわからない」
古代竜は厳かな調子で答えた。いかん、何にも話が伝わってない。こいつ、高尚な話しかできなかったりする?でも俺にそんな話は無理だ。それに腹の調子も悪い。時おり腸を引き絞られるような痛みが襲ってくる。だんだん頭を使う会話ができなくなってくる。
「だーかーらー、お前が神々と戦ったなんて嘘だって言ってんの!どうせあれだろ、お前はうんこで神様の像をこねて、それで遊んでたんだろ。でもそのうち飽きてきて、気まぐれにうんこ像を壊したら、たまたまそれを見てた詩人が神々を殺した、って表現したんだよ。いや違うな。どうせお前のことだから、詩人を脅して俺のことを神殺しの竜って書けって言ったんだろ?で、詩を書かせたあとはそいつを食ってクソをひり出して、またうんこ遊びをしたんだろ?ほんと聞きしに勝るクソ野郎だな。やーいやーいお前の母ちゃんうんこおままごと竜製造機ー!」
俺は古代竜に背を向け、尻を叩きながら煽った。あっちょっと漏れたかも。まぁいいか、サラにはばれてないだろ。ちょっと尻の周りが濡れただけだ。空を見上げると、巨大な竜が全身を震わせている。
「我が母を愚弄するな」
えっそこ?そこなの?うんこ呼ばわりされたことよりそこが屈辱?意外とこいつも人間らしいところがあるようだ。でも結果的にはうまくいったな。古代竜を怒らせれば、必ずあれで攻撃してくる。その前にあいつの体内に移動しなければ。
「ニコラオス、転移呪文を頼む!」
後ろを振り向くと、ニコラオスはすでに呪文を唱え始めていた。さすがに用意周到だ。呪文が完成すると、俺の全身が光を帯び、次の瞬間に目の前が暗くなった。急に足元が頼りなくなる。『ダギの書』で勇者一行がしていたとおり、古代竜を倒すため、俺はこいつの大腸に転移したのだ。体内からこいつを攻撃した後、すぐ外に出られるようにするためだ。落下しないよう、俺は腰のダガーを大腸の壁に突き刺す。そして付呪が施された指輪に「点灯」と命じる。辺りが明るくなった。薄桃色の腸壁が照らし出される。
(やれやれ、これでどうにかなりそうだ。まずは出すもんを出しとくか……)
攻撃に移る前に、まずきっちり排泄しておかねばならない。精神を集中しないと
「くそっ、こんなところで
糞喰らいは文字通り、クソを好んで食べる虫だ。カブトムシの幼虫を巨大にしたような姿で、体長は俺の足の半分ほどもある。古代竜の体内に寄生して、こいつのクソを食らっているのだろう。しかしそれならどうして俺のクソまで狙ってる……?あっそうか、こいつは特に人糞が好物なんだった!俺がまだ駆け出しの冒険者のころ、肥桶をかつぐ男たちがよくこの虫に襲われてるのを助けたっけ。今俺が襲われてるのはさんざん糞喰らいを片付けた報いか?いやそんなことはどうだっていい!三匹の糞喰らいが頭部からこっちに気持ち悪い触手を伸ばして来てやがる。早くこいつをなんとかしないと。
「あっおいやめろ!肛門をつつくな!洒落にならんて!いやほんともう我慢できないんでお願いしますほんとに。大体俺のクソなんてまずいに決まってるだろ!もっとこう女騎士とか高貴な姫様とかのかぐわしいのを狙えよ!姫様がここにいるわけないけど!だから触手をズボンの中に入れるなっての!あっもうほんとダメ!ダメなんだって!触手を引っ込めたらお前らに全財産をやる!ついでにこの国もやる!人間牧場を作ってお前らが一生餌に困らないようにしてやるから!これ以上俺を刺激するな!」
俺が勇者にあるまじき罵詈雑言を並べてしまったのには理由がある。実は糞喰らいは人糞だけを食うわけじゃない。こいつは大ざっぱな生き物で、クソ周辺の人体も丸ごと喰らってしまうのだ。『ダギの書』にそう書いてあったから間違いない。こいつらにあちこち食われちまったら、もう
(しょうがない……臭そうで嫌だが、やるしかないか)
ここは最後の手段を使うしかない。俺は腸壁に刺したダガーを抜き、そのまま真下まで落下した。落下する途中に、素早く一匹の糞喰らいを刺し、腰から引きはがす。この先にあれがあるはずだ。サラとニコラオスを狙っている凶器が。
「ぐあぁ……こいつは臭えっ!」
落下した俺の身体は、勢いよくその固形物の中にめり込んだ。とてつもなく臭い。けっこう硬さはあるようだが、加速度がついていたせいで下半身がその中に埋まってしまった。そう、こいつが古代竜の糞なのだ。『ダギの書』によるとこいつは肉食だそうだ。あちこちの村を襲って人や家畜を食い、そのなれの果てがこうして糞になり、ここで排泄されるのを待っているわけだ。一般的に肉食動物の糞は臭いものだが、古代竜もその例に漏れないらしい。こいつがあちこちで奪った命のせいで俺の鼻がもげそうになっているかと思うと、心底腹が立ってくる。
(だが、今なら大丈夫だ。いよいよこいつを倒す時だ)
俺の足にへばりついていた二匹の糞喰らいは、もう動く気配がない。古代竜の糞にはさまれて潰れてしまったのだろう。考えるだけで不快だが、それよりもっと不快な要素をなくさなくてはいけない。俺は全身の力を緩め、行き場を求めてのたうち回っている下腹部の囚人を一気に開放した。群衆が肉体の檻を離れると、俺の陰部は暖かい歓喜に包まれた。あいまいな表現をさせてもらったが、サラならもっと格調高い詩句で俺の行為を歌いあげてくれるのだろうか。もっとも、ここで漏らしたことは彼女に教えるつもりはないのだが。さて、いよいよ時は来た──と思っていると、古代竜の腸壁が激しく脈打ちはじめた。薄桃色の壁が何度も目の前に迫り、俺の顔にぶつかりそうになる。
(おおっ、どうしたんだ一体?急に大腸が激しく収縮をはじめたぞ。いよいよ古代竜が糞を発射する気なのか?)
それなら急がねばならない。今こそ
(もしかして、こいつ便秘なのか?肉ばっかり食ってて野菜を食わないから繊維質が足りず、糞が硬めになってしまったのか?いやでも古代竜は肉食だって『ダギの書』には書いてあったはずだ。もしかしてこの情報が間違いで、本当は雑食だったとか?)
そうだとすれば大発見だ。早くこのことをニコラオスに教えてやりたい。あの爺さんは真っ白な眉毛の下で目を輝かせるだろう。だがその前にここを出なくてはならない。こいつが便秘で苦しんでいるのなら、俺が解決してやろう。残忍な悪竜だが、こいつもひとつの命をもった生物には違いない。最後の最後に、こいつの苦しみをひとつ減らしてやろうじゃないか。
「聖なる光よ、わが掌へと来たれ。──食らうがいい、
俺の掌から目も眩むような光の束が放たれ、古代竜の腸壁を貫いた。その反動で、俺が埋まった糞は勢いよく体外へと射出される。空の彼方で古代竜が爆発四散するのが見えた。勢いよく頬をなぶる風が心地いい。このまま落下すると地面に激突してしまうが、そこはサラが精霊魔法でうまく対処してくれるだろう。予想通り、俺が糞ごと地面にぶつかる直前に、ふわりとした柔らかな空気が俺を受け止めてくれた。無事着地すると、俺はようやく糞の中から這い出した。
「いつもながら見事だな、サラの魔法は」
「シルフ達が糞を嫌がらずに受け止めてくれるかは、賭けだった。あの子たちは匂いに敏感なのでな」
サラは銀髪をかきあげながら言った。いつも無表情なので感情が読みとれないが、今は満足げに見えた。
「しかしまぁ、今回は大変だったよ。腹を壊していたし、だからといって大腸の中ですぐ漏らすわけにもいかなくてな。糞喰らいに尻を食われちゃたまらんし。散々苦しんだあと、古代竜の糞の中でようやく楽になれて……あっ」
しまった、漏らしたことはサラの前で言うつもりはなかったのに。安心しすぎてうっかりよけいなことを言っちまった。くそっ、俺は肛門だけでなく口まで締まりがないのか。
「なぁサラ、このことは黙っててくれないか?俺もけっこう頑張ったし、糞まみれで大変だったし。漏らしたことくらい書かなくても、アンドラステ様も許してくれるんじゃないか?」
「ライル、わが女神は嘘をお許しにならない」
そうだよな、うん。サーガに決して嘘を書かないからこそ、サラの詩は史料としての価値を認められていて、大学教員すら高価で買ってくれるのだ。
「だが、すべての真実を記録する必要もない。今回、勇者ライルは糞まみれになって戦い、勝利した。それだけを私は伝える」
「……恩に着るぜ」
俺はサラの柔軟性に感謝した。身体を起こすと、背中に心地よい水の流れを感じた。サラが精霊魔法でウィンディーネを呼び出し、糞まみれの身体を洗ってくれているのだ。
「真実はより大きな真実のなかに隠せ、ということかの」
ニコラオスはフードをはねのけると、感慨深げにつぶやいた。物は言いようだ。要は事実を曖昧にしただけのことだ。だがそれで守られる名誉もある。糞まみれになって戦った俺の物語は、
1000秒後にうんこを漏らす勇者 左安倍虎 @saavedra
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